【長野オリンピック】の活躍といえば、なんといってもスキージャンプ日本代表団体「日の丸飛行隊」の金メダルであろう。日本中が湧きに湧いて、「ふなき〜」と泣く原田選手のモノマネが流行った。日本列島中が湧き返る冬の日、その様子をテレビ中継で見ていた私の母が言った。
「なんで日本はこんなダサいあだ名をつけるんだろうね」
日の丸飛行隊ーー確かにダサい。よく考えると、超ダサい。テレビでニュースで新聞で「日の丸飛行隊」の文字が乱発されていたときである。「日の丸飛行隊」という字面に対して、私は何ら疑問に思うことはなかった。しかし、よく考えてみれば、確かに母のいう通りである。疑問に思わないことの方が不思議なくらい、ダサい。超ダサい。口にするのももはや恥ずかしいくらいダサい。だって、「日の丸飛行隊」でっせ? そう呼ばれて嬉しいですかあなた(誰?)。
日本は反戦思想の強い国である。もちろん私も、戦争大反対である。一方で、「日の丸飛行隊」という語感で思い浮かぶ物は、多くの人が「神風特攻隊」ではないだろうか? 日の丸を掲げた飛行隊といえば、もはやそれしかないとさえ言える。誰もブルーインパルスのことなど思い浮かべないだろう。
日本という国は、そういった自己矛盾を抱える国である。恥ずべき歴史であると神妙な顔をする時もあれば、かつての精神性や義理人情を「古き良きもの」として真面目に賛美することもある。どちらも本気で行なっているのだから、よくわからなくなる。
母の「ダサい」という言葉は、ただ単純にそのネーミングセンスを卑下しているだけではなく、中に含んだそういった精神性、自己矛盾を嘲笑する意図があるのかもしれない。
というようなことをあるとき母に語ってみたら、母は「そもそも『日の丸』っていう言葉自体がダサい」とバッサリ言った。お日様が丸いから何? 言葉の響き自体がもうダサい、と。
全然薄っぺらい感想であった。
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