ミイラ取りがミイラになるだなんて、ミイラを取った方にもずいぶん手厚い待遇をしてあげていたんだなということが分かる展覧会(長い)
永遠の命を求めていたといえば、フリーザ様である。私世代の男たちは全員、フリーザ様のご発言をとおして初めて「不老不死」という概念を学んだいっても過言ではない。
フリーザ様がいらっしゃらなかったら、「永遠の命」というものの儚さや苦しみを考えることすらなかったことだろう。フリーザ様はその存在自体が哲学であらせられるのである。
【特別展 ミイラ】は令和元年11月2日〜令和2年2月24日の会期で開催された【国立科学博物館】の特別展である。連日大盛況で、平日でも混んでいたり何度も足を運んだ方がいたりとネット上のどなたの感想を見ても高評価な企画展であった。が——
正直、私には
合わん( ;´Д`)
という感想しかほぼない。まあ勉強にはなりましたがー( ・∇・)
私が最も肌に合わなかったのは、やはり「死を見せ物にしている」感である——というすげーめんどくさいヤツが現れましたよーというやつね、これ。
いやね、別にここでこの特別展を楽しんだ方々にどうこういうつもりなんて毛頭ないし、この企画自体にケチをつけるつもりも毛頭ないんですよ。ただ私には合わなかったというだけであって。
ただただ単純に、自分だったら死んだ後にこんな風に見せ物にされるのはやだなーと思ったという、ただそれだけの話なのです。そして根源的な想いとしては同じところで、人の死をそんなに見たくないというのもあったりらじばんだり。
要するに、私は「死」というものを、最もプライベートなものの一つとして考えているということだと思われる。これは感情的なものなので、そこに皆様を納得させられるような理屈はありません。
そんなわけで、終始居心地の悪さを感じつつも、「でもせっかく東京まで来て、せっかく入場したのだから」というケチんぼ精神が発揮されて、結局しっかりと見て帰ったんですがね……
ただ、性には合わなかったが、とても勉強になったことは確かである。
まず、そもそもエジプト以外にもミイラの文化があったというのが目から鱗な話であった。確かに、即身仏もミイラといえばミイラですな。人が作ったのか自分で作り上げたかの違いがあるだけで。ただやっぱり、即身仏を見せ物にしている感じが好きになれなかったりするのだが……
即身仏は、こちらから参拝しにいくべきものである——という個人的考えである。文字通り死を超越した修行の果ての結果が、他のミイラと一緒くたにされて展示されてしまうようなものでしかないのか、と思ってしまうのよね。。。「ご本尊は50年に一度しか御開帳されない」みたいな話を聞いている最中であるので、特に。
ただ、大変評判の良い特別展であるし、評価も軒並み高い。また、この特別展を企画した学芸員の方々の想いとしても「見せ物にしたい」などというものではなく、きっと「死」というものと向き合い、考える場としてくれたら——というような想いがあるのではないかと思われる。
どのように死ぬかを考えることは、そこに至るまでに、どのように生きるかを考えることでもあるのだから——
印象に残った点としては、ミイラを作るのには膨大な手間暇がかかるんだなーと素直に感心したことが挙げられる。エジプトのミイラ作りの手順がVTRで流されていて、これがなかなか興味深かった。とりわけ衝撃的だったのは、メダルの図柄にもなったアヌビス神(の格好をした係りの人)が死後数日経った遺体の鼻から脳みそをかき出していくそうで。この
鼻から
というのが、もう痛い。VTRを見ているだけで「ぐはっ」となる。その映像も妙に生々しく。
また、「脳みそ取っちゃうのか〜」というのが、現代の価値観と微妙に異なるところではないかと思われる。ミイラは心臓だけは残して残りの内臓は全て取り出すそうなのだが、現代的な考えだったら脳みそも残したくなるような気がする。まあ心臓を残すのも「アヌビス神から最後の審判を受けるのに差し出す必要があるから」という理由があるためで現代医学的な根拠とは微妙に異なるのだが、それでも重要な臓器であるという認識があるからこそそのような信仰も生まれたのではないかと思うわけで。で、脳みそをかき出してしまう文化であったのは、脳がそこまで重要な器官であるという認識が当時はなかったから、ではないかと思うのである。古代エジプト当時の価値観のなかでは、『ルパンvs複製人間』のラスボスの発想はきっと生まれなかったことだろう。
ミイラを作るには一体につき70日も掛かっていたそうなので、ミイラにされたミイラ取りは、罪人の割には実は手厚い待遇を受けていることになる。死者を悼む気持ちだね!(慣用表現にまでめんどくさいことをいう人間が現れましたよー)
遺体の展示に関するあれこれ
【国立科学博物館】では、ミイラだけではなく、過去に何度か遺体の展示を行なっている。もっとも最近では【特別展 人体】であろう。
この特別展も大好評であった。もちろん学術的な見地からの展示であり、好き嫌いは別として、批判されるような要素はない。「解剖」といった人体の在り方を知る術がなければ、医学の発展はない。医学的な知見を学ぶ機会として企画された特別展であった。
また、過去には90年代にも同じような特別展が開催されている。
こちらではなんと「夏目漱石の脳みそ」がホルマリン漬けで展示されていたらしい。賛否はともかく、「有名人の脳みそを展示して目玉にする」という企画が「時代だな〜( ´_ゝ`)」と感じる次第である。ゴールデン枠でおっぱいが惜しげもなく放送されていた時代ですからな。
余談だが、この【人体の世界】とセットとなって必ず話題に取り上げられるのが、「人体の不思議展」というイベントである。このイベントは全国を巡回しながらなんだかんだありながらも10年以上開催されていたという過去がある。
ただこちらの「人体の不思議展」は、「展示されている遺体は中国の生産工場(⁉︎)から輸入していた」「遺体にセッ○スシーンを模した格好をさせていた」など倫理面での問題が多いイベントであり、多くの物議を醸し出した。
しかもこのイベント、恐らく現在でも世界のどこかで行われていると思われる。これだけ大きな問題を抱えていながら、それでも開催され続けるということは、それだけ儲かるということの証左である。
記念メダルについて
この記念メダルは、なんと閉幕まで1ヶ月を切った1月31日から初めて登場したといういわく付きの一枚である。【国立科学博物館】の特別展は高確率で記念メダルが販売されるので、多くの記念メダラー達が開幕早々に訪れ、「ない」という報告をしていた。が、突然販売が開始されたことが記念メダル情報を積極的に発信されている方の一人である山沖純@junchan78さんがブログ上で報告された。
世の記念メダラーたちはすげーびっくりしたわけである。マジか⁉︎Σ(゚д゚lll)と悲鳴を上げた記念メダラーは多いことだろう。特に既に一度行った方は。
記念メダラーの誰もが思い出したのが【企画展 工事中!〜立ち入り禁止⁉︎重機の現場〜】であろう。このイベントは、同じように閉幕間際になって突然記念メダルが発売された伝説のイベントである。そして同じように記念メダルのデザインが秀逸で、記念メダラー達の歯噛み度がすごかった。
ただ【工事中!】との最大の違いは、既に一度行ってしまった人が多かった点である。【工事中】はお台場の「日本化学未来館」のイベントで、過去には販売実績はあるものの、滅多に発売されることはなかったため、記念メダラー達はノーマークだった(だから訪れてなかった)。対して、【国立科学博物館】の特別展は過去高確率でメダルが販売されていて、しかも時悪く(?)【国立科学博物館】自体に新メダルが登場していたので、そのメダルを購入するついでに訪れた人が多かった。
そこに加え、特別展自体の魅力も当然ある。「ミイラ」がテーマとなっていると聞くだけで、その希少性がわかりやすい上に、純粋に多くの人が興味をもつだろう。
そんなこんなでいろいろな要素が組み合わさった結果、多くの人がもう行っちゃったのである。どんな魅力溢れる場所やイベントであっても、2回目の感動の薄さには逆にびっくりすることは数多くの記念メダラーが体験済みなことだろう。2回目とは、とてもしんどいものなのである。
しかしながら、恐らく多くの記念メダラーたちが再び訪れたことだろう。なぜなら、デザインが秀逸だからである。そんな単純なことが、やはり記念メダルにとってはとても重要なのだということを改めて認識させられた事例であるといえる。閉幕まで残り1ヶ月を切って登場したクセに、一度売り切れになったし。
幸い1日の空白期間を経て復活したのだが、この江川卓ばりの空白の1日に訪れた人にとってはまさに
地獄
であったことだろう。私だったら発狂して狂い死んだと思う。いや、マジで。
こんなにも罪深き1枚となった記念メダルを、私は他に知らない。私は無事手に入れたわけだが、それでも恐ろしすぎてトラウマである。一体いつイベントに行くのが正解なのか、もはや誰にもわからない。どなたかの記念メダラーにオークコーポレーションに就職してもらうしかない。茶平工業と違って求人情報がHPにあるので( ・∇・)
また、既に述べたとおり、デザインの秀逸さがよりいっそう罪を深めたのではないかと思われる。世の記念メダラー達は、このデザインの良さを見て、入手を諦めきれなかったのではなかろうか。結果多くの人たちが再訪することとなり、フラフラになりながら渾身の一枚を手に入れた。そして——そのことがよりいっそう、デザインの良さを3割増しくらいに感じさせる現象が起こっているような気がする。元が良いだけに3割もまたデカいし。
ミイラ取りがミイラになったわけである(ドヤ顔で)(それっぽく言っているが「何が?」という質問を決して避けることはできない)。
なぜ記念メダルの発売が遅くなったのかの考察
私の個人的な予想では、単純に
出来上がるのが遅かったから
なのではないかと考えている。そこに販売戦略的な狙いはないと思う。なぜなら、販売を遅くするメリットはまったくないからである。今回の売れ行きを考えても、開幕当初から発売していたら信じられないくらい捌けたのではないかと予想する。ただ結果的に二度行くハメになった記念メダラーが(少なくてもネット上には)数多くいたため、「これも作戦か⁉︎」みたいな疑心暗鬼が生まれた。
この記事を執筆している時点で実は私も現在進行形でオリジナルメダルの製作中で、詳細は省いてしまうが(製作記を別途書く予定)、細部までこだわって修正をお願いするとかなり時間がかかる(さりげなく細部までこだわっているアピール!)。
提出したデザイン画の修正もさることながら、プロであれば、出来上がったサンプルを見て「思ってたんと違う( ゚д゚)」と思うこともしばしばであろう。金型の修正は、デザイン画の修正と比べて当然時間がかかる。で、それがもし複数回に渡ってやり取りすることになれば、恐らく相当時間が掛かるであろう。サンプル完成→修正→サンプル完成→修正……やべえ閉幕まであと1ヶ月やんけ!Σ(゚д゚lll)みたいな。
そしてプロであるならば、恐らくそこに妥協はないのではないだろうか。そして正直、この値段でこれだけの売り上げがあったなら(正確な枚数は分からないが一度完売している事実はある)、製作費は余裕でペイできていて(デザイナーや担当者の人件費は除くが)、さらには今後の巡回展のことも考えれば、たとえスタートが遅くなってもプラスの収支が余裕で見込まれるわけである(巡回展で販売されるかは不明であるが)。つまり、発売を遅らせてでも完成度にこだわった——というのが私の予想である。知らんけど(唐突な若者言葉)。
それにさておき、オークコーポレーションのメダルは、やっぱり素敵ですな! この域に達するのは無理だ!
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