【販売場所】
@1階ミュージアムショップの入り口近く
備考:1階にミュージアムショップはあるのだが順路としては一番最後に辿り着くのでなかなか手に入らなくてソワソワしちゃうの。
私と小田原
のっけから城とも小田原市とも全然関係ない話で恐縮ですが、小学校のときの同級生で「小田原さん」という女の子がおりまして。小学校卒業後も中学、高校まで同じ学校に進んだという縁があったのですが、この人が超絶美人だったのです。どれくらい美人だったかというと、4月の新学年新学期初登校日、教室で一目見て「こんな可愛い子、見たことがない!」と幼心に驚愕したほど、小学生にして既に完成された美人でした。
出会いは小学3年生への進級のときで、同じクラスになり、かつ、隣の席になるというベタな展開だったわけですが、そこから恋愛に発展するようなベッタベタな展開になることはなく。どちらかというと年齢を重ねるにつれだんだんと話しかけづらくなっていき、いつの間にか疎遠になっていた——という方向のベタな展開でございました。記憶がかなり曖昧なんですが、小3以降も何度か同じクラスになったような気がいたします。それでも例えば”幼馴染”みたいな特別感のある仲の良さが生まれることはなく、高校3年生の卒業式でお別れして以来一度も顔を合わせたことはありません。
しかしそれでも、少なくても小学生の頃はそれなりに楽しくおしゃべりできる間柄ではあったので、例えば高校生のときのマラソン大会で下位10傑を争うように走っていた私に向けて「がんばれー!」と声援を送ってくれるくらいには話ができる間柄ではありました(壮大な勘違いだった可能性、是レ在)。
だから私は「小田原」と聞くと、【小田原城】でも「小田原駅」でもなく、まず”小田原さん”が脳裏に浮かび上がり、どこか心がソワソワしてしまう人生を今なお送っております。
そんなドキドキワクワクな「小田原」のお城に行きました(変態的発言)。
数十年ぶりの【小田原城】は、大変大変にぎわっていた。なんなら「小田原」という場所が盛り上がっていたように思う。駅から【小田原城】へと向かう道は整備され、昼間からお洒落にビールを飲む人たちでにぎわっていた。
【小田原城】も正直超ナメた気持ちで来ちゃったのだが、失礼しましたと膝をついて謝りたいほどに人がたくさんいた。そうかー、小田原って立派な観光地なのねー、と感心しきりでございました。
私にとっては”新幹線に乗り換える駅”でしかなかったのだが、良いところですな、小田原。
”小田原”と名のつく事象はいつだって人を惹き寄せるのである。
城と街と海と
【小田原城】は復元天守閣なので、復元天守のセオリーどおり、中は博物館である。お城の博物館の中にある展示物といえばどれも同じに見える刀剣類とか鎧兜類だとか——とナメてかかっていたら、全然そんなことなかった! それなりに面白かったからオラおでれーたぞ!(唐突な悟空)
私の中で小田原といえば「北条早雲」であり、他は知らんという感じである。北条早雲も大学受験のときに日本史選択をしていなければ神奈川県民でありながら知らなかった可能性があるレベルの世界観で生きてきたので、早い話が小田原とか何も知らないというのが元・神奈川県民の私である。小田原は”新幹線への乗り換え駅”であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そんな元・神奈川県民の私が改めて小田原の地の歴史を学べるということで、日頃は散々「つまらん」と揶揄してきた鉄筋コンクリート製の復元天守閣型博物館も実は意義あるモノだなぁ( ´ ▽ ` ) なんて思いながら見学した……ような気がする。
「気がする」というのは、この記事を執筆しているのは訪問から実に1年半後のことであり、もうほとんど訪問時の記憶が残っていないという、人間の老いを日々実感する出来事に直面してるなうだからである。人間とは本当に悲しい生き物ですな(*´-`)
人は忘れてしまう生き物であるから、こうしてブログに残して己の人生の振り返りとしている。
それにも関わらず、日頃の怠惰な生き方がこの上ないほど祟って”忘れてしまってからブログを書く”という本来の目的から考えると実に本末転倒なことをしているわけなのだから、人生とは本当にままならない。自分の人生を自分でコントロールできるほど、人は自分だけでは生きていないものなんですな。
と天守閣の最上階で小田原の街を見下ろしながら思った、かどうかもまったく記憶にないのであった。
記念メダルについて
小田原城の記念メダルは古くから”同一”のデザインではあるのだが、細かく観察すると細部がかなり違い「全然別のメダル」ともいえる。金型を作り直すときに「大体こんな感じ〜( ・∇・)」って勢い作っちゃったような気配がありをりはべりいまそかり。
新旧のメダルを並べた時、松の木や「小田原城」のフォント等を見比べると違いがわかりやすいだろう。
この違いを「別のメダル」とするのか否かは、コレクターのメダルに対する温度感によるのではなかろうか。私は「せっかく再訪したから、持ってないメダルが買えてうれしいなわーい」という己のテンションを高めるために別のメダル認定をした。記念メダラー各位におかれましては、各々で判断していただければ良いかと思われ。
ちなみに販売機のディスプレイに飾られている見本のメダルも微妙に違いがあり、「売ってくれっ!」って言いたかったけれど、この程度の違いでそこまでお願いするのはさすがに気が引けてやめておいた。
小田原城の記念メダル販売場所は、天守閣の順路終点である。記念メダルを手にしてからでないと落ち着いた気持ちで見学できない記念メダラー諸氏にとっては、非常に辛いパータンである。もうあたい気が気じゃないのっ٩( ᐛ )و←気が気じゃない人
とはガンダムマンホールのグッズが複数販売されていて、蓋ノ屋さんの顔がチラチラ浮かんだ。
【小田原城】はお城の歴史も記念メダルの歴史も長く深い場所であるので、末長く繁栄していただきたいものである。
マイナーチェンジばかりでなく、「北条早雲メダル」とか思い切った新作を発売してもよくってよ( ´ ▽ ` )
(過去記事)もうゾウはいなかった
小田原城に初めて訪れたのは、まだ記憶が定かでない4、5歳くらいの頃と思われる。私は出身が神奈川県なので、恐らく家族で訪れたものだと思われる。
その記憶では、とにかく「象に向かってパンを投げていた」というのが強く残っている。象と客との間には深い溝が設けられていて、子供の肩では象まで届かないのだが、その象は溝に落ちた物もその長い鼻を使って取って食べてくれた。「象の形をしたパンを象に食べさせる」というシュールな行為に熱中したのをよく覚えている。また、うっかり落としたパンにハトが大量に群がり、象をリンチするかの如くつつきまくって食べていたことも覚えている。
私の記憶の中では、「小田原城=象」だったのである。
だから、小田原城を訪れたときには、象が見られるものだとばかり思っていた。そして、パンを投げようと思っていた。ハトにはやらないでおこうと思っていた。
しかし、象はもう、いなかった。
象のウメ子は、2009年に亡くなったらしい。
このことは、ドライで有名な私の心にも、言葉にならない波紋のようなものが広がったことを覚えている。簡単に言えば「歳をとる」ということに対する想いなのだが、当然のことながら、私が見ていないものや知らないところでもそれは同じように起こっているということに、何とも言えない気持ちになった。
よく「人々の心の中で生き続けている」という言葉を目にするが、私はそれを詭弁だと思う気持ちが強い。しかし、その「心」の当事者である方の、「忘れたくない」「風化させたくない」という気持ちはとても理解できる。忘れてしまったら、本当に終わりなんだな、と。
「臥薪嘗胆」という故事は、元々は、「人間はどんなに辛いことでも忘れてしまう」という人がもつ性質から生まれたものである。人間は忘れてしまう存在であるから、記念メダルを買い、刻印をする。メダルに、思い出を刻み込むのである。
この記念メダルには、この時にはもういなかった、私と象との思い出が刻まれている。投げたパンが象まで届かなかった私と、それを拾って食べてくれた象との思い出が遥かなる時を越えて刻み込まれている。
小田原城の中のことは全然覚えてないだけに。
旧メダル記事
この記念メダルの製作時期は不明だが、現行メダルと同じ31ミリサイズ、かつ、裏面にぶつぶつがないので、そこまで古くはないと思われる(31ミリメダルも、途中までは38ミリメダルのような縁取りのようなぶつぶつが巡らされていた)。この辺の記念メダル変遷の事情は、恐らく記念メダラーのみなさんが忌み嫌うであろう「刻印入り」の記念メダルを購入できると、おおまかな変遷の時期が研究できるので、個人的にはそうしたメダルの方が望ましい。
さらには、このメダルのように、31ミリ、かつ、現行メダルに近いデザインのメダルであっても、地肌の造りが異なる時期が存在する。現行メダルはピカピカの地肌がベースとなっていて、裏面のザラザラの部分に刻印をする仕様となっている物が多い。一方、この記念メダルが、全体のベースが現行の刻印面のようなザラザラした地肌となっている。このタイプの旧型メダルも実は数多く、いつごろから製造がはじまり、いつごろから現行の形となったのかは、研究が待たれるところである。この「メダル造形の変遷」を詳しく考察したページは、本家の茶平工業ホームページを含めいまだ目にしたことがないので、いつか研究を深め発表したいと考えている。しないかもしれないけど。
このメダルと現行メダルのとの相違点は先述のような地肌の違い以外はほとんどなく、文字のフォントも同じであるように見える。想像でしかないが、金型は同一の物を使用したのではないだろうか。つまり、使用している地銀のみが異なる(もしくは磨いているか磨いていないかの違い)と予想する。そのあたりのことを研究しても楽しいかもしれない。社会見学的なことやってくれないかなー、茶平工業。
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