↓38ミリメダル(デカメダル)
未曾有のピンチに見舞われた関空
【関西国際空港】といえば、大型台風によって予期せぬ閉鎖に追い込まれたことが記憶に新しい。
ただし、一緒くたにして語られがちだが、「孤立化」と「浸水被害」はそれぞれ別のポイントであり、その二つが相乗効果となってあそこまでの甚大な被害となったことはよく考えたいことである。浸水被害は運営会社にとっても関西の物流にとってももちろん大きな痛手であったろうが、世の中の関心があそこまで向いたのは、やはり予想だにしなかった「孤立化」が一番の要因であると感じた。孤立化した上で浸水被害による様々な災難が降りかかって、乗客も職員もパニックとなった。
関空最大のピンチは、連絡橋の断絶にあったというのが、私の印象である。
記録的な暴風雨と高潮によって流されたタンカーが、対岸と関空を結ぶ連絡橋に衝突し、道路と鉄道が不通となった。それによって3000人近い利用者(ニュースソースによって人数がまちまち〜)が関空島内に取り残されたまま孤立した。その上、浸水被害によって電源設備が故障したため停電し、劣悪な環境となった。取り残された多くの利用者は、見通しの立たない状況とその環境の悪さに不満を爆発させた。外の景色は激しい雨に荒れ狂う海と水没した滑走路で、電気も使えず、島から出る手段もとりあえずないとなれば、緊張するなという方が無理な話である。そして、それに対応しなければならない空港職員にとっても地獄のような日であったことだろう。「見通しの立たない孤立」という超絶ピンチな状況は職員も利用者も実は全く同じであるのだが、それを嘆くわけにはいかないのが辛いところである。同じストレスを抱えながらも、人のストレスも受け止めなければならないのだから。
何が言いたいのかというと、人間同士のトラブルが、結局もっとも悲劇だったのではないかということである。
例えば、今回のように空港機能が完全に停止したとしても、島からの脱出がスムーズに行えていたならば、あるいはここまでの不満は噴出しなかったかもしれない。もちろん大々的なニュースにはなっただろうが、注目は「関西の経済危機」に集まっていたのではないだろうか。ところが今回は、経済危機よりも先に、空港内での様子が先行して話題となった。スマホ一つあればリアルタイムで現在の状況を実況できる時代になったので、その様子は現実感を伴ってお茶の間に流れた。そして、それは当然大きなニュースとなった。「経済危機」に関しては、その大きな危機を乗り越えた後にやってきた旬を過ぎた話題のように、盛り上がりに欠けたところがある。特に関西圏の人間ではない場合、経済危機よりも、「人間が置かれている状況」の方により注目するのは必然であるかもしれない。
いまさら改めて言うほどのことでもないが、SNS等の個人が発信できる手段が広く広まったことによって、基本的には「情報」というものは垂れ流されるのが当たり前のこととなった。今回の件で言えば、関空への不満はもちろんたくさん目にしたが、「関空職員がやらかしちゃった」ような動画や写真は最後まで出てこなかった。このことは、あの緊張状態の中で、関空職員たちがプロとして対応しきったことを間接的にではあるが示している(もちろん細々したことことはあったかもしれないが)。第三者だからこんなこと言えるのだろうけども。
連絡橋の断絶によって一瞬にしてピンチに陥るという海上空港の弱点をモロに露呈した今回のことは、もちろん他の海上空港ーー例えば【中部国際空港セントレア】なんかこれ以上ないほど丸かぶりとなる問題である。まあ「大丈夫なんすか⁉︎」と訊けば「うちは◯◯なのでご安心ください!」という返答が返ってくることは容易に想像できるが、関空だって今までだったら「連絡橋が壊れたどうするんですか⁉︎」と聞かれれば「高速船で輸送するので大丈夫です!」と答えただろうし、「水没しそうになったらどうするんですか⁉︎」と聞かれれば「連絡橋を使って直ちに鉄道とバスで輸送するので大丈夫です!」と答えただろうから(いや、実際は知らないけど)、「想定していなかった事態」というのは常にあり、起こってみると「なんでこれを想定できなかった」と民衆は憤る。今回の件で言えば「陸海空全て断絶」というのを想定しておらず、まさかタンカーが事故って橋まで潰すとは夢にも思わなかっただろう。しかし、実際には起こってしまった。ということは、もう「想定していなかった」という言い訳は通じず、今回レベルのことが起こったとしても対処しなければならないという無理難題を背負っていることになる。そしてそれは、他の海上空港であっても同様なのである。自分のところじゃなくて良かった! では終われないのである。辛いだろうなぁ……
実際、今年の異様なまでの連チャン大型台風に対して、関空は同じ轍を踏まないように事前対策を万全にして対応した(あらかじめ空港閉鎖を決めた等)。ただ事前対策の実施は、理解がないと進められないところがあるので、今回のことが喉元を過ぎて過去のものとなってしまったときに、同じ手段が取れるかどうかは微妙なところであると考える。特に事前計画による閉鎖は経済的な損失が大きいはずなので、決断には勇気がいることだろう。
今まで大丈夫だったからといって、明日も大丈夫とは限らないーー人はそのことを知っているはずなのに、それを本気で信じることができない生き物なのである。
関空の思い出
思い出といっても特にない(ならそんなサブタイトルを付けるな)。記念メダルを購入しに来たことがあるくらいで、飛行機好きは離着陸を見られることに喜びを見出すだろうが、飛行機好きではないので、ただメダルを購入して帰った。この度のことで「あの関空が〜」という思いが呼び起こされることもないほど、薄い思い出しかない。【セントレア】もそうだけど、空港ってイマイチ楽しみ方がないのよね〜ってそりゃ本来は飛行機乗るところなんだからそれで良いんだろうけど。
↓現在の記念メダル。画像クリックで記事にリンク!
記念メダルについて
メルカリやヤフオクで一定の割合で定期的に見かける記念メダルであるので、相当数出回っているのではないかと思われる。31ミリの通常メダルは台紙付きのキーホルダーメダルとして売られていた。31ミリ、38ミリ(画像2枚目)とも基本的な図柄は同じで大きさが拡大(あるいは縮小)されているのみであり、この方式はかつて伊勢神宮の【第六十一回伊勢神宮式年遷宮】のときに販売された2種類のメダルと同じ方式である(ただ、31ミリ通常メダルバージョンは未所有のためきちんと例示できないのが残念)。
記念メダラーの需要としては31ミリ通常メダルの方が圧倒的だと思うのだが、よく見かけるのはどちらかといえば38ミリデカメダルの方である。デカメダルはキーホルダーではないので(38ミリ用のキーホルダーはかつて存在したが)、当時一般の方(非記念メダラー)がこれを購入して一体どうしていたのか、などと無粋なことを考えてしまういけずな私。いや、私はコレクターだから欲しいけど、これって家に飾っておきたいものかなーなどと考えてしまうのであった。刻印もできないし。空港マニアなどが購入したのかな?
キーホルダーであれば「身に着ける」という使用方法があるが、記念メダルのみって、結構扱いに困ると思うのよね。一般の方って、その辺どうしているのだろうか。などと、今更ながらに考える記念メダラーとして不遜な私。
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