「イヤだと思うなら来なければいい」は正論であるが、ただ正しいだけである
「また来てしまった」という悲しみが湧き起こるのは、財布の中身が寂しくなったことによるものだけではない。決して……
悲しい気持ちになるとわかっているはずなのに、来てしまうのである。そこに今しか手に入らない記念メダルがあるから……
私は、DV男から離れられない女性の気持ちが実は結構わかる。それは、真夜中に正座させられてカウントダウンされながら100回殴られたことがあるから……というわけではなく(唐突なコメントしづらい実話)、あれほどもう二度と来たくないと思い、もう二度と来ない固く誓った——誓っていたはずの【東京スカイツリー】を素通りすることがどうしてもできなかった、今だからわかるのである。
本当に、【スカイツリー 】に関しては見るのも嫌なレベルのトラウマを抱えているわけであるが。己の内なる葛藤に歯軋りしながら中へと歩みを進めてみれば、いつもと様相が違う——なんと、チケット売り場前の混雑が全然ないのである。土曜日であるにも関わらず。
そう、この時はコロナウイルスの影響で、全然人がいなかったのである。【スカイツリー】には文字通り嫌になるほど登ってきたけれど、 こんなことは初めてのことであった。平日であってもここまでのガラガラ具合は例がなく、逆に「今まで東京の街にはこれほどまでに数多くの外国人旅行者がいたんだな……」ということが分かり今やすっかりインバウンド頼みとなってしまった東京の観光地のことを憂い、気が付いたらすんなりと展望チケットセット券を購入している私がおりました(すんなりと購入したのは購入列がただなかっただけ説)。東京の経済に少しでも貢献しよう、ピンチのときこそ互いの協力が必要だと、天敵に塩を送る気持ちで最上階を目指しましたとさ。
それにしても3400円は高い。塩を送ったことをエレベーターの中で早くもちょっと後悔していた。映画なら2回観られるやん。
ちなみに【スカイツリー 】ではエレベーターに乗る前に荷物検査が実施されているのだが、このときの私のバッグには売却したクルマから取り外してきたETC車載器が詰め込まれていて、カバンの中は配線だらけであった。それにも関わらず警備担当の方は一瞬覗いただけで「はい、結構です〜」と私を通してしまった。私なら間違いなく爆弾を疑うような状態であった。あの怪しい配線だらけのカバンの中身を一瞬でETC車載器だと見破って危険性がないと判断したプロの警備の観察眼には感服する思いである。
FFⅦとエアリスと私
※注意:以下には『ファイナルファンタジーⅦ』のネタバレが大量にふくまれております!
プレステ版の『ファイナルファンタジーⅦ』は、一応全クリをするくらいにはプレイをしたゲームである(アルテマウェポンとかチョコボレースでナイツオブラウンドを手に入れるとかのやり込み要素は全然やっていない)。リメイクをここまで大々的にPRするくらいなのだから、世界的に「Ⅶが一番好き!」というファンは多いのだろう(ちなみに私は音楽もストーリーもキャラクターもⅥが一番好きなのだが)。
FFⅦはストーリー的にも革新的な点が多々あったが(後述)、その後のFFシリーズにまで及ぶ大きな影響を与えたものは、その「世界観」ではなかろうか。
「ファンタジー」という言葉から連想するものを飛び越えて、ついでにいえば現代をも飛び越えて、物語の世界観は一気に近未来へと移ったのである。冷静に考えると何ならいまだに剣と素手で戦っている奴がいるのが不自然なほど文明は発達し、車やバイクで街を疾走し、敵も味方も銃やバズーカを撃ちまくる。建物はSF映画に出てきそうな高層ビル群と設備で、主人公たちの追手となるその会社に勤務する敵はビシッとしたスーツで上から下までキメている(タークスの方々ね)。対照的に、金髪をバチバチにおっ立ててドデカい剣を背負って闊歩している奴がいたら、それは不審者である。
それくらい、『ファイナルファンタジー』の世界では明治維新とは比べものにならないくらい文明が開化し、その幕開けとなった作品がこの『Ⅶ』なのである。そしてその象徴が本イベントでのコラボレーションとなったいわゆる「ミッドガル」という街である。FFⅦはこのミッドガルから物語が始まる。
ただ、この世界観でも街を出ればいまだにモンスターが跋扈しているのが信じられない。これくらい文明が発達していたら、モンスターを根絶やしにしろという世論があってもおかしくはないと思うのだが(反対にモンスター虐待反対組織もありそう)。やはり生物多様性の考えも発達しているんですかね。その割には星の寿命に関しては無頓着なのが物語の始まりなのだが。
さて、『FFⅦ』において私が最も納得がいかないのは、物語前半の最大のヤマ場である「エアリスの死」である。エアリスとは物語前半におけるヒロインで、この人が後にラスボスへと変貌するセフィロスに刺されて死を遂げるという、この作品の一、二を争う重大なシーンがある。
で。
私が何が納得できないかというと、上記の画像が全てを物語っている。
なぜこれで死ぬんだ?
なぜならこの人たち、どんな巨大なモンスターに噛まれようと炎で燃やされようと、敵ソルジャーに斬られようと鉄砲で撃たれようと上半身を仰け反らせるだけで倒れもしないのである。それなのに、たかが刀で刺されたくらいで死ぬのか? というのが当時からの最大の謎なのであった。見た目的には巨大モンスターにぐちゃぐちゃにされたときの方が絶対にタダでは済まなそうなのだが。
『FFⅦ』はいろいろな点で革新的なRPGで、例えば「強いという触れ込みで登場したキャラクターなのに、なぜ最初は平気で弱いのか」というRPG界における最大の矛盾にも一つの答えを出している(勇者なのに最初はLv.1からスタートの矛盾)。主人公のクラウドも例外ではなく、神羅カンパニーという組織の精鋭部隊「ソルジャー」の「1st」という最高クラスに所属していたという触れ込みで、主人公の幼なじみがいるレジスタンスに金で雇われていたのだが、なんといってもLv.1である。こんなヤツよく大金で雇ったなというくらいの激ヨワぶりである。
どれくらい弱いかというと、物語が進んで神羅カンパニーに潜入したときにザコキャラとして遭遇する「ソルジャー2nd」の方が明らかに圧倒的に強いのである。それこそ物語冒頭のクラウドが「ソルジャー2nd」と遭遇していたら瞬殺されるレベルである。
しかしすでに述べたように、この作品はこうした矛盾への答えを明確に示している。その点こそがこのゲームを唯一無二の不朽の名作へと成らしめた要素なのではないかと私が勝手に思っている。
もったいぶってもしょうがないので、ネタバレ全開でその答えを示すと
主人公は記憶を歪めていて、実は全然大したヤツじゃなかった
という真相が物語の後半に明かされるのである。そしてその真相が明かされる回想シーンを、なんとプレイヤーは主人公の歪められた記憶のとおりにプレイするという体験をすることになる。だからすっかり騙されるのである。主人公が自分自身を騙しているのと同じように。
どれくらい大したヤツじゃなかったかというと、「ソルジャーになりたかったけれど、なれなかった一兵士」なのである。つまり「2nd」よりも圧倒的に弱かったのは道理だったのである。「ソルジャー1st」だったのは、クラウドが神羅カンパニーで出会った仲間ザックスで、そのザックスの経歴を自分と重ねて記憶を歪めていたというのが真相なのである。そしてレジスタンスで物語冒頭からクラウドと共に行動していた幼名馴染みであるティファは、ザックスの経歴を自分がしたこととして語るクラウドに違和感を抱きながらも言い出せないモヤモヤを抱えていたことを後に告白する。
この「主人公の間違った記憶をプレイする」という体験は、当時かなり衝撃的だった。だって、あれほどきちんと自分でプレイした内容が、実は「間違っていた」ものだったなんて……
主人公クラウドは、実はその横について回っていただけの名もなき一兵士で、回想シーンの最後にはセフィロスに対して重大な行動を取ることになる。で、回想シーンが終わると激しい戦闘に常軌を逸してしまったZガンダムに乗るカミーユのように精神を崩壊させてしまうのであった。
これほどまでに壮大な形で「RPGセオリーの矛盾」に答えを示したのが名作『FFⅦ』なのである。が、この「あらゆるモンスターのあらゆる攻撃に耐えうるキャラクターが、ムービーシーンにおける敵の一撃ではあっさり死ぬ」というこれまたRPGあるあるの一つには、ついに答えが出せなかった。絶対に伝わらないと思うけれども『エメラルドドラゴン』のヤマンが死んだときもまったく同じことを思ったので、
しかしこのリメイク版においては、もしかしたらそのことにも遂に答えを出してくれているのかもしれない。もしかしたらエアリスはセフィロスによる想像を絶する圧倒的なまでの一撃により木っ端微塵にされるのかもしれない。「そりゃいくらなんでも耐えられないよ」と誰もが納得するような一撃で最期のときを迎えるのかもしれない。エアリス生存ルートが噂されておりますが。
私は恐らくこの『FINAL FANTASYⅦ REMAKE』をプレイすることはないと思うので、この記事をご覧いただけたゲーマーのどなかたにその結果を報告していただくことができたなら望外の喜びである。
記念メダルについて
個人的にはそんなに好きな図柄じゃないのだが、「さすがだな!」と思わせるデザインでもある。やはり全てをプリントにするという安易なデザインではなく、肝心な部分は金型でデザインするという点がさすがオークコーポレーションであるといえる。実はなかなか他社が真似できない技術でありセンスであったりする。銀メダルを敢えて採用している点も、手練れな印象。記念メダルのデザインに慣れていなければ、誰しもが金一択である。
ただ、このメダルを手に入れたときの私の偽らざる気持ちを述べれば、
虚しさ
である。
ああ、今回は無事手に入れられたな〜でも次回はどうかな〜という疲労感がどっと押し寄せてきた。安心感、安堵感、そして虚しさなのである。
やはりここに来るまでに3400円もの大金が必要だというのは、メダルを手に入れるためだけを目的とするにはあまりにもツライ。だから願わくば、せめてイベントをもっと充実した楽しいものとして欲しいなぁというのは私のわがままでしかないだろうから、私が【スカイツリー 】から卒業しなければならないといえる。この支配からの卒業をしなければならないのだ!(by尾崎豊)
この呪縛から解き放たれることができたときに、私は記念メダラーとしてまた新たな境地にたどり着けるような気がしている。次こそは————(といいつつまた来そうな決意)。
コメントを残す