イベント【白尾博物館 ワイテルズ特別展「99年越しのタイムカプセル」】 記念メダル

白尾博物館 ワイテルズ特別展「99年越しのタイムカプセル」 記念メダル きりやん

【販売場所】
@イベント出口のグッズ売り場
備考:グッズの通販がイベントより先行して開始されたのでコレクターはおおむねそちらで購入した模様。また、【あわしまマリンパーク】以外で初めて魔改造販売機が設置された。

世間の流行り廃りに疎い集団:記念メダラー

びっくりするほど長い前置き

ワイテルズとはなんぞや?

 というのが記念メダル界隈における第一の反応である。そして記念メダラーの誰一人、彼らのことがよくわからないまま、このイベントは記念メダルの世界から風のように去ってゆくのである。

 そもそもの始まりは次のツイートを記念メダル有志が発見したことだった。

 画像2枚目左下の写真を見て、「あっ! 茶平メダルだ!」となったわけであるが……

「『白尾博物館』とはどこにあるん?」

 と次の疑問が浮かぶ。上記のツイートをそのまま素直に見ると「『白尾博物館』ってところで”ワイテルズ特別展 99年越しのタイムカプセル”っていう企画展をやるんだー!」というイベントメダル発売の王道パターンを想像したのはもはや記念メダラーのSA・GAといえよう。「あーはいはい、またどっかの博物館の特別展でメダルが出るのね? 担当はオークかしら⁉︎」なんて考えた記念メダラーは一人や二人ではあるまい。そしてこの特別展を何らかのアニメの特別展だろうと高を括ったまでがデフォである。

 さて、では『白尾博物館』とやらは一体どこにあるのかしらーとググって見たところから、いよいよ話は迷走し出すのであった。

 まず、白尾博物館の公式HPが存在する。結果的にこれが非常にやっかいな存在となる

↓いつまでこのサイトが残っているか不明ですが、一応貼っておきますね。

 一見何の変哲もない公式HPっぽいというか、まあ博物館のHPだな、と普通に思う。えらく芸術っぽいデザインの一方で、一体どこ見て良いのかよくわからない感じまで世の博物館HPを忠実に再現しているところに、力の入れようを感じる。

 ところがこれは、いわゆるモキュメンタリーみたいな手法で作られたPRページなのである。HPの内容をよく読んでいくと”令和四十五年に白尾大学考古学研究室の附属施設として開館”とか天皇陛下長生きだなというツッコみを禁じ得ない記述が目に留まったり、展示物がレゴブロックだったりで、いろいろおかしい点にじんわり気づいてくる。言うまでもなく、ワイテルズをまったく知らないから引っかかる仕掛けなのだが。ファンからしてみれば真面目にボケればボケるほど楽しい、みたいなコンセプトであると思われる。

 この時点でまず、我々門外漢(記念メダルコレクター)は、その熱量に「うっ……」となる。気楽に足を踏み入れてはいけない領域のかほりをほのかに感じ取るのである。

 宝塚歌劇団等にも言えることだが、完全なる門外漢がファンの聖地みたいなところに行くのには気持ちの面で二の足を踏むところがある。熱量に違いがありすぎる、というのはいろいろと難しいものがあるからだ。特に、ネットに情報発信をする際に地雷を踏んでしまう可能性が非常に高くなる。まあ”地雷”って言い方自体がそもそもファンからしてみれば失礼な物言いであるのだが。

 またこのイベントは、グッズの通販がイベントに先行してネットで予約できたという点も、記念メダルコレクター達にとっては大きかった。このこともあって、通販で済ませてイベントには参加しないという選択肢をしたコレクターも多かったことだろう。

 ちなみに私は注文しなかった。というか、できなかった。現地で買おうかな〜通販使っちゃおうかな〜と何となく迷っているうちに、あっという間に売り切れとなったのであった。

 最近ではもう「記念メダルの争奪戦」みたいな現象に辟易しているというか、「頑張らなきゃ手に入らない記念メダルなんていらん。メダルに振り回されたくねー」というやさぐれた気持ちが強いので、そこで一度気持ちが萎えたところがある。通販ですぐに売り切れとなったということは、現地購入を決断するにしても売り切れの恐怖感に悶々とした日々を過ごさなければならないのかーという点で現状の私の記念メダルに対するメンタル面では重荷だなーと感じていた。

 が、月に一度の帰省予定と会期最終週の週末がうまいこと重なっていたので、「行かずに後悔するより行って後悔しよう」という大変後ろ向きな理由で足を運んでおくことにしたのだった。

ちなみにこの日はものすごく体調が悪くて、新幹線の予約にキャンセル料が掛からなければ間違いなく行かなかったと思います。ぷらっとこだまの唯一の弱点はキャンセル時ですな。

おもしろい→尾も白い→ホワイト テイルズ→ワイテルズ→(盛り上がって)沸いてる人たち

 ワイテルズというのは、一言でいえば「ゲーム実況系YouTuber」である。地元の同級生6人組ということで、ニワカな私としてはメンバー構成からフィッシャーズや東海オンエアといったYouTuberグループをすぐに連想してしまったのだが、やってることは違えど会話のノリは実際そんな感じだった。だから、上記の人たちが好きな人なら好きなんじゃな〜い、という感じである。アスレチックで盛り上がるか岡崎市で盛り上がるかゲームで盛り上がるかである(怒られそうな文章その①)。

 ゲーム実況の題材としては主に『マインクラフト』をプレイしているようで、新幹線での移動中に以下の動画を視聴した。

マイクラの息の長さは世界記録級よね
巷で流行っているという「人狼ゲーム」なるものの詳細がこの動画を観てようやくわかりました。

 私は普段ゲーム実況などまったく観ないし、ワイテルズに関してはアニメのタイトルだと思っていたくらいの知識レベルだったので観ていられるか心配だったのだが、動画はファンでなくても観ていられるくらいに面白かった。再び観ることはないとは思うが、新幹線の移動を楽しく思えたくらいには楽しめたのは、編集が凝っているからだろう。別にファンではないのでワイテルズの6人の掛け合い自体は特別面白いとも面白くないとも感じないのだが、観ていて面白いと感じられたのは面白い見せ方ができているということである。

 マイクラこと『マインクラフト』に関しても甥っ子が昔ハマっていたこともありそれなりに知識があったことも大きかっただろう。「エンダードラゴン」とかマイクラそのものに関する知識がないと彼らの冒頭の”ボケ”の内容がよくわからないだろうし、MODとかがわからないと「マイクラというゲームは多数のプレイヤーに役割を割り当てられて騙し合いながらやるかやられるかのサバイバルゲーム」みたいな認識になってしまうかもしれない。

 まあつまり、多くの記念メダルコレクターにはご縁のなかった世界観かもしれない、という話である。私は根がオタク世界の人間なのでかじった程度には知識を持ち合わせていたが、上記掲載動画を観ても「何もわからん!」みたいな人も実際多いだろう。

 で、こんな感じで自分なりに予習していったのだが。

 展示内容はもっとコアなものだったというか……マイクラ関連のものはほぼなく、むしろゲームプレーヤーであるワイテルズのみなさんがゲーム実況をしていないときの物品にフィーチャーされていたので、にわかもにわかな私には「⁇⁇⁇」という展示物の羅列で、来てしまって本当に申し訳ありませんという感じであった。

 というか、そもそも推定平均年齢20代前半女性の入場待機列の中で私のようなおっさんが身を小さくして待っている段階で、【リカちゃんキャッスル】に入城したときと同レベルの気まずさを感じていた。

入るまでに待機列での待機を強いられ、ちょっと予想していたとはいえ門外漢の肩身の狭さに身を縮こまらせながら30分くらい待つ。
整理番号1番から順に呼ばれていくわけで、番号の大きさが旅路の長さを物語る。
”スタッフがタップする”とあるのでスタッフに画面タッチをしてもらったところ、楽天の繋がりの悪さからなかなか画面が遷移せず、「これ、大丈夫なんか……?」という無言の気まずさが私とスタッフのお姉さんとの間でしばし流れた。
自分の整理番号を呼ばれると入り口前で会場内についての説明を受けました。
ちなみにおっさんはマジで私一人でした。

 周囲の方々からすれば「このおっさん、何?」だったと思われる。絵面的には”裏若き女性の集団の中に怪しく混じるアラフォーのおっさん”なので、犯罪の香りがプンプンしていたかもしれない。もちろん誓って何もしておりません。

 入場すると、ギリシャ神殿ライクな会場が眼前に広がり、”博物館”というテイへの演出への情熱を感じられる。

いかにもな演出はかなり好きでございます。
ただこの辺はもう、ファンじゃなきゃ謎のものですな
鬼滅の刃』っぽいお面が時代を物語る

まじでわからん
( ´ ▽ ` )

 各オブジェの下に掲示された説明書きを読んでも全然わからん。これが門外漢な世界に飛び込むということなのか。

 ワイテルズのメンバーはリアルな顔出しを一切せず(アニメ調の似顔絵お面を被って出たことはある)、登録者50万人まで上り詰めたYouTubeグループである(らしい)。つまり上記の展示物はゲームプレイ動画ではなく、投稿主達が姿を見せて撮影するときに装着していた素顔隠し用の仮面であると思われる。

 会場で体感したところの印象では、ワイテルズのファンの方々は言うなれば旧ジャニーズへのファンの皆様と共通する雰囲気を感じられるところがあった。つまり「グループそのものが好き。みんな大好き。その中でも特に◯◯が好き」といったように、取り組んでいる内容もさることながら、とにかくその人(達)そのものが好きみたいな感じである。私の元同僚に熱狂的な嵐ファンがいたのだが、「ニノが好き。でも嵐のメンバーみんな好き。嵐のワクワク学校大好き‼︎」といった感じで、常にメンバーのことは全員”君づけ”で呼んでいたあれとかなり似たものを感じた。友達か?

そう、これはファンイベント
彼らが行う一挙手一投足全てが好きなのだ。たぶん。

 ただ旧ジャニーズの皆様はもちろん全員例外なく顔出しで世に存在し、なんならその点は「ジャニーズ系」という造語が象徴するようにある意味では生命線であるとすら言える。一方でワイテルズのみなさんは一切顔出ししないで活動をしているので、実写動画であろうが、醸し出す雰囲気を感じ取ることはできても、そのご尊顔を見ることはできない。捉え方によっては、ルックス勝負をしていない分、こっちの方がすごいことだとも言えなくもない、かもしれない。

 で、無粋なこととは思いつつやはり率直に思うのは、実は顔が全然好みじゃなかったとしてもその想いを貫けるのだろうか——といったところで、その辺実際どうなんでしょう。

この死刑執行人仮面の下から私の顔みたいな人が出てきたら、どうします?

 しかし現在の日本は、Vtuber文化が株式市場に影響を与えるほどになっている世界線である。アニメテイストのキャラがアバターとして画面上で活動していても、キャラクターそのものとそのに熱狂的なファンが付く世の中である。

 この辺のことについては本当に、全然キャッチアップできなくなってしまった。「Vtuberと声優さんって、何か違うん?」と言おうものなら、集中砲火の大炎上である。同じように、顔出しせずに声だけでゲームを実況しているならそれはナレーターさんではないのですか? という考え方は恐らく根本的に間違っていて、このように自分が知る既存の概念に無理やり当てはめて安易に答えを出そうとする姿勢がいわゆる”歳をとる”ということなのだろう。声優は声優で、VtuberはVtuberで、ゲーム実況者はゲーム実況者なのである。

 つまりワイテルズはゲーム実況者であり、それ以外のものではないのだ。

 上記掲載写真の仮面を被った人やポスターに描かれたアニメ調のキャラクター、マイクラの操作キャラ、そしてその”声”を全部ひっくるめて「ゲーム実況者」という30年前には存在しなかった新しい概念なのであろう。30年前から生きている人間には新しい概念として既存の概念との差異、衝突を経て自分の中に取り込む苦労があるのだが、すでにその概念が誕生した後に生を受けた若者達にとっては当然そこにあるものとして自然に定着する概念なのである。

 似たような話に、歌手と”歌い手”の違いがある。これがまた、私のようなおっさんには本当に理解不能で、理解不能だからこそ職場の若い女の子に「歌手と歌い手って何が違うの?」とどストレートな質問をしたことがあるのだが、私はそのときの彼女の、私に向けられた本当に憐れんだ目を忘れられない。相手からしたら恐らく「にんじんとかぼちゃって何が違うの?」と同レベルの質問されたのと同じようなもので困ってしまったのだろう。

 しかし、私からしたらそれなりの言い分はあって、

「歌手=その人専用のオリジナル楽曲を歌う人」
「歌い手=人が発表した楽曲をカバーして歌う人(例:歌ってみたシリーズ)」

という認識であった。でもそれを言うなら今をときめく歌姫Adoは、歌い手じゃなくて歌手なんじゃね? と思ったのだが、Adoは歌手ではなく”歌い手”であると自らを称している

 じゃあ、Adoの自称を含めた上で「歌手と歌い手って何が違うの?」と訊くと、すげー嫌な顔をされるのである。こういう屁理屈おじさんを人は嫌う。

 そんなわけで一体何が言いたかったかというと、このイベントは(中年にとっては)”新しい概念”のもとに生まれた文化と価値観を礎として開催されたものであり、(中年にとっての)既存の知識・概念に当てはめて捉えようとすると微妙にズレた永遠に交わらない平行線で捉えようともがくことになり、いわゆる「理解に苦しむ」という現象が起こるのである——ということが言いたい。

 アラフォーにとってはとみに実感するのは、”新しいこと”を吸収するアップデートの難しさである。己の中にあるものだけでしか解釈することができなくなったとき、”老害”となり、第一線からの退場を余儀なくされるのであろう。

 そう考えると現代の若者文化にも自然と精通しているホリエモンとかってほんとすげーなと思う次第である。

成功の象徴「銀の盾」
「銀の盾」って、動画内ではよく見せてくれるけれども、実際の物を目にする機会はほとんどないので目にしてテンション上がった。
他にナマで見たのは【鳥羽水族館】くらいですな。
実はあまり見たことがない銀の盾の横から見た図
”ロケット打上解説VTuber”って何?

知識が世界への解像度を上げる

このおもちゃが意味するところを知らないとマジで「⁇⁇⁇」しか浮かびませぬ

 私は、子供が大人に対してよく攻撃的に質問してくる「どうして勉強なんかする必要があるの?」という問いに対して、自分なりの明確な答えをもっている。

 答えは「自分が生きる世界に対して解像度を上げるため」である。

 語り出せばいろいろと長くなるので多くを語ることは控えるが、一つ例を挙げると、私はFP3級の資格試験の勉強をして初めて”源泉徴収票に何が書かれているのか”を理解することができた——ということがあった。例えば「収入は多い方が良いが、所得は少ない方が良い」という一文があるとき、その意味が理解できる世界線とそうではない世界線とでは、源泉徴収票をもらった時の面白さが全然異なるものだと思うのである。

 ここで述べている「生きる世界に対する解像度」というのはこのようなことである。つまりは、何も知らなくても生きてはいけるが、自分を取り巻く物事について知っていた方が面白く生きられるということだ。

 英語を勉強すれば英語で書かれた世界が少しずつ手に入っていくし、日本の歴史を勉強すれば日本の事象の繋がりをより面白く感じられるようになる。”解像度を上げる”というのはこういうことである。

 つまり、私はワイテルズに対する解像度が低かったのである。だからファンの皆様の10分の1もその面白さを享受することができなかった。単純に、そこに展示されている物の意味するところがわからないのだから、楽しみようがないのである。

 理屈を超えて心を震わせる芸術作品的な物もこの世界には存在するのだが、それでも、理屈を超えて心を震わせる物について知れば知るほど、その味わいはより奥深くなる。

 私はとにかく、ワイテルズに関してあまりにも無知だった。愚かだったのだ——

「何これ?」と思ったら、吹き出しにも「何これ?」と書かれていた。
旅行に行った時に来ていたコートが展示品になる世界観は、もはやSMAP並の天下を取っているようにおっさんには見える。
99年たらずで堆積した地層から発掘された品々。
掘り出されたグッズの保存状態よりも、99年でここまで地層が堆積してしまった世紀末の世界が物悲しさをあらわしている。
この辺はかつて販売されたファングッズかしら?
絵馬になるほどの存在であったらしい。十二支並みということですな。
ピンボケした。
もう全然わかりませぬ。
メンバーの名前が書かれているところから察するに、双六をするみたいな企画があったのかしらね。

 「白尾博物館」の”特別展”はやはり、一般的な博物館とは一線を画していた。

 あまりにも日用品や日常的な物が溢れていて、

 が、しかし。

 考えてみれば、江戸時代の人間が備中ぐわを見ても何も感じないのと同様で、400年後の日本人がこのイベントの展示品を見たら、まさしく博物館に飾るレベルの物々に見えるのかもしれない。現にブラウン管テレビとかって、博物館にはないにしても、科学館の過去コーナー等に展示されるようになってきましたからな。茶平工業の旧型刻印機が博物館に展示され、その出口のミュージアムショップではタッチパネル式の刻印機と共に魔改造された販売機で記念メダルが販売される日も近いのかもしれない。

付箋にメッセージを書いて付箋を貼るコーナーなのだが、ここまでマス目で管理されたボードは初めて見た。この枠を乱すものは、恐らく日頃も何かを乱すタイプの人間であろう。

怒られた

 ちなみに私、この【ワイテルズ特別展】に関するツイートを投下したら、ワイテルズファンからお叱りを受けた。該当のツイートは削除してしまったのでもう無いし、その該当ツイートを引用した怒りのツイートも(恐らく相手方のご厚意で)消えてしまったのでその記録をここに残すことはできないのだが、大変真っ当なお叱り・ご意見であった。ちなみにお怒りだった方の逆鱗に触れた点は恐らく「1枚だけ売れ残っているところに、メンバー間の人気格差が現れているよね」と私が揶揄したことに対して、ファンとして頭にきたものと推測される。

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと

気づいているほうがいい

吉野弘『祝婚歌』

と、詩人・吉野弘も言っているので、今後気をつけようと決意を新たにする次第である。

 更には「記念メダル界隈の印象が悪くなるような発言は控えた方が良い」という至極真っ当なご意見までいただき、全然会ったこともなければ義理も何もなく、あまつさえ怒りさえ湧いている相手が生息する世界にまで気を遣っていただけるなんて、魑魅魍魎が跋扈する 𝕏にもこんなにも見知らぬ人のために気遣う人がいるんだな〜としんみりした次第である。現実の世界で紛争が続くなかで、SNSの世界だけでも、いつか真の平和が訪れる日が来るかもしれない。

 この流れを踏襲しつつ、ここでちょっと話の視点を変えるのだが。

 思えば私、『マツコの知らない世界』出演を断念してからというもの、”SNS”と”メダルコンプ”の2点に関しては結構どうでもよくなっている(この二つは番組出演にとって非常に重要な要素であったからだ)。そして、かつてキャンピングカーに乗って全国各地を旅して回りながらその”記念”として記念メダルを購入していたときの気持ちを取り戻しつつあったりする。つまりメダルから”旅”へとまた目的がシフトしつつあり、それに伴って「記念メダル界隈を盛り上げていこう!」とか、「記念メダルのことをもっと世に広めよう!」とか、もうほとんど考えなくなったぁ……ということを思うなどした。

 何が言いたいかというと、もう記念メダル界隈のことなんて全然気にかけてないな、ということである。もっと直截的な表現で言ってしまえば、他の人(主にコレクター)のことがどうでもよくなった、みたいな話だ。それはひいては、”記念メダル界隈”なるもののことなんてまったく意識しなくなった、ということである(同じこと2度言っている)。

 もとより、一人で旅をし、一人で集めていた記念メダルであるので、人と自分とを比べてどうとかいう話ではなかったはずである。それなのに、例えば1年くらい前に起きた”茶平工業マンスリーメダル騒動”の際に「今まで頑張って購入してきた人に対する裏切りでは〜」「記念メダルの普及にとって〜」「不誠実だと〜」等々と言っちゃってた自分は、本来の自分ではなかったように思う。仮にいま、まったく同じことが起こったとしたら「まあ製造会社の好きにすれば良いんじゃな〜い」と率直に思うだろう——というか、そもそも自分の意見表明なんてしないと思う。なぜなら、自分は全メダル購入していたから、自分には関係のないからだ。自分は購入者特典ももらえて、それで話は終わりである。

 というか、そもそも 𝕏なんてやってなければ知る由もなかった話でさえある。「旅行に行ってメダル販売機を見かけたら記念に買う」程度に記念メダルを集めている一般ユーザーからしたら「なんだそりゃ?」みたいな揉め事であったかもしれない。

 そんなわけで、個人でメダルを集め、私が私のために私の記録として勝手に個人ブログにアップしていく、というかつてのスタイルに今、懐古しつつある。その中で、記念メダル界隈の印象が悪くなるような発言はぶっちゃけ全然余裕でしちゃいそうというのが正直なところ、ある。確かにある。なんたって個人ブログのキャッチフレーズに「♡女子ウケが悪い趣味♡」とか平気で書いちゃってるブログ主である。

 それを阻止するために一番簡単なのは 𝕏をきっぱり辞めてしまうことなのだが、目下の悩みは、 𝕏を辞めると茶平工業が情報を開示しない記念メダル情報が得られなくなる点である。まあROM専になれば良いだけの話ではあるのだが。「やらなければ良い」「見るだけにすれば良い」と言ったところでそれがなかなか難しいのがSNSを取り巻く諸問題の難しさであることを今実感している次第である。はい。

 なんてことを、怒られたことをきっかけに、帰りの新幹線で考えましたさという個人的な記録。

記念メダルについて

ラインナップ

 ご覧の通り、結論としては私は全6種のうち1枚しか入手できなかった。が、正直購入できるかどうかはイベント的に今までの経験上半々の可能性だなと思っていたので、1枚でも購入できてとても満足できた。やはり己の中の期待値コントロールというのは日々の生活でとても重要である。最悪この2階建魔改造販売機を写真に収められれば良しとしていたので、何なら「ラッキ〜」と棚ぼた的なハッピーすら感じたくらいである。

これを見てむしろ「あっ、まだ1枚残ってる!」と前向きな気持ちでありました

 ここまで記念メダルコレクターのみなさまからしてみれば気分の悪くなるような文章をつらつらと書いているところからも察せられるとおり、現状の私は非常に記念メダルに対するテンションが低い。そのきっかけとなったのは【中部電力MIRAI TOWER】と【心斎橋ビッグステップ】であり——もう多くは語らないが——記念メダルに必死になっている自分を俯瞰してよくよく見ると、すげー残念だなと思うようになった昨今の自分がいる。特に販売者からメダルの売り方と宣伝一つでコレクター心理につけ込まれていいように振り回されたり、相手の思う壺的な行動を取った上でさらに「無事買えた〜ラッキー」とか無邪気に喜んじゃったりしている自分がめちゃくちゃカッコ悪いなと思うようになった次第である(あくまで個人の感想です)。

 昔はもっと自由に、旅も記念メダルの入手も楽しんでいたのにな〜(遠い目)

 また、それと同じように、他のコレクターの”善意”から改善案やら要望やらをあれこれ指図されたりするのは、あらゆる理屈を飛び越して、とにかくつまらんと感じるようになった。このブログにしても 𝕏にしても、「こうするともっと良くなると思います!」とか「こういう情報も載せていただくと助かります」とか「(提供する)この情報を流してもらえるとみなさんにとっても有益だと思います!」とかいったご要望にももう応えないことにしました

 理由はひとつで、どうするかは自分で決めたいからである。”決めたい”というか、自分の趣味のことは自分で決めるのが当たり前じゃね?

 商売なら顧客のニーズを常に求めて把握に努めるところであるが、所詮は何の利益も生まない趣味の個人ブログである。楽しくなくなったら、おしまいである。

 そんなわけで話がとっ散らかってしまったが、要するに「一枚しか手に入らなかったけれどそれで『良かった〜一枚買えた〜』と素直に思えたところに、自分というものを取り戻してきた手応えを感じた」ということを私が私のためにここに記録として残す次第であります、はい。わざわざ書くということは、まだまだなんだけどね!

 閑話休題。

 デザイン的には非常に珍しい、というか未だかつてなかった両裏面仕様である。

 おもて面の刻印「HAKUBI MUSEUM」「2124」は、刻印機によるものな気がする——が、微妙なところですな。風合いは刻印機によるものに感じられるのだが、刻印機で一枚一枚刻むなんて手間暇コストが掛かるのでそんなことやるかな〜といった所感である。金型に刻んでしまった方が話が早い。

 ただそれだと金型製作が必要になるので、そちらのコストが掛かることになる(”白紙”裏面の金型は工場にすでに存在するはずなので金型製作のコストは掛からない)。

 別の観点から考えると、仮に刻印機で一枚一枚刻んでいるとしたら、大量再生産は無理ゲーという絶望感がある。普通に時間掛かる。

 その点も含めて、12月20日から始まる「大阪会場」で再販がされるのかどうかは気になるお年頃。

ちなみにこの人は”きりやん”さんというお方らしいです

追記

 12月20日からの「大阪会場」開催に合わせてメダルが増産され、通販の在庫も復活した。迷わず持ってないヤツ全購入だ!




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