魑魅魍魎タウンへの観光
日本の中枢・東京霞が関ビルでもかつては記念メダルが販売されていたらしい。ちなみに霞が関ビルは日本で最初の超高層ビルである。
ヤフオク等で中古の記念メダルを買うと、半分くらいの確率で刻印がなされている。刻印こそが茶平工業製記念メダルの最大のウリなのでそれは当然といえば当然であるのだが、この点も、メダラー達の間で中古品を購入することに対して否定的な意見を生む要因となっている(最大の要因は「現地に行って買ってこそ」だろうが)。そしてそれは至極当然のことであると思う。
ただ私は、どうせ中古で買うなら、むしろ刻印入りのメダルこそが面白いなーなんて思うのである。刻印があると、そこにストーリーもまた刻まれているような気がするからである。1968年(昭和43年)となると、このメダルは私よりだいぶ年上のメダルだということになる。しかも記念メダルが一世を風靡(茶平工業談)したという「大阪万博」よりも前の製造である。そこに刻まれた人――一部伏字にしているが、「ヨシアキ」さんが、家族か恋人かを伴って霞が関展望ビルに行った光景をちょっとだけ想像するのである。場所柄から、家族というよりも恐らく恋人の可能性が高いのではないかと思うのだが、果たしてどうなのか。しかし伏字部分は苗字であるので、「恋人と行ったらなら、一人でフルネームを彫るより、二人の名前を彫るかなー」なんて思ってみたりもして、答えはもちろん出ないのだが、そんなことを考えるとちょっと楽しい。
まあ大抵は、子供がおねだりして買ってもらって、お父さんお母さんに名前を彫ってもらうんだけどね~。しかし、たとえ当時子供であったとしても、このメダルを買った人は確実に私より年上なんだけどね~
ちなみにこのメダル、現在では珍しい38ミリサイズなのに、だいぶ軽い。茶平工業HPの「記念メダルの歴史」によると販売初期の頃はアルミで製作していたらしく(しかも外注)、恐らくそれにあたると思われる。
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