【販売場所】
@レジ前(2019.5現在)
備考:レジの人に横目で見つめられつつ刻印さ!
【販売場所】
@ミュージアムショップ中央付近
備考:キーホルダー一体型は、多くの記念メダラー達が購入するかどうか悩むと思います。
マンガの神様:手塚治虫。でも絵は好きではない
【宝塚市立手塚治虫記念館】はその正式名称のとおり、宝塚市にある。なんでも手塚治虫はこの宝塚市に幼少期〜20代半ばの漫画家活動初期の頃まで住んでいたらしく、確かにそれだけ住んでいれば行政があやかって記念館建ててもまあOKだね! というくらい馴染みの深い場所であるらしい。特に手塚治虫ファンではない私からしたら手塚治虫の居住地といえば「トキワ荘」なわけだが、住んでいた年数的にはもちろん圧倒的に宝塚市に軍配が上がる。「宝塚とかマジ遠いからやめてよ、他に何も寄るとこないじゃん」なんて不満は微塵もないのである、はい。いや、マジで。
宝塚なので、もちろん「あの宝塚」も近くにある。というか記念館の場所自体「宝塚歌劇場」のすぐそばなので、なんならセットで観光するのも良いかもしれない。私は開館時間ちょうどくらいの割と朝早くに訪れたのだが、周辺道路には宝塚の卵たちの入りを待って青田買いする着飾ったお姉様たちの入り待ち集団が数多く見られ、なんとも華やかな街並みとなっていた。そういった光景が街の随所に見られると話には聞いていたのだが、初めてこの目で見て、踏み入れてはならないサンクチュアリに土足で上がり込んでしまったかのような背徳感を味わったのであった。男子禁制感がパねぇっす!(語彙力)
いや、宝塚の卵も大変だなぁと思ったのは、道端でのファン対応等ではもちろんなく、あれほど綺麗にバッチリメイクで着飾って出勤するのに、普通のママチャリを漕いでいたところである。お金がないのだからもちろんそれは仕方がない。しかし、光景としては実にシュールであった。頑張って成り上がって、ハイヤーで出勤できるようになってほしいと陰ながら応援している。
で。
手塚治虫といえば言わずと知れたマンガの神様であり、現代アニメの創始者でもある。しかし、最近の若者からは失われつつある文化であるとも感じる。ついこの前、20代前半の若者に「手塚治虫ってわかる?」と訊いたら、「名前は聞いたことあります!」と元気ハツラツな答えが返ってきた。なかなか世知辛い感じである。
確かに、現代的なマンガやアニメに親しんで育った若者達には、もはや手塚治虫は歴史の教科書に載りそうなほどの「過去の偉人」でしかないのかもしれない。このようなことをいう私だって決してリアルタイムで手塚治虫の作品を手にとってきたわけではなく、たまたま小学校の図書館に『ブラックジャック』の愛蔵版が入荷され、しかも学校図書館の中にあるマンガが他に『はだしのゲン』か『スマーフ』かしかなかったから手に取ったに過ぎないという出会いであった。この3つのマンガの中ではダントツに『ブラックジャック』が面白かった&当時はマンガが大好きであったので、他の手塚作品も手に取るようになったし、ブラックジャックに至っては全巻を改めて自分で購入したほどである。つまり、私の世代でも決して手塚治虫はリアルタイムな漫画家ではなかったし、積極的に手に取る者もごく一部でしかなかった——私の時代ですら手塚治虫はすでに過去の漫画家だったのである。いわんや、現代の若者をや。
そして何より、作品を読み漁っていた当時の私ですら思っていたのが「絵が萌えない」である。手塚作品には意外とエロいシーンもあるのだが、全然萌えないし、湧き上がるものがない(何が?)。これは現代におけるマンガという一大文化(クールジャパン?)においては痛手である。もちろん例えば『ワンピース』のように「特別に女の子がかわいいわけではない」という大ヒット作品もあるわけだが、基本的にはギャグ漫画でもなければ女の子は可愛い方がきっと良い(なんならギャグ漫画だって女の子が可愛い方が良い)。
実はこと「絵」に関しては手塚治虫自身も某テレビインタビューで語っていることで、「ストーリーのアイデアはバーゲンセールをやってもいいほどたくさんあるんだけど、絵の方がね。絵についてはどうしても力が足りない」というようなことを述べていた。そういう意味では「未来が見えていた」とも言え、やはり手塚治虫はマンガの神様であるというエピソードでもある。
ここでいろいろマンガに関することを述べても専門的な方からいろいろなご指摘を受けそうなのでこれくらいにしておくが、ここで述べたいことは、少なくても私にとっての手塚治虫は「ストーリーにはのめり込んだが絵は好きではない」「現在の若者にはもうしっくりこない存在」という2点である。
何が言いたいかという、【手塚治虫記念館】について語り合える人が少なくなりつつあるということである。悲しい。
ここは個人的にとても良い施設であったと感じたので非記念メダラーの方々にもぜひオススメしたいスポットなのだが、いかんせん、時代が失われつつあることを感じる結果となった。職場の若者に「手塚治虫の記念館があってね〜」と話してみても、「手塚治虫?」「あっ、名前は聞いたことあります〜」という反応だったのである。そうか、こうして時代は変わっていくのだなぁもう令和なんだなぁと思った次第である。はい。
マンガ家志望の人よ、勉強もすべし
入場すると、「おおっ、なんか手塚治虫のSFっぽい!」という内装がお出迎えしてくれて、テンションが上がる。
さて、その中でひときわ目を引いたのが次の2枚の賞状である。
何かというと、手塚治虫が所有していた「医師免許」と「博士号」である。手塚治虫が実は医師免許を所持していたことは割と有名な話なのだが(『ブラックジャック』とか描いてるしね!)、出身大学が「大阪大学医学部」だとは知らなかった! さらには博士号まで取っていたなんて!(しかもマンガ家として既に働きながら)。お前どんだけ頭良いねんという話なわけである。私は「学歴なんて関係ない、と東大出てから言ってみたい」という人間なので、この高学歴に普通にビビった。やはり有能な人間は何をするにもレベルが高いというか、「有能な人間だから後から学歴が付いてきた」ということなのではないかと思うのである。昨今ではよく就職の際に「今の時代、もはや学歴なんて関係ない」と聞かれるようになって久しい。が、それは事実なのかもしれないけれど、有能な人間は結局、わざわざ自分で選んで二流三流大学に行かない限りは「高学歴が後から付いてくる」ものなのではなかろうか。極論、東大行けるのにわざわざ地元のFランク大学にいくことなんてありえないわけである。ただ私は大器晩成型の人間というのも数は多くはないが実際にこの目で見たことがあるので、卒業大学自体はそこまで名のある経歴ではなくても社会人となって目覚ましい活躍をするというケースももちろんありえると考える。ただ「企業が今でも大学フィルターを掛けるのも、反対だけど理屈はわかるな」とも思うのである。時間は無限にあるわけではないので、合理的に、良い人材と少しでも高確率&少ないチャンスでめぐり逢おうと考えると、自然とそこに行き着くんだろうなーと思うのである。まあそんなこと今の時代では人事担当者は口が裂けても言えないだろうが。
平凡な人間かつ平凡な大学出身の私も、就職活動のときは御多分にもれず一流企業から受け始めたわけなのだが(採用試験開始時期が大きい企業の方が単純に早かった)、集団面接で両隣に座っていた東大&早稲田の学生は、出身大学云々の前に「語る夢の大きさがまるで違う」と素直に感心した。自分とは描いている未来の大きさが全然違うことに愕然とした。彼らは虚勢を張って大口を叩いているのではなく、大きなことを実現するための具体的な方策を述べていたのである。単純に、「私よりも知っていることが圧倒的に多いんだな」と思った。
もちろん今なら私も当時よりはもう少しマシなことが答えられる自信があるが、ポイントなのは「彼らは大学3年生ですでにそうだった」という点である(当時は大学3年生の12月から就職活動が始まった)。仮に私も社会の荒波にそれなりに揉まれたことで成長できていると仮定しても、彼らもまた同じように——あるいは圧倒的に凌ぐスピードで同じように成長しているはずなので、「うさぎとカメのうさぎ昼寝しないレースver.」なわけである。一度開いた隔たりを埋めることは想像以上に難しい。
何が言いたいかというと、若者よ、ちゃんと学校行ってちゃんと勉強しとけという、ああこういうこと言うようになったのならやっぱり私も年なのね……という話である。極論としては別に学校に行かなくてもいいんだけど、勉強するなら「学校に行く方が自分でするよりはるかに楽じゃね?」と思うのである。そして何より「行きたいのに行けない」のと「行きたくないから行かない」のには大きな違いがあるわけで、条件が十分揃っていながらも「敢えて行かない」「敢えて勉強しない」という選択肢を選んで夢を追いかけるならば、少なくても「行こうと思えば行ける」くらいの地頭はいるんじゃね? マンガの神様クラスの存在になろうと思うなら、それこそ大阪大学医学部にいけるくらいの地頭が。という年寄り臭い話でした(今話題の10歳YouTuberに対する私見)。ちゃんちゃん。
正味な話、手塚治虫作品を知る人の多くは「手塚治虫が名門大学の医学部出身で博士号をもつほどの秀才」という経歴に、むしろ納得するのではないかと考える。
本気を出せば1日遊べる手塚治虫記念館
1階展示、2階漫喫、地下1階ワークショップという造りの【手塚治虫記念館】。行政がこういったマンガの記念館を作るというところがまず素晴らしい。「2階漫喫」というのは少し大げさだが、手塚作品の単行本読み放題、映像作品見放題となっているため、こじんまりした施設ではあるものの全てを楽しもうと思ったら1日あってもむしろ時間が足りないだろう。入場料の元は十分に取れるぞ! しかしながら私はクルマで来た&まさかの専用駐車場無し! で時間貸し駐車場利用なので、総理大臣並みに分刻みのスケジュールで動かなければならなかったのであった。『火の鳥』を読破して「現代編でどんな最終回を思い描いてたんだろ〜」なんて感傷に浸っている時間などなかったのであった。しかしこの「専用駐車場無し」の施設は毎度のことながら一番キビしいパターンである。お金の問題だけではなく、「どこに停めたら良いんだ⁉︎」と文字通り路頭に迷い、一瞬で気持ちが追い込まれてしまうのである。全然知らない土地だけに。
記念メダルについて
ここの記念メダルの最大の特徴は、なんといっても「キーホルダー一体型メダルが大量にある」ことだろう。恐らく現在のところでは日本で最も一体型メダルが販売されている場所である(以前は【梅小路蒸気機関車館】であった)。一枚300円と割安(だが種類が多い)のこのメダルを購入するかどうかで、記念メダラーとしてのスタンスが分かれるところ(いや、どちらでも良いとは思うが)。私は小判型は集めていないが一体型は集めているので、迷わず全種類購入してやったぜ! とんでもない金額になったぜ! もはや「入場料より高いね」という一般の方からあるであろうツッコミのことは一切考えなくなってしまったそんな自分が好きである。
ブラックジャックメダルのおもて面は、【KYOTO手塚治虫ワールド】でかつて販売されていた図柄と同一である(あと【京都国際マンガミュージアム】も同じですな)。いつも気になるのだが、この辺の権利関係はどうなってるんですかね〜富士山メダルとか。「金型の所有権問題」に関しては、ぜひ茶平工業再訪の折には尋ねてみたいところ(予定は未定)。
また、【手塚治虫生誕80周年】メダルもかつて販売されていた(2008年)。こちらは【手塚治虫ワールド】のほか、東京の【江戸東京博物館】の企画展でも販売されたらしい。
実はこの場所「茶平工業公式HP販売場所リスト」にも「オークコーポレーション刻印機設置場所一覧」にも掲載されていない、未だ隠れ記念メダルスポットなのである。その辺も謎であるし、新規参入メダラーの方はなかなか知る機会がないやっかいな場所であるかもしれない。
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