@入場して右手に進んだ先にある「大休憩所」内。
備考:メダル一枚300円だ!
麒麟は来ない
先日、NHK大河ドラマ『麒麟が来る』を観ておりましたら、「二条城」建設のエピソードが出てきましてね。染谷翔太演ずる信長が、石垣の石を工面するのに近隣の神社仏閣から仏像等の御神仏をもかき集めて急ピッチで建設を急いだという話の流れが放映された。そうなると当然、
石垣が見たい
ってなるじゃないですか(うざい同意の求め方)。
そんなわけで「そうだ 京都、行こう」となったわけである。
で、ツッコまれる前にオチをいうと、信長が建造した「二条城」と現存する【二条城】は別物である。現存する記念メダルスポットの方の【二条城】は家康が江戸時代になってから建てたもので、いくら石垣に目を凝らしても石仏の頭など見つからないのである。
まあ正直「そんな昔からあったのかな〜」と思うところはあったのだが、城内では家康のことやら慶喜のことやらには言及しているものの、信長のことには一切触れていない——というかNHK大河に一切便乗していないことを不審に思い、その場でググって初めて気がついた次第である。はい。
そうとわかれば、そこには私が知っている【二条城】がそびえ立っているだけであった。家康がこの場所で征夷大将軍となり徳川幕府265年の歴史がスタートし、慶喜がこの場所で大政奉還をして265年の歴史に幕を下ろしたあの【二条城】である。新選組が慶喜が去った後の守備を命ぜられたのに、先に守護していた水戸藩と対立して二日で退去することになったあの【二条城】である。そこには信長も足利義昭もいない。公方様〜( ;∀;)
しかしかねてから【二条城】へはもう一度行きたいと思っていたので、まあいいやとした。来ちゃったんだからしょうがない。
メダルの図柄にもなった「二の丸御殿」の内部は撮影禁止であったのでほとんどお伝えできることはないのだが、訪れたからには一度は入ってみるのが良いと思います(実は別料金)。その際は下の過去記事にあるように『燃えよ剣』を読んでから訪れると、とても味わい深いものになること請け合いである。
そして肝心の本丸御殿は——
【姫路城】以来の改修工事ガチャ
前向きに考えれば今しか見られない光景を見ているとも言えるんですがね……
まあそんなこんなでソッコーで見学は終わってしまったのでした。まる。
ちなみに私が訪れたときには【二条城】ではライトアップイベントを実施していたため夜間営業があったので、やろうと思えば平日に行って帰ってくることもできた。やらんけど。
なんやかんや、やはり観光地を巡る旅は満足度が高い。この記事ではたぶん全然伝えきれていないだろうが、本当に充実した気持ちになる。
いろいろと難しい情勢であるが、ぜひ観光産業を支える方々の苦しみが1日でも早く和らいで欲しいと願わずにはいられない。
記念メダルについて
メダルは一種類のみで「ザ・記念メダル」といった観光地感を余すことなく発揮しているデザインである。販売機も旧型で郷愁を誘うレトロ感を演出しているため、若者よりもご年配の方々の琴線に触れている様子であった。
2020年12月現在、販売機の見本として設置されているメダルと、実際にお金を入れて販売機から出てくるメダルには微妙ながら差異がある。金型の劣化によって生まれた差異ではなく、新旧の「規格」の違いによる差異である。
裏面の規格の変遷を示すのによく用いる【くじらの博物館】の裏面例(マイ炎上案件)。
中央の刻印スペースが幅広なメダルは80年代〜90年代に製作されたものによく見られる規格で、地方博が全盛だった時代に数多く生まれた。右の刻印文字のギリギリを攻めるような幅狭のものが、2000年代から現在に至るまでにもっともよく見られる現規格である。
で。
私が【二条城】を訪れて初めてメダルを購入したのは、恐らく2010年頃である(なぜか刻印をしていないのでうろ覚え。なぜ刻印しなかったんだ私!)。それから10年の月日が流れ、メダルには旧→現への変化があったのだ!
まあこの違いは正直微妙だよね
【くじらの博物館】の見本メダルくらいに明らかな違いが見られるならば食指が動く記念メダラーも多いだろうが、この【二条城】メダルの新旧の差異は、金型の劣化による差異レベルの違いしかないといえる。
私は記念メダル研究家(病気)として楽しいからこだわっているが、普通に考えたら、ここまで気にして収集すると際限がなくなる底無し沼である。そこにあるのは終わりの見えない苦しみだ! 引き返せ!(説得力なし)
記念メダルに限らず、収集においてどこで線引きをするかというのは実に重要なことである。楽しめなくなるところにまで足を踏み入れてはいけない。
(過去記事)「燃えよ剣」を読んでから行くといろいろ見方が変わります
【二条城】といえば、中学校のときの修学旅行で、班別自由行動のチェックポイントとして訪れた記憶がある。中学生といえば不要なくらい無意味に多感な時期である。班は男女の比率が半々であったのだが、「男子と女子が別々に行動して、チェックポイントで合流する」という班が多数存在し、その日の夕食時、先生たちがキレていた。私たちが二条城に到着してまず最初に言われたことが「お前ら、女子は?」であった。同じ班の女子はすぐ後ろにいたのだが、そんなことを血気盛んに訊いてきたことから、相当御立腹であったことがうかがえた。しかし当時の私の感覚からしたら、「男子と女子が別々に行動するなんて余裕で予想できるでしょ」と思っていた。そんなこと簡単に想像できるのに、何をそんなに怒っているんだと心底不思議であった。
しかし、年老いた今、先生方の感覚がなんとなくわかるようになった。
まず、自分たちの言い付けを守らない班がそんなに続出するとは想像だにしていなかったのだろう。そして、「男子と女子がなぜ別々に行動したがったのか」が理解できないのだと思われる。
その二つの事柄の答えは、両方とも「中学生だから」である。
ルールを守らなかった班が続出したのは、それを率先したグループが存在する。つまり、「俺たちだけで集まろうぜ~」と呼びかけた者が存在するわけである。もちろん、いわゆる不良のリーダー格である。
彼の元に集まった者たちの心中は様々であっただろう。陽気にその誘いに乗った者もいれば、内心面倒、嫌だと思っていても逆らえなかったという者ももちろんいるだろう。そういった、中高生特有のヒエラルキーや人間関係を、意外なほど、毎日接しているのに、先生たちは理解していないことが多い。「嫌なら断ればいいだけだろう」と平気で言っちゃったりするわけである。こういったことは、高校生よりも中学生の世界の方が、より色濃い。先生たちが大声で叱り飛ばしたところで、力に抗えずに従った者たちはまた同じ道を辿るだろう。大人が忘れてしまったエネルギーの体動の中を、中学生は生きているのである。
大人の思惑と、中学生たちが形作るヒエラルキーとは、いつもズレがある。
また、男子と女子がなぜ別々に行動したのかも、結局はこうした世界の中での出来事なのである。「男女別々に行動したい」と言い出す者がいたら、「自分は一緒に行動したい」とはもう言えない世界なのである。それがなぜなのか、いつしか大人はわからなくなってしまう。大半の人間は、そうしたヒエラルキーではせいぜい中位に位置してきたはずなのに。学校の先生たちも、恐らく大半はそうだったはずなのに(体育科は例外)。
「学校」というところから離れると、全く別のヒエラルキーが途端に広がり、今まで辛い思いをした者や、いまいちパッとしなかった者たちが優位に立つ「社会」が待っている。中学校では、成績が良いこと、勉強ができることが先生たちから一番に求められていることなのに、それが自分の生きる世界では絶対的な価値とはならないというジレンマが存在する。
しかし、実は社会においては、そうした価値観である方がよっぽど特殊である。自分の属する世界の「業務」に長けている者が、やはり最も存在価値があるのである。求められていること以外が絶対的な価値観としてその世界を支配していることなど皆無といってよい。
つまり、「学校」とは非常に特殊な世界なのである。人生80年の中ではほんの一瞬の期間で、長い人生の中でかなり特殊な期間であるのに、まず最初にその特殊な世界で生きることを強いられる。価値観においては一筋縄ではいかない歪みのある世界から始めなければならないと言っても良い。
みんなそうだったんだから――と平気で言ってしまうのが学校の先生である。
私はそれよりも、その歪みを是正する方が、理屈として当然だと思うのだが。勉強を頑張れと言っているのだから、勉強を頑張った者が輝ける世界にするというのが道理ではなかろうか。
高校以上になれば、少しずつ世界は淘汰されていく。学力別に進学先が振り分けられ、勉強を頑張った者は勉強を頑張ることが評価される世界へと近づき、そうでない者はそうでないことが評価される世界へと近づいてゆく。勉強を頑張り通せば、その努力が花開くときがいつか来る可能性は一応高い世の仕組みとはなっている。
しかし、「現在」に苦しむ中学生にとって、そんな事実など虚しいだけである。学校の先生たちが求めていることを頑張っても苦しみや悲しみが緩和されない「学校」という世界は、一体何なんでしょうね?
そんなことを【二条城】の記念メダルを見て思い出した夜。
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