↓31ミリメダル(通常メダル)
↓38ミリメダル(デカメダル)
この人とこの人が◯◯◯して、この子が生まれたんですという自慢
【サンシャイン60】はかつて記念メダルを販売していた施設である。現在は「サンシャインシティ」と呼ばれる大規模施設の中核を担う高層ビルとしてそびえ立ち、かつて記念メダルが販売されていた展望台は「てんぼうパーク」という名称で現在も営業されている。ただそこに記念メダルがないだけで。
私の記念メダルの原点はここ【サンシャイン60】であると思われる。というのも、幼少期に父に連れられて夜の【サンシャイン60】に登頂し(経緯は忘れた)、薄暗い室内で怪しく光る記念メダル販売機&刻印機を見て「買って〜」とねだって買ってもらったのが、恐らく人生で初めて手にした記念メダルだったからである。そのとき買ってもらった記念メダルは、しばらく幼稚園のカバンに付けていたことまで記憶として残っているので、それなりに気に入っていたんだと思う。
ちなみに、私の兄に、私が記念メダルを収集し始めたことを告げた時、兄の口から出た第一声も「昔サンシャインで買ってもらったヤツ?」だった。私の記憶にも父に二人で連れられて行った記憶があるので、捏造された記憶じゃなかった! となんとなく安心した。
というわけで、実に数十年ぶりに訪れた【サンシャイン60】は、すっかり現代風に変わっていて”かつての記憶が呼び起こされる⁉︎”みたいな現象は1ミリも発生しなかった。
記念メダラーの大きな悩みの一つに「展望タワーに登っても、特にやることがない」という実に深刻な問題があるのだが、ここ【サンシャイン60】はそんな悩みとは無縁であった。楽しい。リア充が充満しているかのような空間であった。
やっぱり地方の観光タワーは経営努力が足りないんだと思う。
地方の田舎にそびえ立つタワーは、高いところから見下ろしたところで「で?」みたいな光景しか広がっていないし、展望フロアに特に楽しいことが待っているわけでもなく、特に楽しめる物はないのに何を楽しむかは訪れた客の裁量に任せると言わんばかりの放置っぷりである。一方で都会に立つ展望タワーは、見下ろす景色の面白さがそもそもレベちだし、フロアの中にも楽しいことがいっぱい用意されている。
東京砂漠のど真ん中にもこんな家族連れのオアシスのような場所があったとは⁉︎∑(゚Д゚) と驚くばかりでございました。
やっぱり、全国各地に散らばる存在意義が微妙な展望タワー群も、もうちょっと営業努力をするべきなんじゃないかな〜と思った。ニワトリが先かタマゴが先か理論ではあるが、人気が出ないからやる気がなくなっちゃったのか、やる気がないからオープン景気から衰退しちゃったのか。
地方の展望タワーに行くと、正直、そこで働いている人達もそこまで活気を求めていないような気がしてしまうのである。まああまり細かい点をグダグダ述べるようなことはしないが、客がいない方が良いと言わんばかりの空気感が受付フロアに充満していることが多い。
それに比較すると、都心の展望タワー(展望ビル)は——当然のことではあるが——きちんと商売をしている。来場した客の満足度を向上させようと、イベントや設備、企画だけでなく、スタッフの訓練もよくされていて、行くだけで楽しいことが多い。まあ私は日本一の高さを誇るタワーのスタッフの質はかなりイマイチだと昔から思っているので、会社を良くしていこうとする努力が足りなくても勝手に客は来る、という状況も考えものなのかもしれないが。
私は【サンシャイン60】のターゲット層にまったくマッチしてなかったのだが、それでもそれなりに楽しいと思った。いるだけで楽しい。
そういう洗練された空間がここにはあった。
スパイな家族連れ
私が訪れた時、『SPY×FAMILY』コラボが開催されていた。もちろん作品のファンがたくさん詰めかけていた。
私はマンガ未読・アニメ未鑑賞なので、まったくその波に乗れなかったわけだが、実はいつか読んでみたい作品の一つだったりする。こういう設定のマンガ、大好きだ!
昔でいう『妖怪人間ベム』みたいな擬似家族構成よね(ファンから殴られそうな一文)。
『SPY×FAMILY』はいわゆる擬似家族モノなわけなのだが、『SPY×FAMILY』がヒットした時期には『万引き家族』やら『そして、バトンは渡された』(名作だけどしょうもない男と最後にくっつくのが納得いかない)やらが同じように流行った時期であり、今思えば日本は擬似家族ブームであったのかもしれない。なぜ日本中が擬似家族に憧れたのかといえば、あの頃の日本は本物の家族となかなかうまくいってなかったのかもしれない。”血のつながりがなくても本当の家族になってゆく”という過程に憧れるのは、血のつながりがあっても”本当の家族”になれていないと感じているからかもしれない。
その辺に、少子化の根本原因が実はあるのかもしれない。知らんけど(某施設のトリのまね)
記念メダルについて
先述した通り、この記念メダルは私の人生史上初のメダルであるので、眺めているだけで非常に感慨深い気持ちになる。会計時、端数の処理で小学生の我が子にも小銭をせびってくるようなドケチな父が、ソフトクリームを買ってくれても必ず最初に3分の1以上を自分が一口で食べてから残りを我が子に渡す貪欲でみみっちい父が、息子二人に、生活上何の役にも立たない記念メダルを買ってあげたのだから、今思えば非常に稀有な出来事であった。
実はどういう経緯で当時この【サンシャイン60】に訪れたのかをまったく覚えていなかったりする。今は亡き父が「子供と遠出をする」ということ自体、人生史上数えるほどしか無い超珍しいことだったので、その辺の謎を解き明かしたい願望がある。が、もはや誰にもその謎を解く術が残されていない(兄も「わからない」と言っていた)。
そういった失われていく記憶と思い出を呼び戻す鍵として、記念メダルは機能するのではないかと考える。だから刻印する文字は、安易に名前を彫るのではなく、思い出を呼び起こすその時の”キーワード”となるような文言が良いのかもしれない。
まあ、当時買った私の【サンシャイン60】の記念メダル自体が、もう無いんだけどね!
トピックとしては、38ミリ(デカメダル)の裏面が、なぜか天地逆さまにプレスされているものがある点だ。
実はこれ、この個体に限った話ではなく、同じように天地逆さまになった同様のメダルをもう2枚所有していたし、ヤフオク等で”エラー品?”みたいな文言で他にも出品されていたのを目にしたことがある。
デザインとしてわざとこうしたのかな〜と特に根拠もなく思っていたのだが、その後、両面とも天地が揃った金のデカメダルを入手し、いよいよよくわからなくなった。
よくわからないけど、まあいっか( ´ ▽ ` )
という自己完結をして、完。
(過去記事)魔境 池袋
【サンシャイン60】は、言わずと知れた東京は池袋にある「超高層ビルの元祖」とも呼ぶべきビルである。近年の超高層ビルの建設ラッシュにより今でこそ普通の高層ビルに成り下がってしまったが、私にとっては「高層ビル」=【サンシャイン60】であり、幼き頃の思い出の象徴である。
というのも、自分がまだ幼稚園のときに父にこの場所へ兄とともに連れてきてもらい、記念メダルを買ってもらったのである。そう――この場所は、私が生まれて初めて茶平工業製記念メダルを手にした場所なのである(もちろんその時は「茶平工業」なんてものは知る由もなかったが)。その時に買ってもらった記念メダルは幼稚園の通園バッグにぶら下げ、「金メダル」と呼んで友達に自慢しまくっていた。子供というのは金色の物体に異様に興奮するものである。幼稚園卒園後は、子供にとってお決まりの自作の「たからばこ」の中に入れて取っておいた記憶もある。ただ残念ながら、その「たからばこ」を一体どうしてしまったのかは記憶になく、中身もろとも捨ててしまったのだろうと思われる。父に買ってもらったこの記念メダルのことは今でも非常にはっきりと覚えているだけに、とても悔やまれる。なんといっても、兄に記念メダルを集め始めたことを告げたときの兄の第一声が「昔サンシャインで買ってもらったやつ?」であったくらいである。私たち兄弟にとって「日付とか名前とか彫れるメダル」で思い浮かぶのは【サンシャイン60】の記念メダルなのである。私の記念メダルの始まりの地――それが【サンシャイン60】なのである。
ただ、今から30年以上前の話であるが、その時のメダルはすでに32ミリの通常メダルであった。ここで掲載しているメダルは38ミリのデカメダルなので、私がかつて買ってもらったものよりも古い物か、32ミリと38ミリが同時に売られていたかのどちらかであると思われる。どっちかね~
記念メダル収集なんぞを始める前に【サンシャイン60】には何度も訪れたことがあるので、身近すぎて逆にあまり詳しく調べたことがなかったのだが、この場所はかつて東条英機ら戦争犯罪者が死刑を執行された巣鴨拘置所のあった場所であるらしい。そんな場所が今では、ペンギンが空を飛んでいるように見える水族館があったり、ウルトラ兄弟達のフェスティバルが毎年開催されたり、なかなか浮かれた場所と化してしまったものである。戦勝国が敗戦国を裁くという納得いかない結末を迎えたこと以上に納得いってないかもしれない。
ただ治安的にはやはり「ザ・東京」を感じさせるところであり、高校生の頃、【サンシャイン】で開催された何らかのイベントに参加したとき、早朝だったためか(朝7時前)外階段の近くで明らかに酔っぱらった強面のおじさんが両脇にミニスカワンピースの外国人女性を抱えながら歩いていて、脇に抱えられた片方の女性がカタコトの日本語で高校生の私に向かって「オニイサン、アソンデカナ~イ」と陽気に声をかけてきて、超ビビった思い出がある。当時ウブの極みであった純真高校生の私は遊んでいくとも遊んでいかないとも答えることができず、ただ無言でやり過ごすことしかできなかった。心中では「遊ぶにしてもおっさんがいるから無理やん」と思っていたのだが、そのことを目線で訴えることすらできなかった。まあ今でも何か言うなんて無理だけど。怖いじゃん、そういうの。
なぜそんな時間に池袋にいたのか正確なことは覚えていないのだが、恐らく何らかのオタクイベントに早くから並ぶのが目的だったのと、あとはクレーンゲームをやりに行ったのだと思われる。恐らく一番の目的はクレーンゲームだったはずである。当時受験生だった私は予備校の隣がゲーセンという魔界のような環境で過ごしており、ストレスからかなんなのか、講義の合間に隣のゲーセンに通い、クレーンゲームにのめり込んでいた。貯金を下ろしてまでクレーンゲームにつぎ込んでいたので、高校生にして「ギャンブルで身を亡ぼすのはこういうことか」と理解し、おかげでその後の人生で一度もギャンブルに手を染めずにすんでいる。一度やったらたぶん人生が終わるタイプである。あの頃のクレーンゲームの経験があったからこそそうならずに済んだといえば聞こえはいいが、誇張なしでクレーンゲームに全財産をつぎ込んだ勢いなので、言ってみればクレーンゲームで一度人生が終わっているのである。高校生だったから財力がたかがしれていただけで、大人の今でも同じことが起こり得るし、大人の今同じことが起これば本当の意味の方で人生が終わるだろう。クレーンゲームで。ダサい。
そのため、今はもっぱらYouTubeのクレーンゲーム動画で叶わぬ欲求を満たす毎日である。
↓好きなクレーンゲーム動画
で。
いまではどうだか知らないが、当時池袋はクレーンゲームのメッカで、あちらこちら、いくとこなすとこどこもかしこもクレーンゲーム専門のようなゲーセンが乱立されており、【サンシャイン】周辺は誇張ではなくあたり一面クレーンゲームだらけであった(誇張あり。どっちやねん)。センター試験を翌月に控えた高校3年生の冬休み、12月の下旬、私はそこでパーっと華々しく金を浪費し、思い残すことも所持金を残すことなく、受験に備えたのであった。</span >
この記念メダル一枚を見ただけで、そんな幼少期から高校卒業までを走馬灯のように思い出すことができる、そんな思い入れのある場所でなのである。
ああ、サンシャイン――太陽が光り輝き照らし出すからこそ、生まれ出ずる闇がある(何これ?)。
最後に――このメダル、実は非常に珍しいことに、裏面が逆さまなのである。メダルの写真の通り、私の掲載ミスではなく、おもて面と裏面の向きが一致しない。実はこのメダル、2枚所有しているのだが、2枚ともこの向きである(ただし、同じ人から譲り受けたものなので、連続で2枚購入したのかもしれない=ロットが同じ可能性)。
これがミスなのかワザとなのかは判然としないが、初めて巡り合ったパターンのメダルなので、「こういうこともあるものだ」となんとなくアンニュイな感じで噛みしめた次第。特に深い意味なし。
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