

【販売場所】
@芸能文化館1階(無料エリアだが、無料だと知らないと普通に入場してしまうだろう位置)
備考:ここは昔、ダイヤル式刻印機の刻印機が設置されていたので、未熟者だった私は日付が右に首を傾げています。
民家の正面にそびえ立つお城

清洲といえば三谷幸喜脚本・監督の映画『清洲会議』である——というのも、もう10年以上前の話なのか……( ノД`)
【清洲城】は愛知県の清須市にある復元天守のお城である。近く(徒歩圏内)にアサヒビールの工場があって工場見学をすると無料でビールが飲めるので、そのついでに立ち寄ると大変ちょうどよい期待値で見学できる施設となっている。くれぐれもこの施設のみを目的として新幹線に乗って愛知まで来てはいけない(まあ知名度ほど中身をどう楽しめば良いかわからないというのは復元天守全般に言えることだが)。
ちなみに城内はお城という名のミニ博物館となっている。これはどの鉄筋コンクリート製復元天守でも大体同じなのだが、一つ珍しかった要素としては、城内の展示はほぼ撮影禁止であった。【福山城】も1階展示以外は撮影禁止なのだが、それ以上の禁止ぶりであった。原哲夫が描いた信長が飾られていたのだが、写真に収めることできず。残念。
撮影できたのは最上階の展望フロアのみである。

「俺んち【清洲城】の隣」

大人になったらこういうものの良さがわかると思っていたのだが、とりあえず今のところはまだわからない。


きっと信長もびっくりでしょう。
城内の展示としては、「清洲城の歴史」と、中部圏のお城ではありがちな「信長と愉快な仲間たちとの歴史」といったところを説明するラインナップとなっている。清洲城はとりわけ信長推しな印象。「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」という信長が好んで舞ったという幸若舞『敦盛』の一節をやたらと推していた。ちなみに冒頭の「人間五十年」を「昔の人間は寿命が短かくて50歳くらいで死んだから、人間の寿命なんて夢や幻のように儚いよね」みたいに解説している人を見たことがあるが、これは明らかな間違いである。「人間」は「じんかん」と読み、これは”この世界”という意味である。「下天」というのは天界の中で最も人間界に近い最下層の世界を意味し、ここでは1日が人間の世界の50年に相当するのである。つまり「人の世の50年なんて、天界で流れる時間と比べたら夢や幻のように一瞬だよね〜」みたいな話である。
まあどちらにせよ「やりたいことは早よやれや!」という意味では変わらないのだが。
ちなみにこの一節は漢文翻訳されていたりする。
人間五十年 人間五十年
乃如夢与幻 すなわち夢と幻の如し
有生斯有死 生あればすなわち死あり
壮士将何恨 壮士はた何をか恨みん
(超テキトーな訳)
人の世の50年なんて一瞬で、生まれればいつか死ぬんだから、恨み言なんて言ってる暇はねぇ!
と漢文に翻訳した——というか五言絶句の漢詩に変換したのは実は日本人で、『日本外史』を著した頼山陽という江戸時代の人物である。『日本外史』は江戸時代の大ベストセラーとなった書物である。歴史書というテイを成しているがどちらかというと一般庶民(といっても学がある層にだけだが)に読み物として広く普及した大衆歴史小説的な面があり、当時の一般庶民の歴史観に良くも悪くも多大な影響を与えたと言われている。私はこれを”江戸時代の司馬遼太郎”と呼んでいる。つまり作者の思想を色濃く反映した書物であり、読者は確かに歴史に詳しくなる——一方で、作者の歴史観から見た日本史をまるで厳然たる事実のように語る一般庶民が量産されたという功罪がよく言われている。司馬遼太郎でいうところの”司馬史観”というやつである。『龍馬がゆく』で坂本龍馬を語る物や、『燃えよ剣』で新撰組を語る者——つまり私のような人間が量産された昭和・平成の日本のような状態が当時も発生したと言われている。実際は江戸時代のことなんて知らんけども。
そんなわけなので、現代では頼山陽『日本外史』の評価はあまりよろしくない。だからこの漢文訳も評判が悪い。しかし私は、日本漢文らしい簡潔明瞭で要点だけをついたよくできた訳だと感じている。
私のブログも、このように簡潔明瞭に要点だけをついたものでありたいと思いながら、このまったくもってどうでもよい誰得な余談を書いている次第である。

信長の夫婦関係を見に

先に何度か訪れていると言ったが、実は周辺を歩いたことはなかった。なんなら写真撮影のスポットになる赤い橋すら渡ったことがなかった(おおてはし)。天守閣最上階からの眺めに「何やらお土産屋さんみたいなものがあるな」とこのとき初めて知ったので、ブログをしっかり書くという義務感から足を運んでみることにした。

(敷地内には「ここには自転車を置かないでください)という看板が立っている)
中に入るといたって普通のお土産屋さんといったところで、メダル販売機が設置されていてもおかしくない雰囲気であった(設置されてないけど)。【清洲城】を眺めながらコーヒーを飲めるおしゃれなカップル席があるなどイマドキなお土産屋さんで、そうかそうかという感じ(なんじゃそりゃ)。
現在、生活の大部分の時間を費やすくらいに投資にハマっている私は、過去最強レベルで財布の紐がカタイ。もはや紐ではなく登山用ロープですらある(”かたい”の意味合いよ)。加えて部屋の中からモノを減らすことに命を賭けている側面もあり、何なら記念メダルのその命すら危ういかもしれない。
そんな私の今の心境としては「今後一生、こういう場所でお金を使うことはないんだろうな……」と思うなどした。

現代人の女の子が「織田信長が勝つから行かなくても大丈夫ですよ!」的な発言で励ましていて、職場で長らく休んだ人に向かって悪気なく、気を遣わせないために「◯◯さんがいなくても全然問題なかったですよ!」と笑顔で言っていたZ世代の若者を思い出した。

その後、案内板から「近くに織田信長の銅像がある」ということを知る。
「すごく見たい訳でもないけれどブログを書くために見に行こう」といういつもの大変後ろ向きな意気込みで真冬の空っ風が吹き荒ぶ中、信長に会いに行く。



なんか思いのほか公園然とした公園の中にあって、面食らった。近所の子供達が隣でサッカーして蹴ったボールが信長様にヒットしていそうなくらいの公園具合であった。
信長様は、現代の子供達の健やかな成長を見守っているのである。延暦寺のお坊さんを皆殺しにしたおっさんに子供達の成長を見守られる街・清須市。

記念メダルについて

この施設のメダル販売機は、実は無料ゾーンに設置されている。が、そうと知らないと、普通に入館料を支払って入館してから出口付近で販売機を発見するという導線となっている。普通にそうあるべきだとは思いますが。
まず、入館口にて記念メダルの宣伝POPを発見する。

で、扉を抜けるとすぐにチケット売り場(右手側)となっているので、通常の流れでいけば迷わず入館料を支払うところである。が、勇気を出して、先にトイレに行きたいようなテイを最大限醸し出しながらすぐに左に進行する。

コツとしては、「チケットを買わない。靴を履き替えない。トイレの方向に進む」である。別に誰にも文句を言われてないし、正当な行為である。が、こういうことがめんどくさいなら深く考えず普通に入館料払って見学しちゃえば? とも思う。特に初訪問なら。
新しいメダルが発売されて2回目の訪問以降にこのワザは使いましょう。

ここは昔、ダイヤル式刻印機が設置されていたり、小銭投入口が改造された旧型販売機が置かれていたりとプチ要素が詰まった施設であったのだが、いつの間にやら機械が総入換され何の変哲もない記念メダルスポットとなっていた。記念メダルの歴史的な価値がある販売機&刻印機を写真に収めず、機会を逸してしまったのはアーカイブ編纂上の心残りである。

でもまあ、それもまた人なり。
人間五十年、夢幻のごとくなり。

(過去記事)『清洲会議』ヒットも今は昔
ここ愛知県は【清州城】は、典型的な「再建したものの、用途がない」という現代の城の特徴を余すことなく詰め込んだ鉄筋コンクリート製の城であった。用途としては「近所の公園」みたいなもので、定期的に地元の「朝市」が開かれていたり(楽市楽座!?)、お金のない高校生カップルが帰宅途中におしゃべりするために寄る程度の活用具合であった。中も、再建された鉄筋コンクリート製の城のいかにもな典型で、当時を再現したミニチュアやら武器・防具やらの展示で、事実上の博物館なのである。歴史がものすごく好きな人なら勉強になるかもしれないが、現存天守閣が残る城のように、歴史の情緒を体感するような楽しみは全くないところが、再建された鉄筋コンクリ―ト製の城の難しいところである。
しかし、一昔前に三谷幸喜監督・脚本で『清州会議』という映画が公開され、それに棚ボタ人気をあやかり、一時的に来場者が増えた。実は記念メダルはその時期に作られたので、販売のタイミングとしては非常に賢いといえる。が、その人気も今は昔で、現在ではすっかり「記念メダルが売られるようなB級スポット」となってしまった。
私は城は天守閣が現存しているところにしか興味がないので、このような城にはメダル購入のためだけに行くのだが、いつか「また行きたくなる鉄筋コンクリート製の城」に巡り合ってみたいものである。













コメントを残す