邪道【長野行新幹線開業記念(北陸新幹線)】 記念メダル

38ミリメダル(デカメダル)
長野行新幹線開業記念記念メダル外箱

北陸まで行かないのに「北陸新幹線」問題

現在も遺恨の名残を残す@東京駅

 【長野行新幹線】とは、1998年に開催された【長野オリンピック】のために先駆けて97年に開業した「東京−長野」間を結ぶ新幹線である。現在では「東京−金沢」間まで延伸されたため「北陸新幹線」という呼称となっている。

 ただ、もともと法令上の正式名称は開業当時から「北陸新幹線」であったらしい。しかしながら運営するJR東日本が「いや、北陸までいかないし」という主旨の至極もっともなことを述べ、利用者の混乱を避けるために「北陸新幹線」という名称は使用しないことを決めた。一方で北陸地方の自治体は、長野以北の延伸計画が不確定だったため「長野で建設が打ち切られる印象が植え付けられる」という理由から「北陸新幹線」の正式名称を使用することを求めたらしい。

 「利用者の混乱を招く」というのは至極もっともな理由である。飛行機でいえば対馬までしか行かないのに韓国航空と名乗っているようなものである。ただ「正式名称で呼べ」と求めることもまた道理はあるといえる。そんな板挟みの中で示された「長野〈行〉新幹線」という呼び名に、その苦悩が表れているといえる。

実際にはもっと細かい住み分けがなされ、それによってさらに混乱が生じる結果となった具体的には、

・駅構内放送、車内放送では「長野新幹線」
・首都圏の駅構内掲示では「長野行新幹線」
・長野県の駅構内掲示では「新幹線」

 という方針を示された。が、これは細かく考えると実施するには無理がある方針で、例えば、首都圏の駅の「上り」ではどうするのかという問題が生じる。「首都圏の駅構内掲示では『長野行新幹線』」という方針を厳守すると、大宮駅では、東京に向かうのに「長野〈行〉新幹線」と掲示することになる。それはさすがに「嘘じゃん!」ということなので、実際には上りでは首都圏でも「新幹線」の呼称が用いられていた。が、それは上りと下りで異なる名称が用いられるということを意味し、混乱することは容易に想像できる。さらには、東京駅に同居するJR東海の東海道新幹線の構内掲示では早々に「長野新幹線」という名称が開業当日より使用されるという足並みが全く揃っていない様子を露呈した。1600年関ヶ原のときからいつの世であっても西と東は仲が悪いものである。

 恐らく、としか言えないが、どう考えてもJR東日本は「長野新幹線」で統一させたかったことだろう。なぜなら無用な混乱を招くことは、別によく考えなくても誰でも想像できるからである。しかし上記のような住み分けがなされたのは、北陸の自治体からの道理には適った要望をどうしても無視できなかったからではなかろうか。かといって北陸まで行かないのに「北陸新幹線」と名乗るのはどうしてもやだー、ということで、頭の良い大人たちが考えに考え抜いた板挟みの配慮が回りに回った結果、頭の悪い着地点に到達してしまった感がある。こういうのって会社でもよくあって、転勤してきたばかりのときに「なんでこんな風になってるの?」というしちめんどくさい決まりと遭遇することがよくあるのだが、歴史を紐解いてみると深い事情があることが多い(だからと言って仕方ないねとはあまり思わないのだが)。みんなで考えすぎるとあまり良くない結果になることがある、という例である。

 ただ、マスメディアは当初から「長野新幹線」と呼称していたため、結局その名称が浸透し、次第に駅構内でも「長野新幹線」に統一されていったらしい。「北陸新幹線」(公的な正式名称)は長野に染まり、長野のものとなったのである。しかしこれが、後に新たな火種を呼ぶのであった。

「北陸新幹線」なのにただの経由地長野が主張してくる問題

 ここまでくれば予想が付くと思うが、2014年にいざ「北陸新幹線」が金沢まで延伸開業されて名実ともに「北陸新幹線」とクラスチェンジしたときに名称をどうするかが問題となるわけである。だって長野なんてただの経由地でしかないわけなので。富山も石川も当然「北陸新幹線っしょ! だって元々正式名称なんだから!」と理に適った主張をした。一方で長野だって「今まで長野新幹線って呼んでたんだから、『長野』がなくなったら利用者の混乱を招くだろ!」と「長野」という呼称を残して「長野北陸新幹線」という名称を提案した。「長野」が先にくるところにも、いままで「長野新幹線」と呼ばれてきた者のプライドが見て取れる。銀行の合併問題でもどの銀行名を先に並べるかで揉めるしね〜。

 正直「長野新幹線の呼称は浸透しているのだから、『長野』の文字が無くなったら利用者の混乱を招く」というのは一見もっともらしいことを言っているが全然そんなことねーよというツッコミを禁じ得ない。百歩譲って混乱が起きるとしても、一瞬のことである。自分のためにそうしたいのに、「人のため」という大義名分を掲げるやり方が、本音が見え透いているだけに汚く見えてしまう。

 しかしながら、いままであったものを失う恐怖感、喪失感、焦燥感というのもまた理解できるところである。一度決まったら二度と変更がないことが予想されることからも、正念場であったことだろう。正直無関係の人間から見れば「『長野』の文字があろうがなかろうが、良くも悪くも影響なくね?」ということでも、他の新幹線路線名称にはない単一県単独での呼称は、与えるインパクトとしては失いたくない気持ちは理解できる。失っても別に混乱なんてしないけど(くどい)。

 再び板挟みとなったJR東日本は、またまた頭を悩ませることになった。記者会見で社長が「どう折り合いをつけるか苦労している」と正直すぎる心情を吐露してしまったくらいである。

 結論としてはすでに周知の通り「北陸新幹線(長野経由)」と路線名を明記させることでこの問題を解決した。「長野」の文字は、カッコ()の中に生き続けることとなったのである。

 誤解のないように言い訳めいたことを述べてしまうが、私はこれを「気を遣いすぎた大人達が結局は自らの首を絞めることとなった寓話」として捉えている。「大人」とはもちろんここではJR東日本のことだ。北陸のことも長野のことも責めておらず(長野の発言はちょっとイマイチだと思ったけど)、混乱の一番の原因は気を遣って右往左往したJR東日本だと考えている。

 長野までの開業当初、利用者ファーストの視点で「北陸新幹線」という呼称は利用者が混乱するという気の遣い方は間違っていなかったのかもしれないが、気の利かせ方がさらに混乱を招き、争いを生んでしまった。結果論であることは重々承知であるが、「北陸新幹線(長野経由)」がありだったなら、例えば下り線だけ()を付けて「北陸新幹線(長野止まり)」もありだったわけで、【長野行新幹線】などという微妙なネーミングで上下線で区別するという手間をかける必要もなかったように思う。まあ後からは何とでも言えてしまうだけの話なのだが。

 最近仕事で、A側とB側の間に板挟みになるということがありましてね。お互いを立てようとすると、結局誰も満足できないような中途半端な案になりそうだったんだけども、A側もB側もれっきとした社会人集団なので、その「誰も満足できない中途半端な案」をお互いの妥協点として認め合うような雰囲気となってしまった、ということが実際にあった。話し合いを重ねるうちに、話の本質がどこかへ飛んでいき、「どこを擦り合わせるか。どこで折れるか」みたいなことに終始するようになってしまったのである。両者が納得したからといってそれが最善の策だとは限らない−−ということをまざまざと見せつけられた経験となった。

そんなことを思い出させた、この一枚の記念メダルであった。

 

記念メダルについて

 鉄道成分が一切ない私は鉄道関連メダルの記事では産みの苦しみを味わうのが常なのだが、この記念メダルに関しては割とスラスラ書けた。まつわるエピソードが私好みだったこともあるが、そもそもメダルのデザイン自体が好みで、やる気が違った点が一番大きいように思う。私はどうやら、文字をうまく使ったデザインが好みのようである。その点、この記念メダルは「高崎JR長野」のあたりの文字がとても良い。何が良いとかうまく言えないのだけども。好きなタイプがあるのではなく、好きになった人が理想なのと答えるタイプです(めんどくさい奴)。「行」の一文字に込められた様々な「大人の事情」にとても感銘を受けた一枚であった。記念メダルは、失われた歴史をそっと語り続ける存在なのである。




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