邪道【皇太子殿下御夫妻御成婚二十周年記念】 記念メダル

皇族の結婚は大変だ

 記念メダルにある「皇太子殿下御夫妻」とは、現上皇上皇后夫妻のことである。昭和五十四年といえば、今から40年以上前のことで、お二人の「御成婚二十周年」という事柄が、若者たちにとってはもはや歴史上のことであると感じることだろう。もちろん私のとっても生まれる前のことである。

 詳細は省略してしまうが、「皇族の結婚」という歴史を紐解けば、現上皇上皇后夫妻の結婚に際して、いろいろと反対があり周囲が騒がしかったことは歴史上の事実である。特に旧皇族旧華族といったいわば「身内」からの反対が強く、それに伴い世間からの風当たりも強かっただろうことは、なんとなく現在の秋篠宮家の御家騒動と重なるところがある。それでもいざ結婚の段になれば華々しいパレードが催されて国民は祝福し(馬車を襲おうとした暴漢が現れたが)、結婚二十周年ともなればスイートテンダイヤモンドならぬ記念メダルが発売されるくらい、日本国民から祝福されるものとなった。結婚するまではいろいろあったとしても、その後にお二人が築き上げてきたもので、自然と国民を納得させたといえる。

 眞子内親王の結婚に関して長く揺れている皇室であるが、2020年11月に発表された眞子内親王の手記によって流れが大きく変わろうとしている。私としてはこの結婚の是非はともかく、この手記の文章力の高さ、眞子内親王の筆力の凄さに非常に感銘を受けた。

 以下、全文。

一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の本年に延期することをお知らせいたしました。新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。

前回は、行事や結婚後の生活について充分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。

それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、様々なことを話し合いながら過ごしてまいりました。

私たちの気持ちを思いやりあたたかく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。

一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。

また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。

しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。

今後の予定等については、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて、私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております。

この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。

天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております。

 まず文章が短いのが素晴らしい。

 小学校〜高校の作文指導では「○枚以上書け」という指導を基本として受けることが常なので大人になっても冗長な文章を書きがちだが(私です)、必要なことのみを必要な文量で書いているというところに、筆力の高さを感じる。眞子内親王がTwitterやったらバズりそう。個人的にはやって欲しくないけど。ただ、大統領がやる時代なので、もしかしたらそのうちありうるかもしれない(大統領はアカウントを永久凍結されたけれども)。

 率直に言って、この文章を読んだ多くの国民は「そこまで想っているなら」という気持ちになった者が多いのではないだろうか。それだけの力があるのはこの文章を書き上げた筆力と、さらには「2年間の沈黙」という時間の使い方の妙にあると考える。

 国民が「今まで散々いろいろなことを言われてきたけど、そういえば眞子様はどう思ってるのかな〜。さすがに愛想尽きてない?」と何となく思っていたタイミングで、その愛の揺るぎなさをバシッと伝えてきたので、インパクトが強かった。

 これには、「障害が多い恋愛を2年間維持するのは難しい」という現実を、多くの「普通の大人」が自らの中に秘める様々な実体験から重ね合わせるところではなかろうか。単純に、遠距離恋愛を2年間維持することは難しい。いわんや、皇室の結婚、国民からの反対をや。

 そうした一般感覚がある中で眞子内親王が発信した変わらぬお気持ち、変わらぬ愛に、ちょっと心を打たれてしまう国民が多かったのではないかと推測する。もちろんこれには、人ん家の恋愛事情など若干どうでも良くなってきているという、これまた「普通の大人」の事情がある。皇室ウォッチャー等は恐らく眞子内親王のこの意思の固さを否定的に捉える傾向が強くなるだろうと推測するが(まあお相手の印象が悪いのが主たる原因だと思うが)、スキャンダラスに湧き上がった期間も世間一般的にはとうに冷め、騒動を通していろいろと不甲斐なさが見え隠れしたお相手にも変わらぬ愛を貫き通すその姿勢に、「そんなに想っているならまあ良いんじゃない?」という気持ちになった一般人は少なくないだろうと予想する。いざ結婚するとなったらお相手のお家騒動のことをマスコミは絶対にもう一度あげつらうだろうが、皇室にあんまり興味がない若い世代はきっとあまり気にしなくなっているだろう。「あげつらう」なんて書いているが、騒動が事実であることとその対応に誠意がなかったことはお相手が発表した手記によって事実上認めてしまっていることではあるのだが。あの手記は、正直よくなかったと考えている。まるで証拠を積み上げて相手を論破しようとするかのような文章であった。が、必要なのは「俺は悪くない」と訴えることではなくて、理解を得るためには誠意を見せることだったと思うのである。代理人弁護士と弁護士志望の人が相談して書いたら、裁判での弁護士的な文章になっちゃったねというのが界隈でのもっぱらの評価となっている。「解決済み」という言葉を何回も使って問題を切り捨てようとする印象を与えたのは、本当に良くなかったね(小並感)。恐らく「お母さんを守る」という視点で文章を書いたんだと思うのだけれども。

 話を戻して国語の入試問題解答解説的な話となるが、眞子内親王が言いたいことは「しかし」という逆接の接続詞以降の内容である。現代文の読解技法では「しかし」「でも」といった逆接の接続詞には丸をつけろ、というのがセオリーとして存在する。私は付けたことないけど。

 このように見ると、この部分に付随する他の文言はそのほとんどが「言われそうなことを先に述べておくことで牽制する」といった、会社の会議等でよく使う手法が取られていることがわかる。ツッコまれそうなことを「そんなことは分かっている上で言っている」ということを暗に先に言及しておくと、相手の機先を制する効果がある。特に「両親の理解を得て」「天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して」という部分は、この発表が自分の独断による暴走ではないことを暗に述べて外野を牽制している。この発表への批判は、発表を了解した人たちへの批判にもなる構図となるからだ。

 多くの国民の理解を得つつ、さらには天皇家を案じるからこそ快く思わない一派からの批判も天皇家を思うからこそ封じ込める、ポイントをついた的確なコメントである(反対する者たちが真のところで天皇家のことを憂えているかは不明だが)。それをこの短文で表しているという点に、凄みを感じる。

 また皮肉なことに、お相手がかつて発表したコメントが国民から多くの反感を買っただけに、「しっかり者の奥さんと頼りない旦那」といった構図で妙にしっくり来てしまうことになり、上記の要素も相まって「まあ良いんじゃない」という空気感が醸成されつつある。

 繰り返しになるが、やはり2年間という時間が一番大きい。「遠距離恋愛を2年間維持する難しさ」を自分の人生経験に当てはめて考える人は、変わらぬ愛を貫くその意思の強さに共鳴してしまうだろう。

 個人的には賛成も反対もここには書かないが、結婚後、何も問題が起こらなければ今回の騒動を含めて二人の結婚のことを少しずつ忘れていき、何か問題が起これば「やっぱりあの時結婚するべきじゃなかったね!」と職場の同僚たちとちょろっとだけ話すような未来が見える。多くの日本国民がそんな感じなのではなかろうか。

 小室氏側の「元婚約者」の方も含めて、誰もが幸せになる道に進めると良いですね。

記念メダルについて

 大きさは38ミリ(デカメダル)である。

 この頃は皇室系の記念メダルがいろいろと製造されていた時期であった。が、恐らくもう造られることはないとのことである(社長談)。

 デザイン的には重厚そのものといった感じで、菊の御紋が実に雅である。やはり大きさが大きい分、記念硬貨よりも重厚さを演出できていると感じる。特に独特のフォントが良いよね〜

 まあつまり特に言うことはないということです(おい)。良いデザインで好きだけどね!




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