

@特別展出口に設営されたグッズショップ
備考:「次回入荷未定」のまま、予定は未定のまま、それが現代社会也
記念メダルと巡回展、その付き合い方

【特別展 植物】は、2021年に東京の【国立科学博物館】で開催された東京会場と、2022年初頭に「大阪市立自然史博物館」が会場となった巡回会場の2カ所で開催された。私が足を運んだのは2022年1月14日(金)から〜4月3日(日)の会期で開催された大阪の巡回会場である。
それも、4月3日(日)の最終日にやってきたのだーっ!

めちゃくちゃ街中に超でかい公園があって、その中の一施設として存在しておりました。
何が言いたいかというと、時間貸し駐車場の料金が高いということです。街中ですから。。。
この日は小雨が微妙に降りしきっていたので、外をゆっくりと撮影する余裕もなく入場。開場してすぐに入場したが、最終日ということもあってか、客入りはなかなかのものであった。
私、最近気づいたのだけど、「企画展・特別展マニア」というジャンルもこの世には存在するようである。そういった人たちに「昨今の特別展メダルに対する印象」とかぜひインタビューしてみたい。眼中にないと思うけど。
入場すると、そこは植物ワールドであった(川端康成風に)

「バカって言った方がバカなんだよ!」というセリフを言った時点ですでに2回バカと言ってるじゃん、みたいな。

「○○すぎる」という標語が流行りだして久しい。
「世界最大の花」としてギネス登録されているが、単独の花ではなく集合体であるらしい。
そのため、単独の花として世界最大のラフレシア(モルボル)と「どちらが世界一か」という論争があるそうな。





(梅澤春人『無頼男 –ブレーメン−』より)








開花したときに肉の腐臭のような臭いを放ち虫をおびき寄せるのだとか。

パンダを手にしたおっさんですから通報案件でございます。
私は植物に関しての興味は皆無であると言っても差し支えはない。そのため、終始「ふーん」という感じで見て回ってしまった感は否めないが、興味がないからこそ不満もないという側面もある。率直に言えば「目玉展示の大半が模型なので、模型を見るのに金を払った」という感覚があるのだが、大の植物好きな方々にとって、その辺は納得のいく仕様であったのだろうか。まあこのあたりは特別展の宿命であるのかもしれないが。特別展とは、拡大模型と解説パネルが大半を占めがちである。
さて、この特別展の大阪会場は「東京会場に比べてだいぶ規模が縮小されている」というのがネット上でのもっぱらの評判であった。そのことは事前に見ていたので、体力の配分としても「だいぶ余裕をもって見られるかな〜( ´ ▽ ` )ウフフ」と私にしてはだいぶじっくりと時間をかけて見て回り、さて規模が縮小されているはずなのでここらで半分くらいかな〜と思いながら角を曲がってみたら——

曲がり角を抜けると、そこは出口だった(川端康成風に)
いやー、これにはほんとにびっくりした。どうやっても真のところはお伝えしようがないのだが、本当に「これで半分くらいかな〜」と思いながら曲がったのである。久々に声に出して「えっ」とわかりやすく驚いてしまった。
興味がないからこそ別に何とも思わないのだが、ただただ驚いたという事実のみを記録としてここに記す次第である。
このことから、特別展は【国立科学博物館】こそ至高であるという揺るぎない事実を述べ、筆を置くこととする。東京近郊にお住まいの記念メダラーの方々は、その幸せを存分に噛み締めていただきたい。上野はメダルの聖地なのだ!

ウッドデッキなのが何かステキ!


記念メダル図鑑が目指す一つの形でもあります。
ただもう、一生電子書籍しか買わないぞ! という強い決意をしたので買わないのだった。
置く場所がないのです……

しかし私がこれを身に付けて街を歩いたらきっと警察に捕まってしまうので我慢したのであった。



記念メダルについて

たとえ今後入荷されようと、多くの場合は、もう来ることはないですからな……
この大阪会場での記念メダルに関する最大トピックは、「会期を半分くらい残しながら早々に売り切れた」&「最後まで再入荷されることはなかった」という点であろう。実はこのメダル、大阪会場では初めから販売されていたわけではなく、初出は1月18日と、開幕されてから4日後である(つまり最初の土日を経過してからである)。
この「特別展」という存在は、この会場だけに限らず、こと記念メダルに関してはいつ足を運ぶか問題というものがあり、実に難しい。開催と同時に記念メダルが発売されるわけではないということは【特別展 ミイラ】の例をトラウマとして記念メダラー達の心に深く刻み込まれた(詳しくはリンク先参照)。
そして「入荷未定」という貼り紙が確認されたのが、Twitter上で私が確認できたかぎりでは最も早いのが2月26日である。
正味1ヶ月程度で完売し、その後再入荷はされなかったということになる。
ちなみに、東京会場でも記念メダルに関しては涙を飲んだ方がいたようなので、記念メダルに関しては非常にシビアなイベントであったということになる。
いや、どれもツライけど( ;∀;)
東京会場の場合はその後再入荷された……のも買えなかった人にとってはやはりツライ
記念メダルを企画・販売してくれるだけで大変ありがたいことなので、我々記念メダラーは決して文句などいえる立場ではない。だから、敢えてこれだけ言おう。
ツライ(;ω;)
と。ただそれだけを。
売り手目線で見れば、「再入荷しない」という選択は実は利確であるので、その選択をする気持ちはサラリーマンとしては実はよくわかる。極端な話、再入荷しても全然売れなければ、儲けがパーになるわけである。期間が限定されたイベントであるなら特に。
もちろん得らそうな利益を放棄したという可能性だってあるわけだが(そして記念メダラー目線で見ればそう見えるわけだが)、その辺は株取引とかと同じ話ではある。勝負強さとは何なのかという点は非常に難しい。
東京会場の初期ロットの完売の早さを考えると、もともとそこまで生産していない≒記念メダルに大きな期待をしていなかったように感じるので、まあそういうことなのかな( ´Д`)y━・~~ というアンニュイな着地(どういうことなのか不明)。
一つだけはっきり言えることがあるならば、こうして記念メダラー達はまた特別展への警戒心が強くなるといったことである哉。開始直後に行けばまだ販売されておらず、販売開始を確認してから行けば早々に売り切れ……今日も僕たちはかの金色のヤツに振り回されるのであった(きまぐれクックの「銀色のヤツ」風に)。

ここで、ちょっと違う観点から「記念メダルにおける売り切れ」という事象のことを考えてみる。
記念メダラーが「売り切れ」という事実に直面した時に、特に上記掲載の見本のメダルとの向き合い方はかなり難しい。なぜなら、そこにメダルがあるからである。
私は過去、頼み込んでこの見本を売ってもらったことが一度ならず、ある。が、行為としての是非は自分で言うのもナンだがなかなか微妙なところではある。
イレギュラーな手段による獲得の可否は、コレクター目線でいえば「収集の腕の差」ともいえて、これが骨董品等なら美談としてよく語られるようなエピソードとなる。お店の人とのイレギュラーな交渉は、非常に勇気がいることだからだ。だからこそ何もせず断念する人の方が多いし、もし勇気を出しておこなった交渉が上手くいったなら、達成感と充実感はひとしおであり、その武勇伝をつい語りたくなってしまう。自分の挑戦が上手くいったなら、誰かに聞いて欲しくなるのは人間の自然な気持ちであろう。
しかし一方で、「お店の人に迷惑(あるいは不要な手間)を掛ける」という点で批判の対象となり得ることは認めざるを得ないのもまた事実である。お店の人が実際にどう思うかは別として。たとえお店の人が全然いいよ〜と言ってくれたのだとしても、正論とはまた別の世界線にあるのである。
買う側の論理としては「プラスαの売り上げに貢献した!」「忙しくなさそうなときに声を掛けた! 丁寧にお礼をした! お店の人は快く対応してくれた!」という気持ちを己の正当性として主張したくなる。が、少なくても「売り切れの表示を見て購入を断念した人」からしたら、「ズルい」というのが最初に湧き起こる偽らざる感情であろう。さらにこのことを難しくするのは、”そのとき購入できなかった人”だけでなく、”過去の違う場面で同じような形で購入を断念した人”も同じような思いを抱く、という点である。そして実は、その気持ちは非常によくわかる。なぜなら、まったく難しい話ではなく、自分がそうだったからだ。
そういった気持ちを出発点として、「お店への迷惑」「常識」、そして「その人が歩んできた今までの人生のすべて」が相まって、批判という矛先が向けられる。一言でいえば「納得がいかない」から批判をするわけである。「イレギュラーな行動」とこの「納得」とは、得てして水と油の関係となる。
だから、実際にお願いするときには自分なりにいろいろと気をつけるポイントはあるものの(お客さんが他にいなくなるまで待つとか)、何をどうお願いしようと、客観的に見てあつかましいお願いであることだけは確かなので、私のようにネットで自慢気に語ると、きっといつか悲しい目に遭うことになるだろう。私はもう、涙で枕を濡らさない日はない。
その上でどうのように行動するかはもう本人次第といったところではあるが、個人的に最もおすすめするのは、「勇気を出して交渉してみる。でもネットでは言わない」といった、まあ無難な着地点である。実際に交渉できるかどうかはもちろん状況にもよるし、交渉する際はかなり気を遣うべきだし(無理そうならすぐ撤退とか、明らかに忙しそうなときは待つとか)、何より成功譚を誰かに聞いてもらいたい気持ちを抑えるのはかなり難しい(私の場合、極論、話を聞いて欲しいからブログやTwitterなんてものをやっているわけですからね……)。たとえ「みんなもこうした方がいいよ!」という善意のもと、良かれと思ってした情報発信であっても、”そうしなかった人達”にとっては許し難い行為として映る可能性はそれなりに高い。お店の人が快くOKしてくれたことであっても、一般的に見れば”それを来る人みんなに頼まれたお店も困るだろうから、わざわざネットで言うべきことではない”といった正論が成り立つ事象は、少なからず存在するのもまた事実である。”みんな”という抽象的な総意がまたなんとも反論の余地を与えない。
ただこれを顔見知りに対してリアルでやる分には、少なくても自分のすぐ目の前で問題になるケースは圧倒的に少ないので、その辺の感覚は難しい。リアルでは「んっ?」と思ったとしても面と向かってわざわざ言うことは少ないからである。
極論、どんな発信でも、発信してしまえば批判される可能性が生まれるわけなので、黙っておくのが最上の安全策とも言える。ただそれは突き詰めればクルマに乗らなければ少なくても事故を起こす側になることはないみたいな話なんですがね。じゃあなぜネットで発信するの? みたいな話になるわけで。
紆余曲折のメダル経験を通して、私は多くの場合で「交渉をしてみる側」の人間になった。がしかし、他の方々に決してそうなれとおすすめしているわけではない。なぜなら、どれだけ経験を重ねてもやはりイレギュラーなことをお願いするのは勇気が必要で億劫なことで、そして何より、やはり現実的にはあつかましいことであるからだ。嫌がられるかもしれないし、にべもなく断られるとやはり傷ついてしまう永遠のお年頃。それに加えて何より、批判されるかもしれないわけである。対お店の人には誠意を尽くせば笑顔で対応してもらえるかもしれないが、その情報発信を見た人はやはり不快に思う可能性はそれなりに高い。人の厚かましい行動を見せられて不快な気持ちになるのは、至極当然のことであるといえるからだ。
だから結論としては、「交渉はする。でもネットでは言わない」というのがステークホルダ全員が利益のみを享受できる可能性が高い一番無難な線なのである。さらにいえば、スパッと諦められるのなら、交渉すらせずに撤退するのが、実は誰も不幸にならない最良の手段ですらある。自分が諦めた後に”勇気を出してイレギュラーな交渉をした人”が現れてもやっかまない、という極限レベルのスパッとさが求められるが。
私がいざその時になれば交渉する側でいるのは、結局は己の欲望(メダル欲しい)の力が大きいところによるわけであり、それを言っちゃうのも話を聞いて欲しい願望の強さによるわけですな……嗚呼、自己顕示欲也( ´Д`)y━・~~

この力の入れようなら、ぜひ再入荷して欲しかったぜ……

東京会場ではこの日付どうなってたんすかね?
記念メダルとの付き合いを通して、人間、インターネット、自分という人間、そして人生の在り方というものを考察する日々でございます。
デザインは、文句なしでかなりカッコいい!
プリントメダルの真骨頂を体現したかのようなデザインであるといえる。噂によると、ショクダイオオコンニャクの臭いをデザインで表現したとのことのなのだが、真偽は不明である。が、そう言われても納得の迫り来る植物たちであることよ。

とても秀逸なデザインであるだけに、何かと手に入れにくかった現実が実に残念である。
素直に入荷すれば、追加分も普通にバカ売れしたと思うんだけどね〜。
ちなみに掲載されているメダルは、裏ルートで手に入れて、撮影用に会場に持参した。刻印機だけでも使わせてもらおうと思ったのだが、電源が落とされていて、わざわざお願いするのも気が引けて、断念した。

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