↓38ミリメダル(デカメダル)
同校名対決 学校の名前がかぶるなんて〜夏
【第54回全国高校野球選手権】は、1974年開催の夏の甲子園のことである。優勝校は大分の津久見高校である。大会の特色としては「片耳ヘルメット」が義務化されたことらしい。ということは、この時まで耳を覆うヘルメットを使用していなかったということになる。今考えると恐ろしい。「そういえば昔は片耳ヘルメットで、左打者の選手が右打者用のヘルメットを反対に被って打席にたった珍事件があったなぁ」なんてことを思い出したりらじばんだり(70年代は私は影も形もありませんが)。
その他のトピックスとしては、「同校名対決」という珍しい出来事もあったそうである。三重県代表の「海星高校」と長崎県代表の「海星高校」が1回戦で激突したそうで、なんとも実況アナウンサー泣かせの出来事であるといえる。何かあってチーム名を言う度にいちいち「三重県の~」「長崎県の~」と枕詞を付けなければならないのである。ちなみにこの対決はなんと第71回大会(1989年)でも実現し、そちらは映像が残されている。
チーム名がそれぞれ「海長」「海三」となっていて、せっかくの二文字の校名なのにフルネームで呼んでもらえない悲劇。
似たような話では、2002年には「智辯和歌山vs智弁学園」という、甲子園ファンなら恐らく誰もが一度は夢見たであろう同門対決が行われた。映像を見るとこちらは「同校名」よりもよっぽど複雑である。ユニフォームがほぼ同じなので、どちらがどちらだかもはやわからない。紅白戦の方がよほど区別のつく格好で試合をするだろう。塁間で挟まれたらパニくりそう。
全然全く関係のない話だが、現在の職場には智弁学園野球部出身の同僚がいるのだが、とても好青年である(マジで関係ない)。
同門対決で他にユニフォームパニック(勝手に命名)が起きそうなのは「東海大付属」系列かな~と思って探してみたら、やっぱりあった。第65回大会の「東海大一vs東海大二」である。名前でもすでにプチパニックが起こっている。
まじでどちらがどちらかわからん。。。
東海大は付属校が多く、野球が強い学校も多いので、また観られるかもしれない。ぜひ観たい。
私はプロ野球にはとんと興味がないのだが、高校野球はそれなりに好きである。記念メダル購入目的もあり夏の甲子園に生観戦に行ったこともある(【甲子園歴史館】メダル。もう売ってなかったけど……)。その時初めて、スタンドで女の子から生ビールを購入するという経験をしたのだが、汗だくのキラキラ笑顔で「また私から買ってください!」と言われたので、私のことが好きなのかと思って、また買ってしまった。こうして人はキャバクラに通うようになるのだと理解した(あるいはホストクラブ)。
記念メダルについて
甲子園関連メダルは、実は相当数存在していると思われる。まず春(選抜高校野球)と夏(全国高校野球)とがあり、ある時期までは両方に茶平製記念メダルが存在することが確認されている。コレクター層が高校野球ファンと重なるのか何なのか、意外と競ることが多く、1000円を超えるため落札できないことが多い。アーカイブスを自認する本ブログ的には、いつからいつまで茶平製メダルが作られていたのかはっきりさせたいな〜となんとなく思っているのだが、基本的に相当古いものしかないので、難しいかもしれない。
記念メダルの図柄を見ると、まるで軍隊の行進のようである。被っているものが野球帽ではなく旧日本軍の安っぽいヘルメットに見える。70年代から80年代半ばくらいまでの記念メダルに描かれる人物画はとにかくこのようなお堅い感じの表情がないものが多い。時代である。表情がないと、軒並み亡霊のような雰囲気になる。【鳥羽展望台】メダルに至っては、この海女さんの表情でGOサインが出たことが信じられない。どう見ても呪い寄りの顔である。夜にこんな顔の人が我が家を訪ねてきたら30半ばを過ぎても悲鳴をあげてしまうことだろう。
70年代はキャラクターもののメダルを見かけたことがないので、必然的に人物画多くなる。そしてそのどれもが怖い。「キャラクター」という文化の台頭が、記念メダルの歴史を変えたともいえるのかもしれない。
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