かつては毎年のように甲子園でも記念メダルが発売されていたようである。
紐解いていくと、かなりの種類がヤフオクやメルカリで出品されているのに遭遇する。目にした記念メダルの「第〇〇回」は飛び飛びであるが、自然に考えるならば、歯抜けの回のときにも恐らく記念メダルは作られていると思われるので、かなりの種類があることが予想される。ただし現在では【甲子園記念館】のメダルも含めて販売は終了している。果たして第何回まで記念メダルが製作されたのか非常に気になるところである。記念メダルに関する研究対象がまた一つ増えたことになる。が、こちらを極めるのはかなりきびし~な~。
【第46回選抜高校野球大会】は、優勝は報徳学園である。こちらは現在でも強豪校として知られ、甲子園常連校といえる。が、主役はこちらではなく、決勝戦の相手であった徳島代表の池田高校であった。池田高校は初出場かつ「部員11人」という青春マンガを地で行くようなバックボーンで快進撃を続け、決勝戦も1点先制された後にすぐに追いつくという互角の勝負を演じた(最終結果1-3)。その活躍ぶりから「さわやかイレブン」というサッカーチームのようなまるでセンスのない異名を得たことからも、当時のフィーバーぶりがうかがえる。
ただこの結果は決してマグレというわけではなく、県立高校ながらもその後強豪校の一員となり、春夏合わせて3回の優勝、2度の準優勝をしている。一時衰退したものの、直近では2014年に春の甲子園に出場しているので、公立高校のの雄であるといえる。
またこの大会は、高校野球において「木製バット」が使用された最後の大会となったらしい。というか、昔は木製バットだったの? と野球音痴の私は思ってしまうのだが、その特徴は大会自体にモロに出ており、この大会の本塁打記録はなんと「1」なのである。つまり、大会中1本しかホームランが生まれなかったという、現在では考えられないような記録なのである。清宮もこの時代に生まれていたら、もしかしたら「割とよく打つただのすごい選手」くらいでこれほど注目されていなかったかもしれない。
この大会の後、高校野球は金属バットへとシフトすることになるのだが、そこで一時代を築いたのもこの池田高校らしい。それまでの高校野球は緻密にコツコツと点を取ってそれを守り切るというスタイルが主流であったらしいのだが、金属バットの特性と利点にいち早く気付いた池田高校の監督は「芯に当たらなくても飛ぶんだから、思いっきり振って当てればいい」という単純明快な戦法を編み出し、上半身を鍛えまくって「打ち勝つ野球」を作り上げたそうな。これは超進学校なのに割と強いという「開成高校」野球部の考え方にも通ずるものである(というか開成高校が後だが)。打てば飛ぶんだから打てばいいじゃんという単純明快な発想は、楽をすることになんとなくためらいがちである日本人の考え方に一石を投じるものかもしれない(そこまでのこと?)。
私はプロ野球には全く興味がないのだが、高校野球は人並みには好きである。高校野球は高校スポーツの中でも特段に特殊な地位を築いていて、全然強豪校同士ではないいたって普通の高校の普通の練習試合でも、保護者がわんさか見学に来るのである。ただの練習試合で保護者が見に来るなんて、強豪校でもないかぎり他の部活動ではおよそ考えられないことである。選手にしたって「いや、ただの練習試合だから」と来るのを拒みそうである。
高校野球とは、中学野球ともプロ野球とも一線を画した、とても特殊な一種の独立したスポーツであるといえるかもしれない。だからこそ、野球に全く興味がない私でもどこか惹かれるものがあり、単純に見ていて面白い。どうしてみんな坊主頭なのかとかも長年の謎であり、その独自性を醸し出している。中学野球も大学野球もプロ野球もみんな毛があるのに、高校野球だけは坊主にしなければならないという今更な謎。
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