【第51回選抜高等学校野球大会】は、1979年に開かれた「春の甲子園」である。優勝は和歌山県の箕島高校である。全然知らない。
80年代に近づくと、ユーチューブにも試合動画が複数アップされている。観ないけど。
さて、ネット上にめぼしい情報を発見できなかったので、この大会について野球に全く興味がない私には語れることが一切ない。そのため、記念メダルについてのみの言及とする。
この大会が開催された1979年は、記念メダルの裏面デザインに関する大きな転換の年だったのではないかと私は考えている。
裏面デザインは、メダルの大きさ(38ミリ、31ミリ、27ミリ)と並び、茶平工業製記念メダルのデザインの根幹を成す重要なファクターである。古いタイプの裏面は、裏面の刻印部分を縁取るように粒々が配置されている。
↓木造再建が決定したため、エレベーター設置問題で揺れる【名古屋城】の旧式メダル。茶平工業製記念メダルのアイデンティティである刻印部分に粒々が縁取られる。
実は現在でも、このデザインの記念メダルをまれに見かけることがある。が、それは古くから置いてあることがうかがえる記念メダル販売機の見本メダルとしてだが。
↓【広島市植物園】の販売機。見本のメダルを売ってくれ! とお願いしたかったが、社会人としての常識がそれを首の皮一枚で押しとどめたのであった。
この「粒々デザイン」がいつ頃からなくなったのかが一つの研究テーマであったのだが、ヤフオク・メルカリ等の邪道な手段で私が生まれる前の記念メダルを買い漁っているうちに、その時期が大体見えてきた。恐らくは78年~80年頃がその過渡期と思われる。
この時期に製造されたと思しき記念メダルには、粒々タイプとそうでないタイプが混在している。
↓とりあえず本記事メダルと同じ「79年」の2枚。上【宇宙博’79】。下【2001博’79】
ではこの年に変更されたのかというとそうでもないようで、前年の「78年」に粒なしメダルは既に存在している。
↓【ヤクルトリーグ優勝1978年】
かといって、79年以降にもう粒メダルがないかというと、「80年」にもあったりする。
↓【モスクワオリンピック(1980年)】
ただ、80年代はほぼ「粒なし」なので、やはりこの時期におおむねデザインの移行が終了したのではないかと推測される。私の手持ちのメダルでは77年に製造されたと確定できるメダルがないので、78年より以前のことに関してはいまいち詰めきれていないが、75年頃は手持ちのメダルは全て粒々メダルである(ちなみに77年で唯一所持しているメダルは粒々メダルである)。
よって、78年~80年の三年間に、メダルデザインの変遷があった――というのが、私の結論である。そして最もそれを推進したのが79年なのではないかと考えている。のだが、真偽のほどはいかに。その真偽を確かめるには、いまよりも更に様々な記念メダルを入手するしかないのである。
メダル道ははるか遠く、奥が深く、そして険しい。
気が向いたら、90年代~のメダルの裏面デザイン問題にもそのうち触れる、かもしれないし触れないかもしれないし(現行メダルは80年代のメダルより刻印部分が狭い)。
コメントを残す