

ジョジョる


【ジョジョの奇妙な冒険 in TOKYO SKYTREE®】は2022年5月10日〜8月9日の期間で【東京スカイツリー 展望回廊】にて開催された特別イベントである。この頃の【展望回廊】は人気キャラクターとのコラボによる記念メダル販売イベントを連発しており、すぐに売り切れになる入手性の悪さと、【展望回廊】まで登る入場料の高額さに、全ての記念メダルコレクターを辟易させていた。展望回廊に実際に登ってみるまでメダルがまだ残っているかどうかわからないうえに(下界スタッフはメダル残の問合せには応えてくれなかった)、「行ってみたらもう売り切れだった」は実際よく起こっていたので、コレクター達に記念メダルへの忠誠心を試すかのごときイベントと化していた。
私はモロ『週刊少年ジャンプ』世代であり、ジャンプが一冊180円で町の文房具屋や駄菓子屋にまで陳列されていた時代を生きていた。これはつまりジョジョでいうところの第三部〜第六部あたりまでを指す(なんじゃソリャ)。何が言いたいかというと、空条承太郎から徐倫までの間の物語しか知らないということである。
故に、その間の物語のみ、別に特別ファンでもなければアンチでもない、ただ毎週買うジャンプに載っていたから読んでいただけという人間がツラツラと当時の思い出や印象を語るだけの記事である。だから、たぶんジョジョファンの方は読まない方が良いと思います。怒りが湧くから。
第三部 スターダストクルセイダーズ
「第三部から読んでいた」といっても、正確には第三部の途中からジャンプを読み始めたので、実は承太郎達がどう出会ってどうして旅をしているのか、何でDIO様を倒そうとしているのかとか、今もって実はよくわかっていない。ジャンプを買ったら、なんか背中に立っている変な人たちで戦うみなさんの漫画が連載されていたのである。
だからストーリーも途中からしか分からないし、読み始めたときからイギー(犬のスタンド使い)も花京院もポルナレフも仲間になっていたような気がするのだが、名作というのはどこから読んでも面白いものである。
初めて読んだのは、なんかイギーが何らかのトリと戦っていた話だった気がする。この漫画は犬が喋るんか? と思ったら、その戦いが終わればイギーはもう2度と喋らなかった。
DIOのスタンド能力の謎を解き明かすまでの過程は、かなり胸がアツいものであった。今でこそ「時を止める能力」というのは主に大人向けビデオの世界でメジャーな概念となっていたり、「時を止めるといえば?」のなぞかけに”ザ・ワールド”という答え一般化して市民権まで得ていたりするが、当時はあらゆるフィクションの世界でもそれほど眼にする能力ではなかったように思う。過去に戻るとか未来に行くとか「時を遡る/飛ばす」能力はよくある話だったものの。
時を止める≒「ザ・ワールド」という概念としては、例えば変なことを言ったとして周りの人が「?」となり無言の一瞬の間ができたときなどに「ザ・ワールドだわ」といった感じで慣用句的に使われたりするわけである(中年おっさん世代に)。そのときにはその場にいる皆の脳裏に「無駄無駄」を連呼する四角いお顔のスタンドさんが自然と浮かび上がるように自動化されている。
後に承太郎の「スター・プラチナ」も同じように時を止められる能力(止められた時の中で活動できる能力)があることが判明し、唯一DIOに対抗できたことで物語は結末へと導かれる。
私の印象に強く残っているのは、ストーリーがどうのというよりも、この「ザ・ワールド」の謎とその種明かしの部分である。能力の秘密が明かされるまではDIOのいろいろな行動において「なぜそんなことが可能なのか?」というのが本当にわからなかったし、花京院が時計台に向かってエメラルドスプラッシュを放った意味も少年だった私には全然わからなかったので、”時を止める”という能力が明かされたときの胸熱感はすごかった。そんなん絶対勝てないやん、と。
DIOはラスボスに相応しい力と色気をもったキャラクターであった。しかし、思えばこのDIOを超えるラスボスをいまいち生み出せないところに、ジョジョの苦しみがあるようにも後になって思ったりする。
第四部 ダイヤモンドは砕けない
この第4部は1話目の巻頭カラーのときから全てジャンプ連載時に読破した記憶があるので、非常に印象に残っている。素直に面白かったし、一番好きな章でもある。
だから、印象に残っているエピソードは数多くあるのだが、強いて挙げるならば”重ちー”関連の話である。「えっ⁉︎ 死ぬのっ⁉︎∑(゚Д゚)」とびっくりしたし(重ちーは中学生だったし)、スタンド能力を使って街中の自販機の下等から小銭をかき集めるというエピソードは、幼い頃の私の守銭奴魂に火を点け、同じように自販機の下を覗き込むようになるのに十分なインパクトであった(最低な奴・私)。
重ちーがラスボス・吉良吉影に殺されたことにより物語は終盤に向けて大きく動き出すことになる。最終決戦では、今まで起こったことが全て繋がるような形で吉良を追い詰めていくところが非常に感動的であった。また第三部では仲間がほぼほぼDIOに殺されてしまったが、今回はほぼほぼみんな無事で話を終えたところにも、少年だった私の心に安堵感を与えてくれたことも印象の良さに大きな影響を与えていると思われる。
本当に残念だったのは”重ちー”関連くらいで、ほぼ大団円なラストは、今にして思えばジョジョとしては珍しかったのかもしれない。
第五部 黄金の風
DIOの息子が主人公の話で、最後の方はなんだかよくわからなかったという印象が残っている。特にラスボスの能力がDIOと何がどう違うのかよく分からなかった。やはり「時を止めている間に攻撃できる」というザ・ワールドの単純かつ最強の能力を超えるインパクトを生み出すのは難しいのかもしれない。ボスの目的も、娘の護衛を主人公達に命じておいて、「自分で確実に殺すために自分の元まで護衛させてきた」とか何言ってるのかちょっとよくわからない( ´ ▽ ` )ナンダソリャ
ストーリーとしてはラストに向けて尻すぼみ感があるというかよくわからなくなっていくのだが、印象的なセリフ、かっこいいセリフが多かった印象がある。あとポルナレフが途中から参戦するのも、過去作を知っていると胸熱展開であった。ゲームでいうと「Ⅰ」の主人公が「Ⅱ」のときに仲間として登場するみたいな。
madの出来が一番良いのがこの第五部。
第六部 ストーンオーシャン
このストーリーもまたよくわからなかったという記憶が残っている。確かほぼ全滅エンドに近いラストで、一人だけ生き残った野球少年が結局ラスボスを倒すんだけど、その後生まれ変わり?の徐倫に出会ったところで終了だったような🤔
とにかくようわからんし、何よりつまらんと思った記憶がある。その最も根っこにある原因はやはりDIOの「時を止める」という能力以上に魅力のあるスタンド能力が創出できなかったからではないかと推測する。この単純明快で超強力な能力を超えようとすると、どうしても能力の概念が超複雑にならざるを得なくなるという苦しみが感じ取れるような気がする。
承太郎の娘の徐倫が主人公なので、承太郎もがっぽりストーリーに参加する。そして、死ぬ。第三部、第四部で常にラスボスをオラオラとぶちのめす役割を担ってきた主要人物があっさりと退場するのには、悲しさよりもどこか虚しさがあった。
個人的には、この辺からジョジョに対して息切れを感じるようになってきた。やはり第三部、第四部のときのような心踊るようなストーリーから、段々と目的やラスボスの心情が複雑怪奇なものへと変容していき「なんじゃそりゃ?( ・∇・)」と思いながら読むようになってしまい、ついには第七部『スティール・ボール・ラン』で、最初は「ついにスタンド能力以外の物語が⁉︎」と思いきや結局はスタンドが登場したところで私のジョジョ人生は終焉を迎えた(週刊少年ジャンプからウルトラジャンプに掲載誌が異動になったためでもあるが)。
記念メダルについて

デザインとしては第一部から第六部までの主人公を並べた非常に単純なものであるが、【スカイツリー】を金型仕様で配したことで、一応特別感があるものとなっている。この【スカイツリー】があることが重要なのだ!
ただオークだったら本気出せばもっと素敵なデザインにしてくれると正直思うので、やはりアニメ系イベントにおけるデザインの制約はいろいろと厳しく難しいんだなと改めて思うのだった。



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