皇室が宮内庁に噛みついた「大嘗祭」
2019年1月の現在、昨年末からにかけて「平成最後の~」という枕詞が流行していて、何につけても平成最後がウリにされている。新元号がどのようなものになるかは定かではないが、予想では、同じように「◯◯最初の〜」が5月以降はやることは間違いないと見ている。これも経済効果を狙った活動なんすかね?
で。
退位と同じくして、当然即位がなされる。即位の際には、「大嘗祭」という儀式が執り行われることになっている。即位して初めて行う「新嘗祭」を「大嘗祭」と呼ぶのだが、これがまた特別で、「大嘗祭」のために「大嘗宮」という建物をわざわざ建てることになる(「新嘗祭」は毎年11月に行われている天皇が収穫を願う儀式)。当然はりぼてで済ますわけにはいかないので、建設には莫大な費用が掛かる。
「事件」が起きたのは秋篠宮の誕生日に際して行われた記者会見の場であった。秋篠宮が「大嘗祭は、ある意味宗教色の強いものなので、国費ではなく、私費(内定会計)で行うべきではないかという考えをもっている」という趣旨の話をされた。また「このことは宮内庁長官にも再三述べたが、聞く耳をもたなかった」というようなことを合わせて述べた。個人的には、この後半の「聞く耳をもたなかった」という語彙が皇室の、しかもかなり重要な立場にいる皇族から発せられたものであることを考えると、非常に強い語気のものであると感じるため、世間を震わすほどのインパクトを与えたのではないかと感じている。皇位継承権をもつ者が「ないがしろにされた」と訴えているようなものでなのである(少なくてもそう感じるさせる)。
報道を見た一般人の心証としては、恐らく「宮内庁が皇室を軽んじている」というようなものなのではないだろうか。報道機関としてははっきりとそう言うわけがないが、そのようなイメージを抱かせるように報道しているともいえる。
一つ注意点としては、この話は記者が「即位についての行事や儀式についてのお考えを」と質問して、初めて出てきた言葉であることを考慮しなければならない。もしかしたらそのような質問がなければこのことは表に出ることなく、ずっと胸の中に秘められたままだったかもしれない(この意見自体は以前に毎日新聞がスクープしていたが。ただ一記者に述べるのと、記者会見の場で公式に発表するのとでは後戻りできない度合いの次元が違う)。
ということを踏まえた上で最も思うのは、「意見折衝の難しさ」である。肩透かしかもしれないが、凡人社会人の一人としては、そのことをまず思ってしまう。報道から受ける印象としてはやはり宮内庁が皇室(秋篠宮)をまるで相手にしていないというような印象を受けるのだが、宮内庁の立場に立てば、相手が悪すぎて自分たちの具体的な考えを示して反論することが許されないという事情がある。自分たちの考えを述べる=反論という図式がすぐにマスコミによって形成されることは火を見るより明らかなので、自分たちの立場をよくわかっているといえる(当たり前だろうが)。
この問題であまり議論がなされていないのは、「秋篠宮の考えは正しいのか」という点である。個人的には「めちゃくちゃ安く済むのだから、賛成」と思うのだが、それは所詮、皇室の行事のことも宮内庁のこともよく知らない他人事感覚の人間が、数字の大小だけで抱く「感想」でしかない。秋篠宮の意見をもう少し具体的に見てみると、
・国事行為は口出しすべきではないが、皇室行事であるならば、自分の考えがあってもよいのではないか(政治には口出さんけど、ウチのことには口出してもいいじゃん)
・大嘗祭(皇室行事)を行うこと自体はもちろん賛成
・ただし税金で賄うことなので、国民の理解のもと執り行うべき
・宗教色が強いものなので、国費(公費)ではなく、内定会計(私費)で、身の丈にあった規模で行うべきだと考えている(たぶん「政教分離」のことを念頭においた発言だと思われる。内定会計の方がもちろん予算規模はかなり小さい)
・「大嘗宮」(大嘗祭を執り行うところ)を新たに建設するのではなく既存の「神嘉殿」を活用すれば費用はかなり抑えられる(「大嘗宮」は建設に19億円掛かると言われている。ちなみに終了したら取り壊される)
・実は前回(今上天皇の大嘗祭)のときから言ったのだが、まだ若かったからそこまで強く言えなかった
・宮内庁長官は聞く耳をもたなかった
大体このような感じである。で、議論がなされていないのは、「この考えが正しいのかどうか」という点である。少なくてもテレビではこの意見を真に議論することからは避けているように感じる(ネットにはもちろん有名無名問わずいろいろなオピニオン記事があるだろうが)。テレビのスタンスとしては、「皇室にここまで言わせちゃった政府はけしからん」みたいな流れであるように感じる。宮内庁のコメントも「聞く耳をもたなかったなどと思わせてしまったのなら、とても残念」とびっくりするくらいあっさりしたまさに聞く耳をもっていないことを匂わせるコメントを紹介するのみである。
秋篠宮の意見・考えが正しいのかどうかは正直、研究者でも意見が分かれるところだろう。というか、研究者だと意見が分かれるというか。一般人からした秋篠宮の意見に「そーだ、そーだ」で終わりだろうが、憲法における皇室の立ち位置というのは、それこそ研究者が存在するくらい難しいものである。「国事行為であれば口出しすべきでないが、皇室行事なら自分の意見を言っても良いのでは」という点からして、なかなか微妙なところである。もちろん一人の普通の人間としてみるならば自分ちのことに自分が意見を言うのは許されて当然の権利であるが、皇室の人間というのは、残念ながら「普通の人間」ではない。戸籍もなければ苗字もない、唯一無二の特別な存在である。宮内庁などという、皇室のための特別な公的機関が存在するくらいである。そして今回の件は、宮内庁という組織と、個人としての意思を表明した皇室との衝突なのである。宮内庁は皇室のために存在するが、「皇室の意思を汲むためにある組織なのか」というと別にそうではないということが露呈された。「宮内庁が考える皇室の在り方」に沿って物事を進める組織なわけである。そして宮内庁への批判は、「秋篠宮がこう言っているのに」という、秋篠宮個人の考えを尊重する価値観に基づくものである。では究極的な問いとしては、「皇室の人間の個人の考えは、伝統よりも尊重されるべきなのか」というものである。皇室の人間は「個人」として認められるものなのか。皇室は「自分ち」なのか。
宮内庁はきっと、めんどくさいこと言いやがってと思っていることだろう。決められているとおりに粛々とやりたかったに違いない。公務員だし(偏見)。
なんか宮内庁をかばっているような姿勢に受け取られるかもしれないが、私の考えを正直に述べれば、費用が27億円が数億円にまで下がるのなら、ぜひそちらにしたらいいんじゃないかと素直に思っている。「身の丈にあったものでやりたい」と言っているのに「それはまかり通らん」とつっぱねるのは、「そんな盛大にやってくれなくていいよ」と言っている自分の誕生日会を「いやいやこっちにまかせておけば良いから!」といって本人の意思不在でべらぼーに金掛けて本来主役であるはずの人間にめちゃ気を遣わせるということに通ずる(例えが軽いな〜)。つまり、天皇家の意思不在でことを進めている印象がどうしてもある。そして秋篠宮の考えは、「国民のためを思って」という要素が非常に濃いのが決定的である。税金無駄遣いすんじゃねーよと言っていることに反対する国民はほとんどいないだろう。また、「大嘗祭」という言葉自体を今回の件で初めて知った人間もかなり多いはずである(日本史受験であるならば勉強するが)。そして「大嘗祭」の本義を真に理解している者などいないに等しい。知っている人間の方がよほどレアである。知らないからこそ、理解できるところだけで判断せざるを得なくなるという現実もある。つまり、金である。
そして、ここで今回の話を「秋篠宮一人が言っているだけ」とするのは浅はかだろう。秋篠宮一人だけの意見を記者会見でわざわざ述べるほど愚かなことをするはずがないのである。「このことは自分(秋篠宮)にしか言えない」という、覚悟を決めた発言であるはずだ。今上天皇や皇太子がたとえこのようなことを思っていても、まさに当事者たる者がこんなことを言えるわけがないのである。そして、今上天皇は当然「大嘗祭」を経験している。その経験者こそが、「身の丈にあったものを」と考えているのである。そうでなければ、今上天皇と秋篠宮が対立していることになる。そんなことがあるわけがない。
秋篠宮からは、「自分にしかできない役割を担って二人を支えていく」という男の覚悟を見た気がする。それは以前、皇太子が雅子様を守るために開いた記者会見を彷彿とさせ、皇室が初めて宮内庁に噛み付いた出来事と重なる。
とは言ってもやっぱり最後にもう一度述べてしまうが、宮内庁には宮内庁の道理があるだろう。皇室を「個人宅」として見ないのなら、これは組織対組織の戦いであるといえる。「35人学級実施のために予算をよこせ」と主張する文科省と、「35人程度の少人数学級で学力が向上するというエビデンスはない」として突っぱねる財務省の攻防みたいな感じ?
↓文科省vs財務省のエピソードが書いてある本。良著。ただ反論本もある。
記念メダルについて
※皇室関連の記念メダルも「茶平工業製」であることの裏が取れました(以下は過去記事)。
実は茶平工業は、天皇家関連の記念メダルも製造していることが判明している。何を隠そう、茶平工業の事務所内でこの目で見た。
ヤフオクやメルカリでよく見かける「天皇在位◯◯年記念」とか「喜寿祝」とかも、恐らく茶平メダルなのではないかなーと予想しているのだが、誰か真相を確かめてきてくれませんかね(他力本願)。
大きさは38ミリメダル(デカメダル)と同一で、メダルの質感もかなり似ている。ということで、私の中ではもはや茶平メダルである。
「大嘗祭」という今ホットな話題の渦中でこの記念メダルと出会えて嬉しい。そして、またこのようなメダルが発売されそうなので、要チェックや!
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