邪道【特別展 人体ー神秘への挑戦】 記念メダル

 

【人体ー神秘への挑戦】は、国立科学博物館の特別展である(2018年)。

 【国立科学博物館】では1995年にも【人体の世界】という特別展を開催している。

↓超どうでも良いが刻印されている日はミッキーマウスの誕生日

 【人体の世界】では「夏目漱石の脳みそ」の実物が展示されていて話題となった。90年代の世の中のゆるさを感じるとともに、現在では同じことはできないだろうと予想される。有名人の人体を「見せ物」にすることは、2000年代の世の倫理観からは少し逸脱していると感じられる。そのことが顕著に現れた事例となったのが、2000年代初頭に全国各地で開催されたこれまた似たようなイベント「人体の不思議展」である。このイベントは、医学とは全く関係ない団体が、中国から遺体を「輸入」し、特殊な加工を施した遺体にいろいろなポーズをさせてディスプレイをして来場者のウケを狙っていたこと等さまざまな点が問題視され、批判された。法律的な面からも触法行為であるとの指摘もなされた。

 しかしながら、批判されたが、儲かった。儲かったからこそ、全国で開催された。つまり、多くの人がその興味の赴くまま足を運んだのである。

 「人体」というものには、タブーと隣り合わせの魅力がある。文字通り最も「身近」にあるにも関わらず、その全容はほとんど不明である。誰しもに関係があるものなのに、ほとんど誰もが、全く知らないに等しいという不思議な存在である。

 ぜひ行きたかったのだが、いまいち気分が乗らず、終わってしまった。東京は行くのがめんどくさい(ダメ人間の合言葉「めんどくさい」)。

 コンプライアンスや倫理面を重視する現在の世で開催されたイベントなので、おそらくかなり気を遣った展示のされ方、開催のされ方であったことだろう。基本的に「人体」に関することは今では学術的な面からでしかアプローチが許されず、ともすればそれすらギリギリ「アウト」になってしまう危険性がある。医学に携わる専門家のみが扱うことを許された領域であり、一般人の耳目を集め金銭を得るためのものとして「人体」を扱うことは許されない風潮がある。同じ【国立科学博物館】の同じような特別展でも、もはや「夏目漱石の脳みそ」を見られるチャンスは永遠に訪れないだろう。

 写真撮影も一部を除いて全面的に禁止されていたようなので、博物館側の気の遣い方がうかがえる。ただインスタはじめ写真SNS全盛のこの時代なので、全てを封じることは不可能であるといえる。開催すればネットに写真は流れ、ネットに写真が流れればログとしていつまでも残る。

 開催側の倫理観が習熟しようと、観客側の倫理観にまでは手が出せない。しかも、「人体」というものが「興味を惹くもの」であるからこそイベントが開催され、人が集まっているのに対して、「興味を惹くもの」だからこそ管理者を出し抜いてまで写真に収めそれをSNSにアップするという行為が起こるという、自己矛盾を抱えているのである。

 先日、職場の女性が「ゆず」のライブに行き、そのときの写真を見せてくれた。私は古い人間なので「えっ、盗撮やん!」と言ったら、「今どきのライブは撮影OKなんですよ〜」と、若い女性タレントを見ればとりあえず「これAKB?」と訊く親父を蔑むような目で見る若者と同じ視線で見られてしまった。かつて私の親父がSPEEDを見て「これ、PUFFY?」と訊いてきたのに大ウケしてしまい、それ以来味を占めた親父は若い女が出てくるたびに「これ、PUFFY?」と訊くようになり、本当にくだらない生き物を見るような思いで我が父を見るようになった私が、かつて自分が向けていたはずの視線をいつの間にやら「向けられる側」になっていたことを思い知った。

 何が言いたいかというと、「防ぎようのないことは、逆に許可する」という新しい価値観が生まれたということである。かつて自分がライブ会場でのバイトをしていたときは「観客が携帯を取り出したら即座に駆け寄り使用をやめてもらう」ということを課せられていたのだが、そんなことをしても焼け石に水であることは明白であった。そして時代は進み、誰もが高機能カメラが内蔵されるスマホを手にするようになった今、「防げないなら、いっそ許可しよう」という発想の大逆転が起こっていることを知った。ライブに関して言えば、撮影禁止にしているからこそ、違法に撮影されたライブ生写真がライブ会場のすぐそばの露店で売られ、そしてそれが売れまくっていたという側面がある。「撮影OK」はそうした不当な利益を生まないことにも繋がったともいえる(ただしそれで失う物もあるはず。ライブDVDの売り上げとか?)。

 「人体」に関しても同じことが可能だったかーー恐らくは、やはり難しかっただろう。医学書などには本物の人体写真がいくらでも載っているし、今の時代、望めばそのような写真はネット上にいくらでもアップされている。本物の人体の写真を見ること自体は実はハードルは高くない。

 しかしそれでも「撮影NG」とし、たとえ防ぎきれないとしても係員の目につけば注意をして少しでも防ぐ手立てを講じていたのは、開催のためには「見せ物ではない」というスタンスを貫く必要があったためだと思われる。極端な話、「撮影OK!」なんてデカデカと宣伝したら、各所から批判を浴びるのは容易に想像できる。上記のように、本物の人体画像など望めばいくらでも閲覧できる時代背景があるにも関わらず、である。要は「そういうことではない」ということなのだろう。現実がどうあれ、「その姿勢を問う」というのは実はよくある話である。非生産的な発想ではあるが。

 「人体」とは、それほどアンタッチャブルでタブーな領域なのである。そうしたことに迫ったこの特別な「特別展」(わざと「頭痛が痛い」的表現をしてますよ〜)、ぜひこの目で見てみたかった。

 だったら行けばいいんだけど、なんだかめんどくさくてね〜。またキャンピングカー買おうかな〜。あの頃わたしは自由だった。。。




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