大阪府【国立民族学博物館】 記念メダル

国立民族学博物館 記念メダル
国立民族学博物館 記念メダル
国立民族学博物館 記念メダル
国立民族学博物館 記念メダル ケース

@1階ミュージアムショップ
備考:店頭には並べられておらず、店員さんに「記念メダルを~」と伝えると出してもらえる。
備考2:記念メダラーである「青みかん」さんが発掘したデッドストック品

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博物館見学はマラソンだ

千葉県の【国立歴史民俗博物館】じゃないよ!

 【国立民族学博物館】は、大阪にある「万博記念公園」内にある施設である。「万博記念公園」自体に入園料が260円掛かるので、それにプラスして別途入館料580円が必要となる。が、この施設は費用を合計したとしても全然安いと感じるくらいの壮大なボリュームである。この壮大さは想像を超える。

 例えば、先に「太陽の塔」内部の見学をしたり広大な公園内を散策したりしてきた後だと、体力的に超キビシイ。この施設を1回の訪問で攻略しようと思うなら、半日掛けて、そして所々で休憩を挟むつもりで、何より断固たる覚悟をもって入館することが必須である。

君の腹の中を探っている場合じゃなかったよ

 事前情報でも「展示が充実している」という他の記念メダラーの皆様のコメントが所々に見られたので、私としてもじっくり時間をかける覚悟で、本日の日程はここだけにしようとすら思ってやってきたのだが(その前に「太陽の塔」内部、その後に【EXPO’70パビリオン】に寄ったけど)、その覚悟をもってしても最後は息切れした。なんなら最後の「日本エリア」に至っては

駆け抜けた

といっても過言ではない。マラソン大会でのラストスパートと同じで、早く終わりたい一心で周囲になど目もくれずに一目散にゴール(出口)を目指したのであった(博物館における本末転倒の例)。

 「展示が充実している」という要素は、時として、記念メダル巡りにおいては重荷となることが多々ある。展示が充実しているのに、サラッと流すようにしか見学しないのは「MOTTAINAI」と自己嫌悪を抱く原因となるからである(世界の共通語「もったいない」)。ただ、1日に複数箇所を回る計画の記念メダル遠征では、「まあ1箇所1時間くらいで……^^;」とざっくりとした計画を立ててしまうことが多く、結果どれも中途半端になるという憂き目に遭い、自己肯定感がだだ下がりになることがある。自分は一体何をやっているのか、と……

 ただ今回のように非常に充実した、中身の濃い博物館をじっくりと見学したらしたで、「すげー疲れた(´;Д;`)」と嘆くことになるのだから、人生とは実にままならないものである。

 ということで私の結論としては、「博物館見学は、きっちりとしたペース配分、緻密な戦略、そして何より完走できるだけの体力を養う練習が必要なのではないか」というマラソン大会と同じ境地に至った次第である。

 最初の展示から全力でじっくり見てはいけないのである。その濃度で大規模博物館の展示を全て見るのは不可能だと自制しなければならない。展示内容を素早く理解するには練習が必要であるし、どの程度のペースで見ていくのが最善なのかを初訪問の施設に対してスタート前に判断するというレース勘のようなものも経験から培われていくものであろう。何も考えずにスタートすると、後半の感想は「疲れた( ;∀;) 苦しい(/_;)」しかなくなる。

入場前に見られる巨大なエビ。こんなところではしゃいでいる場合じゃなかったことをこの後知ることになろうとは
入場すると最初にお目にかかる展示。これをじっくり見ることは、マラソン大会でスタートか100mダッシュをすることと同義である

 ノー練習でマラソン大会に参加しても結果あまり楽しみきれないのと同じように、博物館を真に味わい尽くすには、地道な練習が必要なのではないかという気づきを得られたことが、今回の旅に最も大きな収穫であった。とりあえず民族に関する学びについてはあまり覚えていない。いや、面白かったという記憶はあるんだけどね……たぶん。ただ、歳のせいか、思い出がソッコーで色褪せるよのね、最近……

どんなシチュエーション?
相手がこの盾を構えていたら、ちょっと和んじゃうやん
リフォームした鬼太郎ハウス
イメージ図
死を身近なものにし過ぎ感、コレアリ
プリキュアオールスターズ
ブタの安らかな顔に惹かれて
仲裁より断罪しそな仲裁人
性格悪そうな人たち
溢れ出づる威厳。
ドラクエだとラスボスの前にいそうな人
カオナシ
最近農園で野菜を育て始めたら、はらぺこあおむしに「葉っぱ食うんじゃねえっ!」と思うようになりました。
スティッキー・フィンガーズ(『ジョジョの奇妙な冒険』より)
デカッ‼(何が?)
コメダ珈琲のロゴデザインの由来は不明とされているのですが(美大生が描いたらしいですが)、これじゃね? と思いました(個人の見解です)
高校野球のユニフォームももはや民族衣装なのであった

 もう一度訪れる機会があれば、恐らく順路を逆回りする道を選ぶことだろう。それくらい、後半の記憶がない

 訪問される方は、前日どころか1週間規模のコンディション調整が必須なので、万端の準備をして訪れてほしい。「万博公園内」及び「エキスポシティ」まで堪能できたら完璧だ!

民族とは?@館内レストラン

館内にはレストランもあります。ソフトバンクのロボット(ペッパー君ではない)が食器を下げる仕事を手伝っているという、ハイテクレストランでございました。

 民族学というものを本格的に勉強したことがあるわけではないので、「民族とは?」という問いに明確な答えをもっているわけではないのだが、最近世界史の勉強を始めたことで思うのは、「民族自決権」という国連総会で採択もされた思想がしばしば紛争の火種になっている(あるいは根拠として利用されている)という、何とも名状しがたい事実のことである。学校の「世界史」で習う民族自決権は、基本的人権の一つみたいな形で、当然認められるべき権利だよね~といった形でしか習わなかったわけだが、大人になってみて社会情勢について考える機会が多くなると、まず「では民族とは何なのか?」という疑問にぶち当たる。そして、民族の独立を巡る問題の根底には、この曖昧さが常駐していると思われるのである。このことのわかりやすい例でいえば「ルワンダ大虐殺」がある。

 ルワンダのフツ族が隣近所に住むツチ族をある日を境に虐殺し始めるという、映画にもなったジェノサイドである。

 が、じゃあ「フツ族とツチ族の違いは何なのか?」という点になると、実はよくわかっていない。「人間なんてみな同じじゃん。違いなんてないよ!」とかそういう意味ではなく、マジな話、その民族としてのルーツは同じなのである。それを、ルワンダを植民地支配していたベルギーが、統治をする中で政治的な思惑からはっきりと区別をしたのがフツ族とツチ族の明確な隔たりの始まりと言われている(IDカードを作って区別した)。「ハム仮説」とか宗教が絡む根深い問題を抱える話となるので詳しくは語らないが、現在のルワンダはフツ族とツチ族の対立は(少なくても国際情勢上は)解決されたとされ、自分の家族を殺したフツ族の隣近所に虐殺を生き抜いたツチ族が暮らし続けているという「平和」が実現した

 ユーゴスラビア紛争も、根底にはこの民族自決権による「おれが正義」みたいなところがあって、やりきれないものがある。そして民族紛争は、いつだって残虐なところへ行き着くものである(気になる人は「民族浄化」とかググってみると良いと思います。思いのほか闇深い話でげんなりするから。「民族浄化」という言葉自体がアメリカの広告代理店のプロパガンダ戦略から生み出された言葉だし)。

 民族という概念が曖昧なものであるがゆえに、民族自決権という権利も非常に曖昧なものとなっている。一つの民族の主張が、他の民族の排斥へと繋がることが珍しくないことは歴史が証明している。しかし「では民族とは?」という肝心要の概念が曖昧で、蓋を開けてみれば結局政治的な思惑で線引きされただけに過ぎないこともあるわけである。

 その上でまた考える。「では民族とは?」

 「正義の反対は、悪ではなく、別の正義である」というネットスラングが存在するが、民族及び民族自決権においても似たようなことが言えるのかもしれないという恐怖感がある。

 そんなことを考えた@館内レストラン。

ジンジャーポーク定食、1500円也。味は至って普通でした。

記念メダルについて

正面を捉えきれなかったメダルデザイン元の構図

 この施設のメダルはデッドストック品の発見という形で世に広まった。

 発見者は、精力的に活動をしていらっしゃる記念メダラーの「青みかん」さんである。

 発見当時の状況は不明ではあるものの、このメダルは、私が訪ねたときには「店員さんに『記念メダルが欲すぃ〜んですけど〜』」と伝えると、在庫品が出てくるシステム」であった。つまり、店頭に並んでいるわけではなかった。

 発見者の青みかんさん曰く、「親戚の家でたまたまこのメダルが飾られているのを見て、施設に問い合わせてみたら「開館当時に作られたものですね。まだ在庫もちょっとありますよ」みたいな返答を受けて購入しに訪れたとのことであった。

 そこできちんと問い合わせをするところが行動力の違いである。私だったら、「もうどうせないやろ……」と勝手に思って勝手に終了してしまうことだろう。普段、「未知のメダルを発見したい~」とか言っているくせに。メダル王への道はローマへの道よりも遠い。

 デザインとしては、怪しげな像がモチーフのものが2種類と、建物外観である。建物外観はどう頑張ってもメダルの描かれた構図で撮影できなかったので、開き直って上記のような1枚となった。

 怪しげな像2体は、展示を見学しているときにそれなりに意識して見て回っていたつもりなのだが、両方とも発見できなかった。というか、途中から体力的に厳しくて半ば発見を諦めていた。2体ともまだ展示されていたのかもしれないが、「まあ40年以上前に作られたメダルだから、もうここに描かれているヤツはないっしょ……」と自分に言い訳をして、血眼になってまで探す気はかなり初期段階で失せていた。なんてダメなヤツなんだ、私。

「どうしてみつけてくれなかったのさ?」

 ちなみに、現在でも購入できる在庫品は全て銀メダルであるが、金ver.も存在することが判明している(メルカリやヤフオクに出品されることがたまにある)。記念メダルの時代史的に考えると、発売当初は銀メダルが主流で、金メダルは亜流の時代であった。そう考えると、銀メダルの方を大量に生産して、金メダルはおまけ程度にしか作られなかったというのが現在の在庫状況になっている理由、かもしれない。そうではないかもしれない。真相は、店員さん含めて誰にわからないことであろう。

 機会があれば金メダルも手に入れたいものである。というか、倉庫の中にまた眠ってないかなとちょっと疑っている

入場してすぐにあるミュージアムショップ。無料エリアでございます。




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