【販売場所】
@ミュージアムショップ前
備考:実はちょくちょくメダルの入れ替えが行われている施設だ!
時の流れ(時間貸し)が僕の心を圧迫する
【大阪市立科学館】は、大阪の中心地「梅田」の近くにある市立の科学館である。何が言いたいかというと、
駐車料金、高ッ!
ということである。そもそも専用駐車場がないので、施設側も公共交通機関での来館を推奨している(電車もバスもいろいろありますよ!)。しかしそうは言っても、私はクルマである。どこに行こうがクルマである。そういった者たちの需要を見込んで周辺に作られた民間時間貸し駐車場の思惑にまんまとハマるしか術はない。人間にとって、相手の思惑通りに動いることを自覚するほど屈辱的なことはない。しかし同時に、そこに作ってくれたことを感謝しなければならないという側面も持ち合わす。人間とは、かくも複雑な生き物である。
何が言いたかったのかと、
時間に追われる
ということである。そこに平穏の二文字はない。心は常に焦燥感に満ち溢れている。脳内BGMはhitomi『BUSY NOW』である。
早く見て終われば経費が安く済むが、満足度は下がる。
じっくり見て回れば満足度は上がるが、財布の中身は寂しくなる。
あなたならどちらを選ぶだろうか?
魅力が満載なのが困るとき
【大阪市立科学館】は、はっきり言ってとても良い施設である。入場料が安いだけでなく、施設のボリュームも大きく、親子で来たら楽しいこと間違いない上に勉強にもなる(私は小さい頃に訪れた科学館で学んだ知識など一片たりとも記憶にないが)。
展示内容も、むしろ大人こそ楽しいのではないかと感じるような工夫に満ちたものが満載であった。理科の実験とか、動力源の理屈や構造とか、自然現象の解説とかって、大人になって理解力が身についてから知った方が感動が大きいよね、実際。子供の時は「ふーん」で終わるか、そもそも解説を一つ一つ読み込むほどの忍耐力がない(私がその程度の子供であったというだけだが)。
また、ロマンあふれる宇宙科学に関連するものが多彩にあり、春休み中の小学生たちさえいなければ童心に帰って遊び倒したいところであった。しかし春休み中の子供たちがいるなかでそれをやれば、そこには怪しいおっさんの挙動不審な光景のできあがりである。
そう、科学館とは、子供の学びの場であって、大人は本来その付き添いでしかないはずなのだ。一人でここを訪れた途端、それは異端を意味する。パンダを片手に抱えている30代半ばを過ぎた男とくれば、言わずもがなである。
だらだらと写真を並べてしまったが、これでも撮影した写真の3分の1くらいであり、とてもブログなどではその魅力を紹介しきれない大変充実した施設であった。入場料400円とは思えない。しかし、子供の時はこの凄さが全然わからないのが世の摂理なのである。
そして、じっくり味わっていると、駐車料金が爆上がりする。タイムイズマネーとはこのことだったのか(違う)。
知的好奇心への渇望と財布の中身が自分の人間性と同じくらい薄っぺらくなってゆくことへの恐怖心とのはざまで、人はさまよい続けているのである。
記念メダルについて
この施設の記念メダルにおけるトラップは、施設の開館は9時30分であるものの、肝心のメダル販売機が置かれているミュージアムショップのオープンが10時30分からだという点である。
重度の記念メダラーは、とりあえずメダルを確保しないと心穏やかに展示が見られないという不治の病を患っている。パンダを持つ手がカタカタと震えだす禁断症状を必死に抑えながら、とりあえず展示を先に見て回ることにした。まるで時間を潰すために展示を見て回っているかのような、世の道理に反する行いに背徳感を感じざるを得ない。
長く記念メダルを販売している施設であり、近年ではプリントメダルが発売された。だが、私が初めて訪れたときには販売機が2台あり、種類もわずかだが現在より豊富だったため、その縮小傾向にわずかながら不安を覚える次第である。
スペースシャトルのメダルは、1984年頃に開催された【大スペースシャトル展】におけるメダルとほとんど同じ図柄である。
実に30年以上の時を経ても使いまわされている金型デザインには感動を覚える。完成されたデザインであるということの証左であろう。肝心のスペースシャトルそのものが、今の幼い子供たちには全然伝わらない遺物と化してしまった感があるが……
プリントメダルは、恐らくプラネタリウムを意識したデザインなのかな~と推測する。なぜかというと、この施設は17時には閉館するからである。夜には営業していない。が、デザインコンセプトは夜なのだった。
「はやぶさ」も「スペースシャトル」も、宇宙関連のメダルに描かれている品々は今やすっかり過去の遺産となってしまったものなので、メダル界からもいずれ消えゆく運命なのではないかと気が気でない。
願わくば、現在ではもう消えてしまったものだからこそ、メダルとして末永く残っていてほしいものである。私なら商品入れ替えソッコーでしちゃうと思うけれども……子供が知らないものだと、たぶん売れないしね……
(過去記事)はやぶさメダル発祥の地
ここ【大阪市立科学館】は、都市に立つ市立科学館にありがちな「プラネタリウム」がある。プラネタリウムがあるところに、カップルというものは訪れる。カップルが並ぶ行列に、おっさん一人では並びにくい。そういう段階的法則がこの世にはある。世知辛い世の中なのである。
私は正直、こういう科学館が面白いと思ったことはほとんどないというか、科学実験も「すごい」とは思うが「面白い」と興味津々になることがないので、訪れるのが申し訳ないくらいである。私としては科学館で再現される様々な物理現象や自然現象より、同じ科学でも「TCP/IPというネットワークプロトコルを考え付いた人はすごい」とか、「最初にGUIのOSを考案し設計した人は神ではないのか」(Appleね)とか、0と1だけで作り出されるコンピュータの世界に心がときめくのである。だからいまいち楽しめきれない。行くのが本当に申し訳ない。
私が訪れた当時は、小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡の帰還に日本中が沸いていたときで、「HAYABUSA」記念メダルが数か所で販売されていたときである。ここもその販売場所の一つであったので、上記掲載の記念メダルがあった。
この写真は、この世でベスト3に入るくらい好きな写真である。この不完全さが、美しい。
「最後」ではなく「最期」の写真であることが、この不完全さを完全な美しさにしている。という知ったような口をきく中年親父。「はやぶさ」が辿って来た長い旅路のすべてが、この一枚に込められているように感じる。いや、マジで。
何より、最期にこの仕事を与えることを思い至ったJAXAのエンジニアの発想が素晴らしい。そういうイキな仕事をしたいものである。少なくても今まで一度もしたことない。
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