


【販売場所】
@出口直前のミュージアムショップ。の出口。
備考:年明け成人の日前日に行ったら、そこに販売機の姿は無く虚無空間が広がっていた……
大変混み合っていた。

とは思ったものの、スタッフが伝えたかった”大変”の度合いと、私が想像した”大変”との間には深くて長い隔たりがあった
【特別展 大絶滅展ー生命史のビッグファイブー】とは、東京展が2025年11月1日〜2026年2月26日の期間で【国立科学博物館】にて開催された特別展である。東京展の後は名古屋展、大阪展と巡回予定であるようなのだが、巡回先でも記念メダルが発売されるかどうかは不透明なので、行けるなら東京展で行っておくのが記念メダルコレクターとしては最善手となる(例えば【化石ハンター展】や【毒】は他会場では販売されなかった)。
【国立科学博物館】の特別展はやたらと記念メダルが発売されるので、それ一つとっても記念メダルコレクターは関東住まいが有利である——と2、3年前までは認識されていたのだが、【国立科学博物館】を上回るペースで記念メダルを量産するようになった【心斎橋ビッグステップ】の存在と昨今の関西圏での新メダル発売ラッシュによって、長きに渡る情勢に新しい波が生まれつつある。私が生息する中京圏からは京都・大阪の方が近いので本気出して集めるならありがたい傾向であるのかもしれない。我らの【茶平工業】も大阪にあるし。
時代の変化、流れを最近とみに感じる。コレクターの皆様におかれてはとっくに気づいていることであろうが、記念メダルの在り方そのものも大きく変わりつつある。”プリントメダルが主流になった”という技術革新もさることながら、それに伴って「観光地の置かれているメダル」➡︎「イベントで販売されているメダル」という流れが生まれつつある。特にプリント技術の導入によりアニメイベントでの販売が圧倒的に増えた。観光地とイベント、両者のメダル販売は恐らく共存していくのだろうが、どちらにせよプリントメダルが量産される流れはもう止められないだろうし、止めるべきでもない。両面金型方式のメダルが発売されて喜んでいるのなんて記念メダルコレクターぐらいのものだし。もちろん私も金型派ではあるが。コレクターだから。
マニアがハバを利かせて文句をつけ始めるとジャンルそのものが潰れるという定説は、この人↓のおかげでよく言われるようになりましたな。
↓Amazonリンクそんな時代の変化に想いを寄せつつ中島みゆきの『時代』を脳内BGMとして流しながら電車に揺られていると、上野駅に無事到着した。

こうして月に一度の帰省の折にやってくるのがもはや恒例となりつつある【国立科学博物館】。開館時間と同時に到着する新幹線➡︎上野東京ラインで向かったところ、そこには想像を絶する地獄絵図が待っていた。


記念メダルコレクターたるもの【国立科学博物館】にはそれこそ数えきれないほど足を運んできたが、これほどの大行列は初めてである。
別に入場に至るまでの行列に並ぶのは良いのである。会場内が激混みなのが嫌なだけで。
待つのはKindleで『ONE PIECE』でも読んでいれば、極論、いくらでも待てる。ディズニーのホーンテッドマンション180分待ちだって数千冊の漫画を1台の端末に詰め込んで歩ける愛しのKindleさえあれば全然余裕だ。一緒に並ぶ隣の女の子を暇にしないというお勤めさえなければ。
ただ、入場してからの大混雑は如何ともしがたい難題である。写真撮影がままならないのは私個人の特殊な事情なので全然良いとしても、そもそも落ち着いて展示が見られない。人の隙間から展示を見ていると、ふとした瞬間に隙間を作っている人と目が合ってしまう瞬間がある。その気まずさから始まる恋の一つでもあれば良いのだが、残念ながらその視線の先にいるのは手にパンダのぬいぐるみを持って会場内を彷徨う中年のおっさんである。視線はすぐに一度パンダに行き、そしてすぐに見なかったことにされる。
とにかく会場内の大混雑に気分が落ち込んでしまう未来しか見えず気落ちしながら並んでいたところ、どうやらこの列は整理券の配布列であることを知る。つまり、時間帯指定をされて改めて入場するようだ。
ならいくらかは混雑がマシになるのかな〜と淡い期待を抱く私。思えばコロナ禍のときに入場時間帯指定チケットは消費者側にとっては非常に良い制度だったという印象がある。当日販売チケットはとっくに完売で事前に購入してないとその日に入場自体ができないなんてことが多発したが、入場人数の制限が厳格だったのでとにかく展示が見やすく見学がしやすかったのだ。
時間帯指定整理券が配布されるということは要するにあの時と同じような状況が作り出されるということかな? と非常に前向きな気持ちになったところで列が係りのお姉さんのもとにまで進み、私が入場できるのは1時間半後ということが判明した。
「まあそれまで常設展を見てりゃいいか! なんたってここは【国立科学博物館】だ!( ´∀`)」という私の考えが非常に甘かったことはすぐに突きつけられた。
特別展にすぐには入場できなかった人間のほぼ全てが常設展にやってくるのだから、そこには更なる地獄が形成されるだけであった。常設展の中での特別展で『ワニ』っていう企画展示がされていたんだけれども、その見学のための列に並んでいるだけで1時間半経つんじゃないか? という勢いであった。
だから私は運良く開いたベンチに腰掛け、ひたすらブログを書いて過ごしたのであった。なんて贅沢な【国立科学博物館】の使い方! ベンチ冷たい!
入場したばかりなのに、もう出たい

案の定、特別展の場内も激混みではあった。場内の熱気を感じた瞬間に、踵を返して帰途に付きたかった。しかし入り口からは出られない仕様なのであった。
だから、それはもう仕方がない。目的は展示を見ることではなく記念メダルを買うことであるのが記念メダルコレクターにとっての救いであると言い聞かせるしかない。つまり、展示が満足に見られなくても別に良いという心持ちが肝心である。でないと、疲れ果ててしまう。支払った料金分、見学も楽しむんだと意気込むとなかなか辛い旅路となってしまうのが記念メダルコレクター道である。

場内は係員がしきりに「順路はありませんのでお好きなところからご覧いただけます! 入り口近くは大変混み合いますので、後からでもあらためてご覧いただけます!」とアナウンスし、人の分散を試みていた。しかし私はこのアナウンスには結構懐疑的で「入り口近くが空くことなんて9時間後くらいの話じゃね?(閉館間際)」と思うのである。つまり「空いてから見にこよう」は永遠の機会損失であるということだ。だって、時間分散して入場を制限しているくらいの混雑ぶりなのに会場内が空くことなんて滞在時間中はないだろうし、そもそも「入り口近くの展示から見学する」というのはこの上ないほどの人間の自然な行為である。仮にもし入り口近くが空くようなことがあれば、後から入場してきた人が自然と入り口近くから見学をするだけでまた埋まりますよねという理屈である。これを分散させたければ入り口を数箇所に分散設置するしかないと思うのだけれど、その辺を一度ご検討いただくのはどうだろうか。効果があるかどうかはわからないが。外野は何とでも言えますからな。ただスタッフが分散を呼びかける声は単純にうるさかった。

プロジェクションマッピングの映像が流れる


”ビッグファイブ”というのは「地球に生命が誕生してから5回の大量絶滅が発生してる」という話のことであるらしい。ちなみにかの有名な恐竜の絶滅は最後の5回目の話であるそうな。
しかし、大量絶滅は絶滅しなかった今までモブキャラだった種族が成り上がるチャンスでもあるわけで、巨大な隕石が激突するまで食物連鎖の頂点に立っていた恐竜の絶滅によって、我々人類をはじめとした哺乳類の躍進があったわけである。
恐竜の生き残りなんて鳥になっちゃいましたからな。日々居酒屋で串に刺されて中年親父が社会の不条理と共にビールで流し込む対象に成り下がってしまった。隕石のせいで(倒置法)。
そうかそうかと人混みを縫うように移動しながら展示を見て回る。人混みが苦しくて解説パネルをじっくり読む余裕が私にはあまりないが、すべての展示の触りだけに触れてなんとなく”見た気がするぅ〜”という己の中の満足感を醸成してゆく。満足度とは、結局は自分がどう思ったかに過ぎない。自分を満足した気持ちに導けばよいだけなのである。




(サラリーマンのように)









(『ドラえもん のび太の日本誕生』より)




ぶっちゃけ今回の展示は深い学びがある良い特別展だったと素直に思う。これは本当に時間をかけてじっくり見学したかったね〜。
でも私の体力と気力がそれを許してはくれないのだった。写真撮影なんて考えずブログも書かないというのならもっと粘れたと思うのだが、私にとってはそれは本末転倒でもあるんだよな〜。来たいと思って来ているわけではなく、ブログを書くために展示を見ているのだから。ブログを始める前のただ記念メダルをひたすら集めていただけの時の方が楽しかったのかというと決してそういうわけではないというアンニュイな乙女心がそこにはある。
最近ミッドエイジクライシスに悩まされながら、記念メダルとの付き合い方に改めて悶々と悩むビール腹の中年が一人。

記念メダルについて

記念メダルは残念ながら無かった。販売機ごと姿を消していた。
刻印機に貼られた「調整中」という札がより一層の虚無感を演出している。刻印機の一体何を調整しているというのか? 値段か?私が調整してあげましょうか?(何を?)
しかし無いものは無いので、怒ってもしょうがない。店員さんに詰め寄ったところで無いものが出てくるわけでもないので、絶対に怒りをぶつけてはいけない。
こうなると、記念メダル活動において”転売禁止ルール”を自らに課している人だと本当に手の打ちようがないと思われる。が、私はヤフオク・メルカリの利用を特に己に禁じてはいないので「しょうがない。買うか」という流れで邪道な手段で購入したのが冒頭のメダル写真というわけである。もちろん数百円程度は割高お値段ではあったのだが、金銭的な話だけでいえば、KADOKAWAとかaikoとかの公式通販は送料だけで800円とか掛かるので、公式通販を利用する機会がここ最近多かっただけに転売価格をただの誤差と感じてしまうようになってしまった。結果、購入をためらう気持ちも薄れたというね。
もちろん転売には道義的な問題というものも付きまとう。「公式通販より安けりゃ良い」という問題ではないのかもしれない。
「転売が何故発生するのか」ということを突き詰めて単純化すれば、最も一般的な転売では「公式が十分な数を用意できなかった(しなかった)から」という話に行き着く(イベント等の”期間限定”モノも販売期間を限定するという意味では需要に対して十分な供給を用意していないという意味でここに含める)。今回私が遭遇したケースはまさにこれに該当する。もっと在庫があったらなぁ……と全俺が泣いた。特別展の出口で。
が、こと記念メダルに関していえばそれよりももっと単純に「入場料とメダル代を合計すると転売価格の方が安い」とか、最もよくある話が「現地に行く交通費を考えたら圧倒的に安い」とかが平気で存在するので、事情はより複雑である。
例えば、【小笠原村観光協会】のメダルが2枚5000円で出品されているのを某所で見たことがあるのだが、実際に現地に足を運んで購入することを考えれば正直破格と言えるほど超安いのは皆まで言う必要はないだろう。そして出品者にしても、恐らくは自分の分を確保した上で(わざわざ小笠原村まで赴いて転売用の商品を購入するくらいなのだからマンホールカードか記念メダルかどちらかのコレクターだろう)ついでに転売用のメダルを購入しているものであろうから、転売のための経費は実質0円だといえる。つまり売り手も買い手も実質損をしていないどころかむしろ得しかしていないし、生産者も卸しの段階で利益を得ているし、販売店も何なら通常よりも早いスピードで利益をあげているわけなので、金銭的には全員得しかしていないという状況になり得る転売行為が実際にある。損をする可能性があるのは、強いていえば転売行為がなければメダルを買いに渡航してくるはずであった客を失うフェリー会社と島内のホテル・レストランといったところであるが、そんな客が本当に存在するのかどうかは永遠の謎である。
だからこのケースの場合は、利益とか損得とかを度外視した完全に道義的な問題なのである。「転売行為そのものを許容すべきかどうか」という。「転売製品ではなく、ぜひ実際に足を運んでお求めください」って言われても「いや、あなた小笠原村だからね。転売禁止にして転売ヤーが余分に買っていってくれなかったら、単純にその分の売り上げが減るだけだよ? 転売禁止にしたからって現地購入を求める客足が伸びる立地じゃないからね?」という厳然たる事実がある。それでもなお「いや、道義的に転売はダメでしょ。議論するまでも無く」とお店が言えるならそれは相当強いと思うし、お店が言ってないのに外野が勝手に言っていたらそれは営業妨害である。
このケースは超特殊な話ではあるが、要するに、一口に”転売”と言っても、様々なケースが存在するということだ。
で、今回のケースを深掘りして考えてみると、さらにはここに【茶平工業】自体の生産能力も関わってくるので、十分な在庫を用意できなかったにしても「売り上げ見込みが甘くて発注数を少なくしちゃった」みたいに、話はそう単純ではない。aikoの受注生産記念メダルだって、発送予定は3月とか言っているけれども、予想以上に受注しちゃったら茶平での生産が追いつかない可能性は全然あり得るよね、実際。あの刻印はどうしたって手作業だろうし(刻印機にメダルをはめる作業が)。
aikoの記念メダルみたいに日付を固定で入れてしまうと、余らせるわけにはいかない(別日では販売できない)からどうしても発注を少なめにせざるを得ないという事情もあったことだろう。しかしそれにしたってあのaikoメダルの製造はマジで時間が掛かると思うので、製造数において茶平のキャパの問題はあったのではないかと推測する。
話が少し逸れたが何が言いたかったかというと、今回のメダルは会期が限られているイベント限定でのメダルではあるが、ここ東京会場が終了してもこの後に名古屋、大阪とこのイベントは巡回するので、在庫としては他のグッズ同様にもっと潤沢に準備しておいても良かったと思うし実際にはそうしたかったのではないかと思うのである、主催者としては。しかし、そうはできない事情もまたあったんじゃないかな? と予想する。で、これは別に全然、茶平のせいでもないと、当然思う。キャパは限られているのだから、仕方がない。商売としてはもっと受注できるならしたいだろそりゃ、という話である。
つまり、関わる大人全員が全力で仕事をした結果がこうだったというわけだ(と予想している)。
ということは、関わる大人たち全員が全力で仕事に取り組んだところで「売り切れ➡︎転売成立の条件を満たす」という事象が発生するわけなので、この世から転売がなくなることはないということになる。
あとはもう「コレクターとしてどうありたいか」ひいては「人間としてどうありたいか」の問題となり、こうして同じ神様を信仰する宗教間であっても宗教戦争が生まれるんだろうなと思う次第である(キリスト教の異端問題とかね)。
で。私は「せっかく多大なコストを掛けて現地に行ったのに記念メダルが手に入らなかった」という事実は絶対に受け入れられないので、そのリスクマネージメント策の一つとして転売は受け入れる側にいる。このリスクマネージメントがあるおかげで、心穏やかに収集活動に取り組めるという側面は実際ある。転売製品を購入するということは、転売行為を受け入れるということである。そうでなければ理屈が合わない。買うのは良いけれど売るのはダメでしょなんてことは筋が通らないわけである。
個人的には「行く前から売り切れが判明した。だからメダルが手に入らなかった」は全然良いのだが、「実際に行ったけれど手に入らなかった」はメダルの入手云々以前に「自分のやったことがお金と時間を失っただけの人生において最も無駄な浪費だった」という点が発狂案件なので、自分の心を守るためにも転売行為を容認せざるを得ないのである(これは本当は良くないことだと自分でも思うのだが、目的の真なるところが「記念メダルの購入」であって「有料施設の見学」ではないからである。つまり今回の場合でいえば特別展に行きたくて行っているわけではなく、見学は「記念メダルの入手」というミッションにおけるあくまで”おまけ”なわけである。だからこれが旅の本質としては本当に良くない)。それに、転売ヤーが余分に買わなかったら自分の分が残っていたはずだなんて1ミリも思わない。自分の前に訪れた他の誰かが買うだけだろう。
私と同じ意見ではなく、理由如何を問わず転売に断固反対の記念メダルコレクターも数多くいることだろう。その信条は決して他人から否定されるべきものではない。そして、だからこそ私のこうした考えが許せないかもしれない。だが、私は決して争いたくはない——ということだけは申し添えておく次第である。

(『ドラえもん』より)

それを「良かった」とするのか「現地以外で買う奴がいるからいつまで経っても転売がなくならないんだ! 本当に欲しい人にいきわたらないんだ!」とするのか。
あなたはどっち?













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