根比べの果てに……
ヨハネ・パウロⅡ世は在位1978年〜2005年の26年以上という長きに渡る間君臨したローマ教皇である。私が生まれる前から成人するまで——成人してなおローマ教皇であったので、私の中ではローマ教皇=ヨハネ・パウロⅡ世となっている。
そのため、ヨハネ・パウロⅡ世の逝去に際して2005年に行われた「コンクラーベ」はかなり記憶に残っている。コンクラーベとは、新教皇を決める選挙のことを指すのだが、その投票方法が「3分の2を得票する者が現れるまで何度でも投票を繰り返す」というまさに
根比べやん
と誰もが思うことを禁じ得ない抜群の名称であったため、キリスト教にいまいち馴染みの薄い日本人たちの心にも強く刻み込まれることとなった。今では逆に「これは根比べだな」と発言するとどこかから「コンクラーベだな」と言い直す輩が出てくる逆転現象が起こっているくらいである(私の周りでは)。
ヨハネ・パウロⅡ世の在位が長くなったのは、前教皇のヨハネ・パウロⅠ世が在位わずか33日で逝去したことによるところが大きい(ような気がするが、事情はそう単純ではない)。この事情は日本における「昭和が異様に長くなった」大正・昭和の関係に似ているといえなくもない。
ただ、バチカン改革派であったヨハネ・パウロⅠ世の逝去については暗殺説が根強いため、その辺は外国だな〜と思ったりらじばんだり。出る杭は打たれてしまうのか⁉︎
ヨハネ・パウロⅡ世の来日は1981年のことである。このとき広島と長崎を訪れて核廃絶を説いたらしい。このメダルの出処に関しては一切が不明であるのだが、上記のことから、広島、長崎あたりで販売されたのかな〜となんとなく推測している。まあそういうの関係なしで日本中で販売されてもおかしくないレベルの人物ではあるが、まったく関係ない場所で販売しても売れなくね? とも思う。
ヨハネ・パウロⅡ世がおこなったことの中で印象的なものの一つに、「ガリレオ・ガリレイの名誉回復」というものがある。これは「それでも地球は動いている」の半ギレでお馴染みのガリレオが唱えた地動説に対する裁判が誤ったものであったことをバチカンとして認めたものである。ただガリレオの裁判に関してもいろいろと逸話と疑義があるため話は単純ではないが(有罪の判決文書は実は偽造、とか)。一つだけ言えることは、異端誓絶文を読んだ後に「それでも地球は動いている」なんてことを誰かに聞こえるように言っていたらたぶんボコボコにされただろうということくらいである。
最近、「天動説」と「地動説」の経緯に関する本を読む機会があってまざまざと考えさせたれたことが、「帰納法」と「演繹法」のことである。帰納法と演繹法の詳しい解説はGoogle先生にでも訊いていただくとして、スーパーざっくりいえば、帰納法は「事実を積み重ねて結論を出す」という統計学的手法で、演繹法は「すでにわかっていることから推測する」みたいな数学的手法である。
いろいろと微細な問題をすっとばしておおまかにいえば、「天動説」は演繹法的な考えから導き出されたものである。もはや疑って考えるまでもない正当な論拠から「地球の周りを太陽が回っている」ということを導き出しているのであり、当時それを疑う者などいなかったわけである。
で、その「疑って考えるまでもないきちんとした論拠」というのが、「聖書」である。聖書に、「この世界の周りを太陽が回っているよ〜d(^_^o)」みたいな記述があるから、人々は疑うまでもなく天動説なのである。そこに疑問を挟む余地はない。そして、神を試してはならないのである(と聖書に書いてある)。
一方で、ガリレオは事実を積み重ねて帰納法的に地動説にたどり着いた(別にガリレオが最初に考えた訳じゃないけど)。地上から見る天体の動きの観測データを積み重ねると、どう考えても「地球が動いている」と考える方が簡単な話になるからである。余談だが、天動説に縛られた当時の学者たちが考え出した惑星の動きを見ると、とても面白い。「小さく公転しながら地球の周りを大きく公転している」みたいな理屈で、複雑ながらも一定の動きを導き出して、実際に地上から観測できる惑星の動きと天動説との齟齬を説明し帳尻を合わせているのである。むしろ「よくぞここまで考え抜いたΣ(゚д゚lll)」と感心してしまうくらい逆に頭が良いとしか思えないきめ細かさとなっている。
で。
私はこの話を読んで、「目標を設定する立場の者」と「現場で奔走する者」とのギャップを思い浮かべた。会社でわかりやすい例を思い浮かべれば、「目標ノルマ」と「現実の売り上げ」みたいなところが単純であるかと思われる。「目標でこう決まってるんだから、やるんだよ」の居丈高な一点張りだと、営業マンは「それでもウチの物は売れない」とガリレオ先生のごとくボソッと呟きたくもなるだろう(会社で何かあったの?)。
「〜で決まっているから」というのを鬼の首を取ったように論拠として主張する人が多いが、演繹法の場合、「そもそもその前提は正しいのか」ということが問題となる。
例えば、長年の議論として「原付制限速度30㎞問題」がある。取り締まる方としては「法律でそう決まっているから」というのが不動の論拠であり絶対的な正義であるわけだが、この法律は実は昭和20年代に制定された古きものである。当時の原付はまさに「原動機付自転車」の名に相応しい自転車にエンジンを付けただけの代物で、タイヤもブレーキもまんま自転車のものだったためこの制限速度になった。それが今やディスクブレーキと数倍太くなったタイヤを装備し当時のオート三輪をも上回るスピードを安定して出せるようになった原付に対する制限速度をいまもって取り締まる法律としてなお君臨し続けてているわけであるから、その「法律」=「論拠」がそもそも正しいのかということが議論の的なるわけである。
一度でも捕まったことがある者なら「そもそもその法律、昭和20年代にできた法律じゃん! 今の原付なら30㎞以上で走っても安定してるし! そんな速度むしろ遅くてあぶねーし!」と、誰もが失われる反則金の額に歯噛みし「この金があったらあれが買えたな〜」と悲しき妄想を巡らせながら思うことであろう(経験者談)。
※ちなみに今の私は「何キロで走ろうが原付あぶねー」と思っております。二輪は原付、小型二輪、中型二輪、大型二輪と全て乗ってきました。何ならバイク屋でバイトしておりました。
さらなる余談となるが、メンタリストDaiGoの動画を見ていていつも疑問に思うのが、自身の主張の正しさを「○○大学の研究で△△と出ている。その論文によると〜」というのを9割以上の確率で論拠とするのだが、「そもそもその研究結果は正しいのか?」という論証自体はまったくされていない点である(文句があるなら見るなよ問題)。名のある大学の研究だからといって必ずしも正しいとは限らないことはあの東大での論文大量不正問題でも示されているわけなので、「研究からこのように判明しているのに、いつまでもそれをしているのは(あるいはしないのは)バカ」みたいな攻撃的な口調で論じるのはなんか怖いな〜と他人事ながら思っております(まあ東大が世界的に見て名のある大学なのかどうかはわかりませんが。もちろん私は入れてくれるならすぐにでも入りますよ!←謎のアピール)。DaiGoのTwitterなんかは、見ていてなかなか怖い。
なんか話題が煩雑になってまいりましたが、要するに
何が正しいのかなんてもうワカンネ(´∀`)メンドクセ
という投げっぱなしの結論で、完。もちろん私がここで述べていることだって鵜呑みにしてはいけませんよ〜、はい。
まあ何はともあれ、間違いを認めたヨハネ・パウロⅡ世は偉いよね〜という話でした。自分がした間違いでもないのにね!
記念メダルについて
このメダルは、【茶平工業】を訪問した際に見せていただいた資料の中でデザイン案を発見し、購入したくなった一枚である。このメダルの存在はかねてからヤフオク!やメルカリに出品されているのを目にして知っていたのだが、購入を検討することは実はなかった。なぜなら、デカいからである。
上記の情報を出品写真で見ていたので、通常3サイズのメダルとは明らかに違うその大きさから、造りは非常に似ているものの「茶平工業製ではない」という判断をしていた。しかし前述のとおり茶平工業の資料の中に存在したので、まぎれもなく茶平工業製だという裏付けが取れたわけである。
実際に手に取ってみると、そのあまりの重厚感に度肝を抜かれる。サイズがデカくなった分、厚さも当然肉増しし、ここまで大きくなるとマラソン大会の完走メダル等に近い印象となる。観光地でこれを販売したとしても、それこそ「そんなもの買ってどうするの⁉︎」という世のお母さん方の当たりがさらに強くなること必至だろう。
ただ恐らくは、たとえ茶平工業製であっても多くの記念メダラーのみなさんはこのメダルにそんなに興味がないことであろう。なぜなら、どう考えてもアルバムに収納できないからである。コレクターにとってその点はかなり大きいとポイントだと思われる。というか、
私がヤダ
と思っている。はい。自称こんまり流片付け門下の私には、きちっと収納場所に収まらない物はときめかないのである。
そう、私自身、小判型メダルを含めアルバムにきちんと収まらないメダルに関しては正直あんまり興味がないのだが、このようなウェブサイトを運営させていただいているというなんだかよく分からない使命感から、「こういうメダルもかつては存在したのだ!」ということを残さねばならないという脅迫的な想いに駆られ、ポチッとした次第である。
しかし写真を撮り、ブログを書き、ではいざ保管しようとしても、役目を終えればもうどこにも行き場はないのである。そう、まるで職場での私のように——(何があった⁉︎)
ただ、実はこのサイズのメダルはこの一枚のみかと思いきや実はそうではない。私が所有しているだけでも他にも存在する。
さて、コレクター諸君は一体どこまで集めるのか——記念メダルへの信仰心を試す、茶平工業からの試練である(嘘)。
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