邪道【青函連絡船】 記念メダル

青函連絡船記念メダル

「鉄道の一部」だった船

【青函連絡船】は、青函トンネルが開通する1988年まで北海道と函館間を結んでいた連絡船である。また開業は1908年で、明治時代である。それだけでなかなかに歴史が深いことが想像できる。

1988年は余裕で生まれていたものの、この連絡船のことはほとんど知らない。もちろん昔は「北海道に行く手段が船しかなかった」という知識自体はあったものの、今回この記念メダルをきっかけにその歴史を調べてみると、いろいろと面白い船であることを知った。

まず、この船が国鉄(JR)によって運営されていたものだということ、そして「鉄道の一部」として運行されていたという点が興味深い。「鉄道の一部」というのはまさに文字通りのことで、なんと列車がそのまま船の中へ収納されるのである。で、函館に着いたら(あるいは青森に着いたら)、列車がまた船の中から出発するのである。そのため、船内はもちろん、桟橋にも線路が敷かれ、列車が動かせるようになっていた。私はこの単純であるからこそ現代では考えられないような大胆な発想力に感銘を受けた。そんな大変なことよくやってたなぁと感動である。いや、マジで。

そのため電車賃も、例えば「東京ー札幌」間の場合は通常の鉄道運賃と同じようにその営業キロで計算し、それに連絡船乗車賃をプラスする形であったらしい。つまり連絡船乗車賃だけは特別料金として加算されるが、あとは地続きの鉄道であるというような計算方法だったわけである。面白い。ちなみに連絡船の乗船券の名称も「乗車券」であったらしい。一貫して「鉄道の一部」であるというこだわりが素晴らしい。

余談だが、現在でもJRが運営する船としては「JR西日本宮島フェリー」というものが存在し、このフェリーはなんと「青春18切符」で乗船できる。「あくまで鉄道」の精神は、現在では宮島に引き継がれているのかもしれない(テキトー)。

もちろん現在におけるフェリーとも同じ役割を担い、貨物(あるいは貨物列車)や車などの輸送も行なっていた。本州と北海道を結ぶヒトとモノの動脈として支え続けてきたが、青函トンネル開通の同日をもって、その役割を終えた。引き際もかっこいい(まあその後特別航行みたいのがあったそうだが)。

船内で出た廃棄物はそのまま海に投棄していたというのが、いかにも昔の国鉄(JR)らしい。一昔前はJR電車内のトイレの底は外に直通で汚物を線路上に垂れ流していたというのは有名な話である。その発想からいけば、「ゴミはそのまま海へ垂れ流し」というのは当時としては自然な考えであったことだろう。もちろん後に、漂着物が海岸を汚染する等の目に見える形で問題となり廃棄物も上陸後処理されるようになった。

こういった「当時当たり前だったことが、今考えると信じられない」ということは現在でもあるような気がする。それはもちろん、その渦中にいるときは全く気づくことはできず、「そのとき」になってみないとわからない。時代の流れからすればいつの日か「昔は排気ガスを大気に垂れ流して車を動かしていた。とても信じられない」と言われるようになるのかもしれない。リチウムイオンバッテリーの製造工程では大量の排ガスが噴出されるのだが。

同じように「昔は記念メダルなんか集めてる奴がいてさ〜」と言われる日も来るのかもしれない。いや、むしろ女子にはすでにそう言われることが多いような気がしないでもないが、きっと気のせいである。

記念メダルについて

おもて面は、図柄としてはわかりやすく平凡なものなのだが、質感というか、細工のされ方が他の記念メダルとは異なっている感じがある。模様も文字も彫りが深く、まるで彫金されているかのような手触りである。なんなら隙間に埃が溜まりそうなくらい、深い。そういう意味では「茶平っぽくない」ともいえて、好みは分かれるかもしれない。

一方で裏面は非常にオーソドックスな昔の茶平メダルで、手動式の刻印機で悪戦苦闘した跡を思わせる日付のスタート位置が微妙というあるあるがうかがえる。最初にメダルをはめるポジション取り、難しいよね!

赤と青の二色どりで、控えめに言って派手である。フェリーメダルで染色されているものは実は珍しい(【さんふらわあ】は一部染色されているが本当にワンポイントである)。

今は亡きものが確かに存在した確固たる証拠として、なかなか趣深い一枚である。平凡なことをいえば、乗ってみたかったよね!




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