邪道【阿波踊りフェスティバル’89】 記念メダル

阿波踊りフェスティバル記念メダル

「総踊り」の中止に揺れた2018阿波おどり問題

徳島名物「阿波おどり」といえば、揉めに揉めた「総踊り」の中止である。といっても私は阿波踊りも総踊りも全然詳しくないし今まで興味をもったこともないので、阿波踊りというよりも「この騒動に興味をもった」というのが正しい。性癖として、地方公共団体の利権問題が好きらしい(趣味悪い)。公務員て利口な人が多いはずなのに、特に一昔前の契約内容とか見ると「バカなの?」と思っちゃうような企業側が圧倒的に有利な内容の契約であることが多い印象があったりして、好きなのである。公務員や公共施設・公共事業にまつわる話が大好物である(気持ち悪い人)。

今回の大騒動の遠因としても、調べてみると主催者の一つである「徳島新聞社」だけが全く損をしない仕組みが存在するのが根本にあるように見える。ただ別に、そういう契約を勝ち取っている徳島新聞が強者であって悪者ではないという見方もできるのだが、世間的にはそう見られないことが多いようである。一方の主催者が4億円の赤字を出しているのにもう一方の主催者(徳島市観光協会)は損をしていない、というのは世間的には許しがたいことなのではなかろうか、単純な問題として。徳島新聞の見解を読むと赤字に関しては「向こうが言うこと聞いてくれなかった」というような主張である。また良い席のチケット買い占め問題に関しては、「チケットの売り上げ利益は協会側に全部納めてましたよ!」ということを再三主張していている。まあ仮にそうだとしても「主催者しか確保できない席のチケット配布を利用した営業」の利益は当然徳島新聞側に入るだろうしそもそもそれが目的っしょと思うのだが、そのことに関しては巧み?に言及を避けている印象(チケット販売での利益を、純粋な「売り上げの利益」として「それは全て事業特別会計に納めている」と言うことによって、チケットを利用した新聞営業の販促から話を逸らしている印象を受ける)。でも、それがなければ徳島新聞が主催者として参加する大きなメリットの一つがないわけだから、「そこに文句言われるなら、じゃあやりたくないし〜」というのが本音なのではないだろうか。

ポイントとしては、良い席が徳島新聞に押さえられていて一般販売に影響を与えているという問題は「解決できない」という点にある。世論に押されて少しの改善くらいはするかもしれないが、この利点がなければ、徳島新聞が主催者の一人として名を連ねる利点がかなり縮小するーーつまり、撤退の可能性が出てくるわけである。現在の実質運営者である徳島市がそれでも良いと判断するならばそうなるかもしれないが、どうかね〜。

一方で、踊り手、観光客、地域住民のこと、そして祭りを盛り上げることを第一に考えてきた「徳島市観光協会」の自己犠牲心・ボランティア精神に満ちた運営の結果が累積赤字4億円である。それがいかんよね〜ということで徳島市が自ら名乗りを上げて運営改革に乗り出し、その中で最も目立った施策が「総踊りを中止して、客を分散させチケットの売り上げを底上げさせる」というものだった。具体的には、本来「総踊り」をしていた時間帯には有名団体を4箇所の有料演舞場に配置して盛り上げるという計画を立てた。そうすれば、「総踊り」実施中には客が一点に集中し、そのためスカスカになっていた他の演舞場にも満遍なく客が入る=チケットが売れるだろうという見込みをもっていたようである。

当たり前の話であるが、一般人・観光客からしたら、市の案よりも、有名団体を一度に見られる「総踊り」の方が圧倒的に魅力的である。

ただ、利益度外視で祭りの盛り上がりを最優先するのと、利益差配を考えて無難に客を散らばせようとする構成のどちらが「客ウケがよいか」なんてことは考えるまでもないことである。しかも、利益度外視で良いモノを目指してきたという流れから一転するというハンデを背負っているのだから、市の方向性がブーブー言われるのは当然といえば当然といえる。

ところがこの問題が根が深くなった要因は、「市の案はつまらない」ということではない。ようは「面子(メンツ)」の問題なのである。そしてそれこそが、市が最も失敗したポイントだと個人的に感じている。忌憚なき言葉でいえば「バカだな」と思うし、同時に「公務員っぽいな」と地方公共団体の失敗によくある印象を受けるのであった。

踊り手を参加させてあげているのか、踊り手は参加してあげているのか

観光協会から運営を取り上げて祭りの刷新を図ろうとした徳島市側と、いままで祭りの「主役」として阿波踊りそのものの屋台骨を支えていた踊り手側が対立する構図となった。それが世間に知れ渡ったのは「実行委員会(市側)が阿波踊り振興協会(有力踊り手団体)を前夜祭へ出演させないことを決定」といわゆる有名連を締め出したことによる。詳しい経緯はググればいくらでも出てくるしどちらの言い分も転載されているが、ネット記事作成者は概ね振興協会側(踊り手団体)の肩を持っているような印象である。というのも、経緯の過程で「実行委員(市側)は総踊り中止を独断で決めた」というのが厳然たる事実としてあり、踊り手側はそれに「40年の歴史を誇る総踊りの中止を何の相談もなしに勝手に決めやがって!」と反発→気持ちわかるよ! というネット記事の流れがある。

ただ私の予想では、市側は、本当に、ナチュラルに自分達だけで「総踊り中止」を決定したと思うのである。つまり、はなから「踊り手側に相談する」という考え自体なかったのではなかろうか。なぜなら、そういったことを決めるのはあくまで運営であって、出演者は運営が決めた枠組みの中で出演するだけだろ? みたいな意識が見え隠れしているからである。運営側は明らかに「出演させてあげる」感をもっていた。その証拠に、チケット販売4日前の6月27日に実行委は総踊りに代わる「新フィナーレ」に出演するかを踊り手側に電話確認し、そこで「不参加」を伝えられている。それを「チケット販売直前のドタキャン」と急遽プログラムの変更を迫られてむちゃ怒ったわけだが、常識的に考えれば「(市側の)確認おせーよ」と思う。恐らく「新しいフィナーレの形になったけど、別にいいよね?」みたいな感じで確認電話したのではなかろうか(推測だが)。そもそも断られたらすげー困るタイミングで電話したというところに、断られると全く思ってない傲慢さがある。ここに、市側の「踊り手軽視」が透けて見える。踊り手側からしてみれば「何の相談もなしに勝手にいろいろ変えていく」という鬱憤が溜まっていたことだろう。一方で市側は「演者ごときは黙って運営の決めた通りにやればいいんだ」と言わんばかりのやり方であるように見える。そもそも、「総踊り中止」にしたって何にしたって、決めることやること全てが遅いのである。常識的に考えれば、出演者を決める前にそういった枠組みはきちんと決めておくべきなわけで。出演者が決まってから途中でバタバタとあれこれ勝手に変えるから、出演者を軽視していることが浮き彫りとなって、溝が深まっていったという印象である。

お願いして出てももらっているのか、出たいというから出してあげているのか。

市は報復措置として(まあ「報復」なんて口が裂けても認めないだろうが)、振興会(踊り手側)の「前夜祭」への参加を取り消し、締め出した(「前夜祭」も盛り上がるイベントだそうな)。からのーー振興会所属有名連による「自主的な総踊り」への実施へと繋がっていく。で、市長のおきまりのセリフ「誠に遺憾である」。

なぜ泥沼の離婚劇のような様相となってしまったのかーー。

ひとえに、運営を観光協会から取り上げて実質的に主導した市が、外資に買収された企業よろしく、人の尊厳も自尊心も何も考えずに改革を断行したせいである。しかもその手腕は鈍臭く、高飛車であった(結果収益を落としたところが実に鈍臭い。人のせいにすると思うけど)。面子を潰した、気配りができなかった、人の心を慮れなかった、黙ってこっちの言うことを聞いていれば良いとと言わんばかりのやり方等々の点が、実に地方公共団体・公務員くさい。実行委員会(市側)は祭り全体のことを考えて最善を尽くそうとしたのだろうが、おそらくそうした意識も最後には邪魔をして「最善のことをしようとしているのに邪魔してきやがる」的な発想となって、「前夜祭に出演したけりゃ損害賠償規定を盛り込んだ契約書にサインしろ」みたいな愚行にまで発展したのではないだろうか。たぶん担当者たちはいまでも気づいてないと思うけど、この行為は「出演させてやってるんだ」という意識がなければ出てこない発想である。踊り手側には当然自分達が祭りを発展させてきたという自負があるだろうから、「頭下げてまで出る気はねーよ!」と憤るのは当然の結末であるといえる。「総踊り」の強行は、「祭りはお前(市側)のものじゃねー!」という魂の叫びだったように見える。

「総踊り」をやるやらないというのは、この問題の一端でしかない。その根本は、面子の問題であったと考える。総踊り中止への反発は、運営側への反発の一つの形でしかなく、そこだけで語るとただの子供のケンカのようになってしまう。面子を潰す潰さないの問題は、社会人にこそ重要な問題である。

誰のための祭りなのか

祭りは参加する人のためのものなのだから、何が一番大切なのかを今一度考えて欲しいーーというような言葉で締めくくるこの問題に関するまとめ記事を多数目にした。まとめ記事は基本アフィリエイト目的なので、俗にいう「オピニオン記事」になることを嫌う。そのためこのようなアンニュイな結論で話を締めることが多い。が、この結論は一見聞こえがよく至極まっとうな意見に思えるが「利益度外視で参加者のためにいろいろなことをやってきた結果起こったのが4億円の累積赤字問題である」というそもそも論がどっかに行ってしまっている。「参加する人のためばかり考えてたから赤字になったんやろが!」というのが少なからず市側の思いとしてあるのではなかろうか。そしてそれはきっと事実である。

市の思いとして「収益をあげなければ存続は難しい。祭りを継続させたいなら、それを考えるのが一番大切じゃないか。なのにどうして足を引っ張るんだ!」という声が聞こえてきそうである。だって4億円の赤字なのである。そりゃなんとかしなきゃと考えるのが普通だろう。旧主催者の観光協会は「まだ補填できる!」と反発していたが、4億円の赤字を出した奴を信頼しろという方が無理な話である。だって4億ですよ(くどい)。だから市は改善に乗り出した。

ただやり方がヘタだった。それだけの話といえばそれだけなのかもしれない。

(ただ、「祭り」と「新聞社」と「市行政」と絡むのは、上記のように単純な話ではないような印象もあるんだよね〜個人的に。ただ踊り手側と揉めたのは単純に面子の問題だと思う)。

記念メダルについて

必要な情報を必要最低限のみ記した、非常にシンプルな記念メダルであると言える。「徳島市制100周年」が「平成元年」で、「阿波踊りフェスティバル」で配布された記念メダルであるということがメダルを見ただけで分かる。素晴らしい。

あの阿波踊りも記念メダルになっていたとは〜、と感激して入手した一枚。ちょうどタイムリーにいろいろあった年(2018年)でもあるので、個人的に思い入れが結構ある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です