邪道【第67回選抜高校野球大会(1995年)】 記念メダル

 【第67回選抜高校野球大会】は1995年に開催されたいわゆる「春の選抜甲子園」である。

 95年は、日本が年明けから激動に揺れた年である。1月17日に「阪神・淡路大震災」が発生。兵庫県にある「甲子園」はまさに被災地となり、開催が危ぶまれた。結果的には選抜のための選考会を延期したのちに開催が決定された。

 続くように、3月20日には「地下鉄サリン事件」という未曾有のテロ事件が発生した。まったくの余談になってしまうが、この日は私の小学校の卒業式の日であった(歳がバレる。隠してないけど)。卒業式を終えて帰宅しテレビを点けたら、東京が大変なことになっていた。あの時の光景は今でも鮮明に覚えている。私はテレビから母を振り返り、母もテレビから私に視線を移した。そして二人同時に再びテレビの画面に見入った。言葉が失う、という体験はあれが初めてであった。

 そんな中開催されることに批判もあったのかもしれないが、それ以上に「希望」となったことは想像に難くない。この年、特例として兵庫県からは3校が出場したらしいのだが、そういう粋な計らいができるのも、従来の高野連らしくなく、素晴らしい。

 高校野球は、特別な存在である。私のように野球に興味がない者にとっても、希望となりえるほどの存在である。なぜか「居住する地域」と「地元」の学校は応援したくなってしまうという七不思議的魅力があるのが高校野球なのである。私は部活動反対派だけど。

 指導者の圧政による「ブラック部活問題」とか部活動指導による「教師の長時間労働問題」とか、昔から存在するのに最近になってようやく声を上げられるようになった数々の問題がある部活動というものだが、私はそれらの問題以前に「教師が運動部活動を指導すること自体に問題が多い」と考えている。なぜならば、大半がその競技に対して素人だからである。

 一度もその競技を経験したことのない教師が「他に人がいないから」という理由で顧問に任命されるーーということはよくある話でもちろん問題である。が、さらに私が思うのは「中学・高校6年間サッカーやってましたー」という程度でサッカー部の顧問になる、ということ自体に全く違和感を抱かれない点である。

 その程度のヤツに教わることってある? と思うのである。

 社会人サッカーをしていると、よく監督招聘問題が生まれる。監督がいないと強くなれない→監督を呼ぼう→ふさわしい人が見つからない、の無限ループである。この「ふさわしい人」というのは、当然監督たるにふさわしい経験、指導力のある人を指す。つまり、その辺にゴロゴロ転がっているただのサッカー経験者ではダメだという当たり前の事実がある。サッカー経験者でさえあれば良いというのなら、別にチーム内の誰でも良いから監督をすればいいという理屈になる。が、もちろんそんなことは微塵も考えない。監督たるにふさわしい人物を探し、そして見つからないのである。そうーー監督というのは選ばれた人間だけがなれるものなのである。当然ながら中学・高校サッカーやってました〜だけでなれるものではない。

 が。

 部活動だけは、その当然すぎる理屈が適用されない七不思議がある。素人に毛すら生えていないような指導者が顧問に任命される。なぜかーー人が他にいないという理屈がそこにはたてられ、当然のようにまかり通り、誰も疑問にすら思わない世界が存在するのである。

 しかし、教えられないことは教えないという当然の帰結が全く不在であるのが部活動というものの特殊性である。たとえサッカー指導者がいなくてもサッカー部は存在するというのが組織構造上の歪みであるにも関わらず、そんなことは日常茶飯事なのである。これは「どこの学校でもよくあることで珍しいことではない」ということがこの歪みを安定させて成り立たせている要因であり、誰も疑問に思わなくなる理由である。だからこそ「中学・高校6年間サッカー部」という(指導者になるにしては)「で?」っていう経歴が、誰もが認める輝かしい実績に早変わりし重宝されるようになる。それの何がすごいのか全くもって不明なのに。中学・高校での実績に焦点をあてるならばまだしも、「やっていただけ」で評価をされるというハードルの低い現実がある。

 そもそも、運動部活動全般に渡って、本来「競技チーム」というものを成り立たせるには、人材不足なのである。そもそもその競技に対して大きな実績を残せなかったり、残そうと考えたことすらないからこそ「教師」という道を選んだ人間が集まる場が学校という場所なわけで(プロになって日本代表にもなれたけど敢えて教師の道を選びましたという人を見たことがない。プロ生活に挫折したり第2の人生として教師の道を選んだりした人がなることはあるだろうが。その競技に「プロ」も「企業チーム」も存在しない場合は、生活の安定を求めて教師をやりながらその競技を第一線でやり続けるというのはよくある話だが。フェンシングとかアルティメットとか。だがそうした競技は「部活動」になることはほとんどない)。その競技の指導者となるにはバックボーンが貧弱すぎる人間が大半を占めるのにも関わらず、どの運動部活動も基本的にはなぜか異様に「競技志向」である。大学の「サークル」的なノリは許されず、その競技をよく知りもしない人間から「競技志向」のやたらと厳しい要求をされがちである。

 そういった部活動の現状に対して、反発が起こったときのお決まりの大岡裁きとしては「顧問がいなければ部活はできない」である。生徒の指導に際しても実はよく、何の疑問も抱かれずに使われる言葉である。これは事実ではあるが、相手の弱みに一切躊躇なくつけ込んだ話であるといえる。むしろそこしか反論する余地はないというか。。。

 「指導できない」という厳然たる事実があるのに指導しようとするからこのような歪みが生じる。

 まとめると、部活動運営における歪みのポイントとしては

・指導できない競技の顧問となる教師が多い(「ちょっと経験したことがある」というレベルも含めて)。

・やたらと競技志向である。

 の2点が挙げられる。

 本来「教える」「指導する」というのは、そういう簡単なものではないはずである。中学・高校でやってました! でまかり通るなら、誰が国語や数学を教えても良いことになる(というと授業と部活動は違う! と言われるのだが、授業における指導は有資格者でなければならないのに部活動指導なら未経験者でもオールOKだという理屈が私にはわからないのである。法律的な話ではなく、「教える」という行為そのものの観点から)。一方で、教えられないならそのスポーツを趣味的に楽しむサークル活動にすればよいかと思いきや、部活動は「教育活動」なのだからただ楽しいだけではダメだというような風潮がとりわけ運動部に対してはやたらと強い。

 こういった背景から、「教えられないから精神論だけをやたらと語気を強めて叫ぶ教師」というものが誕生する。ただ教師の側からしてみても、望んでもいないのにできないことをやらされているという現実はある。それなのに文句を言われたり問題が起こったり、長時間労働と休日出勤を強いられたりと、難しい立場に立つことになる。また、教えられないことにより選手たちからは信頼を得にくく、さらに本来ならば興味が薄いことに対して真摯な取り組みを要求され、よくわからない初めての世界で責任を必死に背負うことにもなる。部活動における問題は、長時間労働や休日出勤だけで語れる問題ではないのである。

 では専門の外部コーチを招けばよいではないかというと、これがまたなかなか難しい。ボランティアなら尚更である。

 よくあるパターンは、顧問が「自分は教えられない」という負い目から、よく素性も経歴もわかっていない「コーチ」を招いて、そのコーチがやりたい放題になっていくというものである。

 部活動はやはり特殊な環境で、語弊を恐れずいえば、指導者は「王様」である。社会人チームであるならば選手から総スカンを食らえば監督は去らざるを得ないという状況が生まれ得るが、部活動ではどんなに大した経歴でない「コーチ」でも、声が大きくてそれっぽい練習メニューと「指導」ができれば、誰も逆らわなくなる。中学生・高校生というのは指導者に逆らわないということが大前提として刷り込まれているからである。

 一番わかりやすいのは試合に負けたときである。極端な例では、日本代表が負け続ければ当然のように監督の去就問題が大きく取りざたされるようになる。が、部活動では、敗北は選手の責任であって、指導者の責任には決してならない。「選手が教えた通りにできなかった」から負けたという風潮が当然のように存在する。「指導力不足」という問題は、大半の学校の部活動には存在しない価値観なのである。

 外部コーチであるならば、いくら部活動が教育の場であろうとこの問題はなおさら大きいはずなのだが、部活動というものの特殊性から、「競技としての結果がでない」という理由で外部コーチの首を切られることはほとんど聞いたことがない。その外部コーチがボランティアであれば尚更である。

 何が言いたいかというと、結果に責任を負わなくていい外部コーチほど楽しいことはない、ということである。自分のやりたいようにできて、選手を自由に従わせて、負けても自分のせいではないのである。そして、その「自由の裁量」にはやがて「競技を教えることのできない顧問」や「学校そのもの」も含まれていきがちである。自分の思いどおりに顧問や学校が動かないときに、不満を爆発させる。学校のルールやそもそもの学校生活、学生の本分といったことには目を向けられなくなり、「自分は良くしようとしているのになぜ邪魔をするのだ」という思考に陥りがちになる。

 ひどい言いようなようだが、そもそもこれだけ「気持ちの良い立場」にいて、謙虚さを維持し続けるなどということは不可能に近いことである。「タダで教えてあげている」という立場なら尚更である。その競技が好きならば、こんなに楽しいものはないだろう。

 そして、この「外部コーチ」が問題人物となっても、学校は容易には切ることができない現実がある。「こちらから頼んだ手前」と「ボランティアでやってもらっているのに……」ということが、何も手を打てずに問題をズルズルと長引かせることになる。

 「部活動による長時間労働の解消」の施策として必ず挙げられるのが「外部指導者の招聘」である。部活動は外部指導者に任せることで、教師は本来の業務に時間を集中させられるようにするというのが狙いなわけである。理屈としては成り立つが、ことはそう簡単ではないというのが、上記の話である。どのような立場で招聘するのかはかなり慎重に決めなければならないし、もちろん教師の採用には試験があるように、外部コーチにも同じようなものが必要となるはずである。近所に住んでいる「中学・高校でサッカーやってました」という程度のオジサンに来てもらっても、指導力という点でも問題がある上に、指導力がないにも関わらず部活動指導者特有の「王様」という立場として君臨するようになられても困るのである。外部指導者であっても、学校職員の一人として、学校運営に対する深い理解と協力が不可欠である。が、ボランティアでやってくる外部コーチでそこまで思いを至らせて指導に当たっている人には出会ったことがない。選手が怪我をしたとき、問題を起こしたとき、責任を取るのも取れるのも結局は顧問の教師なのである。そしてそんな教師にもモノが言えるのである。

 こんなに楽しい立場はないだろう。

 これを全て解決する大鉈が「部活動の廃止⇨スポーツをするならばクラブチームで」ということなのだが、現実的に考えてまあ不可能であろう。クラブチームは「(その指導に料金を払うのに値する)選ばれた指導者と、(そのクラブチームに料金を払っても良い考える)選んだ選手」で構成される健全な組織であるといえる。いわば学習塾と同じようなもので、もし教えを乞う側が「価値がない」と判断すれば退会すればよいという自由もある(そして得てして部活動にはそれがない。辞めるときにも一苦労がありがちである)。

 もちろん貧富の問題がここには生じる。クラブチームに所属する経済的余裕がない家庭はその競技を経験する機会にも恵まれないのか、と言われれば、いろいろと個人的な意見はある中でひとつだけ事実をいえば、「タダだからこそこうした問題が生じている」という側面もあるのはまぎれもない現実である。誰にでもチャンスを与えようとして、できないことをしようとして、そして歪むことになっている。

 理想をいえば、「しっかりとその競技の指導ができる教員がその部活動の顧問となり」「部活動を指導する分、他の仕事を免除され」「休日出勤と時間外指導には勤務割り振りが与えられると同時にそれを消化する機会が確実に確保され」「それらが実現できないなら、やらない」というのが健全な形である。

 しかし、もちろんこれが全て実現できている部活動ひいては学校など、一つとして存在しないだろう。しかし忘れてはならないのは、この「理想」は、本来ならば「当たり前」のことだということである。当たり前のことなのに、実現できていないから(そして実現不可能だから)、「理想」と言わざるを得ない。教えられる人が顧問になりましょう、仕事はみんなで分担しましょう、時間外労働には手当を充足しましょう、当たり前のことすらできないならやめましょうーーどれも当然のことなのに、どれも鼻で笑われるような実現不可能な「理想」なのである。

 そうしたことの上に部活動の輝かしい思い出やエピソードは成り立っている。「高校野球」という存在は、そうした部活動の中でもひときわ特別な光を放つ競技である。なんといっても教師の異動に「野球部人事」というものが存在するくらいなのだからーー他の部活動と違って、野球部を指導できる教師がその学校に一人もいなくなるということはほとんどないのである。

 部活動というものが、その競技の裾野を広げることに大きな役割を果たしていることや教育的側面に非常に大きな効果があることは紛れもない事実である。が、その根底を紐解けば、大きな歪みの上に成り立っているものでもある。

 その歪みを是正することは難しい。まあ、私にはもう関係ないんだけどね( ・∇・)

 なお、私立高校野球部における「専任監督」のことに関しては、ここでは言及しないので悪しからず。

 なんか、「阪神・淡路大震災の年の甲子園」の話から随分逸脱しちゃったな〜 




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