【販売場所①】
@1階案内所(無料エリア)
備考:有料エリアと無料エリアとではラインナップが微妙に違うので、男らしくお金を払って上まで上のだ!(もちろん女性でも)。
【販売場所②】
@展望フロア(有料エリア)
備考:テレビ父さんメダルは展望台限定。テレビ母さんメダルの登場が待ち望まれる。実は歳の差夫婦であるらしい。
札幌vs栄の象徴
【さっぽろテレビ塔】は、札幌駅から徒歩10分くらいの場所に位置する。札幌駅の【JRタワー】から見下ろせるので、セットで訪れる記念メダラーが大半であるだろう。
札幌の街は名古屋に似ているとよく言われる。設計者が同じなので【名古屋テレビ塔】とも外観はそっくりである。タワーの前には大通りの中央を左右に隔てるように伸びる大規模な公園が整備されており、タワーから見下ろす光景は本当にそっくりであった(ただ現在は栄の久屋大通公園は大規模な再開発が実施された後なので、印象はだいぶ変化した)。
初めて訪れたときはこの光景はなかなか衝撃的で、「栄やんっ∑(゚Д゚)クワッ」と素直に驚いた。
それ以来、札幌の街にはどことなく親近感をもっていて、いつかもう一度足を運びたいを思っていた。思っているうちに、【さっぽろテレビ塔】からは続々と新しいメダルが発売され続け、いつしか「早く行かないと販売終了しちゃうメダルが出ちゃう〜」という焦りに変わって早9年。ご縁があって【太平洋フェリー】からご縁をいただき、念願叶った次第である。
9年ぶりのテレビ塔には、工事中のニオイが充満していた。
9年ぶり2度目の訪問を果たした率直な感想としては、設計が古いタワーであるので、やはり眺望や室内設備の楽しさで勝負するのはかなり難しいというのが忌憚なき意見である。どの点を取っても札幌駅の【JRタワー】の方が楽しい。内藤多仲が設計した「タワー6兄弟」が現代社会においてもその存在意義を発揮し続けるには、かなりのイノベーションが必要である。そもそもは電波塔であって観光施設メインであったわけではないし。テレビ塔としての役目を終えた今、どう生き残っていくのか、それぞれのタワーが模索している。旧【名古屋テレビ塔】は「タワーホテル」という新境地を開拓し新たな道を進み始め、【通天閣】は昔から観光に力を入れていたが現在では地下施設までも拡充させ今に至るまでその進化を止めていない(私は施設として嫌いレベルで好きじゃないけど)。【東京タワー】は言わずもがなの観光スポット。【別府タワー】は別会社へ買収されて運営が移行され、大きな岐路に立ち、命運を握るリニューアルが予定されている。
古きモノを残す——という事象は、実は非常に難しいことなのだということがよくわかる。万が一閉鎖、取り壊しみたいな話になれば反対したり残念がったりする地元民は続出すると思うが、観光産業の場合、肝心のその「古きモノ」に実際にお金を落としていくのは地元民ではなく観光客だという現実がある。つまり観光タワーは、自分のことを深く愛してくれる地元民ではなく、観光客相手に集客を考えなければならないというある種の矛盾を孕んでいる。地元民向けのサービスを展開するにはテナントを充実させなければならないが、それはある意味では観光とは別軸になる。タワーが目的ではなくなるからだ。
要するに、どのような存在で居続けるのか、という問いに答えなければならないのが、かなり頭を悩ませるポイントであるといえる。そして観光を主軸にするには、周辺の高層ビル、さらに高層の展望タワーの出現といった要素が眺望での勝負をキツイものにさせているので、本当に難しい。【通天閣】の成長の在り方は、好きではないが商売という意味では正解なのかもしれない。地元民の需要に対してではなく観光という点に突き抜けるにはあのような形にならざるを得ないのかもしれない。まあ通天閣の場合は「新世界」という観光・食い倒れエリアに存在しているのもかなり有利であるわけだが。
個人的には、古い展望タワーの生き残り策として、昨今の流行りに乗って「コワーキングスペース」的な使い方はどうかな〜と考えているのだが、どうだろうか。見晴らしの良い場所で勉強や仕事に勤しむのは需要があるような気がするんだけどな〜。考え方を変えれば、「展望室入場料」程度の料金でコワーキングスペースを利用できるのであれば格安であるし。平日の需要も伸びそうな気がするし。展望タワーは元々夜遅くまで営業しているわけだから夜間帯の需要にも対応できるし。
そんなことを某タワー公式さん(Twitter)に提案してみたら「ちょっと違う」というような回答を得たので、素人が考えるよりもいろいろと難しいのかもしれないが。確かにこの使い方だと「観光」という観点はほとんど捨てることになるし、タワーの立地条件も「まちなか」であることが求められるので、適する場所と適さない場所とがあるだろうが。ちなみに【中部電力MIRAI TAOWER】には実際にコワーキングスペースのレンタル業を営むテナントが入っていたりする。
そんなことをつらつらと考えた@さっぽろテレビ塔での滞在時間15分。
まあ経営がうまくいっているのなら、他人がとやかく口を出す問題ではないのだが。私にとってはあまりにもやることがなかったのだが、恋人や家族と一緒に来れば、そこに見える景色を材料に楽しみで彩られた会話が生まれるのかもしれない。私にもきっと、そんな時期があった。もう無いだけで。
滞在時間としてはそこまで長いものではなかったが、自分の心に残るような思考を巡らせることができたので、非常に良い時間を過ごさせていただいた。新たなるメダルが発売されたあかつきには、ぜひまた足を運びたい。LCCという移動手段を手に入れた今、札幌はもはや日帰り旅行圏内なのだ!
時計大臣に会いに行く
札幌市時計台は「日本三大がっかり名所」という不名誉な称号を一方的に付与された名所である(ちなみに残り2か所は「はりまや橋@高知県」「オランダ坂@長崎県」である)。
どこからどう考えてもフォローしようのない大変不名誉な称号なので、北海道民、ひいては札幌市民からしたら「勝手に決めんな! ふざけんな!」というお怒りの声が聞こえてきそうであるが、私個人の感想としては、少なくても時計台に関しては、とても厳かで映え〜なスポットであると感じた。インスタ全盛のこの時代に「映え」という価値観が全年齢層で根付き、ようやく時代が追いついてきたのかもしれない。インスタやったことないけど。
特に夜の時計台はなかなか幻想的である。昼間でも、雪景色の中の時計台はなかなかだ。
がっかりポイントとしては「思ったより小さい」という点が挙げられているらしい。が、率直にいえば「どんだけデケーもん想像してたねん?」と正直思う。別に小さくない。確かに周りのビルの中に埋もれるような大きさになってしまったという都市化の影響はあると思うのだが、今見たって立派で厳かな、大変雰囲気のある存在であった。何なら街中にこの古き建物が建っているからこそ映えているとすら言える。つまり、
ガッカリしてんじゃねー
\\\٩(๑`^´๑)۶////
ということが世の中に対して言いたい。世界の中心で叫びたい(古っ!)
ただ一方で思うことは、逆に「がっかり名所」だという先入観をもって足を運んだからこそ「想像より全然いいじゃん!」という感動が生まれたのかもしれないという己の心の変遷に対する推測である。つまり、期待値のコントロールがうまくいったということである。人間とはかくも難しい生き物とであることよ。
こうなってくると、「日本三大がっかり名所」という不名誉な称号も、あながち損なモノではないのかもしれない。変に期待を抱かせないというのは実は得な面が多く、名を捨て実を取るのである。実際、どの時間帯にも多くの観光客が訪れており、誰も不満を漏らしていなかった。むしろ写真撮りまくり、客入りまくりで大変繁盛していた。がっかりしていた者など皆無であったことよ。
そう考えると、ここで名誉を挽回しようと頑張ることは逆に野暮なことかもしれないので、筆を置くこととする。「日本三大がっかり名所」とは、実際に足を運んだ際にがっかりしないための称号であるともいえるのかもしれない。
いや、オランダ坂は正直何とも思わなかったんだけど(長崎県民を敵に回す余計な一言)。
記念メダルについて
現在過去含め様々なデザインの記念メダルが発売されてきた【さっぽろテレビ塔】は、記念メダルに対して積極的な施設であるといえる。その中でも時計台デザインのメダルは古くから発売され続けてきた(正確には当初は時計台館内で販売されていて、販売終了とともにテレビ塔が在庫の販売を引き継いだ)。近年では2018年に「復刻メダル」として再登場し、記念メダル界を沸かせた。記念メダル界なので世の中的には超高性能顕微鏡で見なければ目視できないレベルであるのだが、確かに沸いたのだ!
時計台メダルの歴史を紐解くと、手持ちのメダルでは82年の【北海道博覧会】まで遡る。実に40年前のメダルである。
このときのデザインは現行メダルのものと同アングルでデザイン的にもほぼ同じなのだが、右側の木の枝の有無と、下部の文字が異なる。下部の文字が異なるのは当然のこととして、木の枝の有無は、メダルデザインの変遷を語る上で大きなポイントとなっている。
90年代の刻印が刻まれた下記メダルでも、木の枝デザインは踏襲されているからだ。
現行メダルとほぼ同デザインの金型が使用されており、裏面に至っては同デザインである(ただし旧規格なので刻印面が幅広である)。現行メダルはこの金型デザインから枝の部分を単純に削除して再制作したと思われる。なぜそうしたかはもちろん不明であるが、個人的には無い方がスッキリしていて好きである。そして何より、現代であればプリントメダルに改良する文字通りの余白が生まれるという意味で、さらなる期待が真に勝手に生まれるところである。雪模様なんかを印刷したらステキになるんじゃな〜い?(なやねんお前)。
余談だが、札幌時計台メダルは過去には珍しい26ミリサイズも存在した。
こちらは似たようなアングルではあるもののデザイン的には刷新されており、スペース的な問題からかだいぶ単純化されている。
完全なる余談の余談となるが(司馬遼太郎風に)、私は26ミリメダルが販売されているところをこの目で見たことがない。刻印されているメダルもあるので26ミリ用の刻印機なるものも存在したはずであるので、ぜひこの目で一度は見てみたいものである。
(過去記事)名古屋の街を模した街(愛知県民の言い分)の、名古屋テレビ塔そっくりなテレビ塔
ここ【さっぽろテレビ塔】から見た景色に、私はある種の衝撃を受けた。
――地方都市の画一化。
悪い方の意味での、日本の画一的技術を見たような気がした。
地方都市というのは、まず駅になんちゃらタワーを建てがちである。駅ビルと駅タワーを合体させたよやつを。
そして、そんな駅ビルの隣には、巨大なビックカメラ(かヨドバシカメラ)がありがちである。そして駅から少し行くと大通り公園がある。大通り公園のそばには大抵古びた塔があり、それがテレビ塔であれば、デジタル放送のみとなった今ではその役目を終え、塔の下は大抵ビアガーデンになっている。さらにそこから少しいくと県庁(北海道なら道庁)があり、県庁のそばには鉄筋コンクリート製の復元天守閣が見える(札幌には城はなかったが)。
具体的に言えば、【札幌テレビ塔】から見える景色は、例えば【名古屋テレビ塔】から見える景色とほぼ一緒なのである。
なんだかなぁ~と、非常にガッカリしたことを覚えている。やはり東京というところは別格なんだなぁと思った次第。「横浜」ですら、街の造りとしては似たようなものである(みなとみらい地区)。
地方の若者が東京に憧れる理由がなんとなくわかった気がした。地方都市に無限の可能性などないことを、その街並み自身が雄弁に物語っていた。
テレビ塔から札幌駅に戻る途中、せっかくだから「札幌ラーメン」を食べようと道すがら探していたのだが、「博多ラーメン」やら「中華そば」やらしか見つからなかった(ちゃんと探せばあったとは思うのだが)。これは富山に行ったとき「ブラックラーメン」を食べようと思って店を探したが全く見つからず、結局高速のSAで食べたことに似ている。その地方のラーメンは、その地方には意外とないという法則(博多に博多ラーメンはたくさんありそうだが)。
さて、記念メダルに関していえば、「テレビ父さんメダル」には、「はっはっは」の部分がないバージョンが存在するらしいが、私は気づかなかったので未購入である。恐らく一階の土産コーナーで買える記念メダルと展望フロアで買える記念メダルが微妙に違うのだと思われる。
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