【販売場所①】
@入場してすぐ左手(無料エリア)
備考:10年前からこの辺に設置されていたぜ!
【販売場所②】
@入場後、「マンガ工房」コーナーを過ぎたトイレの前
備考:開館から数年経ってから新たに設置された。
【販売場所③】
@ミュージアムショップ(ケース入り)(2019.3現在)
備考:販売機から失われた旧メダルはこちらに陳列されていた。
公営のマンガ喫茶はインバウンド需要を獲得する
【京都国際マンガミュージアム】は、古都・京都の割と中心にでーんと構えるなかなか壮観な「マンガ専門の博物館」である。やっていることは実質公営マンガ喫茶であるが、実は学芸員が常駐していたり、収集物の保管・研究をしていたりと博物館的なこともきちっとやっているらしい。京都市と京都精華大学(マンガ学部というのがあるらしい)の共同運営であるらしく、いたって真面目な施設である。第3セクター的なものはうまくいかないと相場が決まっているのだが、傍目からは順調そうに見えるので、良きことです( ´ ▽ ` )
京都の街中にあるので、時間貸し駐車場の利用はゆっくり見学するにはなかなか精神的に厳しいものがある。特に「マンガを読む」ということ無くしてこの施設を真に楽しむことは不可能なので、土日祝でも上限設定がされている駐車場を探し、上限の金額を支払うことを最初から覚悟してゆっくりするのが吉である。一本路地に入れば上限1200〜1500円程度の駐車場がゴロゴロしているので、そこは必要経費だと思って割り切ろう(私は1200円の駐車場に停めたが写真を撮り忘れた!)。それが嫌ならやはり地下鉄で行くのがよい。というか電車が一番良い。
到着すると、そこは完全なる小綺麗な小学校であった。
私が到着したのは10時20分頃で、開館はなんと10時半からであった! 開館時間を間違えた!
コロナの感染拡大云々はともかくとして、コロナ自粛自体はもう完全に終わったんだなぁと感じたのは、待機列のほとんどが外国人であったことである。クールジャパンを求めて多くの外国人が来日していた。日本人がむしろアウェーであった。
そうこうしている間に開館時間となり、入場!
入場料は900円である。車で来ると駐車料金の方が高くなること請け合い。
実際のマン喫を利用するよりも恐らくリーズナブルになる場合の方が多いだろう。まあマン喫とネカフェはもはや簡易宿泊施設であるという認識もできるが。
前述の通り外国人観光客ばかりであったので券売機に並ぶ列も私だけ日本人みたいな逆転現象が起こり、対応するスタッフの方も英語ペラペラであった。京都の観光地で生きていくには、もはや英語は必須能力なのかもしれない。私、住めない。
館内にはもちろんいたるところにマンガが置いてある。もしこんな小学校が本当に存在したら、毎日とてもハッピーな気持ちで学校に行けるんじゃないかと希望を抱かせるようなワクワクさせる空間であった。こういうことを述べると「勉強に集中できなくなるんじゃないか?」と指摘する人が必ず出てくるが、私はそもそも幼少期に勉強に集中したことなんかないので、「◯◯は勉強の邪魔になる」という論法はそもそも論から、少なくても幼少期の頃においてはハテナなのであった。むしろマンガが大量に置いてあった高校の図書室に救われた思い出があるので、学校にマンガがあるって良いんじゃないかなとマジで思う次第なのであった。『はだしのゲン』以外のマンガも。
文字通り”誰もが知っている場所”である学校という空間を、こんな素敵な空間に改築したこと自体がもう素晴らしい。日本文化が集結している「京都」という地にあるからこそ、日本文化を発信する観光施設としてよく機能しているように感じた。日本人がお寺とかに観光する感覚でここに足を運んでも十分楽しめると考える。
観光大国京都を訪れる外国人に対しても、マンガ喫茶等も含めた”マンガ文化”的なものを体感できる場としてよく機能しているように感じた。日本人からしたらそれこそ「マンガ喫茶に行けばよくね?」と考える人もいるかもしれないが、外国人観光客からしたらマンガ喫茶に入ることは敷居が高いだろう。一方でここは、マンガに興味がある外国人からしたら、たとえ内容が読めなくても見て回っているだけでも楽しんじゃないかな、という文化そのものの楽しさを体感できる空間が広がっている。実際、そんな感じの外国人が結構いたのは先述の通り。
久しぶりに私の中で超ヒットした観光施設なので、ぜひ時間に余裕をもって訪れていただきたい場所である。充実しすぎてて時間が足りない記念メダルスポットとして名を馳せる【国立民族学博物館】とはまた違った観点での「いくら時間があっても足りないよ〜」を満喫できることだろう。再入場可能な点も、施設の属性を考えるとマジいけてるよね!
その他、気になった諸々
「マンガが実際に読める! しかもたくさん!」という点にばかり目が行きがち、”博物館(ミュージアム)”という観点で見学しても十分楽しい場所である。極論、マンガを1冊も読まなくてもお値段分くらいは十分楽しめる。純粋な見学だけでも楽しい。外国人観光客がたくさん訪れていた理由がよくわかる。
そして館内にいた(ファッキン)カップルの様子からは、お互いが幼少期から現在にいたるまでに読んできたマンガを紹介・解説し合う姿が見られた。別に特別にマンガが好きというわけではなくても、文庫本とか小説とかと違って多くの人が人生において何か一つはマンガというものを読んだことがあるわけで、それを目にすれば語りたいことの一つくらい浮かび上がることだろう。そういったちょっとした思い出を好きな人と共有する場として機能しているようで、そういうデートもありなんじゃないかな〜とすっかりおじいちゃんの目線で感慨に耽るのであった。
オレ的生涯ベストマンガ3選
第3位 『あさきゆめみし』
超意外かもしれないが、”生涯”という冠がつくなら、この『あさきゆめみし』がベスト3にランクインする。なぜなら、私の人生に大きく関わったマンガであり、本というのは”読むタイミング”によってその面白さが大きく左右されるものでもあるんだなということを実感した作品でもあるからだ。
『あさきゆめみし』は簡単にいえば2000円札でお馴染み紫式部著『源氏物語』のマンガ訳である(2000円札に馴染みがないというツッコミを添えて)。私は文学部国文学科という世の中の発展に1ミリも貢献することができないド文系の道を歩んだので、『源氏物語』の知識は必須項目であった。文系受験で「『源氏物語』は現代語訳であっても一度は読んでおいた方が良いのか否か」というのはたびたび論争になる点なのだが、私の立場は一貫して「『あさきゆめみし』を読んでおけば良い」である。マンガ作品としてどうなのか、と問われると正直結構意見が割れる作品ではあると思うのだが、あらゆる娯楽が枯渇している受験期に読むと最高に面白いという実体験をしているので、”受験勉強の一環”という名のもとに読むことをお勧めする。で、やはり『源氏物語』の一通りの話を把握しておくことは古文を受験科目として勉強する上では大きな安心感が生まれることは間違いないので、受験のお供に嗜んでいただくのが吉かと。
第2位 『進撃の巨人』
正直に言えばラストの展開はいかがなものかと思っているのだが、途中までは最高に面白かった。特に巨人という脅威を乗り越えて島の外側——「海」にまで辿り着き、様々な真相を知るとともに島の外に繰り出して物語が圧倒的にスケールしたあたりまでは最高に面白かった。そこからはもう「えっ、最初からこんなことまで考えてたのっ∑(゚Д゚)」という伏線回収の連続で、絵がヘタウマのほぼデビュー作で連載がどれだけ続けられるのかも不透明な中でここまで壮大なストーリーを描こうとしていたことにただただ感嘆。連載開始初期からなぜか話題作ではあったのだが、物語中盤以降から真に驚愕してファンになった人間もまた多数いると推測する。
ただ最後はなぁ……(・Д・)ていう、私としてはそんな終わり方だったら素直に、古くから噂されていた「ループ説」を採用して欲しかったなぁという印象。
【初期】「うーん、まあ、つまらなくはないけど普通程度に面白いって感じ? 結構思い付きでストーリーを展開している気が(^^;;」
【途中】「えっ……こんなことまで始めから考えて連載してたの……打ち切りになって終わる可能性だってあるのに……凄すぎひんΣ(゚д゚lll)」
【最後】「うーん……そうですかぁ……( ゚д゚)」
もちろんこのラストで良かったとおっしゃる人もあろうけれども、私は表紙絵とかの「ループ匂わせ」な伏線をもっと素直に回収して欲しかったというのが個人的な希望だった。ある意味ではループよりももっと複雑な世界観で話をまとめたわけだが、難しくし過ぎちゃったなぁというのが私の率直な印象。
第1位 『HUNTER×HUNTER』
私もまた冨樫義博に人生を振り回され続ける人間の一人である。
度重なる休載があろうと、ときにはネーム段階で『ジャンプ』に掲載してしまおうと、冨樫義博が紡ぐ物語には胸躍らされ続けている。私は昔はマンガマニアであったので、古くは『てんて性悪キューピット』という冨樫の黒歴史として語られる連載デビュー作から『幽遊白書』、『レベルE』とすべて全巻所有していたし、『HUMTER×HUNTER』も所有する漫画本を全て売却するという断捨離を断行するまでは全てを揃えていた。それくらい作者自体が好きであったし、その中でも『HUNTER×HUNTER』がやはり一番面白いと思っている。
念能力は『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力に似た魅力がある設定だなぁと感じるし、中2病患者の心の奥に深く突き刺さるもので、うっかり「自分だったらこんな能力を……」とか考えちゃいがちDA・YO・NE!(唐突なアメリカンスタイル)
そういった作品設定も魅力の一つであるが、冨樫作品の一番の魅力は、やはり「ストーリー」にある。よくこんなに毎回ワクワクさせる展開を思いつくな〜と、新章になる度に今までと違った心の躍らされ方にただただ振り回される読者と化す。
『ジャンプ』編集部と冨樫の仲の悪さは『幽遊白書』時代から非常に有名な話なので、”腰痛が悪化して描けないよ〜”というのがどこまで本当なのかちょっと疑ってしまうところもあるのだが、とにかく私が生きているうちに話を大団円まで導いて欲しいと願っている。
記念メダルについて
ここの記念メダルの特徴は、なんといっても「セオリーと逆のバイカラー」であるといえる。通常のバイカラーメダルは、外側が銀でベースとなる内側が金色なのだが、ここの2枚のバイカラーメダルはその逆なのである。これは私が知る限りは他にないパターンである。
個人的にはやはりセオリー通りの方がかっこいいと思うのだが(オイ)、「他にないことをやる」というその心意気は実に天晴れである。
また、このバイカラーメダルの登場により、過去に販売されていたメダルの大半が自販機からは追いやられることとななった。しかしながら販売終了となったわけではなく、なんとケース売りで継続されていた。が――!
値段が高い! 高すぎるよ!(900円〜)
これはやはり、「記念メダルの販売は記念メダラーを対象としているわけではない」ということの証左であるといえよう。この価格差は、要するにケース代なわけである。つまり、ケースに価値を見出す人を対象として販売されているわけである(ケース+メダルで一つのキャラグッズ、みたいな)。「アルバムに収納するためにケースからは取り出す」という私のようなタイプのコレクターにとっては、ケースとは非常に短い付き合いとなる間柄である。
まあ、「過去のメダルもまだ買えるよ!」という考え方に切り替えれば、ありがたい話なのかもしれない。
余談だが、ブラックジャック&ピノコメダルは、過去京都駅にあった【手塚治虫ワールド】で販売されていたメダルと同じ図柄である――ということに最近気付いた。また、「アトムと富士山」もいろいろな場所で見かける図柄である(【大室山】とか【まかいの牧場】とか【箱根ロープウェイ】とか【箱根関所跡】とか)。
ここで気になるのは「権利問題」である。金型は基本的には発注者の所有物になるわけなので、技術的には同じ図柄にすることは容易であろうが、権利の問題で簡単に「あれがいいな!」と言って使えるものではないと思われる。その辺、どうなってるんですかね? 何かお知りの方は、ぜひご一報を。
上記でも少し解説しているが、実は記念メダルに意外と積極的な施設であり、大きく分けて2度の大きな変遷があった。その中で、1度の変遷しか辿らなかった者と、2度の進化が許された者とが現れ、手塚漫画界の中でも静かなる格差が生まれている。
さて、お気づきだろうか?
この中で、一度たりともデザインのメタモルフォーゼを許されなかった存在がいることを。
『ジャングル大帝』
考え方によっては「デザインのテコ入れをせずとも売れ続けている」という解釈もできるのだが、実際どうなんでしょう。なぜレオだけは手付かずなのか、それは【京都国際マンガミュージアム】が抱えるアンタッチャブルなマターなのかもしれない——
(過去記事)でっかい漫画喫茶が京都の街中に!
ここはいわば「公立のマンガ喫茶」である。京都市が小学校跡地に漫喫を作ったのだ!
入場料を払うと、旧小学校の校舎のいたるところに漫画が置いてある。階段や廊下にも置いてある。その漫画を手に取り、好きな場所で読むスタイルである。人工芝の校庭で寝そべって読みふける人多数。こんなにも怠惰になれる公的機関施設は他にない。
私が訪れたときは、校庭のミニサッカー場で京都パープルサンガの選手達が小学生にサッカー指導をしていた。無人のゴールにロングシュートを決められていた。「よく見てたね! それでいいぞ! それを続けていこう!」と手を叩いて笑顔で言っていたが、絶対に油断していたなと思った。
ここは他にない、非常に面白い施設だった。公的機関がこのような施設を設置、運営しようと企画し実現しているところがすごい。職員は恐らく京都市から出向しているはずだが、公務員なのに「勤務先は?」と訊かれて「マンガ喫茶です」とネタとして答えられるのは、合コンでの鉄板ネタとなるであろう。しかもきっと、休憩時間には漫画が読めるのである(未確認)。そんな公務員うらやましい。というか、公務員うらやましい。(まあ業務委託だと思いますが。最近は公立図書館も運営はアウトソーシングしている時代ですからね〜)
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