記念メダラーたちに馴染み深い駅・上野
上野駅といえば記念メダラーにとっては【国立科学博物館】である。特別展が開催される度に訪れることになる駅・上野。訪れてみると、「人がごった返しているとはこのことか⁉︎」という東京の洗礼を田舎者(私です)に浴びせてくれる場所である。
かつては【ありがとう 寝台特急 北斗星】(未所有)などの記念メダルが駅のキオスク「NewDays」で発売された、立派な記念メダルスポットの一つでもある。
そんな上野駅の始まりの時——「開業」のときにも、茶平工業記念メダルが販売されていたというのは感慨深い話である。すべての記念は茶平で始まり、茶平で終わる(縁起でもない)。
記念メダラーである限り、上野駅には再び訪れる機会が絶対にあると思うので、そのときに改めてじっくりと探検して記事を書き起こしたい。北斗星メダルを買っておけばもっとちゃんと見て回ったと思うんですけどね……
上野にいる西郷どん
おもて面に描かれている首なし人間は、言わずと知れた薩摩藩士の西郷どんである。思えば、幾度となく上野に行っているのに、一度も上野恩賜公園内の西郷どん像を見たことがない。なんたる失態だろう。次行ったときは必ず見よう。←見た!
で、改めて思ったのが、「なんで上野に西郷どん?」である。今まで一度も考えたことがなかったが、お前なんでいんねん? とメダルに描かれている首がどっかいっちゃった西郷どんを見て改めて思った次第である。出身地鹿児島にも2体の銅像があり、特に興味のない私のような人間には写真を見ても違いがわからずどれがどれだかさっぱりなのだが、考えてみみれば上野にあるものだけは場所的に異質である。
結論をいえば、「江戸城無血開城」の功績によるものらしい。建てられたのは明治31年と、実はめっちゃ古い。しかも明治31年というのは西南戦争から20年くらいしか経っていない時期である。建立計画を立てたのはもちろん新政府内の元薩摩藩士たちらしいが、相当な反対があっただろうにそれでも押し通して実現したのだから、この事実だけでも、西郷隆盛とは幕末維新士たちの心の拠り所だったんだなぁということがわかる。なんたって内戦の敵側総大将だった人間を銅像にして東京に置くわけなのだから。鹿児島の2体はまあわかるけれども。
上野の西郷どんも次に訪れたときにはきちんと写真を撮ってこよう(という備忘録メモ)。←撮った!
上野にいる西郷どんは暑い中でも寒い中でも威風堂々としていてなかなかカッコ良いのだが、いかんせん、博物館やら動物園やらから少し歩いた場所にお立ちになっていらっしゃるので、観光客が目にする機会が少ないと思われる。上野もパンダだけではなくもうちょっと西郷どんをアピってあげてもよいのではなかろうか。
記念メダルについて
開業日となる「1985.3.14」がメダルおもて面に刻まれている。つまり、このメダルは西郷どんからのホワイトデーのプレゼントということになる。異論は認めない(という暴論)。
裏面は「新幹線開業系」とも言うべきデザインとなっている。この頃は新幹線開業ラッシュであり、同時に新幹線開業記念メダルラッシュでもあった。新幹線関連でお祝い事があると大抵このデザインである。メダルの大きさ問わず。
大きさは38ミリ(デカメダル)サイズである。時代としては31ミリメダル(通常メダル)が主流になりつつあるときではあったが、こういった大きなイベントを記念して製造されるメダルとしてはまだまだこの大きさが選ばれていた時代であるともいえる。38ミリメダルって実はキーホルダーにすると結構良い感じになる大きさなので、【富士山】以外でもどこかのチャレンジャーな施設が販売しないかな〜と密かに願っていたりらじばんだり。
とはいっても、今更私が言うのもナンだが、やはり38ミリサイズにまで手を伸ばすと収集の際限はもはや無いに等しくなる。素直に、通常サイズである31ミリのみを集めると割り切っていた方が何かと幸せであるような気がしてならない今日この頃である。
ちなみに西郷隆盛単独のメダルというものも存在する。出所不明なのでこちらの記事についでに載せておくことにする。
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