【販売場所】
@1階エレベーター付近
備考:記念メダル担当者が記念メダルに対してなかなか熱い。ちなみに2024年6月20日付で退社したらしい(/ _ ; )
知らんけど。
心斎橋とはかつては「東の銀座、西の心斎橋」と称されたほどの高級繁華街である。が、庶民にとっては「道頓堀が近くにあるとこ」という方が馴染みが深いかもしれない。グルメ要素の方が観光客にとっては馴染みが深い。
突如として記念メダル界に爆誕したこの地の記念メダルは、Twitter公式アカウントによって告知された。どこの施設もこうしてくれるととっても助かるよね!
おしゃれと縁のある世界で生きてきた人、あるいはナウでヤングな人からしたら”アメリカ村”と聞けば「ああ、あそこねΣ੧(❛□❛✿)」となるのかもしれないが、モテない、金ない、甲斐性ないのないことづくしの世界で生きてきた私にとって、アメ村とアメ横の違いもわからない世界観であった。年末になると叩き売りするの? みたいな。
また、私も15年くらい前——せめて10年前であればファッション街に行ってそれなりに楽しめるくらいには自分を着飾ることを楽しんでいたのだが、世のご多分に洩れず、今ではすっかり全身UNIQLOおじさんである。靴下もパンツもUNIQLOだ!
つまり、1軒のお店で上から下まで全身の服が全て揃ってしまうので、若い頃は割と好きだった”セレクトショップを回る”なんてことはまったく生活の中に存在しなくなってしまったのであった。服が欲しければ”近所のUNIQLOに行く”である。
記念メダルに導かれた結果、もう自分の人生で2度とないとすら思っていたファッション巡り的なことを再びする機会を得られたことに感謝しつつ、そしてあの頃のときめきが自分の中にもう生まれないことに絶望しつつ、複雑な想いが交差する中で若者の建物を見て回ったのであった。
写真を見てすぐにご理解いただけたと思うが、結局はアパレル関係のお店には全然足が伸びず……
極端な話、おっさんにはもう欲しい服とかないね( ´ ▽ ` )
30歳を過ぎたら”綿パンにジャケットで合わせておきゃいい”というのが私の持論で、結局おっさんに似合うシンプルなジャケットと綿パンはUNIQLOにその全てがある、という厳然たる事実がそこにある。もう女の子からときめかれることもないから全部UNIQLOでいいや——ではなく、おっさんに似合う服がUNIQLOにあるというのが事実なのである。
中年男にファッション街のおしゃれな服などお呼びでなかった。その現実を突きつけられトボトボととりあえずトイレに行こうと足を向けると、、、
なんじゃぁこのシャレオツなトイレはッ⁉︎
階段を挟むように配置されたトイレの「ENTER」と「EXIT」。そう、このトイレは好きな女性への届かぬ思いと同じように一方通行なのである。
トイレ内の撮影はさすがに控えたが——というか、トイレ内が最初から最後まで鏡面仕様で常に己の恍惚を浮かべる顔を見て用を足すこと強制してくる造りだったので、自分を写り込ませず撮影することが不可能だった。
公園にある雰囲気イマイチなトイレとはまた別次元で、圧倒的なまでに落ち着かないトイレであった。
「トイレで差をつけよう」という施設の並々ならぬ意気込みと投じた金額が伝わってくる、世にも珍しいトイレであった。ほんと、中をお見せできないのが残念で仕方ないので、ぜひ実際に足を運んでその目で確かめて欲しい。古い遊園地にありがちなミラーハウスに入った時と同じような心持ちになること間違いない。どこで用を足せば良いのか一瞬迷子になる——というか、私は大がしたかったのだが、マジでどこですれば良いのかわからず5周くらいした。もしかしたら全ての個室が埋まってただけなのかもしれないが……(結局違う階のいたって普通のトイレでした)。
ちなみに洗面台もちょっと変わってて、蛇口と手を乾燥させるための送風機が一体型となっており、かつ、ボタンも何もない仕様なので何がどう出てくるのかさっぱりわからず混乱した。
はっきり言ってしまえば、おしゃれすぎてトータルではストレスが溜まるトイレであった。「rest room」と名乗って良いのかを考えさせられる場所であった。
なんならおしゃれにすることによって、逆に長居させまいとする気概する感じた次第である。
ただそれは私の心構えが間違っていたことによる感想でもある。ここは、テーマパークにおける「急降下を味わうアトラクション」、「恐怖を味わうアトラクション」、「可愛いキャラクターを眺めるアトラクション」といったイベントが発生する場所として認知して足を踏み入れるべき場所なのであり、いわば「鏡張りの中で用を足すアトラクション」という心持ちでそのイベントを味わうべき場所だったのである。その心持ちを持たずに大がしたいなどという緊急事態で駆け込むような疎かな気持ちで踏み入れてしまった私は、USJに行きながらクマのプーさんがいないなどと騒ぎ立てているような迷惑客と相違ないのである。
さすがオシャレをつかさどる街、アメリカ村。オシャレは我慢なのである。
この施設のおしゃれポイントは実はもう一つある。曲線型エスカレーターだ!
曲線型のエスカレーターは珍しいらしく、全国でも30機くらいしか存在しないらしい。しかも全て三菱電機の職人が手作業で構築するらしい。
ただこれは帰ってきてから知ったことであり、この時はそんなありがたみも知らずにただぼーっと乗ってしまって、なんなら下りのエスカレーターが無いことに不満すら抱いていたあの時の自分を殴ってやりたい気分でございます。
そんなこんなで色々と見て回って、とにかく何かでお金を落としていこうと”欲しい物巡り”を頑張ってみたのだが、『キン肉マン』のお店に行こうと——
今でもサッカーやフットサルは時折プレーする機会があるので『ブルーロック』に誘われようと——
服関係のものは、「まあ必要な物は全部揃ってるしな」という結論ばかりが私に降り注ぐのであった。なんてことだ。特にサッカー関係は現在の使用頻度から考えればむしろ売るほどあるので、真新しい道具を見てその進化の度合いに目を見張りながらも(ゴレイロ専用グローブとか)、昔のように「試してみたい!」と目をキラキラさせるほどの情熱は持ち合わせていなかった。
自分ももう、歳をとってしまったんだな……と在りし日の自分に想いを馳せてしまうくらいには、歳をとったとことを痛感した次第である。
30代以上の人には大なり小なり共感してもらえると思うのだが、自分という存在の根っこのところは大学卒業時くらいからそんなには変わっていない感覚が常にあり、事実、例えば運動能力等はある部分に関しては不摂生な生活を突き進んでいた大学生時分よりも上回るところすらある(例えば長距離のタイムとかは今の方が断然速い。猫ひろしが45歳でフルマラソンの自己ベストを出したというのもなんとなく分かる)。しかし自分の生きている上での感覚とは裏腹に、確実に歳を取った。職場で20代の人と話せば相手が必ず起立するようになったし、年下に限らず年上も私に敬語で話すようになってしまったし(嫌われてる?)、私がいなくなったらコレどうするんだろ〜と薄々思っている属人的な仕事をそれなりに多く抱えるようになった(後進を育てられない典型的なダメ社会人也)。
要するに、ファッションの主役はどこまでいっても若者なんだな、と思ったということが言いたい。思えば若い時は「良く見られたい!」という願望の他に、大なり小なり「ファッションが好きだから」という理由で着飾っていたところが大きかった。それは「どう見られようと自分はこれが好きだからこうしたい」という前者と相反する自己表現的な要素も大きく、突き詰めて言えば現在の「記念メダルが好き」と通ずるものがある。「それ集めてどうするんですか?」と興味のない人から訊かれても、そこに答えはなく、単純にただ好きだから集めているに過ぎないその想いと根っこは同じなのである。
ファッションに関する現在は、前者——つまり「若い女性から清潔感のあるおっさんに見られたい(そこに1ミリの可能性も存在しなくても)」という願いをもとに自分なりに選定をしているのだが、後者——つまり「自分の着たい物を着る」というこだわりはほぼなくなった。例えば、昔は実はシルバーアクセサリーがかなり好きで、金も掛けたしよく身に付けていて、何なら自作までしていたのだが、今はもう身に付けなることなど一切ないし、恐らくもう永遠にないだろう。シルバーアクセなんてぶっちゃけ見た目的な好感度アップ要素はほぼ皆無といっても過言ではなく(シルバーアクセ好きから良く思われるだけ)、あれこそ”好きだから”という理由だけで身に付けるものであるが、「財布落とす心配ないし〜」と嘯きながら尻ポケットに長財布を入れウォレットチェーンを腰から垂らしていた。ちなみに付けなくなった今でも財布を落としたことも、どこかに忘れたことも一度もない。なぜなら、普通にカバンにしまうようになったからである。財布をケツからむき出しにして歩いてるのとか、普通に物騒よね。
そういう人間が行き着く先は、ユニクロ店内に貼られているポスターのモデルが着ている物を上から下まで寸分狂いなく購入するというのが最適解となるのであった。そして、そういう人間には、ここはあまりにも眩しすぎる場所であった。例えば、実は正直ちょっと気になったジャケットが一つあったのだが(買えなくはないが高くて勇気が要る値段)、柄がちょっとあったので(奇抜ではないが「柄がある」というその些細な事実が難易度をあげる)それに合わせるインナーとかパンツとかを考えるのがもはや面倒だと思うようになってしまって——初めから半ばそうすることが確定してはいたのだが——そのままそっと戻したのだった。
何が言いたいのかというと「ああこうして人生のステージって変わっていくんだなぁ……」とまざまざと痛感した時間になった、というただのおっさんの戯言である。ここを訪れ、そして楽しむにはもう10年早い必要があった。私にとってはだけどね!
というわけで、商業施設にお邪魔しながら、結局落としたお金は記念メダル代と、その隣の自販機で買った綾鷹代と、ピンボール1ゲームのみであった。こんなケチな大人にはなりたくないものだ(なった)。
最後に余談であるが、この日は旅の相棒お買いものパンダを忘れた。致し方ないので、見ての通りパンダ抜きで撮影をしたわけであるが、死ぬほど楽だったことを自分のメモとしてここに残す次第である。感動するほど施設の探索が楽だった。パンダを持って歩き回り、写真を撮る都度パンダを掲げなければならないという行為は思いのほか負荷が高い行為だったようである。
あいつ、私の邪魔ばっかしてたんだな……
1973年のピンボール
村上春樹の小説の中に”初期三部作”とか”鼠三部作”とか呼ばれる作品群がありましてね。その中の第二作目に『1973年のピンボール』というものがあるんですよ。
これが死ぬほどつまらなくてびっくりした記憶が私の脳裏に深く、それは深く刻み込まれたのでありました。
それ以来、「ピンボール」という単語を聞くと即座にこの小説を思い浮かべてしまう体になってしまった。それくらいつまらなかった。とにかくつまらなかった。何が言いたいのかはっきりとしない抽象的な物語であることにイライラが募っていき、作中で同時並行する二つの物語が結局は最後まであんまり交わらないまま終わるラストに、文庫本を真っ二つにしたくなる衝動に駆られた。ブックオフで買った100円本だっただけに別に何も惜しくなかった。しなかったけど。
ただ、ハルキスト(村上春樹の作品を愛する人たち)の皆様からしたらそれは「理解できない方が悪い。私の読解力が足りない」ということになるだろうし、それはその通りである。ただ、私はどちらかというと村上春樹の作品群はわけがわからないところがあっても割と楽しく読めて、好きな方である。鼠三部作でいえば、『風の歌を聴け』はあんまり面白くないな〜くらいで読め、『羊を巡る冒険』はそれなりに楽しく読めた。何が言いたいかというと、『1973年のピンボール』は群を抜いて面白くなかったということだ。
突然さもそれが当然のようにピンボール台と会話し始めちゃう感性がちょっと私には「?」であった。なんならハァハァ(*´Д`*)しちゃってるくらいのピンボール台との会話ぶりであったため、いよいよ私の性癖とは1ミリも合致しなかった。私はピンボール台よりも2D美少女よりも、3次元の生身の異性が大好きである(不要な告白)。もちろん、自殺してしまったヒロイン「直子」と探し求めていたピンボール台とを重ねているなんてことは説明されなくてもわかりますがね、「なんじゃそりゃ( ゚д゚)、ケッ」ってなもんである。
前置きが長くなったが、要するにピンボールといえば1973年という数字が表しているように”昭和の遊び”という認識であったのだが、実は意外や意外、現在でも現役で活躍しているんだな〜というのが世間からの記念メダルに対する認識とダブって親近感が湧いたという話である。
店内には当たり前だが様々なピンボールがズラッと並んでいた。最近の映画をテーマにしたピンボール台も多数あり、単純に「ピンボールって今でも生産されてたんだ∑(゚Д゚)」という驚きがあった。
きっとピンボール愛好家の皆様も、「ピンボールで昭和を感じるw」「まだ生き残ってたんかっ⁉︎」というツイートを目にする度に「いや、むしろ新作を追いきれませんけど?」と心の中でクソリプを返していることであろう。
来たからにはせっかくなのでやってみよう! ということで店内を散策。素人には正直どれも同じに見えるという点もまた記念メダルと共通するところであろう。
ただ前述のように意外と最近の映画をテーマにした台も多数存在していたため、とりあえず知っているタイトルの台に目星をつけることにした。
かくいう私は、ピンボールなどその昔WindowsXPにプリインストールされていた「3Dピンボール」でしかプレイしたことがなく、それが私にとってのピンボールの全てである。つまり、「z」キーで左のレバーを動かし、「/」キーで右のレバーを動かす——ということしか知らないので、まず、どこでレバーを動かすのかわからなかった。100円を投入し、レバーを動かすボタンを探しているうちに、間違えて発射ボタンを操作して玉が発射されてしまい、私が関与する余地など1ミリも存在しない宇宙空間を勝手に右へ左へと縦横無尽に動き回り、やがて虚空の渦へと落下していった。
これが2球ほど続いた後、3球目の途中でついに台の両脇にそのボタンがあることを発見した。発見し、レバーを動かす感動の瞬間を写真に収めようとしたときには、銀球はレバーの後ろに存在していた。
100円で1球のみだと思っていたので、ボタンが分からずに銀球が消えてなくなった時にはしょんぼりしてしまったのだが、5球くらいできてむしろなんかラッキーな気分になった☺️
しかし、ルールとかコツとか以前に「何を目指して銀球の命を長らえ続ければ良いのか」ということがイマイチわからずじまいだった——ゴールが何かが見えなかったことにより、修行し直してから来た方がよいかもと思った次第。たぶん得点ランキングの上位を目指すような遊び方であろうと推定はできるのだが、ウィキペディアで調べてみたら想像以上に文章量が多くて、パッと読んでチャッと再びプレイすることができず、己の腕と知識の未熟さを噛み締めながら店を後にしたのだった。
アメリカ村の住人たち
アメリカ村には、ヒップでホップな住人たちがところどころに住まいている。その村長は入館前に目にすることなる「PEACE ON EARTH」氏であろう。これは鳥なのか人なのか錦野旦のシルエットなのか、残念ながら中学時の美術の成績が5段階中「1」を取った私には皆目見当がつかなかった。が、その根底に根付く「なんかアメリカっぽい!」という点だけはあらゆる垣根を超えて理解できた。ズブの素人にも何かを感じさせるだけの力がこの場所のアートには宿っているのだ。それを記念メダルとして一つの形に刻み込むことを叶えたメダル担当者さんはまことに天晴れである。
そんな「PEACE ON EARTH」氏の魂を分かち合うかのように、【心斎橋ビッグステップ】にも一風変わった住人たちがいたるところを根城としている。スプレーアート等のアメリカンな魂に共感する人にとっては目を見張るものであることだろう。あるいはキースヘリング的なストリートアートをこよなく愛する人たちにとっては、そこにHIPでHOPなバイブスを感じるのかもしれない。頑張ってカタカナばかりを使っているのだが、要するに私にはちょっとわからない分野であるのだが、「好きな人には好きなんだろうな」と思いながら見学した次第である。
アメリカ発のアートというと、こういったストリートアートがまず思い浮かぶ。
例えば、現在では無くなった悪習であるが、かつて「NYの地下鉄」といえば必ずスプレーアート的な落書きがセットとなって現れていた。現在では「割れ窓理論」という要するに「ヤベーっぽい場所では実際に犯罪が起きやすくなる」という考え方のもと、犯罪抑止のためにそうした地下鉄の落書きは一掃されたたため目にすることはなくなったが、こういったアートはヒップホップ文化と密接な結びつきがあるイメージがある。
そもそも「ラクガキ」という行為自体が犯罪なわけであるので決して推奨されるべきものではないのだが、一方で、そういったラクガキを源泉とした文化が一つのアートとして確立された背景があることもまた事実であることを考えると、そういったままならないアンニュイさが「ザ・アメリカ」って感じよね。もちろん本人も何を言っているのかいまいちわかっていない。
というか、壁画であってラクガキではない、という批判をソッコーで受けそうではある。ただ私が言いたいのは「壁に直接絵を描いちゃうところがアメリカ村がアメリカを名乗りたる由縁よね」ということだけであって、こういったアメリカ的なアートに批判も肯定も特に感想は持ち合わせていない。
とにかく【ビッグステップ】にはアメリカ村のアメリカたるアイデンティティが根付いてましたYO! ということでした。現場からは以上です!
記念メダルについて
先述の通り、ここの記念メダルは2023年6月9日から販売が開始された。ラインナップは4種類で、そのうちの3種類は「数量限定メダル」と銘打たれている。ただ、下記のメダル担当者によるツイートを見る限り数量限定メダルも販売機に補充されている様子がうかがえるので、再発注はしないのかもしれないが初期在庫はそれなりにあるのかもしれない。
販売機の設置場所は割とわかりやすいので迷うことなくたどり着けるだろう。ナウでヤングな若者たちが昭和の遺産①瓶コーラをノリノリで購入する横で、昭和の遺産②記念メダルを購入する現役昭和世代。
ただ、床がすのこ状になっているので、メダル購入時に誤ってメダルを落とした際、木と木の間にメダルが落下し2度と取り出せなくなるという悲劇が発生しているようである。
また、やはりファッションの街に設置されただけあって、いたるところにハイセンスな造形がうかがえる。いや、マジで。
販売機・オブ・ザ・イヤーがあれば、2023年度は間違いなくここ【心斎橋ビッグステップ】が獲得することだろう。記念メダル界の巨匠「オーク・コーポレーション」に唯一対抗できるデザインセンスを持ち合わせているのはここ【心斎橋ビッグステップ】なのかもしれない。
数量限定メダルが完売した後、その空いた販売スペースにどんな新作メダルが並ぶことになるのか、今から大変楽しみである(新作メダル出るよね? という無言の圧力)
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