









@展望フロア
備考:ホテルへ生まれ変わりつつ、展望フロアもリニューアル。同時にメダルもリニューアル。
ぼ、僕、生まれ変わるから! だからお願い……

2020年9月18日(金)、【名古屋テレビ塔】が長き眠り(改修工事)からついに目覚め、新たなる姿を現した。
いや、見かけ、変わらね~

新生テレビ塔の生まれ変わりぶりよりも、驚いたのはその周辺の変わりようである。「ここ、どこ?Σ(・□・;)」というくらい変わっていた。私が知っている名古屋/栄の姿はそこには一切なかった。というか、バスターミナルがなくなっていた(いや、どこかにはあると思うんだけども)。もっと違う設定でもっと違う関係で出会える世界線に迷い込んじゃったのかと思った次第である(オフィシャルな髭男爵より)。

入場すると、シックな内装で大人な雰囲気を醸し出す新生【名古屋テレビ塔】が出迎えてくれた。まあ、今回のリニューアル前にもちょくちょくプチ改装は行っていて、昭和のにおいが残るいかにもな観光タワーから、高級ホテルを模したような雰囲気(赤じゅうたん的なやつ)の内装を施しシックなお姉さんたちを受付に据えた方向へと転換していたので、なんとなく予想した通りのものではあった。今回の改装で新たにエレベーターを新設していて、そのエレベーターで一度3階へ上ってから改めて展望フロアへ上るという私の嫌いな【通天閣】方式を採用するようになり、ちょっとなんだかな~であった( ゚Д゚) ただ、通天閣のように無駄な強制記念写真撮影で行列を作るといったせこい方法をとっているわけではなく、旧式のエレベーターのキャパが少ないせいで行列になっていたのっで、まあそこは許せた次第である(たぶんコロナ対応のこともあったと思われる)。

多仲というのは、タワーの生みの親「内藤多仲」から採られたと思われる。タワー6兄弟の設計士のことですな。


展望フロアへ到着すると、以前と変わらぬめっちゃ狭いエリアがそこにはあった。まあしょうがないね~。
ただやはり内装はがんばっておしゃれにしようとしている感が溢れ出ていて、素直に好感がもてた。おしゃれというか、おしゃれにしようとしているその頑張りに好感がもてた。



総評としては、「今風に寄った」といったところである。「今風になった」ではなく「寄った」というところがポイントで、戦後にカテゴライズされる時代に建てられた建物を改修しただけなので、自ずとその限界はある。が、それでも、近年の展望タワーに見られる味付けを頑張って取り入れていて、若者たちが名古屋/栄の街をデートした後に夜景を見に訪れるのには十分なクオリティになったのではないかだろうか。
ただ、【あべのハルカス】のように他県からの観光客をも取り込むような観光名所にするにはちょっと力不足が否めないので、その辺にどう折り合いをつけるかが、今後の営業方針のカギとなるのではなかろうか。その辺のことも理解しているのか、3階エリアには「コワーキングスペース」を提供する会員制ラウンジがオープンするなど、現代風かつ地域密着型の店舗経営がなされていた。栄は一応オフィス街でもあるので、「名古屋テレビ塔でノマドワーク」が流行るかもしれない。私レベルの田舎サラリーマンだと「コワーキングスペース」の利用なんて一生ないと思うけど(・∀・)
そして何よりも気になるのは、もちろん「タワーホテル」である。今回の改装の最大の目玉はこの「世界初 観光タワーに宿泊」というリニューアルである。まあ正確に言えば「京都タワーホテル」というものが存在すのだが、それはあくまでタワーの下の部分にあるビルに宿泊するものなので、観光タワー内を改装してそのままホテルにしたというのは今までにない画期的アイデアであり、チャレンジでもある。写真を見る限り、本当にそのまんまフロアをホテルの部屋に改装したという間取りの無理やり感がとめどなく溢れ出ていたので、逆に気になることこの上ない。機会があればぜひ宿泊してみたいと本気で思っている。そのときにはもちろん、【ゴジラルーム】のように宿泊者限定の記念メダル希望である。いや、そんなことされると記念メダラー的には逆に苦しいのか!?

新たなゆるキャラ「ウエミーヤ」
新生【名古屋テレビ塔】には、なぞの生物が生息していた。上を見上げているその姿から判断するに、首に関してはすこぶる健康であることが見て取れる。私の首ではそこまで顔が上に向かない。要整体。

ゆるキャラの名前はウエミーヤといい、口癖は「上見やあ」であるらしい。これはピカチュウがことあるごとに「ピカチュウ、ピカピカ、ピカチュウ⤴」と己の名前をフルネームで叫びながら自分がピカピカであることをアピールする現象と同じであると思われる(いろいろと違う)。我々人類に置き換えてみれば、口癖が「人間」であるということである。ふと気を抜くとすぐに「人間」と口走ってしまい、会話をするときも「人間、にげにげ、人間⤴」ということになる。何の話かよくわからなくなってきたので、撤退。
ウエミーヤは、リニューアルオープンと同時に誕生したと公式プロフィールに記載されているニューフェイスである。
ウエミーヤ氏の公式プロフィールを読むと、「戦争によって街が破壊され下を向いてばかりだった市民たちが、【名古屋テレビ塔】が造られ、見上げているうちに『もっと上を向いて歩こう』という気持ちが芽生え、その市民たちの思念の集合体によって誕生した」というストーリーが記されている。これを読むとちょっと誕生が遅すぎた感が否めない(70年以上の経過)のであるが、名古屋大空襲を生き延びた人たちの思念を背負って今日も彼は上を向いているのである。ゆるキャラにしては深き業を負ったバックボーンである。

しかしそうした背景は横に置いておき、その形状、キャラクター性のみを単純に見れば、これはどう考えても【あべのハルカス】の「あべのべあ」がライバルとなることは明白であろう。

どちらがよりかわいいと思うかは人によるというのが結論であろうが、個人的にはクマであるかぎりリラックマとぷーさんを超えることはできないと考えているので、どちらもひこにゃん級の人気を獲得することは難しいだろうと考える。つまり、キャラ単体での人気→来場者増という「ひこにゃんの奇跡」の再現は難しいということになる。たぶんそんなこと狙ってないと思うけども。
というかそもそもウエミーヤ氏がくまであるかどうかは一切不明である。ジャムおじさんとバタ子さんのように「どう見ても人間に見えるけれど公式回答では『妖精』だった」という話であるかもしれない。
「ウエミーヤ氏≠くま」である裏付けとしては、こんなコーナーが別途設けられていたことも挙げられる。

私は知らなかったのだが、「ご当地ベア」なるものがあるらしい。「ご当地〇〇」の座はてっきりキティちゃんにその権威をVHS並みにかっさらわれていると思っていたのだが(若い人には通じないたとえ「VHS」)、どうやらこれほどまでの勢力となってキティ陣営に襲い掛かっていたらしい。ご当地まりもっこりですら成しえなかった「ご当地〇〇」の座を席巻する日が来るのかもしれない。いや、もう来ているのかもしれない。
そんな中、上記写真の立て札によれば「名古屋テレビ塔ベア」が12月中旬に発売されるとのことなので、ウエミーヤ氏は名古屋テレビ塔ベアではないということが背理法的に証明されることとなる(よくわかってないけど使いたい言葉「背理法」)。ということは、ウエミーヤ氏は「クマじゃないの……か?」ということになる。
クマでなければなんなのか――その答えは「電波塔」である。はい。
空中散歩

リニューアルオープンによって個人的に最もヒットした改装ポイントとしては、この「スカイバルコニー」ができたことだと思っている。ここは屋外エリアに人工芝を張り巡らしたスペースとなっていて、展望フロアよりもワンフロア分高い場所から名古屋/栄の夜景を見渡すことができる――といったことは些細なポイントで、最大のポイントは「屋外」である点である。
冬は寒い。それが良い。
何をデカ字で言い出したんだとお思いかもしれないが、夜景を見る上でこれはとても重要なポイントである。
そもそも論として、なぜ人は夜景を見たいのか――それは女の子とひっつきたいからである(逆の立場のときは当然「男の子と~」となると思われるのだが、残念ながら私の人生では真に女性の心を理解することはついにかなわなかったので、とりあえず男限定の話とする)。
順を追って話そう。完全なる私個人の独断と偏見に満ちた話を。
まず、「夜景」という事象を最大限に楽しむには、パートナーが必要不可欠であることに疑う余地はない。いや、真に夜景を愛する人にとっては一人で見る夜景というのもまた別格の味わいがあるのかもしれないが、残念ながら少なくてもそれは夜景スポットの運営者が見込む客層としてはむしろ例外的な需要であるといえる。夜景スポットが見込む最大の需要は、夜景を真の目的とするのではなく、それに続く物語を期待して訪れる人たち=カップルである。夜景の美しさは、その後の二人の夜を盛り上げるためのスパイスでしかないのである(偏見に満ちた見解)。
そういった現実を鑑みると、一緒に行く相手が家族であると、一人よりはマシであるがこれまた「別に見ても見なくてもどっちでも良い」レベルでしか楽しめない可能性が高い(家族=奥さんで二人きりでの久しぶりのデートとかはもちろん別ね)。かつて私は父親&兄と【サンシャイン60】の展望フロアへ行ったことがあるが、だから何感に全身が包み込まれたことを覚えている。父は喜しそうにしていたが、それは美しい夜景を見た喜びではなく、家族を名物スポットに連れてきたという父親の責務を果たしたという満足感からくる喜びだったのではないかと思う(ひどい言われような父親)。
一方で、「異性と見る夜景」というのは格別の魅力を放つ魅惑の事象である。それは、友人や家族と一緒に訪れても、決して姿を見せてはくれない別格の事象なのである。
私は大学時代、バイト先の男友達だけで夜景スポットに乗り込み、カップルたちを見て無言で冷やかすという愚の骨頂と呼ぶにふさわしい行いをしたことがある(いや、ただ夜景を見に行っただけなんですが~)。しかし結果はもちろん、愛し合う二人の視線の中に我々なんぞは入り込む余地は1ミリもなく、方々に散らばるカップルたち各々の愛の熱は高まるばかりであり、目の前に広がる美しい夜景はただただ男たちの心を冷え冷えとさせていったに過ぎなかった。「綺麗だけど、だから何?」という言葉にしたら一瞬ですべてが終わってしまう空気感が男たちを取り巻いた。真に綺麗なものを君たちと見るのは、逆にツライ、と。
その最大の原因は、「夜景に続く物語」が男たちにはなかったからである。美しい夜景を見た後に何が待っているのか、何を紡ぎだすのか――それは目の前に広がる美しい夜景と同じくらい重要なものなのであった。「ただ夜景を見た」では、その真の美しさを堪能することはできないのである。
美しい夜景を見て高まった気持ちをもって、何事を為すのか――
それが命題であり、重要なことだったのである。若い私たちにはそれがまだわかっていなかった。物事は、そこに至る背景によって重要度が変化するものなのである。
つまり、カップルたちは夜景を見ることが目的なのではなく、夜景を見ることによって為すべきことが目的なのである。美しいものを一緒に見て、同じように心を震わせ、通わせ合ったその先の物語が、男たちにはなかった。否、まったくなかった。
以上のことからまとめると、夜景の美しさは、一緒に行く相手が好きかどうかによってその美しさが上下するという性質をもつ事象だということになる。ただこの「好き」はとても繊細な性質を帯びていて、付き合い始めてすでに3年が経過した安定感のある「好き」よりも、付き合いはじめの初期段階特有のワクワクドキドキのある「好き」の方が、より夜景を文字通りキラキラさせる効力をもつのである。
このことから「最高に綺麗な夜景」とは、「恋人と見る夜景」ではないことになる。
では、何か?
それは
恋人になりたい人と見る夜景
ということになる(この世で一番無駄なデカ文字)。
恋人同士にはなっていない二人が、「今日こそは!」みたいな想いの中で見る夜景こそが、最高に美しい――最高にドキドキしながら見ることができる夜景ということになる。現金な話、すでに恋人同士であればこの先の結論は見えているので、気持ちの盛り上がりはあっても「恋人になるかどうかのせめぎ合い」というスパイスが加味された状況にはやはり勝てない。先の見えない未来の方がいつだってワクワクは大きいのである(薄っぺらい名言)。
夜景が包み込む圧倒的な幻想的雰囲気の中で、まだ恋人同士でなくてもなんとなく手を繋いでも良い空気というのが自ずと流れ始める。なんなら身を寄せても差しさわりが無い空気感があたりを支配し、それが寒かったらなおさらである。人はぬくもりを求めて、相手の体温を求めるのである(特に意味のない太字)。
そして、好きな人の体温よりも心が温まるものなどこの世にはないのである。
展望タワーは今まで、山の夜景などと比べるとその点がマイナスであった。冬に訪れると何ならコートを着たままだと暑いくらいの室温設定のこともままあり、かじかんだ手を温めてあげる的な接触が不可能だったのである。「手が冷たーい」「えっ? どんな感じ?」とか言ってお互い絶対に真意は理解しているが打算を隠す白々しい――それでいて最高にドキドキするやり取りが不可能だったのである。
ところ、が(/・ω・)/
「スカイバルコニー」なるものが誕生したおかげで、展望タワーでありながら「屋外で夜景を見る寒さ」を手に入れることができたのである。「屋外で夜景をみる寒さ」=「君のかじかんだ手を僕の体温で温めてあげても良い」である(なにこの等式)。
私はこの「スカイバルコニー」を考案した人物には「わかってるな(; ・`д・´)」と心から感心した次第である。恐らくよくわかってない人たちから「せっかく室内の展望フロアがあるのに、わざわざ寒いところ行く?」みたいな反対意見が挙がったであろうと推測されるが(勝手な推測)、真の需要を見定め、その主張を貫き通して実現したことに惜しみない賛辞を送りたい。




しかし、その美しさは一人で訪れても決して真の姿を見せてはくれない。
リア充たちの巣窟にパンダを持ったおっさん現る

夜のタワーはサンクチュアリ(聖域)である。
パンダを持ったおっさん=犯罪予備軍と化す恐ろしき場所である(それは夜のタワーに限らない説)。
そんな場所にやってきたのは、下記「記念メダルについて」内でも言及しているが、新メダルが発売されたからに他ならない。そしてタワーは夜まで営業しているというアドバンテージがあるゆえである。「その日の汚れ、その日のうちに」精神で、明日の午前中を潰してしまうよりは今日中に片付けようという想いだけでどうにかたどり着いた。私は実はやることがたくさんあるのである(忙しい自慢する奴は無能の証拠です)。
そう、決して来たくて来たわけではない。あたい、来たかったわけじゃないのよーーー!(心の叫びという名の言い訳)。
栄の町に広がる宝石箱を眺めながら甘いひと時を過ごしていたカップルの皆様。お邪魔をしてしまったこと、この場を借りて謹んでお詫び申し上げます(あそこにいたカップルでこの場を見ている人いない説)。



パンダの正面にはおっさんがいることをご想像ください。

正直にいえば、「夜景はイマイチだな」というのが私の感想である。なんか飛散防止フィルムのようなものが貼ってあって、そのせいでガラスが曇って見えた。曇って見えるせいで、肝心の夜景がぼやけるのである。危険度が増してしまったら元も子もないが、この点はどうにかならなかったのかなーと考えてしまう。他のタワーではこんな感想を抱いたことがないだけに。
ちなみにタワー系で夜景が一番綺麗だと思ったのは【空中庭園展望台】で、次点として【あべのハルカス】を挙げておく。この二つと比べてしまうと、単純に高さが足りないのが致命的であった。
ただもちろん、愛する人と訪れたなら夜景の綺麗さは隣にいる女性の次に美しくなるので、つまらぬおっさんの評価など戯言でしかないのは言うまでもない。

記念メダルについて


「リニューアルオープン」という事象には、自ずと「新メダル」への期待が膨らむ――それが記念メダラー。
リニューアルオープンが近づいてきた段階ですでにTwitter上では「新メダルは出るか、否か」といったコメントが見られた。結果、新メダルが2種類爆誕した。
そしてこれが、思いのほか凝ったデザインであったことは大変喜ばしいことである。時代の流れからプリントメダルとなったことは致し方ないが、タワーや文字は金型からおこしていることは記念メダラー的な評価は高いと思われる。

ちなみに裏面もリニューアルされており、この度のリニューアルにかける施設の意気込みが伝わってくるようである。しかしこれによって過去メダルの再販はありえなくなったことを意味するので、過去メダルのデザインも秀逸であっただけに少し残念ではある。

ただウエミーヤ氏のメダルデザインは、正直ダサいというか、イモっぽいと思う。
それを「記念メダルっぽくて良い」とするのか、「もうちょっとかわいくデザインできなかったのか……」と思うのかは人それぞれであろうが……

近年の記念メダル界の流れからいえば、ちょっとな~と正直思っちゃうね(/・ω・)/
これを挽回するようなウエミーヤ氏の新メダルの発売が待たれる。

刻印無料だし、販売機は1000円札はもちろん50円10円も使える最新タイプなので実は全く設置の必要がないんだけど。
追記(2021ver.の発売)
2020.12.29の夕方に、突然以下のツイートがなされ、記念メダル界隈がざわついた。
このツイートが投稿されたのは16時過ぎで、その1時間後くらいには記念メダル界の大御所「尾張でおわり」さんがすでに現地入りしていて、「はやっ∑(゚Д゚)」とビビった次第である。その行動力がすげー。
私がこのツイート及びざわつく記念メダル界隈の動向に気がついたのは18時過ぎである。つまり、10キロのランニングを終え、シャワーを浴び、夕飯を食していたときである。
今から行くのはしんどい
と思ったが、最近とみに「タワーは夜に訪れてこそ値段分の価値があるのではないか?」という考えに支配されていたので、若かりし頃彼女から夜中に呼び出を食らったときに近い心持ちで気持ちを奮い立たせ、【サザエさん展】に赴いた時の服装に再び着替えたのであった(同じ日に行った)。


通常メダルと同じ金型でプリントのみを変更したアイデアデザインである。今後このやり方がスタンダードになっていくのではないかと予想する。

これまでは「今まで販売されていたメダルにプリントで背景を装飾する」というパターンが最近の流行だった。

が、これからは「背景のプリントを入れ替える前提で金型をデザインする」というやり方が流行しそうな雰囲気がある。【スカイツリー】とか【スカイツリー】とか【スカイツリー】とかで。特に展望回廊イベントで。キャラクターのプリントを変えるだけとかしそうだよね、【エヴァ】メダルを見ると……

(過去記事)
【名古屋テレビ塔】は、アナログ放送の終了によりその役目を終えたので、現在では正確には「名古屋ただの塔」である。しかし、決して経営を投げ出したりはせず、存在意義を自ら作り出そうと様々な企画を実施している。例えば、内部の改装により高級路線で大人な雰囲気を醸し出し、大人のデートスポットにしようという意図を感じたり、塔の下の店舗スペースでは毎年夏になるとビアガーデンが催されオフィス帰りの会社員たちを取り込もうとしたりしている。極めつけは、この場所での「結婚式」の企画であり、場内にはこの場所で式を挙げたカップルの写真が並べられている。
私はこうした企業努力が好きである。役目を終えたらただ朽ち果てるのではなく、活路を見出そうと努力をしているところが素晴らしい。高さ的にも不十分だし、内部の広さが十分でなく夜に夜景を見ながらイチャつくには少し狭いが、愛し合う二人にはそんなことは関係ないのかもしれない。だから、いかに呼び込むかである。記念メダルの販売は、残念ながらそれにあまり貢献しているようには見えなかったが。。。
登った印象は、「札幌テレビ塔」とほぼ一緒である。塔の外観や展望室の感じが同じというだけでなく、そこから見える景色もほぼ一緒という、地方都市の欠陥を見たような気持ちになった。大通りの真ん中に中央公園みたいなものが道に続くように整備され、その道の先には役所があり、塔から見える駅の近くにはヨドバシカメラなりビックカメラなりがある。そこには、地方都市は同じようなコンセプトで同じような発展をしてきたという、無個性で画一化された社会の一端を見ることができる。
塔の存亡をかけるならば、街の発展の方向性とはまた違った、オリジナルな存在感を生み出す必要があるかもしれない。
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