神奈川県【記念艦 三笠】 記念メダル

記念艦 三笠 記念メダル 外観
記念艦 三笠 記念メダル Z旗

【販売場所】
@艦内
備考:茶平工業公式HP「販売場所リスト」未掲載。施設が記念メダルを推している珍しい施設。

取り締まりを乗り越えて

 【記念艦 三笠】の思い出といったら、一にも二にも警察の”ねずみ捕り”に捕まったことである。罪状は「右折禁止違反」である。

 取り締まりに捕まったのはお前が交通違反をしたのが悪いんじゃん、と言われれば返す言葉はない。本当に言い訳などするつもりはない。

 が、今までも交通違反で捕まったことはあれど、あれほど虚しい気持ちになった違反はなかった。本当に右折禁止箇所ってわからなかったのよね。。。(ソッコーの言い訳)

 当時の状況をざっくり振り返ると……

 【記念艦 三笠】へクルマで行く➡︎駐車場を探したが見当たらない➡︎あっちこっち探して同じ道を何度も行ったり来たりしているときに左手に時間貸し駐車場を発見するも、通り過ぎる➡︎Uターンして元来た道を戻り右折して有料駐車場へ続く路地へ入る➡︎逮捕ぉぉぉぉぉぉっ!

 ちなみにこの間、何度も行ったり来たりしていたのでなぜか知らんがパトカーがずっと同じ場所で待機していたことは当然気がついていた。自分が捕まってから「そうか、右折禁止の”ねずみ獲り”として張ってたのか……」と全てを察した次第である。

 そんな思い出いっぱいの逮捕現場へ、約10年ぶりに足を運んでみた。ちなみに今回は電車で来た。トラウマを引きずり続けてはや10年。

ボクの思い出の場所

右折できないようにポール立ってるやん
Σ(゚д゚lll)

 いや、10年前からそうしてくれよ! さすがにこんなポールを薙ぎ倒してまで右折しようとするやついねーよ‼︎ これでええなら最初からこうしてくれよ〜( ;∀;)

 という私の魂の叫びが横須賀の青空に木霊した。

 しかも、この右折禁止箇所の左隣に時間貸駐車場が新設されていた。駐車場に入るのに右折する必要すらなくなっていた

 そんな10年間の悲しみをギュッと凝縮したこの交差点から徒歩1分のところに、【記念艦 三笠】は鎮座している。

あの交差点から1分歩くと、こんな感じで突然現れます。
東郷平八郎閣下もそばにおわします。

 お巡りさんのご厄介になった日は土砂降りの雨が私の涙を包み隠していたが、この日は突き抜けるような快晴。我が国・日本を守り抜いた戦艦 三笠を神々しく包み込んでいた(と、極右っぽいことを書いてみる)。

スケールがデカすぎて写真にうまく収められず
横須賀の街に向けて砲台が構えておりました
パンダが狙ってました
反撃でも食らったんすかね?
濃いおっさんしかいない船上の環境は地獄ではないか?

 事実として、日露戦争に敗北していたら少なくても現在の形での「日本」という国は存在しなかっただろうことは、皮肉にも現在の世界情勢がそれを想像しやすくしているといえよう。東郷平八郎と戦艦 三笠はまぎれもなく「現在に至るまでの日本」を守った存在なのである。

 この辺の話は司馬遼太郎『坂の上の雲』に詳しい。

 この施設のことを真から楽しもうと思ったら、やはり日露戦争についてある程度勉強してきた方が絶対に面白い。もちろん艦内でも”日本海海戦がどうちゃら”とか”T字戦法がなんちゃら”とかポイントポイントの解説文はあるのだが、日露戦争の全体的な流れを知ってこの【三笠】に至ると、いろいろな感動をもって艦内の展示を見ることができる。「これ、テレビで観たやつ!」みたいな感じで。

 私は大学受験が日本史選択であったので、日露戦争に至るまでのある程度の流れと出てくる用語自体はおおむね知ってはいた。が、真に全体像を学んだのはやはり司馬遼太郎の『坂の上の雲』を通してである。特に”日本海海戦”なんて「なんで日本海で戦ってるねん? 太平洋の方が広いやん」という疑問が受験当時からあった。しかし、司馬遼太郎が著した『坂の上の雲』を通読して初めて「バルチック艦隊がロシアから日本に攻め込んで来て日本海で交戦したのではなく、ヨーロッパにいたバルチック艦隊が日本に攻め込むために一度ロシアのウラジオストックに帰ろうとしていたところを日本が待ち伏せして始まった戦闘」であったことを知った(楽な航路で帰りたかった)。このあたりの話は受験期に『超速 日本史の流れ』という参考書で読んで、なんかえらく感銘を受けてしまった記憶がある。こうして人は右翼思想に感化されていくのだろう

 この参考書の中で「超能力参謀 秋山真之が、バルチック艦隊が太平洋側から来るか日本海側から来るかを予知し、東郷平八郎はその予知に従って待ち伏せする場所を決めた」みたいな記述があって、己の力で思考することを知らなかったアホな高校生だった私は「へー(*´-`)」と素直に思っていた。ここで超能力云々の話に注目すると「日本は神の国だー」みたいな右翼思想ちっくな方向に囚われてしまうのだが、私が言いたのはそこではなくて、上記の話を「ロシアが攻めてくるのが日本海側からか、太平洋側からか」と解釈していたところにそもそもの間違いがあったことである。この解釈だと「攻め込んで来たクセに迎え撃たれたらやられるロシア」みたいになってしまう。

 が、先述のとおり、このときのバルチック艦隊はヨーロッパからの長い長い航海の最終盤であり、航路途中での補給も思うようにいかずままならぬ旅をしてきており、一刻も早くいったんロシアに帰って一休みしてから改めて日本に攻め込みたいという、長旅ゆえのボロボロの状態であったわけである。日本はそのボロボロの状態にバルチック艦隊への勝機を見出しており、逆にいえばこれを逃してロシアで補給させたら勝ち目がないと思ったからこそ、バルチック艦隊が日本海からロシアに向かうか太平洋からロシアに向かうかが重要だったわけである。

 つまり、”日本海海戦”はバルチック艦隊はやりたくなかった戦闘であったという点が、歴史の参考書に抜け落ちている重要な要素であると考える。まるで正面からのガチンコ勝負でロシアの艦隊を打ち負かした、みたいな記述の仕方にこそ右翼思想がちょっと見え隠れてしてしまう、そんな歴史教育の闇をほんのりと感じてしまう次第である。

そんな右翼教育がこちらの映像授業で学べます
こちらが噂の超能力参謀・秋山真之さんです。『坂の上の雲』の主人公でもあります。

 とまあそんなことを訳知り顔で語る私も、所詮は司馬遼太郎が書いた小説の中の日本海海戦を知っただけの話ではある。司馬遼太郎はいわずとしれた歴史小説の大家であるが、その歴史観はたびたび”司馬史観”と揶揄される。つまり、”個人の偏った歴史観で語られた歴史”であるという批判は昔から存在する。

 代表的な例としては、司馬遼太郎がこき下ろす歴史上の有名人として「乃木希典」がいる。夏目漱石の小説『こころ』でも登場した、明治天皇崩御の際に殉死した元陸軍大将である。この乃木希典を、司馬遼太郎は『坂の上の雲』だけに限らず、乃木が生きた時代を描くあらゆる作品で「本当に無能」と直截的な言葉で容赦なくこき下ろしている。だから司馬作品の愛読者は自然と乃木希典と聞けば脊髄反射的に「無能」という二文字が頭に浮かぶようになっている。

 私はもちろん司馬信者なので、例に漏れず乃木希典も伊地知参謀長も「無能」だと思っている。が、もちろんそれに反対する声というのは存在する。

 【三笠】艦内ではもちろん乃木希典を「無能」などとこき下ろす展示などなく、むしろ日露戦争勝利の立役者として賛美されている。そうした展示のあたりを見学しているときに、艦内ボランティアに案内された他の見学者との会話が耳に入った。見学者の人は恐らく『坂の上の雲』を読んだことがある人で、上記のような内容をボランティアの人に語っていた。ボランティアの人はそれを「まあそれはあくまで司馬さんの意見ですから。一個人の一意見ですから」と思いのほか強い調子で一蹴していた。見学者の人は気圧されたように「ああ、なるほど……」と押し黙った。

 そのやりとりを横で聞いていた私の中で、無限問答とも呼べるようなやり取りと脳内で始まった。

「”それはあくまで司馬さんの意見ですから”と断ずるあなたのその歴史観も、個人的な歴史観ではないのか?」

 ”あなたの歴史観は間違っている”と指摘するその歴史観もまた個人の判断による偏った歴史観なのである。後世の人間は、誰かが語った”歴史”しか知る術がないのだから、何が正しいと信じるかはその人次第なのである。

 そもそも学校における歴史の授業だって社会の先生個人による超偏った歴史観を語られることが横行しているし、そもそも論として歴史を”面白く”語る上で語り手の主観を排することは事実上不可能である。完全に排すなら、まあ最低でも編年体である必要があるだろうし、編年体で記したところとてどんな出来事をチョイスするかは編纂者の主観が入り込みまくりである。

 司馬遼太郎の”罪”は、その歴史小説が面白いこと自体にあるのかもしれない。面白さとは、時として根拠のない説得力となる。巷で流行る陰謀論も、それを信じる個人の琴線に触れる面白さがあるがあるから信じられてしまうところがあるわけで、作家としての抜きん出た実力こそが司馬遼太郎が背負った業であったのかもしれない。

 まあこれからも”司馬遼太郎が描いた歴史”を部分的に、あるいは全面的に否定する人たちは出てくるだろうと思われる。が、その人たちが司馬遼太郎の言説を否定し自分の説を世に受け入れてもらうには、実は”正しさ”よりも”面白さ”が重要になってくるのではなかろうか。

 面白さが正しさを上回ってしまうのが、人間の愚かさであり、醍醐味でもあるのかもしれない。

って、ガニ股の乗組員も言ってます。

日本海海戦を戦ってみる

ゲームできちんと日本海海戦に至る経緯を説明していて偉いと思いました。

 10年の月日は展示内容の変更も結構大きくて、前回訪問時にはなかった技術的進歩によって新たな体験コーナーが設けられていた。『日本海海戦VR』である。

背後に見える巨大な菊の御紋が、この施設がどんな場所であるかを物語っている

 日本海海戦をVRで体験しよう! という発想はまったくなかったので、考えた人すげーなと素直に思った。この調子でいけば「VR五稜郭の戦い」で土方歳三を疑似体験するとか「VR西南戦争」で西郷隆盛を疑似体験するとか「VR大化の改新」で中大兄皇子を疑似体験するとか出てくるかも時代がやってくるかもしれない。

 ちなみに私のゲーム人生はセガサターンでほぼ終了しているので、最近のゲームをプレイする際は在りし日の我が父親のようにしょぼさを極めたプレイとなるといっても過言ではない。

 しかしこれは、先述の通り日本の存亡を賭けた戦いである。絶対に負けられない戦いが、そこにはある。

そんなわけで出航だ!
ちなみにVRセットは重すぎて首が凝って気持ち悪くなったのでパンダに被ってもらった。VRとは?
バルチック艦隊と遭遇!
参謀みたいな人がなんかいろいろ言ってくるけど、ハンドルで動く戦艦はなんだか操作が難しく、思うような方向に行けないのであった。
敵に命中したのか、燃料の石炭が燃えているだけなのかよくわかっていない図
私のせいで日本は終わりました。

 まあこういう施設にあるこういうオリジナルゲームで『APEX』のような超名作というのは存在しえないので、ほどほどに楽しめればそれで良しだろう。その全てが自動車学校でバイク免許取得時に2段階目に進んだ時にプレイする運転シミュレータと同じようなレベルであり、各地の鉄道博物館にある電車運転シミュレータが結局は『電車でGO!』を越えられないのと同じである。”ここでしかできないゲームをプレイした!”という空気感が需要である。

決してボロ負けしたから言ってるんじゃないもん
( ;∀;)

これ、金賞過ぎますよね。作った子、天才だわ。
ダンボールの構造を生かして豪華客船にする発想は、日本のダメぽを生かして大国にする着想につなげられるかもしれない。
私からしたらこの模型より上の写真の豪華客船の方がよほどすごい大作に思える。
そういう感性を抱く年齢になってしまったのか……(父親年代のSA・GA)

記念メダルについて

ラインナップ

 2024年現在、販売されているメダルは2種類あるが、私が初めて訪れた2013年時はZ旗メダルの1種のみであった。

「Z旗を揚げる」なんて慣用句、知らん。

 それがいつから2種類に増えたのかちょっと覚えてないのだが、【茶平工業】に初めて訪問させてもらった際、三笠の知らないメダルがあるやん! と思った記憶があるので、2016〜17年頃にはもう存在したと思われる。この施設はオーク系なので、茶平公式に情報がアップされないためいまいち詳細が掴めないぜ……

超かっこいい後発メダル

 あと、記念メダラー的に目を引いた点といえば、異様なまでに記念メダルを推しているところである。「記念メダルなんかをそんなに全面に掲げてどうすんの⁉︎」と記念メダルコレクターが思うほど推している。

記念メダルの案内板なんてものがこの世に存在するとは……
立て看板を作るのもタダではないことを思えば、異様なまでの力の入れようである。

 ここまでくると、記念メダルを買う人からすげーヤな目に遭ったかすげー良い目にあったかの両極端な2択しか考えられない。できれば後者であったことを願う。

 また、この施設で記念メダルに関して特筆すべきもう一つのことは、キーホルダーが2024年現在最高値であることである。その値段、驚異の400円である。浦賀に来たペリーもびっくりだわ。

昔はメダル本体がこの値段でしたよ……
それでも「こんなもの何に使うの⁉︎」とお母さんに怒られましたよ。

 2024年現在の世の中は円安だ〜物価高だ〜と叫ばれ、茶平工業としても実際金の価格高騰はメダルの金メッキの費用に直撃していることだろう。したがってメダルの価格上昇、ひいては付属品のキーホルダーの価格上昇も致し方ないことではあるし、それを理解しているつもりではある。

 だからここでは「400円なんてボッタクリやがって!」なんてことが言いたいわけではなく、もう時代は変わっちまったんだな……という遠い目をした懐古主義のおっさんの姿があるだけである。時代の変化を直で体感すると、バブル期にサラリーマンをやっていた父親世代のおっさんたちが時代の変化についていけずに四苦八苦していた姿が理解できるようになった。自らも中高年になって。

高級店なのでメダルが傷つかないようにマットが敷く気遣いまでバッチリだ!

(過去記事)右折専用有料道路

 ここの思い出は、「警察に捕まった」に尽きる。

 【記念艦「三笠」】には駐車場がないので、どこかコインパーキングないかな~と探していて、その折りに「なんかパトカー停まってるなー。一時停止のねずみ取りでもやってるのかなー」とパトカーの存在にはばっちり気づいていたのに、右折禁止のところで右折してしまったのである。標識を全く見ていなかったというかどこにあったのかすら未だわからないくらいの見落としだったので、まさか私に向かってサイレンがなっているとは思わず、余裕でコインパーキングに停めていたら、土砂降りの雨の中ずぶ濡れになりながら警察官が走ってきて「右折禁止ですね」と私に告げた。パトカーはコインパーキングの入り口に停められており、私のせいでこの時間、このコインパーキングに全く客が入らない状態になってしまったのが申し訳なかった。土砂降りの雨の中確認のための会話をしながら書類を作成する警察官に、まさか「助手席乗りますか?」とも言えず、しかしつい「最近違反はありますか?」という問いに「最近かどうかはわからないですが、違反したことはあります。いつにしてしまったのか調べる方法はあるんですか?」などと質問をしてしまい、雨に濡れて警察官の顔がどんどん険しくなってゆく様子に、また申し訳なくなった。

 自分の失敗により、いろいろな人に迷惑をかける様がまざまざと見えて、自分がちっぽけな存在であることが実感させられた。わざとじゃなくても、社会的な失敗ってのはしてはいけないんだなぁなんて思った。失敗は成功の母と呼び、確かにそれ以来、標識やスピード(そしてパトカーの存在)はかなり気にするようになり違反をしないように注意深くなったのだが、それは私の問題であって、私の失敗のせいで手間と時間ともしかしたら金銭を失った人には関係のないことなのである。なんてことを考えた。

 なんかそういうことをえらく考えながら、くらーい気持ちで土砂降りの雨の中、「三笠」に向かったのを覚えている。

 そんな「三笠」であるが、日露戦争で活躍した戦艦である。日露戦争といえば司馬遼太郎著『坂の上の雲』である。これを読んでから行くと、恐らくかなり感慨深く船内を見学できるだろう。そして、全てを見て回って出てくるときには、「この船があったから日本は今もあるんだなー」なんてすっかり右翼になっているかもしれない。まあ事実として、日露戦争で負けていれば日本という国は存続していないかもしれないのだが。

 『坂の上の雲』の、バルチック艦隊との戦いを思い返しながら見学をすると、当時の様子を再現した船内が色づいて見えてくること間違いない。とはいっても『坂の上の雲』を読むのはなかなかしんどい作業なので、せめてウィキペディアで「東郷平八郎」「秋山真之」くらいを調べてから行くと、より意義のある訪問となるのではなかろうか。

 ちなみに、成人の日に新成人が行くと無料になるらしい。そんな暇な新成人いるのか?




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)