邪道【天皇陛下御誕生八十年】 記念メダル

天皇陛下御誕生八十年 記念メダル
天皇陛下御誕生八十年 記念メダル 外箱
天皇陛下御誕生八十年 記念メダル ケース

今では信じられない昭和史

 昭和天皇の傘寿を祝う記念メダルであり、昭和五十六年のことであるそうな。昭和天皇の誕生日であった4月29日は現在でいういわゆる「昭和の日」であり、かつてはこの日が「みどりの日」であった(現在は5月4日)。ゴールデンウィークの幕開け的な位置づけで国民に親しまれている日である。

 時代は令和となり、昭和は「歴史」となりつつあるのだろうか。私は昭和生まれのおっさんなので昭和ときけば自分の幼少期のころや、昭和天皇崩御の瞬間を家族みんなでテレビの前で観ていたことを思い出す。ついでにいえば誕生日プレゼントに近所のジャスコで「ままごとトントン」を買ってもらったことを思い出す。あの頃はギリギリ昭和であったと思う。

↑こんなん


 この頃は、テレビCMで幼子の裸が余裕で流され、ゴールデンタイムに放映されるバラエティ番組や明智小五郎の2時間ドラマで余裕でおっぱいがポロンポロンしていた時代である(これ、マジだからね!)。女性のおっぱいがお茶の間に飛び出してきた途端に家族中に気まずい沈黙が流れるというのはあの頃誰にでも通じるあるあるネタであった。そしてもちろん私は、幼くてしてそういった映像を見るのが大好きであった(不要な告白)。東京都では9歳まで女湯に混浴できるそうなのだが、正直信じられない気持ちである。私個人の話でいえば、はっきり言って幼稚園の頃からバリバリ性に目覚めており頭の中はエロでいっぱいでありましたよ、はい。なんて健康的なんでしょう。

 だから昨今の性に関するコンプライアンスの厳しさは、個人的にはむしろ当然だなと思う次第である。何歳であろうと男湯に女児を連れて行くのはよくないし(2歳であっても性犯罪事例があることを知りましょう)、女湯に男児を連れていけばよからぬ妄想を膨らますこととなるのである。

 そんなミクロな視点でいえば、他にも今となっては信じられないことが多数ある。たとえば、私が小学校低学年のときでさえ父親のタバコを買いに近所の酒屋へおつかいに行っていたし、父親は電車の中でタバコを吸いまくりであった。タバコでいえば、学校の職員室で吸われていたというのはもはや定番の話であると思うが、私の小学校4年生のときの担任は、職員室どころか教室で授業中にタバコを吸っていた。教室には常時灰皿が置かれていた。そしてそのことに対して疑問をもったことはなかった(当時としても教室でタバコを吸うのはあかんかったと思うのだが)。

 その他、個人的に「いつからなくなったのだろう」と思う昭和的価値観の文化としては、「不在時に宅配便を隣の人が預かってくれる」というシステムである。これは実は『クレヨンしんちゃん』の古い話でも描かれている。

隣のオバさんに送られてきたハムを預かり勝手に食べちゃう話。
(テレビ朝日『クレヨンしんちゃん』より)

 何を隠そう、私も何回も預かったことがある。私の実家はいわゆる「団地」なので、お隣さんどころかたまに上の階の人の荷物すら預かることがあった。そして宅配便のお兄さんも、当時クレヨンしんちゃんくらいの年齢だった私でも余裕で預けていった(昭和というか平成初期くらいだったかもしれないけど)。

 現在であれば、そもそも「幼稚園児が一人で留守番をする」という時点でなんやかんやと言われそうな事案であるし、百歩譲ってそれが許されても、インターフォンが鳴って幼稚園児がそれに応対するということ自体を禁ずるような気がする。しかし古き『クレヨンしんちゃん』の上記場面のように、確かに当時は幼稚園児でもピンポン鳴ったら出まくりであったし(もちろんカメラ付きインターフォンなんてない時代)、宅配便の人も子供相手に余裕でひとんちの荷物を預けていったのである。

 ということを考えると、しんちゃんのように「じぶんちの荷物だと思って勝手に開けちゃった。なんなら中身のハムを食べちゃった」という事例は全然ありえたと思うのである。我が家の場合は、預かり荷物はおろか、たとえじぶんちの荷物であっても宅配便を子供が開けることは決して許されなかったので、私の知る限りはそのようなトラブルはなかった(姉や兄の幼少期にはあったのかもしれないが。あそこまで厳格だったということは)。しかしそもそも、「幼稚園児に人の家の荷物を託す」という責任を背負わせることがまかり通っていたこと自体が、現在のコンプライアンスからは到底考えられないことである。

 週刊少年ジャンプが180円くらいだった時代の話である(もっと安かったかも)。

 今となっては古い話となるが、映画『Always 三丁目の夕日』が大ヒットして以降、日本は一時期空前の昭和ブームとなった。

 この映画のヒット以降、「古き良きご近所付き合い」とか「家族の絆」とかがやたらと美化されてメディアで扱われ、【台場一丁目商店街】のような昭和の街を模した施設が大小様々に作られた。私としては当時の雰囲気をまとったレトロな「モノ」が今はないモノ、珍奇なモノとして一種の珍味のようなものとして良いと言われるのは全然良いのだが、当時の価値観までもがまるで「今は失ってしまった良いもの」として美化されるのは正直いただけないというのが本音である。

 確かにゴールデンタイムにおっぱいが見られなくなったのはとても残念であるが(残念なのかよ)、逆に言えば残念なのはそれくらいのもので、確実に当時より現在の方が私は生きやすい。ご近所付き合い一つとっても現在の方が全然良きである。私は東京砂漠の方がどちらかといえば性に合っていて、ご近所の人に家族構成やら学歴やらあーだのこーだのを根掘り葉掘りと聞かれるのは正直うっとおしいと思うタイプである。というのも、初めて実家を出たときに引っ越した先がなかなかの田舎であったので、近所へ引越しの挨拶回りをしたときに、いきなりその辺のことを詰問(と私は感じた)されたときには正直面食らった。そんなこと知ってどうすんの? と思ったのだが、訊いた方からしてみれば「そういうもんだから」の一言で片付けられるようなことで、何の疑いも持ってないんじゃないかと思われた。

 「昔の方が息苦しくなくて良かった」というのは多く聞かれることである。テレビ番組一つとっても、どう考えても現在より伸び伸びやっていて、それだからこそ面白かった企画も正直あると思う(素人をドッキリで嵌めるなんて番組が余裕で成立していた。『モニタリング』なんて目じゃないほど悪どいワナで)。ただそうした時代の根底には、非常に大雑把にいえば、弱きものは踏み潰されて当然という価値観が強者だけでなく弱者にも根っこの部分から植え付けられていたという前提がある。息苦しくなったのは、伸び伸びと自由にやれなくなった強者だけの話であるといえる(まあ弱者は弱者でズルすることもあるんですがね。私のように)。

 なんか話がまとまらなくなってきてしまったが、昭和天皇の80歳の誕生日である昭和56年というのは、そういう価値観がまだまだ根付いていた時代だったんだよ〜という話なのであった。まあ私生まれる前ですが(・∀・)

記念メダルについて

 なかなか気合いの入ったデザインのメダルである。裏面なんて完全に右寄りな雰囲気を醸し出していて、うっかりすると私まで右に寄った人間に思われてしまうかもしれない。私の中で右に寄っているのは大事なところのみである(不要な下ネタ)。

街宣車に施されてそうなデザイン。
なんならこれをメーカーエンブレムの代わりに貼り付けたら立派な右寄り車の出来上がりである。

 大きさは38ミリ(デカメダル)である。

 このメダルはヤフオク!やメルカリで結構見かけるので、入手は容易である。

 前回茶平工業に訪問したときに、皇室メダルのことについてもいろいろとお話を聞かせてもらった。多くは語れないがその内容から察するにもう二度と作られることはないだろうな〜というか、作られていたのもまた昭和の時代を象徴する出来事というか、まあそんな感じである(奥歯に物が詰まった言い方)。

 何気に皇室関連メダルも何かと揃ってきたのが嬉しい。面白いジャンルですよね〜




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