@天守閣入場してすぐ
備考:特に値段設定が高いわけではないメダルなので、圧倒的なまでに入場料が安いせいで「入場料」<「メダル」が起こる。
アピタのお隣「小牧城」
【小牧城歴史館】は入場料が100円と儲ける気が全くない施設で、客入りとしても恐らく受付の人の人件費もまかなえていないではないだろうかというくらいのこれぞ記念メダルにふさわしいスポットである。
小牧山というサンダルで登れる程度の小高い山というか丘(経験談)の上にあり、かつて信長が築いたいう小牧城の天守閣を模した小規模博物館である。小牧山(というか丘)の隣には「アピタ」という愛知県で幅を利かせている「イオン」のようなショッピングセンターがあり、イオンで食料を調達し小牧山で花見をするというのが定番コースとなっている。また、近隣住民のウォーキングコースとしても愛されているっぽく、ジャージを着たおじさんおばさんが歩いているのを割と見かけた。そして私はサンダルである。
人はなぜ、ここを山と呼んだのか。
昔はもっと小高かったんですかね。山とか丘とかいうより、「公園」と呼ぶのが一番ふさわしい気がする場所であった。そして頂上にある天守閣を模した【小牧城歴史館】も、その中にある展示物がどうこうよりも、「山の頂上にそびえ立つ城」という景観こそが一番の存在意義なのではないかと個人的には感じた。このことは似たものとして【岐阜城】が挙げられる。岐阜城もまた、中はしょぼいが、国道22号線から金華山へ向かう道中で見えるその姿はとても勇ましい。そして夜間にはライトアップされ、岐阜のシンボルとなる。ほんとは外観だけでよかったけどそれだと許されないっぽいから中身も一応作った感がすごいが、なんども言うが景観は非常に映えている。
鉄筋コンクリート製の復元城は、街のランドマークとしての役割を果たせればそれで良いという「タワー」と同じようなポジション感を感じる。いや、別にそれが悪いわけじゃないんだけどね。
小牧城についてざっくりと
小牧城は、清洲城の後釜として建てられた城である。全国的には映画『清洲会議』のおかげもあって清洲城の方が知名度が上であろう。が、どちらも鉄筋コンクリート製復元城であり、中身は同じようなものである。
小牧城は織田信長が美濃攻めのために立てた城で、その役割を終えるとともに消え去ったので「突貫工事で建てた一時的な城」と考えられてきた。しかし2000年代に入ってからの研究により、本格的な建造のされ方が為されていたことや、清洲城下にあった町がそっくり移転してきたことなどが判明して「四年で終わってしまったが、本当は長く居住するつもりだった」という見方がなされるようになってきた。そういう意味は由緒のある場所であるのかもしれない。今、小牧城下町にはアピタが幅を利かせている。
城なのか博物館なのか問題
この城も、私の嫌いな「城の形をした鉄筋コンクリート製の博物館」である。ただ、同じ愛知県の城である【名古屋城】や【清州城】と違う点は、潔く「歴史館」と名乗っている点である。「城の形をした博物館ですよ~」ということを包み隠すことなく公にしているのである。その点素晴らしい。
入場料も驚くほど安く、なんと100円である。どんなにしょぼい内容でも、この値段なら不満を抱く者などいないだろう。これで「城の中がしょぼい、せまい」などと文句をいうような人間は、きっと万人がその人のために至れり尽くせりしたって不満を探し出すことだろう。げに恐ろしきは、こういう人間が現実に存在することである。
また、この「100円」という料金設定にも、なんだか行政の甘さを感じてしまう。この料金設定で維持しているならどう考えても市営だと思われるが、この城の受付に人を一人置くだけで、どんなに安く見積もっても人件費だけで月に20万前後は掛かるはずである。この料金設定で、この金額が補填できるとは到底思えなく(だって超単純計算でも月の来場者数が二千人、一日平均66人以上は必要なわけだし)、そして関わる人間(職員)は絶対一人だけではないだろうし、光熱費だって水道代だってトイレがあるから下水代だって掛かるわけである。この城は確か名古屋の実業家が建てて小牧市に譲渡したのだが(館内に記録がある)、いくら建設費用を1円も出してなく減価償却の必要がないからといって、これでは金食い虫を譲り受けたようなものである。赤字の補填は当然税金で賄われるわけである。なぜ小牧市民が怒らないのかがわからない。小牧市のランドマークとして認めているということだろうか?
そんないわくのある小牧城は、「小牧山」とナビで表示される山の頂上にそびえ立っていた。山といっても大した山ではなく、私はうっかり「雨の日にサンダルで行く」という山を超ナメきった気持ちで登ったのだが、全然余裕であった。というか途中の看板に「ウォーキングコース」という表示があるくらいである。山ならばせめて「ハイキングコース」なのではないかと疑問に思ったが、要するに公園のテイなのだと思われる。
そんな「ウォーキングコース」を登ってゆくと、唐突に登山者を惑わす道標と出くわす↓。
逆にどちらに行けばよいのか考えてしまうのである。どんなに相手を迷わそうとしても、この発想は今までなかった。
そんな小牧山にそびえ立つ城に、ぜひ訪れていただきたい。山の頂上だと聞いて本格的な山装備で来てしまったら、きっと恥ずかしくて歴史館には入れないことだろう。受付の人も「何しに来たんですか?」と言わないにしても思うに違いない。
記念メダルについて
ここ【小牧城歴史館】の記念メダルは、「表面は同じで裏面が違う」という珍しいタイプのメダルである。このようなタイプで異なるメダルを販売している場所は、私が知る限りでは同じく愛知県の【138タワーパーク】しかない。愛知県では裏面が流行りなのか!?
旧メダルについて
おもて面の金型的には現行メダルと同一であるように思われるが、背景が「つるつる型」と「ざらざら型」である点が異なる。「ざらざら型」は、時代が一つ古い。
茶平工業製記念メダルは、長い歴史の中で幾度かのマイナーチェンジを行なってきている。私はそのマイナーチェンジ時期を一つの年表としてまとめたいという野望を抱いている。その時に重要となるのが「刻印」である。刻印の価値観は記念メダラーの間でも好みが分かれるところであるのだが、私はこのような理由から中古で入手する記念メダルはできれば刻印がなされている方がありがたかったりする。
2000年代にかなり近い「1998年」に「ざらざら型」メダルが存命していたというのは、なかなか興味深い。似たような関係もつメダルに、小牧城の近場で【岡崎城】がある。
同じようにおもて面の金型が同一でも「つるつる型」と「ざらざら型」という違いがある。ただし【岡崎城】の場合は、旧型の裏面がさらに「つぶつぶ型」という違いもあり、さらに年代が一つ古くなる。こうして比べていくと、記念メダルの変遷が少しずつ見えてくる。その辺のことをそのうち【特集ページ】でまとめようかな〜と思っているのだが、時間がなくて相変わらず予定は未定である。
げにいと深きはメダル道なり。
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