【販売場所①】
@2階ミュージアムショップ前(2019.8現在)
備考:こちらはオークコーポレーション運営のミュージアムショップ。よってメダルもオーク製 ※販売終了
【販売場所②】
@屋外ショップ前(2019.8現在)
備考:お店自体がオーク運営ではないっぽい。そのため、販売するメダルも異なる、終焉へと向かっている雰囲気ありあり。※販売終了
光源氏「須磨なう」
兵庫県の【須磨海浜水族園】は、今年(2017)60周年を迎えるらしい。還暦である。
そのため、裏面が「60周年バージョン」となっていた。逆に言えば、今年は通常バージョンは入手できないということでもある。世の中とはままならないものである。
——と思ったら、別の売店で通常版メダルが販売されていたっぽい!? こういうことはよくある。記念メダラーたるもの、このようなことで決して悪態をついてはいけない。血の涙とともに、何よりも己の迂闊さを飲み込むべきである。(追記:無事、手に入れました)
60周年ということは私が生まれる遥か前から存在していた水族館ということになるのだが、なかなかどうして、とてもよい水族館であった。昔ながらの雰囲気を残しつつも、展示内容や展示の「解説」はイマドキ風である。ただ怠慢に伝統を引き継ぐのではなく、時代のニーズに合わせて変わり続けようとする姿勢がうかがえて好印象であった。ぜひ自分もそうあり続けたいものである。
ただ、昔ながらの水族館であることを象徴する事態に遭遇した。突然のゲリラ豪雨により、別館への移動ができなくなったのである。現在の建設事情であれば、別館に行くのに野ざらしの屋外を通らせるなんていう設計にはまずしないだろう。別館に移動する客を見込んでいたであろう屋外に設営された屋台では、視界が白くぼやけるほどの豪雨により誰も来るはずのない店の中で店員が建物に戻ることもできずに取り残されていた。まさに「水を差される」とはこのことである。
ゲリラ豪雨は、ゲリラ豪雨だけに30分ほどで静まったのだが、併設されている遊園地では全てのアトラクションがストップされていた。閉園まで残り1時間程度だったこともあり、雨が止んだからと言って遊具に掛けたカバーを全て取り払って1から仕切り直すのは非常に骨が折れる作業であろう。券をどうするんだと客ともめていた。まさに自然災害の脅威である。
ここの水族館は、まず初めにいきなり大きい水槽がバーンとあるのが大変よい。この水槽に見応えがあったために、そこから先も好印象で見られたのだと思われる。魅力というのは出し惜しみしてはいけないのである。
そんなわけで、数々の水族館に訪れ、水族館に関しては小うるさい私でも、久々にグッとくる水族館であった。新しくオシャレだから良いというものではないのである。
以下、ダイジェスト↓。
全くの余談であるが、「須磨」といえば『源氏物語』で光源氏が政治的に窮地に陥った際に高飛びした地である(ものすごく軽い言い方)。いわゆる「須磨流し」である。原因は今風に言えば「ゲス不倫」である。しかも手を出した相手は東宮(いわゆる皇太子)の女である。かつて石田純一が「不倫は文化」だと述べていたが、まさにその通りなのである。平安時代から受け継がれる文化なのである。だから、国会議員が不倫スキャンダルに揺れる昨今であるが、国政に携わるものが不倫で身を滅ぼすというのは、平安時代から色濃く受け継がれる日本の伝統文化なのである。なんら恥じることはない(恥じろ)。
須磨でわびしい生活を送る光源氏は、都にいる自分の女たちにせっせと手紙を送るわけだが、現代だったらきっと「須磨なう」とツイートするだけでリプライがたくさん帰って来ることだろう。スマホがあれば流されても寂しくないね!
余談の余談だが、『源氏物語」はよく古文の分野の「敬語」で引用される。主には敬意の方向を問う問題で引用されるのだが、ここで難しいのが、現代の小説にはない価値観が存在し、しかも高校の先生はなぜだかそのことをはっきりと教えてくれないことが多いということである。
現代の小説にない感覚とは、「作者が架空の人物に敬語を使う」というものである。現代で例えれば、赤川次郎が、三毛猫ホームズが鳴くたびに「ニャーとお鳴きになった」と地の文で書くようなものである。
ファンタジー小説では「王様」や「王子様」がよく出て来ると思うのだが、当時の感覚に基づけば、たとえファンタジーのフィクション作品であったとしても、身分の高い登場人物に対しては、その者が行動する度に「召し上がる」やら「ごめん遊ばせになる」といった表現でその行動を記述するわけである。
「作者が架空の登場人物に敬意を表する」という感覚があることをまず教えていただけると、話が見えやすくなると思うのだが、私が出会った国語の先生たちはなぜだかそれをしてくれなかったので、かつては古文の敬語で少しつまずいた。逆にこの感覚が理解できると、頻繁に主語が省略される『源氏物語』において、動作主が推測しやすくなるというメリットがある。
作者の紫式部は宮中に仕える人間であった。そんな人物が、架空の天皇やら天皇家のお家問題やらを物語として描いたというのはなかなかすごいことだなぁと思うのだが、その辺の感動を先生たちは全然伝えてくれなかったのが残念である。現代で例えれば、眞子様とそのボーイフレンドとのデートに密かに随行していた女ボディガードが、仕事の中で得た知識に基づいて正確な描写で事細かに天皇家の内実を描き、架空の天皇を仕立て上げ、その子供があっちゃこっちゃで女と戯れまくるフィクションを書くようなものである。しかも超大作で。
1000年前にそれをしたというのが本当にすごいよね〜という超どうでも良い話でした。ちゃんちゃん。
夏はナイトアクアリム、つまり神戸の他の場所を巡ってから来てもOKだ!
所用があって岡山県に行った帰りに、寄ってみた(どんな寄り方やねん)。夏はナイトアクアリムとして夜間営業をしているので、20時までに来られれば入れるのである(閉園21時)。前回、突然のゲリラ豪雨に見舞われて「メダルが野外エリアでも販売されていたことに気がつかなかった!」という女心を見抜けなかったことの次に致命的な失態を犯してしまったので、いつかリベンジしたいとずっと考えていた。また、60周年が終わり、「60周年記念メダル」として販売された3種が通常盤の裏面となって再販されていることもあり(後述)、一度訪れた場所に2度訪れることはあまりないのだが、頑張ってみた次第である。
しかしそれにしても、ナイトアクアリウムなるものは一人で来るべき場所ではないね。どこを見てもカップルと家族連ればかり……記念メダルを漁りに一人で訪れる中年のおっさんなどどこを見てもいなかった——ってそれいつものことじゃん! 観光施設なんてどこを見てもカップルと家族連ればかりである。むしろこの世のほとんどすべてがカップルと家族連れでできているといっても過言ではない。
夜の水族館というロマンチックなものに久々に訪れたのだが、記念メダルのことと「駐車料金を1時間分のみで済まそう」と書いて「モテない」と読む思考が頭の大半を支配していたため、特別感慨深いものはなかったのよね〜実際。まあそこそこ面白かったとは思いますが〜。記念メダラーって観光気分を味わうという点では損してるよね〜(私だけ?)。
記念メダルについて
【須磨海浜水族園】は、販売場所が2箇所ある。屋外のグッズショップ前に一台、本館2階のグッズショップ前に1台あり、販売されているメダルが異なるのがクセ者である。前述のように、初訪問の時はゲリラ豪雨で屋外に出られなくなり、うっかり買い逃してしまった。ショックのあまり光源氏を恨んだ(モテるやつは基本キライ←妬みの権化)。
2019年7月現在、かつて販売されていた開園60周年記念メダルの販売は全て終了し、60周年記念メダルの裏面を通常仕様のものにしたメダルが販売されている。【あべのハルカス】3周年とか【横浜ランドマークタワー】25周年とか、最近このパターン多いよね!
さて、問題は屋外ショップ前に設置されている販売機の2種のうちの1種が「完売」となっていたことである。
屋外ショップ前の2種はどうも昔からある古いタイプのようで、正直これは完全に販売終了なのではないかと思った。要するに、「販売機の中に2、3枚残っている」という例の茶平自販機あるあるも恐らくダメなのではないかと思ったわけである。しかしどうしても諦めきれず、ここで何もせずに諦めたら中学卒業と同時に中2の頃からずっと好きだったあの子に告白しようと思っていたのに臆病風に吹かれて結局何もしなかったあの時の後悔を繰り返してしまうと思い(いや、ほんとにこれを思い出した)、ショップの店員さんの手が空くのを待って、いつもの厚かましいお願いをして確認してもらった(このとき大切なのは、「記念メダルを集めている」ということを丁寧に伝えることで身分?を明かすことと、最大限で謙虚になることである。「ごめんなさい、できません」と言われたらすぐに素直に身を引きましょう)。
確認の結果、なかった。すっからかんであった。
そこで、私は禁断の一手に出た。私自身、長い記念メダラー人生で初めてのことであった。
禁断の黒魔術「見本を売っていただくことはできませんか」発動である。
自分のわがままを伝えた瞬間、ショップの方は、その辺のマンガよりもそれと分かるほど、思いっきり苦笑いをした。その表情で、自分は本当に迷惑なことをしているのだなという罪悪感で、申し訳ない気持ちで身が縮こまった。30半ばを過ぎたおっさんがこんなわがままを言って本当に申し訳ないし、むしろ30半ばのそれなりの大人がお願いしているからこそ無下に断ることができなかったのではないかと心底思う。相手の弱みに付け込んでいる感がハンパなく、自分のことながらちょっとどうかと思ってしまった。
このあたりのことは、記念メダラーのあいだでも賛否が分かれそうな案件である。
個人的には、あんまり推奨してはいけないかな〜と思ったりらじばんだりである。ショップの方に対して迷惑をかけるという点でもそうであるし、「完売」と書かれているのだから無理をせずに素直に購入を諦めた人もいるだろうし。
しかもこの見本を取り外すのは結構手間で、ドライバーを持ってきてネジを外す必要があるのである。しかもこの日はナイトアクアリウム——案の定、店員さんの手から極小のネジがポロリと薄闇の地面に落ちましたとさ……( ;∀;)
もちろんすぐに私が必死に探して、私が見つけた。しかしそれもまた店員さんからしてみれば「客にやらせてしまった感」があって、お礼とお詫びを言うのはもちろん私の方であるはずなのに、不覚にも店員さんに言われてしまった。とことん迷惑な奴と化してしまった。
メダルを購入後、私が改めて心からの感謝を述べると、なんでもないことかのように「いいですよー」と笑顔を向けて、ご自分の仕事へと戻られていった。なんてかっこいいんだと素直に思った。私もこのように自分の仕事と向き合いたい。
見本のメダルは、長年販売機の中で見本としての役割をまっとうしてきたことを体現している年季の入ったものであった(しかも屋外設置だし)。しかし、私にはそれがむしろ感慨深く、感謝の念を抱かずにはいられない深みとなっている。この傷み具合こそが、店員さんがこんなおっさんに手間暇かけて「見本」を譲ってくれた証なのである。本当に感謝である。
記念メダルの旅は、人への感謝と共にある。
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