【販売場所①】
@有料エリアのミュージアムショップ「球陽」内
備考:隣のアイスの宣伝POPに侵食されている!
【販売場所②】
@「球陽」内の窓際の棚
備考:ケース入りのメダルも全種販売されているが、ケース分高い!
【販売場所③】
@首里社館前に並んでいる露店の一番奥の店(無料エリア)
備考:球陽の販売機ではネックレスが売ってないが、こちらでは売っている。が、コレクターはたぶん買わない。
【販売場所④】
@首里社館内ミュージアムショップ(無料エリア)
備考:ケース入りで手売り販売。ケース分値段が高い。
正殿と大龍柱の記念メダルセットです。ケーズごと飾ることができます。色違いのゴールドタイプもあります。
人生で最も飛行機に乗る年
沖縄へは高校の修学旅行で訪れたのが初めてのことで、飛行機に乗ったこともこの時が初めてだった。それから二十数年、一度も飛行機に乗ることも無ければ、沖縄へも縁はなかった。それなのに今年に入ってからこれが飛行機は6回目の搭乗となり、沖縄へも2回目の訪問となる。私の人生に一体何が起こったのか——全ては【太平洋フェリー】の無料乗船券の当選が始まりであった。詳しくは下記。
この幸運をきっかけにLCCという禁断の翼を手に入れたのだった。公共交通機関を使うなら富山に行くより沖縄に行く方がよほど時間もお金も掛からない——というのが最近私が周りの人間にドヤ顔でウザいほど語る定説である。解体前に【クロスランドタワー】を訪問しておきたいのだが、沖縄に行く方が容易だとすると、沖縄を優先してしまうのであった(クロスランドタワーは2025年に閉鎖予定)。
【セントレア】から朝7時の便に乗って、20時過ぎ発の便に乗って帰ってくれば、多少到着時刻が遅れたとしても中部国際空港駅の終電に余裕で間に合う(余談だが北海道の新千歳発便最終はこれがちょっと微妙で、到着が20分弱遅れたせいで空港を死ぬほどダッシュしたことがある)。沖縄は日帰り旅行が可能な場所となったのだ!
そんなわけで肌寒い冬の早朝——夜も明け切らぬ中、沖縄へ出発だ!
そしてもちろん、「肌寒い冬の早朝」というのはこの後の伏線である。
11月末に冷房がかかっている異次元世界線:沖縄
とりあえず言いたいのは、11月最終土曜日、家を出た時は間違いなく寒かった——ということだ。間違いなく寒かった。ネックウォーマーに冬物コート、手袋まで付けて完全防備をしたが、寒かった。だって冬じゃん、11月末って。なんならむしろ12月じゃん?
飛行機に乗って空を飛んでいたら、どうやら私は並行世界に流れる別の世界線へと来てしまったらしい。だって中高生の制服が夏服の半袖なんだもん。
そんなことある? ほぼ12月よ? ここ南半球? サンタクロースがサーフィン乗ってやってくるやつ?(オーストラリア)
那覇空港から【首里城公園】へはモノレールで移動することになる(写真撮り忘れた)。大体30分くらいで首里駅に到着し、そこから10分くらい歩くこととなる。Googleマップを見ながらふらふらと歩いていたら知らないおじさんに声を掛けられ、「案内してやる」とのことでおじさんの背中を追うことに。私ももうアラフォーになるのだがこの年齢になっても知らない人に付いてって良いものかどうか迷った。そこから考えるに、実は子供によく言う「知らない人についてったらダメだからね」という万物共通の注意事項は、考えているほど簡単に守れるものではないのではないか——実際、私ついていくことになったので。
もちろん「◯◯あげるからおじさんについておいで〜」くらいなら防げるかもしれない。が、例えば母親がちょっとだけでも目を離しているときに「お母さんこっちにいるから一緒についてきて」と言われたら、ついていってしまうものではないだろうか。もっと具体的に言えば、お母さんのところに行こうとしているときに「お母さんのところにつれていってあげる。こっちにいるよ」と言われたら抗えないのではないだろうか、ということである。
私の今回の件の場合でいうなら、【首里城公園】に向かっているときに、首里城公園まで(一方的に)案内してくれると言って一緒の方向に歩いている人から離れることは難しい、ということである。仮にGoogleマップが指し示す方向と違う道を案内人が行こうとしているときに「こっちの方が近い」「普通はこっちから行く」とか言われたら、それを鉄の意志で断ってGoogle先生遵守をするのは、結構難しいと考える。なぜなら、相手の善意を無下にする構図となるからだ。人の気持ちを考えられる人間であるほど難しくなる。
そこに”子供が大人の言うことを強い意志で跳ね返すこと自体がそもそも難しい”という前提が加われば、大人からの悪意ある誘いを断ることは、もはや不可能に近いのではないかとさえ思えてくる。
今回の場合はもちろん純粋な善意で案内していただいたので、無事に【首里城公園】に到着したし、別れ際には丁寧にお礼の言葉を伝えさせていただいた。ただ私の思いを正直に述べるなら「頼んでないし、困ってなかったし」というのが本音であり、それなのに突如として介入してきたことにアラフォー中年男でも不安を覚え、そしてその”善意”に抗うことはできなかった。
じゃあ何らかの理由で困っている子供だったら、大人の”善意”っぽいものを振り払って自己防衛するなんて不可能じゃね? という考えに至った次第である。
そんなことを汗をかきながら徒然なるままに考えた11月末の沖縄。なぜ11月末で汗をかく。
令和元年10月31日
【首里城公園】内に入ると、そこからはもう雰囲気が一変する。他の現存天守も再建城も、お城の周囲は大抵お城に合わせた形でまちづくりをしていてお城の雰囲気を損ねないようにしてはいるのだが、日本的な建築物は良くも悪くも日本の街並みにしっくりきていて、「別世界だ!」とまで感じることはほとんどない。しかしここ【首里城公園】は、一歩足を踏み入れれば、例えるならヨーロッパの古城を訪れたときのようなインパクトがあった。ヨーロッパ行ったことないけど。
私は一度訪れた場所にもう一度行くことはあまり好きでは無い。理由は単純で「初めてきた時の感動はもう2度と味わえないから」である。
が。
前述の通り、首里城には高校の修学旅行で一度訪れているはずなのだが、初めて足を運んだかのような感動が私を包み込んだ! びっくりするほど全然覚えていない。こうして人は、大切な人のことも少しずつ忘れていくんですな……
目に映る物全てに感動する光景がそこにあった。たぶん海外旅行とかに行ったら、今の私なら全てに感動するだろう。人生の折り返し地点へとやってきて、新しいもの、新鮮な体験とはほぼ無縁な単調な毎日を送るようになり、”非日常”を味わう感動をいつの間にか忘れてしまっていた。そんな擦り切れたやさぐれ中年男は、大規模な”日本的で無い物”、に心が動かされる。超はっぴ〜。
そんな異国情緒あふれる石垣に感動しつつも、正殿は残念ながら復興工事中である。あの首里城火災の爪痕は今なお色濃く残っている。ちなみに出荷の原因は「不明」、事件性は「なし」として、警察の捜査はすでに終了している。
実は首里城は過去5回ほど焼失しているのだが、その度に復活を遂げてきた不死鳥の世界遺産なのだ!
出荷原因等なにもわからないままで無念極まりないが、ぜひ今回も復活を遂げてほしい。そんな復活の一助となってほしいという想いで入場料を払い、記念メダルを購入した。微々たる過ぎて何の足しにもなってないだろうか。
有料エリアは「見せる復興」と題して、その再建までの道のりを展示していた。これぞまさしく今しか見られないものだと思い、目に焼き付ける思いで一つ一つの展示を見た。この光景が2度と見られなくなることは、復活を遂げたということなのだ!
焼失はこの上なく悲しいことであり2度と起きてはいけないことだが、そこから立ち上がって前に進もうとする姿は純粋に素晴らしいな、と私としては珍しく至極真っ当なことを思った。完全復活したらまた来たいね! そのとき、新作記念メダルが発売されたら最高だね!
その他、気になった諸々
記念メダルについて
メダルの販売場所は、大きくわけて有料エリアと無料エリアの2ヶ所となる。ラインナップは同じと言って差し支えないので、メダルだけが目的なら首里城再建工事の様子は見学しなくてもよいことになる。しかし沖縄那覇まで行って入城料400円をケチるとかあり得ないので、どちらで購入しても良いけど気持ちよく入城しようぜ!(何キャラ?)
ちなみに有料エリアでも無料エリアでもミュージアムショップでケース付きver.が販売されているのだが、ケースが付いている分、お値段がかなりお高め! 500円以上価格が跳ね上がるので、コレクターがこちらを購入する日は永遠に来ないだろう(オンラインショップ除く)。ケースって意外と高いのね! 時代はエコ志向だね!
ここのメダルはかなり昔から販売されている。金メダルを入手したのは私が20代前半の頃のはずなので、かなり昔だ。恐らくそれよりもっと昔から販売されていただろうから、30年以上(?)くらいに渡って沖縄の記念メダル事情を長年支え続けてきた功労者であることは間違いない。ただ長らく販売機は設置されておらず「ケース付き金メダル」のみが販売されていたのだが、いつの間にやら銀メダルがラインナップに加わっていた。これに気づいたのは、少なくてもTwitter上では2021年末の出来事である。公式オンラインショップで銀メダルのセットが販売されているのを発見された方がいた。恐らくその発見から1週間くらいは、オンラインショップ担当の人は「えっ! 何っ⁉︎ バグ⁉︎ 天変地異⁉︎」と思うくらい注文が殺到したことであろう。
で、その後の流れとしては、長らくケース入り販売だけだったものが、いつの間にやら販売機が設置されていることが判明し、販売機では金銀両方のメダルが販売されていることも明らかとなった。この潮目の変化は、勝手な予想ではあるがあの2019年10月の火災ではないかと考えている。復興が進む中でミュージアムショップがリニューアルオープンしたことを契機に販売機が導入されたり銀メダルが新発売されたりしたんじゃないかな〜と思うのだが、もちろん真相は不明(火災から銀メダル発見までにはだいぶタイムラグがあるし)。
そんなわけで、要するにこの施設は記念メダルにそれなりに力を入れているということが言いたいのだった。その様子が端々に現れている。
観光地がメダルに本気を出してくれていることは、マニアとしてはなんだか嬉しい。これからもぜひこの勢いで頑張ってほしい。マニアじゃない人もぜひ買って!(マニアしか読まないブログにおける決して届かないだろう魂の叫び)。
デザインとしては、正門は2022年現在復興作業中であるので、メダルのデザインと実物とを見比べるという観光地メダルの醍醐味の一つを味わうことはできない。残念すぎる。
ただ、火災にも負けずに立ち続けていた大龍柱の姿は資料で確認できる。
令和8年に予定されているの完全復元の際には、それを記念した記念メダルが発売されるのではないかと超勝手に予想している。その折にはぜひまた訪れたいね!
(過去記事)2度とは戻らぬ青春
首里城には、高校の修学旅行のときに行った。高校時代の私はわかりやすいほどのやさぐれ具合であったので(ヤンキーではない。というか、なれない)、「けっ、修学旅行なんて……」というタイプであったのだが、行ってみたらこれが超面白かったもんで、私という人間は実に単純である。1日目のホテルに到着するや、備え付けのプールで思う存分はしゃぎまわり(カナヅチなのに)、そこでは生まれて初めて「女子高生のビキニ」なるものを見た。ちなみに当時は私も高校生なので、決して犯罪ではない。そして当時は、その価値がわからない無知な人間であった。いや、もちろん目の前に広がるビキニ姿に涎が滝のように流れ落ちたのだが、それがこの先もう決して見ることが叶わぬものであるとはそのときは知る由もなかったのである。まあ今では20代のビキニの方が見たいのだが。その辺、私は健全なのであった。
これは一体何の話だ?
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