邪道【モントリオールオリンピック’76】 記念メダル

モントリオールオリンピック記念メダル32ミリ
32ミリ(通常メダル)
モントリオールオリンピック記念メダル38ミリ
38ミリ(デカメダル)
モントリオールオリンピック記念メダルケース

あの往年のギャグが生まれたオリンピック 〜使用料払えと言われないのか問題〜

 【モントリオールオリンピック】は、1976年にカナダのモントリオールで開催された夏季オリンピックである。私は地理にも歴史にも国際情勢にも疎いので、「モントリオールってカナダだったのね」と一社会人として大変恥ずかしいことを思ったのだが、きっとこれは私だけではあるまい!(根拠なき断言)。

 モントリオールオリンピックといえば、日本人であるならば誰しもがまず思い浮かべるのは、「コマネチ」であろう。

 もちろん、上記「コマネチ!」(角度36度)のことではない。体操選手「ナディア・コマネチ」のことである。

 体操選手「コマネチ」は、競技史上初「10点満点」を連発した伝説の選手である。 映像を見ると、確かに可憐で可愛らしく、そして美しい演技であると思う。ミスも一つもないのかな? 素人なので詳細に関してはよくわからないのだが、「すごーい」という感想である(小並感)。2分ちょっとの動画なので、教養のためにもぜひご覧いただきたい。

ただ、ビートたけしのあの往年の名作ギャグに関して、私は一度も面白いと思ったことがない。というか、意味がわからないのである。

 無論、「体操選手であるコマネチ選手のレオタードがなかなか際どい角度であったので、それを表現している」という意味での意味は理解している。ただ、あの手、あのポーズで「コマネチ!」と発することが、どうしてギャグとして成立するのかがわからないのである。笑いどころがよくわからないというか、「変なことしている」=「ギャグ」なの? という純粋なる疑問が拭えない。

 面白いんですかね? コマネチ! って。

 少なくても私はあれを見て一度も笑ったことがない。ビートたけしがやっているところをテレビで見ても笑ったことがないので、宴会芸等で素人が決めポーズのように挟み込んでくる「コマネチ!」は本当に面白くなくて、とても困ってしまう。

 しかしながら、ギャグというのは芸術品のように「本物をナマで見るとまるで違う」ということがありえるものである。話がそれるようだが、現在ではM-1の審査員でもおなじみの「オール巨人」のことを面白いと思ったことが1度もなかった。「生活笑百科」で「オール阪神・巨人」が登場するたびに、幼き日の私はため息ばかりが出たものである。だからM-1の審査員席に座る「オール巨人」を見て、「お前なんかに評価されたくないだろうーなーみんな」と思っていた。ちなみにM-1審査員枠では「ラサール石井」にも同じことを思っていた。ところが——

 大阪の「なんばグランド花月」に吉本新喜劇を見に行ったとき、新喜劇の前にオール阪神・巨人の漫才があった。かつての記憶が瞬時に蘇った私は、「んだよ〜」と心底ガッカリした。お金払って見たくもないわーと。

 が。

 数分後、私は腹を抱えて大笑いしていた。王道の漫才が、死ぬほど面白かった。むしろ嫌いとも言えるレベルで毛嫌いしていたはずなのに、笑うことを余儀なくされたのである。本当に面白かった。敵対心を抱いていた相手すら笑わせるのだから、プロのお笑い芸人が本気を出せば、この世から戦争なんかなくなるのではないかとすら思った。

 ちなみにこの日、これとまったく同じことが「西川きよし」にも起こった。私はテレビで見る西川きよしに一度たりとも笑ったことがなかったのだが、一人で舞台に立った西川きよし、大笑いを余儀なくされた。マジで面白かった。そんなバカな! とすら思った。テレビではあんなにもスベっている西川きよしのトークが、一人舞台ではバッシュのソールもびっくりなほどのスベり知らずであった。

 このように、「本物をナマで見ると違う」現象は起こりうることである。そのために、もしもビートたけしがコマネチをする姿をこの目で見ることができたなら、私は大笑いをするかもしれない。現在は1ミクロンも面白要素を感じていないコマネチに、腹を抱えて笑わせられるかもしれないのである。

 お笑いとは、芸術である。その真髄は深く果てしない。

 ただ「ラサール石井」に関しては、どこかでトークショー的なものを見た限りでは、そんなに印象が変わっていないのだが。コントを見たらまた全然違うのかもしれない。

商業化の先駆けであったオリンピック 〜というか、商業化されてなかったのオリンピック?〜

 この頃は、「オイルショック」の影響で世界経済が苦しい状況にあった。そのため物価が高騰し、当初3億ドル程度の予算規模で計画されていたのにも関わらず、最終的には13億ドルにも達し、しかもそれでも予算が足りず未完成の競技場等もあったらしい。タイミング的に、カナダはとんだ貧乏くじを引いたといえる。この大赤字による借金はその後モントリオール市を長年苦しめることとなる。

 その反省を生かして、1984年のロサンゼルスオリンピックからは、「オリンピックの商業化」が著しくなっていった。現在でも、【東京オリンピック】に期待していることといったら、その経済効果がもっとも大きなことの一つといえる。プロ選手の参加はいまや当たり前で、大型スポンサーが出資し、巨額の放映権を巡る争奪戦が繰り広げられ、開催前からさまざまな商業活動が展開されている。

 商業化せずにオリンピックというものをどのように運営していたのか、むしろそちらの方が気になるところである。金にならないなら、やるメリットがあまりないよね〜。

 万博開催の是非を問われるときも、大抵は「金にならない」という否定派が現れる。【愛知万博】はめでたく黒字となったそうだが、2000億円掛けて120億円くらいの利益って、掛かった手間暇の割には結構微妙だよね〜。もちろんお金だけが目的の事業ではないのでしょうが。2回目の【大阪万博】は果たしてどうなるのか——というところだが、記念メダラー的には記念メダルはどうなるのかがもちろん最重要であるわけである。確証はないのに、すでに販売を確信している記念メダラー達! いやー、楽しみですな!

記念メダルについて

 何を表しているのかまったくもって不明なうにょうにょ〜とした人型の集団が描かれている。雰囲気としてはダリっぽい。あるいは「箱根・彫刻の森美術館」的な。

彫刻の森美術館
こんなやつ

 32ミリver.と38ミリver.が存在するのが70年代らしい。最近わかってきたのだが、70年代中盤から後半にかけては、同じような図柄で両サイズのメダルが製造されていたことが多い。そして少しずつ、38ミリの場合は刻印面を設けないようになってきている。どのサイズにしようか手探りだったのか、はたまた「役割の住み分け」がなされてきたのか。この辺の研究も、いつか時間ができたときに【特集ページ】にて行いたいと思う。いつ時間できるねーん。




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