【販売場所】
@グッズ売店を入ってすぐ右手の真実の口の隣
備考:まさか毎年? と記念メダラー達が戦々恐々とし始めている……
私に旅情を楽しむことができるのか?
記念メダラー達が比叡山へ向かうとき。
それは最澄の教えを学ぶためではなく、現世の俗物をかき混ぜて冷蔵庫で冷やして具現化したかのような”記念メダル”という俗世の物体を手に入れるためである。
1年ぶり2度目の比叡山登山は、昨年と同じ女性に会いに行くためであった。記念メダラーの多くがいまだにどんな女性なのかよくわかっていない女性——ヴァイオレットさんに会いに。
↓2022年の同様イベント昨年と同様のイベントが開催されることなどつゆほども知らなかったが、記念メダルのことを呟けば自動的に記念メダラーたちにイベント告知できるようになっているのが現在の記念メダル界隈である。関係者の皆様、記念メダルを販売するならとりあえずTwitterで呟いておくのが吉ですよ。勝手に一定数の人間が集まります。
「先行販売」とわざわざ銘打たれていたので記念メダラー一同で固唾を飲んで様子を伺っていたら、案の定、追加販売が告知された。Twitter担当の方にまったく悪意はないと思うのだが、我々からしたら”一枚しか販売されてない状態で行ってしまうワナ”ともいえる。つまり最澄の罠である(とばっちりの伝教大師)。
前回のイベント時に痛感したのが
花にまったく興味がない(*´∇`*)
という己の人間としての矮小さである。なんてつまらない人間なのだろう自分。
そして、ヴァイオレットファンにとっては「花園+登場人物」の組み合わせにはいろいろと感じるものがあるのかもしれないが、本当に何も知らないおっさんにとっては
等身大パネルが立ってるだけ
にしか見えないですごめんなさい。本当に何もわからないのです。
もちろん、他にも「ヴァイオレットさんの声での施設案内が聞ける」とか「ヴァイオレットさんが持ってる日傘を借りられる」とか「コラボグッズがもりだくさん」等も実施されていることは理解はしているのだが、まあヴァイオレットさんのことまったく知りませんからな……
だから、今回こそ事前に映画版でも見て予習をしておこうと思ったものなのだが、思った時点ですぐに行動を起こさないのは何もしない人間の最も典型的な特徴の一つである。
そんなわけで、せっかく行くなら少しでも楽しめる要素を捻り出そうと、今回は、昨年訪問した方々からの評価が軒並み高かった公共交通機関を利用しての比叡山山頂を目指すことにしたのだった。具体的には”叡山電車”と”ケーブルカー”と”ロープウェー”である。我が家からだとそこに新幹線と在来線が加わるので、「どんだけ乗り継ぐねん(*´Д`*)」と意味もなく笑えてきた次第。
ただ最近は公共交通機関での移動の楽しさが理解できつつあるので、それなりに楽しみながら移動ができた。何が良いって、自分が人を轢くリスクがゼロなところが良いですな。スマホいじってても。
気になるのは、乗り鉄の皆様はこの行程でいえばどこまでが守備範囲なのか? という点である。ワンマン運転ではあるものの恐らく「叡山電車」は守備範囲のことだろう。では「叡山ケーブル」と「叡山ロープウェイ」はどうなのか? ”線路”という要素はケーブルカーはカバーしているが守備範囲なのか。あるいはロープウェイには線路はないが、その代わり広島には「スカイレール」というロープウェイながら法律上は鉄道として位置付けられている交通システムが存在する。
私は鉄成分がまったくない人生を歩んできたのでその辺のこだわり等に関してまったくの無知であるので、ヘタに「てっちゃんの皆さんはこのルートで比叡山頂に行くのがおすすめですよ〜」と知ったかぶって言ってしまうと思わぬ怒りを買ってしまう可能性がある。正直公共交通機関派は京都駅からの直通バスで行ってしまうのが一番楽であろうが、山登りを擬似体験するならばこのルートを選ぶのもまた一興かと。
1年ぶり2度目の花園
ここを訪れてからもう1年以上が経つというのが信じられないくらい、比叡山頂の全ての光景を鮮明に覚えていた(あんまり変わっていないともいう)。
今回は作中でヴァイオレットさんが使用する日傘をレンタルしているとのことであった。撮れ高のためにも借りたかったのだが、もちろん自重した。日傘から腹がはみ出るから。
ただ「ちょっと小さくて、どんな女性でもはみ出しちゃうんじゃない?」とは思った。
せっかく来たんだからパネルくらいは撮影しておこうと思ってさささーっと撮っていったのだが、1枚だけなかなか見つからなくて結局1周半くらい駆け巡ってしまった。比叡山の特徴として山頂でも全然涼しくないという山にあるまじき欠点があるため、おじさん汗ばんじゃった☆
来年もまた開催されるならば、今度こそ事前に映画版を鑑賞してから来ようとここに固く決意表明する次第である。
記念メダル界の交流事情
今回のメインイベントとして、〈記念メダルの交換〉があった(どうしても花畑もヴァイオレットさん達もメインとならない記念メダラーの悲しきSA・GA)。
【オリジナル記念メダルSHOP】さんの誕生や、コレクターが茶平工業に個人でメダルを発注するという道を開拓した先人たちの偉業により、個人制作の記念メダルがポツポツと生まれている。
古くは、茶平工業自体が個人製作メダルを請け負っていたっぽい記述が公式HPに残されているのだが、詳細は不明。
そうした中、記念メダルコレクターで大阪の万博公園内にある【国立民族学博物館】のデットストックメダルの発見者でもある「青みかんさん」が、渾身の一枚を製作されたというツイートを投下された。そのツイートに対して私が超余計なことを推測でべらべらと語ってしまったせいでいろいろとご迷惑を掛けてしまったという黒歴史があるのだが、詳細は省略。その節は大変申し訳ありませんでした……
で。
”オフ会やイベントで名刺代わりに渡し合うようになると面白そうね”的なこと話していらっしゃったので、私の方からさっそく交換をお願いしてみたところ、快く承諾していただいた次第である。しかもわざわざ比叡山の頂上にまで足を運んでいただき、心からの感謝です。
10年以上記念メダルを収集している者としての所感として、最近は記念メダラー同士が出会うイベントや顔を合わせるイベントがポツポツ生まれつつあるという体感がある。例えば、【マンホールサミット】や【文具マーケット】や【メダルゾンビさん参加の即売会】等がそれにあたる。共通点は”記念メダルの販売に特化したブースがある”という点で、そこに集まっている人は皆コレクターというわかりやすい構図ができあがることである。それはあの”青い販売機”の前も同じじゃないかというと実はそうではないのがミソである。記念メダル購入のマス層は今も昔も変わらず”施設に遊び(観光)に来た人”なので、目の前でメダルを買っている人がコレクターかどうかを判断するのは難しく、そもそもコレクターと遭遇する可能性自体も実は低い。その点、上記のようなイベントで件のブース前にいる人は、9割以上の確率でコレクターであることが予想できる点で、今までなかったことであるといえる。
個人的には、記念メダルコレクター同士のリアルな対面は実はそこまで意欲的では無い方だったりする。その考えに至るまでにはいろいろな要素があるのだが、ものすごく雑に一言でいえば”価値観の相違がめっちゃあるから”といったところである。もちろん、コレクター同士が店先で出会ってちょっと話をするくらいなら大いに盛り上がると思う。が、少しでも深いところに足を踏み入れると「んっ?」ってなることが多くなるんじゃないかなと。お互いに。
例えば”フリマサイトでメダルを購入することの是非”とかその最たる例であろう。「絶対に認めない! 自分の足で訪れた”記念”だからこその記念メダルでしょう!」という絶対反対派の人もいれば、購入可とする人の中にも「自分が一度でも訪れたことがあるところは可(後から発売された、行った時は売り切れていた等)」や「行ったことなくても全然OK派」から「終了したイベントのみ可」とする人まで、自分ルールが数限りなく存在するのが記念メダル界隈における深き沼の1要素である。
で。そこで「人がどう考えてようがオレには関係ない」と全員が心からそう思えれば何の問題ないのだが、現実はそうではないからこの世界では戦争が起こるのである。人間は自分と違う意見をもつ者を否定したくなりがちな生き物であるといえる。こと記念メダル収集に特化していえば、自分が我慢してやらないようにしていることを平気でやる人がいるのが許せなくなるから、自分ルールを表明すると共に、そのルールの範疇に収まらない行為をする人を暗に非難してしまいがちとなる。
で、このフリマサイト活用問題は、昨今社会問題となって久しい「転売」へと直結するものとなる。記念メダル界におけるフリマサイト活用問題は、大きく2点の問題を孕んでいて、それが複雑に絡み合っているところがそれぞれをさらに難しい問題にしている。
先に断っておくが、「転売」の是非はここでは話題としない。が、こと記念メダルに関しては、この転売問題は少し難しい要素を含んでいるという点についてだけ言及する。
金銭的問題
1つ目の問題は単純に金銭的な問題である。記念メダルの転売行為がPS5やガンプラ等のそれと大きく異なる点は、「売り手側だけではなくて買い手側にも明確な金銭的メリットがある」という点である。
PS5やガンプラの転売行為は、商品が品薄である弱みに漬け込んで、買いたい人に不当に高い値段で売りつけて売り手側のみが金銭的利益を得る行為である(雑にいえば)。しかしこと記念メダルに関しては、例えば3倍の値段でフリマサイト等に出品してそれを買う者がいたとしても、実は両者が共に得をしているケースが大半である。なぜなら、交通費や入場料を含めた諸経費を考えれば3倍の値段でメダルを購入してもお話にならないくらい金銭的にはお得であることの方が圧倒的に多いからである。具体的に私の場合で言えば、【国立科学博物館の特別展】でのメダルを自分で足を運んで手に入れようとすれば、2万円以上の諸経費が必ず掛かることになるので、たとえメダルを定価の10倍の値段で購入しても、1万円以上金銭的にはお得になるという考え方もできる。もちろんここでは”経験”みたいなプライスレスなことは考慮していない。
このことは記念メダルコレクターの皆さんなら首から頭がもげるくらいの勢いで頷いてしまう話ではなかろうか。たとえ心情的に嫌だと思ってもこの理屈は納得せざるを得ない現実としてそこに確かに存在する。つまり金銭的には誰も損をしないのである。少なくても第一線の関係者たちは。
公平を期すために”転売をされてデメリットを受ける人”を想定しておくと、まず”買いに行ったのに売り切れだった人”が通常より多くなることが挙げられる。記念メダルの転売ヤーの多くは恐らく自身も記念メダルコレクターであるパターンが多いだろうから、「自分の分+転売分」という形で複数枚購入することが多いだろう。つまり、特定の者が大量に購入した分、売り切れになるのが早まり、”買いに行ったのに買えなかった人””買いに行こうと思ってたのに買いに行くこと自体やめた人”というのが転売行為のせいで通常より早く生まれることになる。私も自分が買いに行ったときに売り切れだったパターンは幾度となく経験しているので、その悲しみの深さは理解している。スカイツリーから飛び降りたいと思ったことは一度ではない。まあ”コレクターではない買えなかった人”が増えただけの可能性もあるのだが(自分が行くタイミングではどの道買えなかったかも)。
次に考えられるのは、「記念メダルの製作者が転売を嫌がっているのにそれをするのは良いのか?」という倫理面でのパターンがある。敢えて明記はしないが、転売を防止するために定価での通販対応をしている方がいらっしゃることから考えても、マジで嫌なんだろうなというその本気さが窺い知れる。確かに、自分が売った値段よりも高い値段で平気で取引されているのを見るのは気持ちの良いものではないだろう。
繰り返しになるが、ここでは記念メダルの転売の是非については論じない。
まとめると、記念メダルの転売は、一部の例外を除き基本的には売り手と買い手の双方に金銭的メリットが生じるという点でPS5等の転売行為とは一線を画す行為であることが問題を難しくしている。買えなかった人が生まれるのは誰の責任になるのかという話でいえば、転売のために一人で2個も3個も買っていくのが悪いという観点もあれば、正規販売者がもっと在庫を用意しておけば正規で入手できる人も増えるし転売品も売れないし何よりそもそも販売者がもっと儲かったよねという観点もある。また、製作者・正規販売者が嫌う行為を禁じることが倫理的に許されるのかという話で言えば、想いをもって製作された製品なのに製作者のその想いを踏みにじるようなことは許されないという観点もあれば、昔ソニーがプレステの中古販売を禁じていたが裁判で敗訴したという話もあったり「自社製品を意図しない形で売買されることが嫌だからって禁じることに問題はないのか」という商慣習上の観点もある。といった点が論点となるだろう。コレクター的視点と商慣習の違いを考慮しなければならないのかもしれないが、「個人売買」という商売上の曖昧さがさらに問題を難しくする(業者がやってたらそれはそれで燃えそうだが)。
レアレティ的問題
記念メダル界における転売のもう一つの大きな問題は、レアレティの問題である。要するに、イベント限定メダルをどうしても買いにいけなかった、手に入れられなかったという場合である。それは例えば”交通費がどうしても捻出できなかった”という金銭的な問題もあれば、”開催期間が短くて予定がつかなかった”とか、”イベント自体を知らなかった”という場合等が考えられる。例えば3日間のみの開催でしかもメダル販売が一切告知されなかった【D23EXPO】なんてその際たる例であろう。
私の予想では、フリマサイト活用否定派のコレクターも「【D23EXPO】の場合は仕方ないから良し(自分は買わないけど)」みたいな判断をされる方が多いのではないかと思う。なぜなら自分も手に入れようがなかったからである。
ただ、この「◯◯な場合は良し」の判断が、人によって大きく異なるところに言い合いや互いの否定というものが生まれるわけである。少なくても、自分が禁じていることを平気でやる人間が目の前にいたら気持ちの良いものではないだろう。さらに言えば、多くの場合、自分が苦労して自力で手に入れたものが数百円の誤差であっさり売買されているのを見たら不快に思うことだろう。
そして何より、このレアレティの高さこそが、転売を生む最も大きな元凶の一つでもある。手に入れられないから高値で取引されるというのは、当然すぎるほどの経済の根幹要素である。が、記念メダルの場合、”記念”という冠がそれを素直に許さない。人それぞれの”記念”の基準があり、さらにいえば転売に”記念”の要素は確かにまったくない。
ただ、”記念”でなくても、コレクターがコレクターズアイテムを欲していること自体を否定するのか——この問いのみなら恐らく「そんなことはしない」と述べる人が多いだろう。しかし、これを肯定するのに転売を否定するのは自家撞着である。自力で手に入れられなくても欲しい人がいるから転売行為が成り立つわけだし、転売目的な限り自分が手に入れた値段でそのまま売るなんてのはあり得ない。転売は不用品売買とは似て非なるものである。
こういうごちゃごちゃした事象の中に人の争いの種があり、価値観の異なる者同士の会話によって芽が育つ。
転売問題が記念メダラーたちの溝を生む?
こういうことを踏まえて、さて「記念メダルの転売行為(あるいは代理購入)は是か非か?」と是々非々を問えば、記念メダルコレクターの中でも価値観は割れるんじゃないかな〜と予想するのだが、どうだろう。それぞれの価値観と立場で、それぞれの主張をし、また、自分と異なるそれぞれの立場を否定することになるだろう。いつの時代も、正義の反対は悪ではなく”自分とは異なる正義”なのである。
何が言いたいかというと、記念メダルコレクターが一堂に会する機会がもしあったなら、そこには波乱が生まれるんじゃないかなぁというのが私の個人的な予想である。まあ最初の1回だけならうまくいくかもしれないが。モヤっとすることがあっても勢いで流せると思うので。というか、初対面から超ぶっ込んでくるような人がもしいたならば、どの道その集まりに未来はないだろう。
少し話がズレるが、茶平工業はこの辺のこととうまく距離感取っているなという印象がある。在りし日の「メダリアン掲示板」でのどんなことがあっても静観を貫く姿勢は、そのとき考えられる最善手を打ち続けて静かに時を待つプロ棋士の姿を彷彿とさせた。まったく皮肉ではなくて。
閑話休題
さて、いろいろと語ってしまったが、いろいろと語ってきた割にこの度はどうして私の方から面会・交換の申し出をしたかといえば、理由は超単純でメダルが欲しかったからである。それくらい、この青みかんメダルのデザインは素敵だなぁと思った次第。
自分の名刺代わりのメダルに観光名所を入れるという発想が、記念メダルそれ自体の存在コンセプトに則ってて抜群に良い。私も愛知県庁でもバックにすれば良かったかしらとちょっと思った次第。 また、”お城と萌え美女”という組み合わせは実は今までありそうでなかった図柄であるので、非常に新鮮である。
実際に交換していただいて、想像より嬉しかった自分がいる。オリジナルメダル交換、実に良いものだ( ´ ▽ ` )
実はこの喜びは初めてではない。古くは【文具マーケット(第1回)】でこれまた記念メダルコレクターの「HIRO【茶メコレ家族】」さんからいただいた一枚が、私の”名刺メダル交換”の始まりである。
また、この流れはなんだかんだと各方面へ飛び火していて、天下の「蓋ノ屋」さんも製作したそうで。こんなん超欲しいやん。
ということで、みんなで作ろう名刺メダル。
オフ会はあまり気乗りしないとか言っておきながら名刺メダルを作ろうとか呼びかけるのは矛盾してない? と思うかもしれないが、私の中では全然矛盾してなくて。だってその人のオリジナルメダルが貰えたら単純に嬉しいじゃん?
5人分くらいのメダルが集まるようなことがあれば、【特集ページ】を書こうかと画策中。あと3人以上に製作していただかないとそもそもが無理だけど。
記念メダルについて
先に述べたが、今回のメダル群は先に1種が先行発売され、その後5種がまとめて発売された。1種のみの時点で勇んで足を運んでいたら最澄を末代まで恨んでしまうほどはがみしたことだろう(とばっちり最澄)。
これまた先に述べた”青みかん”メダルにも通ずることだが、個人的には背景をベタ塗りしたものより透過処理をして切り抜いたデザインのものの方が綺麗なデザインに感じる。で、よくよく見ると、実は全てのメダルがデカい花以外の箇所は切り抜かれているのだが、例えば後発のヴァイオレットさんのメダルにいたっては花がデカすぎて背景が切り抜かれていることに気付けない。
背景を切り抜いてメダルの地肌を見せる仕様は、実は版権の絡みで背景を自由にデザインできないから、が発端らしい。しかしメダルの地肌を梨地にするというメダルの進化によって、むしろそれがカッコいいという文化が誕生した。
何が良い方向へ転ぶのかわからないものですな!
記念メダル販売エリアで気になったのは、↓の宣伝POPである。
「2022年ヴァイオレットはこちら。」という文言は、「昨年販売した記念メダルはこちら。」という意味にも捉えられかねない言葉であると感じた。事実、一緒に行った記念メダラーの方が「これは去年買ったヤツかな?」と不安に思い、私のブログで昨年のメダルの図柄を確認したくらいである(もちろん異なった)。
このPOPが言いたいこととしては「2022年のイベント時のキービジュアルを用いた2023年発売の記念メダルはこちら。」ということだと思うのだが、意図を誤解して「去年買ったからいいや〜」となる悲劇的事故が発生するのを防ぎたい。うっかり間違えてしまい、もう一度買いに行くにも比叡山山頂である。
ちなみに、撮影禁止エリアにあったので写真はないが、メダル専用アクリルケースなる物も販売されていた。実は茶平にはアクリル加工機があるらしく、このアクリルケースも茶平製である。
そんなこんなで2年連続のヴァイオレットさんメダルであった。今のところ全記念メダラーが戦々恐々しているのは「毎年じゃないよね……」ってことである。毎年の延暦寺(のもうちょっと上)詣ではなぁ……
新しいメダルが誕生することは嬉しいはずなのに、どうして人はそれを恐れてしまうんだろうというアンビバレントな1/3の純情な感情。
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