【販売場所】
@入場してすぐ右手のグッズショップ
備考:まるでカリブの海賊の宝箱のような陳列がされていたのがみうらじゅんっぽい! ただ刻印機がなかった。
メダリオン・記念メダラー論争
【みうらじゅんFES】とは、2023年4月15日〜5月7日の期間で開催された記念メダラー大集合のイベントである。
記念メダル……否——ここは敢えてこう呼ぼう。
メダリオン
と。
冒頭からいきなり余談であるが、「記念メダラー」という呼称は、そもそもこのみうらじゅん氏が名付けた「メダリオン」という言葉に対抗するために、私が自らの属性を名乗るときにブログ上で使用し始めたものである。ちなみに私のことを「記念メダラー」と命名したのは20代の頃の元カノで、いまどこで一体何をしているのかまったくわからないのだが、きっとどこかで幸せに暮らしていると信じている(何が?)。
私が記念メダルを集め始めたとき、みうらじゅん氏もすでに収集をしていて、すでに第一人者的なポジションを獲得していた。忘れもしないのは、『るるぶ 北陸編』を読んでいたら【東尋坊タワー】の紹介コーナーでみうらじゅんが一枠を使って東尋坊タワーのメダルを紹介していたことである。
私にとってこの【東尋坊タワー】のメダルは人生で3枚目の記念メダルであり、つまりはコレクター人生の最初期に入手したものだった。業界の新人として、そのときは純粋に先駆者としてのみうらじゅん氏に尊敬の念を抱き、『るるぶ』のその氏が書いたコラムを読んだからこそ北陸の中でも東尋坊に行くことを決定したくらいである。
ただ、今回みうらじゅん氏の年表なるものがあったのだが、それによると氏の「メダリオンブーム」は私が記念メダル収集を始めた年と同じ年であったという衝撃的な事実が発覚した。全然先輩じゃなくて、なんならほぼ同時にブームが到来したといっても過言ではない。
この辺の話は後で改めてするとして。
とにかく、みうらじゅん氏は記念メダル界に君臨する第一人者であることは疑いようがない。そしてそれは同時に、『マツコの知らない世界』出演という私の最大の野望を叶える上で、最大のライバルとなることを意味する。だからこそ、「メダリオン」に対抗して「記念メダラー」なのである。
みうらじゅん氏からしたら勝手に逆上して刺しに来たストーカーのごとき存在であろう私であるのだが、この日、埼玉県の所沢まではるばるやってきた完全お上りさんな田舎もんの私を優しく包み込んでくれたのは、氏が醸し出す王者の風格であるのかもしれない。
そう、みうらじゅん氏は私の想像なんかよりもはるか先におわすお方であったのだ。
この後、会場内の様子を述べていく。が、ひとまずここで述べたいのは、勝手にライバル視していたものの入る前から勝負はついていたという厳然たる事実である。MJとび出し坊や、ご当地スタンプ、そもそも氏のポスターがガッツポーズしてるだけなのにすでになんか面白いという、存在としての上位種をそこに見た。
みうらじゅん氏はやはり、私の憧れなのだった。
人生は変えるものではなく、続けるもの
濃い。濃いぜ……
普段から記念メダルなんてディープかつマイナーなものを集めている人間なので、みうらじゅん氏の収集癖とはきっとマッチするだろうとは思っていたが、想像以上に自分の感性とフィッティングしまくった。そのため、会場規模としては実はそれほど広くはないものの、たぶん2時間以上も滞在したことだろう。これで900円なんてマジで安いぜ……
実はみうらじゅん氏の趣味を展示するイベントに参戦するのはこれが初めてではない。記念メダルの収集を始めた当初、ここまででちょくちょく登場しているが【みうらじゅんの100冊展】というイベントで記念メダルが販売されたので足を運んだことがある。ちなみに超余談だが、このイベントで記念メダルが販売されていることを知ったのは、懐かしのmixiの記念メダルコミュニティでだった。あそこも定期的に必ず荒れていて、今は亡き茶平公式掲示板のような雰囲気を醸し出しておりました。時代やなぁ……( ´Д`)y━・~~
もう10年以上前のことになるが、このときのことは結構覚えていて、あまり心に刺さらなかった印象がある。ただ、展示された内容の方向性は今回とそこまで差異はなかったように思う。
つまり、変わったのは私なのだ。
例えば、当時はゆるキャラブームが始まる前であったが、当然のことながらそもそも「ゆるキャラ」という単語を生み出した当人であるみうらじゅん氏は、当時のイベントでも「ゆるキャラ」という名称を使い、各地のゆるーいマスコットキャラクターを大量に展示していた。当時はブログなんてものを自分が書き始めるなんぞつゆほども思っていなかったので全然写真を撮っていなかったことが悔やまれる。。。
また、みうらじゅん氏の代名詞的コレクションともいえる「エロスクラップ」も当然展示されていた記憶。エロをセクハラと言わさない圧倒的な力がそこにはあった。
今でこそエロスクラップはみうらじゅん氏の代名詞であるが、何かをスクラップするという行為は氏が幼少期から積み重ねてきた習慣であったことが、このイベントにて示されていた。
収集癖とスクラップは、実は同一線上にあるものだと考える。スクラップには「記録している」という側面も当然あるが、どちらかというとやはり「集めている」という要素の方が色濃いと思うのである。その際たるものが「御朱印」だろう。
御朱印は本来はその神社仏閣に訪れたことを記録するための行為であったわけだが(まあもっと昔で言えば写経を収める行為だったわけだがそこは割愛)、現在では「御朱印を集める」と言っても何ら不自然な点はない。
コレクターの収集品には多くの場合、その裏側に「思い出」が詰まっている。集めた人間がその物を見れば、入手に至る経緯やエピソードが脳裏に克明に蘇ることだろう。つまり、こと”旅”に関しては、旅の思い出を手元に残していくという行為が結果的にコレクションに繋がっていくという現象が起こるのではなかろうか。
その最たるものが我らが記念メダルなわけである。
そしてある程度の数が集まってきたときに、あくまで「旅先で見つけたら手に入れるんだ!」を貫き通す派と、「旅はついでで、物を手に入れるのが目的になっちゃった。てへ☆」に変わっていく派の分岐点がやってくる。ネットで検索なんかしだしたらもちろん後者であり、このブログを読んでいただいている画面の前のあなたももちろん後者であることだろう。
みうらじゅん氏の”マイブーム”の多くには、そうした過程が辿られていったことが推察されるものがたくさんあった。根本にあるのは”旅好き”という属性で、それを覆い隠してしまうかのような圧倒的な収集力と物量が全面に出てくる。
そして収集を伴う旅は、宝探し的な要素が強い。つまり、みうらじゅん氏は最高ランクの”トレジャーハンター”であるといえる。我々記念メダラーが氏に最も惹かれるのは、そうしたトレジャーハント的な側面のレベチぶりになのかもしれない。例えば、収集した記念メダルの数であればきっと多くの記念メダラーが氏の収集数を上回っていることだろう。しかし、トレジャーハンターランクとしては、氏には全然及ばないことが一瞬で理解される。
旅好きは、旅をした記念となる”共通のナニカ”を集めたくなる性分にある。古くは「ご当地ペナント」のブームなんかがまさにそれだった。そして観光地にあるお土産屋さんは常に次のその”ナニカ”となるものを当てようと日々商品開発に勤しんでいるのではなかろうか。みうらじゅん氏の収集癖の根源にはこの旅好きの性分があるのではないかと考える。そしてその性分と、世の土産物屋さんの狙いとが尋常では考えられないほどのマッチングを果たした結果が、このイベント会場に広がるカオスなのではなかろうか(まあ”カニパン”は旅行に行く前段階の物の収集ですが〜)。
とある読書家の方の言葉に、
”人生は、変えるものではなく続けるもの”
というものがある。
一発逆転の変化を目指して普段やらないことをやってもうまくいかない。何かを続けていった先にいつのまにか大きな変化が起こっている——そうしたことを伝えようとした際の言葉であるが、みうらじゅん氏の収集癖も、続けていったからこそよくわからない意味が生み出されたものであるといえる。
記念メダラー諸君も、細事に怒りを震わすのではなく、大局的に観て収集を続けることが、何らかの結果に繋がることだと心に留め置き今日も旅をすることが吉であろう。売り切れの際にいちいち怒ってはいけないのだ。
【スカイツリー】の展望回廊イベントなんて大っ嫌いだけどね!(過去の売り切れに未だに怒り狂っている)
個人的に大共感したブーム
黄色い帽子のおじさんは、他が冒したすべての罪を背負って歩くイエス・キリストである——
長年、私はそう考えて生きてきた。しかし同時に、その思いを吐露することはほとんどなかった。なぜなら『おさるのジョージ』という世界的にも超有名コンテンツにおいて、なぜかその内容を覚えている人間というのはことのほか少ないことを知っていたからである。「小さい頃大好きで観てました〜☆」とハツラツ笑顔でうそぶく女子に、つい黄色い帽子のおじさんについて熱く、煮えたぎるほどに熱く語ってしまうと、私が息継ぎをするタイミングで「……実は内容はあんまり覚えてなくて……小さかったから……」とドン引きした顔で苦笑されるまでが一連の流れである。
現在(2023年5月)でもテレビ放映されている『おさるのジョージ』は、アメリカ的な要素がふんだんに詰まった幼児コンテンツであると言える。日本との文化の違いが余すことなく繰り広げられていて(黄色い帽子のおじさんが店員の目の前で商品のお菓子を食べ始めちゃうとか。へず◯りゅうか?)、大人が観るといろいろとその違いに驚き感心してしまうのだが、無邪気な子供はそんなこといちいち気にすることなく純粋にジョージのご機嫌ぶりを楽しんでいることだろう。そして「そんなこといちいち気にすることなく」の最たるものが、「ジョージは本当におサルなのか?」という問題であるのだが、そんなこといちいち気にすることなく楽しんでいるのである。
『おさるのジョージ』をじっくり観ていると、ジョージが地下鉄に乗ったり、お使いに行ってドーナッツを大量に買ったり、野球場の売店でレジをやったり、保育園にリュック背負って行ったり、体操の大会で大活躍したり(そりゃそうだろ)、宇宙船に乗って宇宙に行き船外活動をしたりというガチャピン以上の人外生命体による才能に驚愕してしまうのだが、私が最も驚いたのは——意外と地味かもしれないが——『おさるのジョージ、動物園に行く』である。
いや、お前どの立場で行ってんねん
というツッコミを禁じ得なかった。おサルが動物園で飼育されている動物にエサをあげているのである。では動物園ではお馴染みの展示である「サル山」に行ったら果たしてどうなるのか——とワクワクしていたら、サル山は出てこなかった。サル山もまた、日本独自の文化なのだろうか。アメリカの動物園にサルの展示はないのか?
似たようなエピソードで、ジョージが犬の散歩をするという話がある。
いや、お前どの立場でやってんねん
というツッコミをやはり禁じ得なかったのだが、そこには生物界の確固たるヒエラルキーが構築されていたのかもしれない。「(他人の)飼い犬<ジョージ」なのである。ジョージは犬をリードで引っ張る立場なのである。
しかしそんなパンくん以上の才能でおサル界の頂点に立つジョージも、基本的にはいつも”メチャ”をやるのがお決まりである。というか、ジョージがメチャをやってその収束を黄色い帽子のおじさんが請け負うのが『おさるのジョージ』という作品である、とも定義できる。
そして作品内の登場人物たちは、そんなジョージの驕りや失敗に対して、とても寛容である。誰も怒らない。誰もが、ジョージを一人格として認め、尊重し、ジョージの気持ちや想いを大切にしていつだって寄り添ってくれる。その最たる存在が即ち「黄色い帽子のおじさん」であり、ジョージの飼い主であり、そして親なのだ。
そう——『おさるのジョージ』とは、子供向け番組であり子供が夢中になって観るコンテンツでありながら、真の視聴者層はその親なのである。隣に一緒に観ているその親に向けて、「子育てとはかくあるべきだ」と説いているのだ。
黄色い帽子のおじさんが住む家の至る所に注文を間違えて大量に買ってきてしまったドーナッツを隠されても、泥だらけの足で部屋中を歩き回られても、時計をいじられて重要人物に会う約束の時間に大遅刻して会えなくなっても、部屋中を(結果的に)めちゃくちゃに荒らされても、黄色い帽子のおじさんのアイデンティティともいえる黄色い帽子に穴をあけられても、おじさんは決して怒らない。「おぉ〜、ジョージぃ……」と額に手を当てて困った顔をするだけである。それどころか、街中で起こるジョージの失敗の罪を全て己が背負い、今日もジョージに「いい子にするんだぞ」と言ってジョージを信じて単独行動を許容する。
私はこのおじさんの姿勢をイエス・キリストの降臨だと解していたのだが、みうらじゅん氏は無怒菩薩の再来と解している。
西洋と東洋の信仰の違いはあれど、その胸に抱くものはきっと同じであろう。
そしてそこに、子育ての真髄を見るのである。遠藤周作は名著『沈黙』の中で、神の存在を「助けてくれる存在」ではなく「許してくれる存在」であると描いた。神は目の前の苦しみから超人的な力で救ってくれるわけではない。が、常に寄り添い、あなたのどのようなことも受け入れてくれる「永遠の伴走者」として存在するのだと説いたのである。
ジョージにとっての黄色い帽子のおじさんとは、まさにこの「永遠の伴奏者」なのだ。そしてこれはそのまま、世の親たちに対して「親として目指すべき姿勢」を説くものでもあるのだ。
街の人も、黄色い帽子のおじさんも、作中の大人たちはとにかくジョージに対して優しい。いや、ジョージだけではなく、ジョージと一緒に遊ぶ全ての子供たちに対して寛容である。子供を一人の人格者であると認め、さまざまなチャレンジ、そしてその失敗を許容する。そのアイデアに優しく付き合い、時に一緒になって汗をながす。大人の寛容さに包まれて育つ作中の子どもたちは、どの子も他人に対して思いやりをもち、人の役に立とうと奮闘する(そして失敗するのが各エピソードの典型パターン)。
かといって作中の大人たちが全てのことに対して達観しているかというと決してそんなことはなく、大人たちもさまざまな失敗をして、時には泣くこともある(レストランのオーナーシェフであるピスゲッティさんはよく泣いてる)。黄色い帽子のおじさんも、ジョージと二人(?)で日頃お世話になっているワイズマン博士の休暇を盛り上げようとするのだが失敗ばかりでしょんぼりする(でもワイズマン博士が「すっごく楽しかったわ〜」と二人にお礼を言う優しい世界線)。
自分が完璧であることが重要なのではなく、人に優しくあることが大切である——そんな単純なことを、黄色い帽子のおじさんをはじめとした作中の大人たちは、世の親たちに、ジョージを通して語りかける。大人とはどうあるべきなのかの答えが「黄色い帽子のおじさん」なのである。
その他諸々の気になったブーム
みうらじゅん氏の軌跡
このイベントでは、みうらじゅん氏の収集物だけではなく、氏の来歴を紹介するコーナーが冒頭にあって、実はそこが一番興味深く、私が一番見学に時間をかけた場所となった。
偉人はやはり、幼少期から偉人である。よく「天才は努力をしない。好きでやっているから本人は努力だとは思っていない」みたいな話があるが、まさにそれだな、と。
上記の項で「続けるもの」みたいな話をしたが、氏の根底にあるナニカは、幼少期化から現在まで途切れることなく続いていて、その一端が形となったものがこのイベントであると言える。
私の人生最大の野望『マツコの知らない世界』出演を叶える上で最大のライバルとなると常々思い、恐れ、畏怖してきた存在——みうらじゅん。しかしその実体は、私如きが捉えることなど到底できぬほどに大きく、強大で、底知れぬものであった。人生の深さ、色濃さにおいて勝負にならないほどの差がある。
天才とは、自分の才能を自分で人知れず伸ばしてる。
生い立ち
コロナ画
「コロナ画」とは、みうらじゅん氏が製作期限を「コロナ禍収束のとき」と定めた連作絵画シリーズである。とてもiPhoneSE3のカメラの画角では収まりきらないほどの圧倒的なスケールに、つくづく「ケチらずproを買えば良かった……」と後悔する日々である。ブログなんてものをやっているのだから。
さもするとみうらじゅん氏は「変な物を集めているおじさん」とだけ見られがちである。しかし、これを見るとそれは「芸術方面の才能が溢れ出て持て余された結果」であって、根底にあるのは”芸術の才能”であると感じる。
私なんぞ素人が芸術について語るとプロい方々から鼻で笑われそうだが、私はこの作品群を見て、人間がもちうる器の大きさからして違うんだなぁとしみじみと実感した。齢60を超えて、あれだけ色々なモノに手を出しながら、一方でこれだけの作品を製作し続けるだけの活力があること自体が、年々気力・体力が落ちていっていることを実感している凡人の私との人間的な差を感じざるを得ない。つまり、絵画に対する作品自体の芸術的評価は私にはわからないが(私はもちろん大好きだが)、作品を作り続けることができるという点で非凡であると思うのだ。
例えば、それこそ私のような凡人なんかと比べて非常に恐縮であるが、このブログも正直いつまで続けられるかは私にもわからない。だからこそ、きっと『マツコの知らない世界』に出演できたらやめるんじゃないかな、という予想が自分の中である。「人生とは、変えるものではなく続けるもの」とはいうなれど(3回目)、この規模でブログを続けるということはとても辛く、険しい道を歩き続けていると日々実感している次第である。もちろん好きで楽しくやってるんだけどね!
このブログを始めた理由はいろいろとあるのだが、大きなウェイトを占める理由の一つに”『マツコの知らない世界』のスタッフの方にアピールする”という理由が本気であるので、この規模感にしている。だからその理由がなくなったら、たとえ継続を決断するにしても、少なくてももっと簡易的なものとなることだろう。例えば、メダルの画像と販売情報と気になった写真だけを載せるだけの簡単な構成とするような。旅行の際にメダル情報を参照するためにサイトを訪問していただいている記念メダラーの皆様にとっては、ぶっちゃけそういったデータベース的なものだけで必要十分ともいえるだろう。その構成なら1記事を書くのも15〜30分もあれば済むだろうから負担は大幅に減少するし、超気楽である。ちなみにこの記事はここまで書いた現時点でゆうに8時間以上掛かっている。そして自分でもどのようにこの記事を追えるのかいまだゴールは見えないのだった……
——というようなことを嘆いている時点で、みうらじゅん氏の才能の前には風の前の塵に同じなのである。「コロナ禍収束まで」という先の見えない期限を自らが定め、感情の赴くままに筆を振り続ける氏の内なる原動力、そしてそこから生み出された連なる作品たちを前に、私はただただ圧倒されるばかりであった。
メダリオン分析
ここではメダリオン・みうらじゅん氏のコレクションを紐解いていく。これが氏の所有する全コレクションかどうかはわからないが、さすがマニアだなというラインナップであることがうかがえる。”旅行先でたまたま見つけたら買う”という初期記念メダラーでは揃わない、集めに行かなければ手に入らないラインナップであるともいえる。
氏のコレクションを分析しつつ、その旅の行程に思いを馳せたい。ここからは都合上、記念メダルの山を6分割して細かく分析していきたい。
右上
【野付半島ネイチャーセンター】、【浅虫水族館】、【東尋坊タワー】、【富士山年号メダル】、【クロスランドタワー】、【小松空港】、【秋田空港】、【銚子ポートタワー】、【あべのハルカス】、【館長庵野秀明 特撮博物館】、【ゴールドタワー】(裏面)、【東京スカイツリー】(裏面)、【錦帯橋】
不明メダルは、
①銚子ポートタワーの下にある裏面のメダル
②さらにその下のヘラクレスオオカブトのメダル
※【MOVE 生きものになれる展】でした。
③さらにその下のメダル
※恐らく【スカイツリー】なんじゃないかとのことです。
分かった方、教えてくださ〜い。
右下
【鬼怒川温泉駅】or【下今市駅SL展示館】、【東大寺】、【勝手に観光協会】、【さっぽろテレビ塔】、【赤目四十八滝】、【空中展望台】×2、【浅草花やしき】、【五稜郭タワー】、【しながわ水族館】
不明メダルは、
①さっぽろテレビ塔の下のシロイルカっぽいメダル
※コメントで【品川アクアスタジアム】だと教えていただきました!
②さらにその下のメダル
※【大地のハンター展】とのことです。
分かったらおしえてください〜。
中央上
【名古屋テレビ塔】、【夢みなとタワー】×2、【スパリゾートハワイアンズ】、【東京タワー】、【東山スカイタワー】、【須磨水族館】、【みうらじゅんの100冊展】×2、【大和ミュージアム】、【マザー牧場】、【箱根ロープウェイ大涌谷駅】、【那須ロープウェイ】、【東京スカイツリー】
裏面ゆえにわからないのが、【北海道のメダルスポット共通裏面のメダル】。
その他、重なっていてわからないメダル多数。他にもわかるものがあれば教えてくださーい。
※【ハウステンボス】が1枚あるとのことです。
中央下
【江ノ島展望灯台】、【東京スカイツリー】、【美ら海水族館】、【東山スカイタワー】×2、【別府タワー】、【名古屋港水族館】、【神戸ポートタワー】、【東京タワー】
左上
【小松空港】、【京都タワー】、【掛川花鳥園】、【サンシャイン60】、【のぼりべつクマ牧場】、【土肥金山】
調べるのがめんどくさくて(オイ)わからないメダルは、
①クマ牧場の下のメダル②どこかの城メダル
※コメントで【岩国城】であると教えてきただきました! というか自分でも次にそう書いていた!
③サンシャインメダルの下のメダル
左下
【平城遷都1300年祭】、【小田原城】、【小倉城】、【旭岳ロープウェイ】、【カップヌードルミュージアム】×2、【多摩動物公園】、【岩国城】、【のぼりべつクマ牧場】、【愛・地球博】、【鴨川シーワールド】
ちょっともう気力がなくて(オイ)不明なメダルは、
①岩国城の下の下のメダル
②愛・地球博の下のメダル
わかったかたは以下同文。
氏が所有する記念メダルがこれで全てとは限らないし、これだけでも相当な数であるが、特筆すべきは他の物も集めているのに記念メダルだけでこれだけあるという点である。そして何より、最近主流となったプリントメダルがあまりないところを見ると(【あべのハルカス】と【大地のハンター展】のみ)、みうらじゅん氏の中で記念メダルという存在の何が琴線に触れたのかというのが何となく分かる気がするのであった。うまく言葉にできないけれど、それはきっと、世の記念メダラー達が抱く想いと同じものであることだろう。
記念メダルについて
メダリオン・みうらじゅん氏のイベントということで記念メダル販売への期待が通常より高かったかもしれないが、公式HP等ではメダル販売の告知はなく、実際に足を運んだ有志の発見報告によってこのメダルは記念メダラー達に知れ渡った。実際に一歩を踏み出した人こそ、勇者と呼ぶ。勇者はいつだってちいさなメダルを集めているというのは、FC版ドラクエ4からの習わしである。
また、デザイン以上に大きな話題となったのが「むき出し販売」である。まるでカリブの海賊で見るような宝箱に入った金貨の山のような陳列がされ、コレクターは「き、傷ついちゃうよっ……Σ(゚д゚lll)」と気が気ではなかった。開幕後しばらくしてからキーホルダー付きのケース入りが販売されはじめ(それまではなかった)、なんとなく一安心である。コレクターはむき出しver.を買っただろうけど。
この陳列方法一つとってもみうらじゅん的なものを感じ、結果テンションは上がる一方だ!
おもて面、裏面ともにデザインを彩るのは、みうらじゅん氏がデザインしたカエルである。
おもて面は他に、ブームの展示にもあった”天狗”、”へび”、さらにいえば”SINCE”と、このFESを象徴するものが散りばめられている。メダルのデザインで”ものを詰め込む”というのは意外と難しいという感覚が実体験からあるので、ここまでいろいろな要素を描いているのはすごいな〜と素直に思う。そこはやはり、プロのデザイナーということなのだろう。
裏面もまたカエル(とヘビ)だ。
実は両面とも同じキャラクターが描かれているのは結構珍しい。裏面にはとかく「タイトル」とか「ロゴ」とかをバーンと描きたくなりがちである。このメダルからはどちらがおもて面になってもおかしくない、といった印象を受ける。うまく言葉にならない独特の完成度を誇るメダルである。
ここでみうらじゅん氏の過去のメダルとの比較。
こうして改めて見返すと、過去メダルも非常によくできているなぁという印象を改めて受ける。
メダルをデザインする際、大別すると①「一場面を丸く切り抜く」②「描きたいものを中心にドカンと置く」③「円形であることを生かしてデザインする」みたいに分けられると考えている。当然③が一番レベルが高いわけだが、みうらじゅん氏が描くメダルデザインは②をしつつ③であるという印象。”ぎゅうぎゅう詰め感”溢れるまるでデザインがパンパンに膨らんだ風船のごとき印象を受けるのは、メダルが円形であることを右人に生かしているといえるのではないだろうか。
次回のイベントでも、ぜひメダルを発売してほしいものですな! というか、こうなると、今までのイベントでも販売されていなかったのか気になってしまうところである。2022年の京都でのイベントとか……
右下の①のメダルが品川アクアスタジアム、左上のお城が唐津城、左下のお城が小田原城です
暇を持て余してるので探してみました。
コメントありがとうございます^ ^
また、よく目を凝らして見ていただき、力尽きた私の代わりにお調べいただきありがとうございます!
教えていただいた点を記事に反映させていただきました。
1点【左下】の箇所のメダルですが、私の書き方が良くなかったところがありまして、正確には岩国城の「下の下のメダル」でした。のぼりべつクマ牧場のメダル(裏面)の下というか。
小田原城は小倉城メダルの下にあるメダルかと思われます。
深夜に失礼します、今朝の報告ですが左上は唐津城ではなくて岩国城でした。勝手に思い込んで嘘教えてしまいました。すみませんでした。
というか左下に思い切り岩国城って書いてありますね(笑)
ついでに4枚わかったので報告です。
・右上ヘラクレスオオカブトのメダルは大昆虫博(Twitterで検索したら出てきました)、その下はおそらくスカイツリー
・右下アクアスタジアムの下のプリントメダルは大地のハンター展
・中央上逆さまのみうらじゅん100冊展の下(中央下ちゅらうみ水族館の上でちょうど見切れてる)のがハウステンボスだと思われます。
こんな時間に何やってるんだろうか…………
コメントありがとうございます^ ^
ヘラクレスオオカブトのメダルは、【大昆虫博】のものではなく、【MOVE 生きものになれる展】のものでした! Googleで「大昆虫博 記念メダル」と検索したら、なんのことはなく、自分の該当記事がヒットして判明しました。。。
【大昆虫博】のヘラクレスオオカブトは集中線が描かれていますがこのメダルにはそれがなかったのでこのように判断いたしました。
日曜の深夜(月曜の朝?)という魔の時間帯にご尽力いただきまして、ありがとうございます(笑)
記事に反映させていただきました。