邪道【東海道新幹線開業20周年記念】 記念メダル

東海道新幹線20周年記念メダル
38ミリメダル(デカメダル)
東海道新幹線開業20周年記念メダル
38ミリメダル(デカメダル)
CHAHEIの文字を確認しがちぃぃ!
ケースに入ってると違いがわからん!

非てっちゃん、ぷらっとこだまにハマりてっちゃんへとメタモルフォーゼ中

今まで全然興味がなかったのに、何か一つでも興味をもつと途端にカッコよく見えてくるという不思議現象に見舞われ中。

 「ぷらっとこだま」という予約プランがありまして。

 何を今更、と思う方も大勢いると思うのだが、私はこの制度を恥ずかしながら最近知り、すっかり魅了されているなうである(古めの世代が出る言葉)。というのも、これも「何を今さらw」だとは思うのだが、当日券でのぞみ自由席に乗るよりこのプランでグリーン車に乗る方が安いという逆転現象が起こるのである。そして一度グリーン席の味を知ってしまったら、もう2度と、普通の席で「新幹線は乗り心地いい〜(*´∇`*)」とか純粋な気持ちで浮かれていたあの頃のウブなあたいには戻れないのだった……

 詳しい解説は下記掲載の動画を参考にされたし。

超有名な横国大生の動画

 私は実家が神奈川県なので、このプランを利用すると正確にいえば実家の最寄駅である小田原駅では降車できないことになる。

 が。

 私は記念メダラー。東京近辺には常に用がある。ここに「帰省のついでに東京近辺の記念メダルを回収する」という黄金ルートが確立されたのだった。

 なんならもう”新幹線に乗るのが楽しみでやってる”すらある。それだけグリーン席は快適だった。ベタな表現だが、気分は王様である。

まさかこのマークにご縁のある人生が訪れようとは思いもよらなんだ
写真じゃまったく伝わらないでしょうが、このシートが想像以上に快適なんですわ〜。世界を手に入れた(σ`д´)σ って気分になります。って伝わりますかね?(間違いなく伝わらない)
肘掛けが広いので、普通席に座った時に隣の人と水面下で起こる「この肘掛けを使うのはお前か、それとも俺か」問題が起こらないのが素晴らしい。座席が広い分、どかっと肘を置くわけではないので、意外と二人同時に使用しても気を遣いません。というか気がついたら私も見知らぬ隣の人も同時に使ってた。
まったく使わなかったけど読書灯もあります。これ、使うシーンってどういう時ですかね? 新幹線車内って十分明るくね?
ボタンは読書灯とヒートシーターのもの。ヒートシーター付けると9割の可能性で寝ます。
リクライニングするボタンひとつとってももうザクとシャア専用ザクくらい違うのです。
普通の席だと窓側にならないとコンセントを利用できないという制約がありますが(別に勇気があれば通路側でも使えるかもしれませんが)、どちらに座っても利用できるというこんなところもプレミアム感!
個人的には、このオットマンの扱いがマジで難しい。靴を履いたまま使用するver.と、クルッと手前に回して靴を脱いで使用するver.とが選べ、さらには角度調整までできるのだが、私はシンプルに「どかして素直に足を伸ばしたい」と毎回思うのだった。
座席背もたれの網収納には持って帰っても良いのかどうかイマイチ不明な車内専用雑誌が備え付けられている。
開くと坊主バーの勉強ができます。クセ強すぎィィィィィィィッ‼︎
この日はドリンク引換券でなぜか紅茶花伝を購入。最も安いドリンクと引き換えてしまったことに後から涙が出るほど後悔したケチの権化・私。
このテーブルが手前にスライドできて、座席間が広いからこその仕様であることも含め普通席のテーブルとの格の違いを見せつける。勉強も捗りますな!
パソコン置くのも余裕の広さなのもグリーン席DA・KA・RA!
Q.どんだけテーブル出てくんねん A.グリーン席ですから
上のチケットがドリンク引換券。実は500mlのアルコール缶もいけちゃうので、新幹線居酒屋がお得にできます。私はいつも特茶と引き換えるけど(内臓脂肪気にしがち)
ちなみに「東海道新幹線弁当」なるものが存在するのをご存知ですか?
東海道新幹線沿線のご当地グルメを集めて構成したオリジナルの駅園で、まあ1回くらいは食べておくのがマストかと。
ウナギは浜松。エビフリャーは名古屋。茶飯は静岡。あとはよくわかんね。
おいしかったですが、同じ値段のラーメンを東京駅で食べた方がたぶん美味しいです。
ちなみに横の東海道新幹線限定チップスター(伊勢海老味)も、普通のチップスターコンソメ味の方が美味しいです。
ちなみにトイレもグリーン車専用を使用できるので、奪い合いになりませぬ。乗車すると席に着く前に大抵トイレに行く私です。

グリーン車最高
( ´ ▽ ` )

 シンプルにコレである。心の平穏がマジで段違いである。勉強もブログ執筆も睡眠も食事も、全ての行為がランクアップされる。車内でやっていることは普通指定席であろうとグリーン席であろうと変わらないのに。

 「ぷらっとこだま」では実は普通の指定席での予約もでき、グリーン席との差額は1000円である。この1000円をどう考えるか——というのが意見に分かれるところであろうが、私はもう、グリーン席しかダメなカラダのになってしまったのだった。ダメなひも男もきっとこの手の手段で相手を手籠にしているのだろう(どの手やねん)。当日券で指定席を買うよりどのみち安いという事実が、安心して私にグリーン席をポチらせる。

 ちなみにぷらっとこだまの普通指定席は直前期になると大抵売り切れになっていて、グリーン席であれば前日でも大抵購入できる。スケジュールのリスク管理という意味でも、直前まで購入する必要がないのは大きいと個人的には考えている。このご時世、体調崩してゴッホゴッホいってたら新幹線なんて乗りづらいと思うので。

 私は暇さえあれば勉強かブログ執筆か読書に打ち込みたいために、友達と永遠におしゃべりし続ける女子大生並みに日々カフェかマックを探し求める「サードプレイス中毒」である。そんな私にこの程、「新幹線」という場所が加わった。この快適なイスと他に何もできないという閉鎖空間は、特にブログ執筆にとても適していると感じる。世のサラリーマン達が移動中の新幹線でパソコンをカタカタやる気持ちが非常によく分かった次第である。つまり遠征に行くとブログの更新と学習の進捗がはかどるという現象が起こる。追い込まれているときこそ逆に遠くにゆくとよいのかもしれない。探さないでくださいと言いたいところであるが、探してくれる人などそもそもいない。遠くにゆくのにことわりを入れなければならない——そんな不自由な人生を歩みたかったものである(なんじゃそりゃ)。

ただ帰省だと帰りの新幹線は小田原からになるので、この「ぷらっとこだま」は使えず、通常値段のグリーン席を購入する金銭的余裕などなく、あえなく普通席になってしまうのだった。せめてもの慰みに駅弁を購入——するものの、私はコンビニ弁当の方が好きですな正直。駅弁は「つけ麺特盛と同じ値段でこれかぁ……」っていう主にコストパフォーマンスからのガッカリ感がいつもある。
ちなみに普通に小田原−名古屋間に乗るのと、ぷらっとこだまを利用して東京−名古屋間(普通指定席)を乗るのとでは、30円しか違わないというね……
普通指定席では不満だと訴えるパンダの亀甲縛りだ!
東海道新幹線といえば車窓から見える【富士山】でございます。

何なら新幹線に乗る前から勝負だ

河合塾の自習室を思い出す造り

 新幹線を利用=勉強orブログ執筆、という等式が成り立つ私の生活では、実は新幹線待合室に2022年夏頃に設置されたワークスペースの利用が何気に新幹線に乗る以上に楽しみであったりする。きっとスタバでMacでドヤっている人はこういう気持ちなんだろうなぁと思いながら利用している。まるで有能なサラリーマンになったかのような気持ちでPCをカタカタさせ、悦に浸ってドヤっているのである。何なんでしょうね、この湧き上がる高揚感の正体は。私のようなドヤラーが存在することが、こういった場所で仕事をしている人たちが世間から揶揄されてしまう原因なんでしょうな。私はこういった場所で勉強やブログを書くことが正直楽しい。きっとキャンプで焚き火を見るのが楽しい人たちと湧き出ずる想いの源は同じである。そう、つまりはアウトドア派だ!(多分違う)

ここだけ切り取るとマジで自習室ですな。カメラの向こう側は人が溢れる待合室ですが。
壁に囲まれと集中力が爆上がりするからマジでみんなも試して欲しい。予備校の自習室がこういう造りになっているのはちゃんとした理由があるのね! 隣の友達とのおしゃべりを防止するためだけにあるわけじゃなくて。
電源もあるのでPC作業も超余裕。繋いでないけど。
「アルミは新幹線車両に使用していたアルミを再利用しています」とありますが、アルミなんてこのコーナーでこのプレートにしか使われてないんじゃないか疑惑⁉︎

開業20周年×3

 東海道新幹線の開業は1964年なので、20周年どころかもうすぐ60周年になろうかという現在(と書いて”いま”と読む感じで)、急に新幹線移動に目覚めたので今回の記事を起こした次第である。なぜ20周年ではこんなメダルまで作って本気出したのかはマジで謎なのだが、このメダルがあったおかげで無理矢理にでも「ぷらっとこだま」のことを記事にできて、自分の中に巣食う話を聞いて欲しい願望が成仏できたので、ありがとうJR東海! である。そう、この記事をここまで読んでしまった皆様は、私のわがままに付き合わされた被害者なのだ‼︎ わはははは‼︎(笑って誤魔化す)。

 私の人生は、今まではクルマ移動が主体であった。が、LCCによる北海道や沖縄への日帰り旅行の経験から、「日本って金さえ掛ければどこへでも日帰り旅行が可能じゃん」ということに気が付いてしまった。それ以来すっかりクルマで遠出するのが億劫になってしまった。確かに複数人で移動するなら費用的な面でクルマ移動の優位性が高いが、一人で移動するなら、抱えてしまうリスクと疲労の割には金銭的メリットが少ない(事故を起こしちゃうとかのリスクね)。

 何より移動時間に好きなことができるというのが大きい。そして好きなことをより快適に、より集中して取り組むために座席グレードアップへの課金をあまり厭わないようになった。これは新幹線に限ったことではなく、在来線特急に乗るようになったという意味でも当てはまる。そして最終的には各地のいろいろな特急に乗ってみたいな( ・∇・) というまんまてっちゃんのような思想へと進化して行ったのだった。今ではYouTubeで特急列車で旅する人の動画を見る日々である。まさかこんな時代が私に来ようとは。

アンドロイドのお姉さんがいろんな特急に乗って日本を下っていくうちにちょっとずつ丸くなってゆくシリーズ。丸くなってももちろんかわいい

 ただ、公共交通機関がそれほど充実していない地域で細かい移動が必要な場合はやはりクルマの利便性が勝るので、地方をぐるっと巡るような遠征ではまたクルマの出番となるだろう。こんなブログを大々的に書いている割に、実は私は細かいところが全然集まってない中堅記念メダラーだったりするので、とりあえず関東地方を早く終わらせて一旦ゴールが見えるような状態を目指したいものである。そのためには、これからも「ぷらっとこだま」で東海道新幹線を粛々と利用させていただきたい所存でございます。はい。

記念メダルについて

なぜこんなにも似てる構図で作っちゃったかね⁉︎ これが例えば左が20周年、右が30周年とかならわかるけどさ!

 2枚の20周年記念メダルは、両方とも38ミリのデカメダルであるので、収集対象するかどうかコレクターによって分かれるところである。刻印スペースもないしね!

 懐かしの0系新幹線の背景に富士山が見えるって、東海道新幹線のウリはこれしかねーんか? と言いたくなるような同じような構図に、何らかの闇を感じる。これを企画した人物はそれぞれ別にいるんすかね? いたとして、ちょっと縦割り組織過ぎひんかい? 2枚作る必要があったのかな〜と率直に思うし、作りたいならどちらかはせめて名古屋→東京方面でデザインしたら良かったんじゃね? と思うのだが、会社組織という魑魅魍魎蠢く世界では、紆余曲折を経た結果誰もが変だな〜と思っている答えに辿り着くことはままあることでもある。この闇はこれ以上追うまい。

 ちなみに東海道新幹線50周年記念メダルというのも存在する。

 このメダルは【JRリニア・鉄道館】で販売された。だからもしかしたらこの20周年記念のメダルも、JRの駅売店等ではなく、どこかの鉄道施設で販売されたものなのかもしれない。

 どなたか情報おもちであれば、ぜひご一報を。

(過去記事)新幹線、しゅるしゅるしゅるしゅる、線路に乗って走る〜

 見出しは「ひらけ!ポンキッキー」でやっていたネタ?で、人間ではない小さな男の子と、二足歩行の犬みたいな大人が、「この早口言葉言えるか?」みたいな掛け合いをしていて、男の子が見出しの言葉を全然うまく言えないみたいな内容である。子供心に全然面白くないと思って見ていたのだが、不思議なもので、そうしたものの方が鮮明に覚えているものである。

 こんな超どうでも良い内容で始めたのは、特に語ることがないからである。鉄道メダルは、本当に厳しい。てっちゃん要素が1ミリも足りとも備わってないだけに、体の内側からネタが湧き出てこない。

 東海道新幹線の開業は1964年の10月1日であるので、20周年記念は、1984年ということになる。30年以上前のことなので、ずいぶん古い記念メダルであることがわかる。現在では50年以上の歴史を誇るわけで、大変立派だと思うのだが、やはりいまいち興味がもてないのは、私がつまらない人間であるからに違いない。

 なんでも「世界初の高速鉄道」であったらしい。世界初というのは、素直にすごい(小並感)。1964年当時で時速200キロを超えたらしいので、素直にすごい(小並感)。開業初日に名古屋駅でドアが閉まらないというアクシデントがあったことが以後の「名古屋とばし」に繋がったとか繋がらないとか(いや、繋がりません)。うーん、湧き出てこない。

(過去記事)新幹線の思ひ出ぽろぽろ

 語れるほど新幹線に乗ったことはないのだが、人生で最も乗車しているのは東海道新幹線であることは間違いない。くどいようだが鉄道には興味がないのだが、新幹線の「快適さ」は素直に好きで、普段全然乗る機会がないこともあり、乗る前はワクワクしている。ちなみに新幹線に乗るときは指定席一択である。学生の頃は少しでも安く済ませようと自由席を購入していたが、ある日ふと、「指定席なら早めに並んで待っている必要がないじゃん」という至極当然の事実に気がつき、数百円しか違わない指定席券を購入するようになった。この数百円を余裕で捻出できるようになることが、大人になるということなのかと感じる今日この頃。
幼少期に親と乗っていたときも、実は自由席であった。だから寒風吹きすさぶホームで早くから並び、列にデカイスーツケースだけを置いてどこかに行って列車到着間際になるとどこかから戻ってきて平気な顔で列に割り込んで来る大人たちを薄汚い存在として認識していた。と同時に、今思うと「我が家には金がなかったんだな〜」ということを思う。また小さい頃は知らない人の隣に座るのが嫌で、そうするくらいなら立っている方がよほど良かったのだが、親はもちろん子供に気を使って席が空いていれば子供を優先的に座らせてくれていた。その辺の「ボタンの掛け違い」的な意思疎通のできなさをうまく伝えることができず、スパスパ煙草をふかすおじさんの隣で身を小さくしていた思い出がある(幼少期は禁煙車というものがなかったし、お盆か何かのときだったのか、新幹線でも立って乗車していた記憶が多い)。

新幹線内での過ごし方としては、本を読むことが多い。最近ではiPad miniにキーボードを取り付けてブログの下書きをしたことがあるが、個人的にはそんなにはかどらなかった。ただ「新幹線の中でキーボードをカタカタしている自分が楽しい」という、ある種の「できるビジネスマン」への憧れからくる高揚感があり、イベントとしては楽しかった。たぶんもうやらないと思うけど。一昔前に流行った「スタバでMacでドヤる」に似たような高揚感であると思われる。車内でマジで仕事に追われている人にとってはどうでも良いだろうが。
駅弁は個人的にはそんなに好きではなく、冷たくて量も少ないのにコンビニ弁当の倍の値段がする、という印象である。ただ、「新幹線内で食べ物を食す」という行為の特別感は共感できる。チップスターがやたらとおいしくなるのは新幹線マジックである。

↓ただ単にチップスターが好きなだけなんじゃないか疑惑

 鉄道に興味はないが、実は電車に乗ること自体は別に苦痛ではない。むしろ電車通勤派である。理由は「移動時間に本が読めるから」である。3年間だけ車通勤の時代があったのだが、読書量が激減したし、何より「車に乗っていると何もできないな〜」ということを日々思っていた。私はクルマも多大な金を掛けている趣味の一つなのだが、それは「通勤含まず」であることがわかった自己発見の日々でもあった。本に関しても、むしろ電車の中以外では全く読まないので、電車通勤でなくなると必然的に何も読まなくなることになる。電車通勤大好きである。
新幹線に乗るワクワクは、実は本をじっくり読むというワクワクとセットなのかもしれない。

(過去記事版)記念メダルについて

 裏面が図柄と刻印面とに分けられていないタイプなので、不人気or需要少の記念メダルであると思われる(刻印しようと思えばできると思うけど)。私のように邪道な入手の仕方で記念メダルを発掘することをいとわないタイプの記念メダラーが「茶平製か否か」を見極めるポイントは、一番多いのは「刻印面があるかどうか」で、二番目はケースの裏(あるいは外箱)に「CHAHEI」の文字があるかどうかではないかと思われる。このメダルの場合は、ケース裏に「CHAHEI」の文字があるのでそう判断ができる。一方で、明らかに刻印面があるのにケース裏には「CHAHEI」の文字が無いものもあるので、「茶平製だからといって必ずあるとは限らない」という難しさもある。つまり、刻印面も「CHAHEI」の文字もないけどどうみても茶平っぽい、というメダルの判断は、実は確認手段がないに等しく、もぞもぞと身悶えてしまうのであった。そのため「茶平か微妙」というカテゴリーを設けることとなった。

 この場合、せめて販売元だけでも分かれば、それが「オークコーポレーション」や「東海メモリー」「日本メモリー」といった(記念メダル販売の)有名どころであれば「ああたぶん茶平だなぁ」と判断がつくのだが、むしろ販売元がわかるのはレアケースである。何も情報がなければ、結局茶平工業に確認するしか術はなく、確認しても判明するかはわからない(古いものであれば特に)。そんなわけなので、アーカイブスを作りたいなぁという野望の途中経過がこのブログなのであった。

 記念メダルの図柄としては、まさに東海道新幹線を象徴するものとなっている。乗車していて富士山付近を通過するときは、車内がなんとなくソワソワする。東海道新幹線に乗ったからにはとりあえず見ておきたいという心理が働くのは、それが富士山だからであろう。他の山ではダメなのだ。

 神奈川県に住んでいるときは、晴れていれば毎日自宅から富士山が見えていた。だから日常の風景の中に富士山は存在していて、正直特別な存在ではなかった。それが大学進学を機に下宿を始めてからは、不思議と富士山を見ることが特別なこととなった。

 別れてはじめて相手の大切さがわかった、みたいな?




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