イベント【THANKS FRIENDS! チェブラーシカ POP UP SHOP】 記念メダル

チェブラーシカ 記念メダル
チェブラーシカ 記念メダル

運命はめぐりめぐって複雑に絡み合う

  「チェブラーシカ」が記念メダルになった⁉︎ という第一報は例によってツイッター情報からであった。こういう情報をいち早くキャッチできる人はマジで尊敬である。私は一度たりとも人より先に情報を得たことがない。そしてこれからもないだろう。みなさん、任せましたよ(志の低いおっさん)。

 さて、恥ずかしながら「チェブラーシカ」というキャラクターそのものを全く存じ上げなかった私である。「なんだこのお団子頭は? ニッチェか⁉︎」というのが第一印象で、今では「ニッチェか? ニッチェなのか」と思っている。ニッチェか?

 で。

 チェブラーシカについては全然知らなかったのだが、投稿されていた記念メダルのデザインがあまりにも素晴らしい(後述)ので俄然欲しくなり、絶対手に入れるという決意のもと情報収集すると「吉祥寺マルイ(東京)」→「博多マルイ(福岡)」→「なんばマルイ(大阪)」→「北先住マルイ(東京)」とイベントが移動することが判明。「なんで東京だけ2回やねん」という総ツッコミに対しては「それは東京だから」という言葉だけで十分だとしても、これがいわゆる「名古屋飛ばし」かと愛知県民は怒り心頭であることだろう。まあ名古屋にはマルイがないからね〜と一度納得しかけたところで、「そもそもなんでマルイないねん!」という話であることよ。このイベントが名古屋飛ばしなのではなく、そもそもマルイからして名古屋飛ばしなのである。名古屋飛ばしの歴史は長く、深い。

 確実なのは東京に買いに行くことなのだが、ちょうど「九州記念メダル巡りの旅」を計画していて大阪から【さんふらわあ「きりしま」】に乗る予定であり、しかも日程的にちょうど「なんばマルイ」での開催に合致していたので、ここに合わせて購入しようと決意する。が、しかし——

 なんと東京会場の次「博多マルイ」では記念メダルが販売されなかったのだ!

 私はこの「ご了承ください」という言葉が心底嫌いである。なんというのか、普通「了承するか、しないか」は相手に決定権があると思うのである。それなのにこの「ご了承ください」という言葉は、一見丁寧な言葉遣いなフリをして、有無を言わせず強制的に自分の要望を押し通すための言葉なのである。類似的な言葉として「ごめんさいね」というのがあるのだが、どちらにも共通するのは「相手に寄り添っているように見えて、実は全く悪いと思っていない」という点である。この「ご了承ください」も、お願いしているようでいてこちらに拒否権は全くないため、了承するしかないのである。了承させられる——という不快さ。
 こんな言葉、言わない方が良いんじゃないの? といつも思うのだが、世間的にはそんなことないんですかね? 私が偏屈なだけかしら〜

 話がだいぶ逸れたが、とにもかくにも博多での販売はなかったわけである。そうなると「お、大阪はあるのか⁉︎」と戦慄した記念メダラーは多数であったことと思う。つい最近では【楽しく学ぼう「恐竜ランド」】というイベントでジュラシックパークの記念メダルが販売された際、大阪会場では売られていたのに、その次に開催された東京会場では販売されなかったということがあった。

 あの悪夢が再びあるのか……なんなら東京の大阪に対する意趣返しなのか⁉︎(福岡とばっちり)と思われたのだが、なんのことはなく、大阪会場ではあっさりと販売されたのであった。

なんばマルイ
田舎モンの私は「○I○I」を「オイオイ」と読んでしまいますよ。いや、実家神奈川にはマルイあったけどね。潰れたけど。
チェブラーシカ記念メダル販売機
無事にお目にかかれた記念メダル販売機。これを目にしたときはものすごく安心したのであった
チェブラーシカ POP UP SHOP
どこもかしこもチェブラーシカ
チェブラーシカ POP UP SHOP
記念メダル販売機、超浮いてるよね……場所とりすぎじゃね?

 ということで無事に購入できた次第であるわけだが、これで納得できないのは福岡の面々、ひいては九州の面々ではなかろうか。普通に考えて「なんでウチだけなかったんだ⁉︎」と思って当然である。ひとごとでもそう思うのだから、当事者の怒りたるや相当なものであろう。

 そりゃそんなもん売る側の自由であると言ってしまえばそれまでではあるのだが、なんとも寂しい話である。ツイッターに「販売はない」とわざわざ書くくらいなのだから、おそらく記念メダルに関する問い合わせがそれなりにあったものと思われる。イコール、「需要がある」ということに他ならないわけである。

 販売機・刻印機を持っていく手間等いろいろと難しいものがあったのかもしれないが、いっそのこと「メダルだけ持っていく」等の割り切った対応でどうにかならなかったのかな〜といろいろと考えてしまう。やはり「不平等」「不公平」ということに人間はとても敏感なので、「ご了承ください」の一言で片付けられるとなおさら遺恨が残るような気がする。まあ無事購入できた人間が言うのもナンなのだが……

君のことが知りたいんだ、チェブラーシカ……

 このチェブラーシカ記念メダルが世に出た時と同じくして、偶然にも私が通勤電車の中で読んでいた小説の中に『チェブラーシカ』の絵本にまつわる話が出てきて、とってもびっくりした。

 こりゃ絶対買わなきゃいかん! という想いをさらに強くした。世の中気持ち悪いくらい色々なタイミングが合致することがあるものである。

 ZOZOTOWNの社長の彼女が主演でドラマ化もされた上記の小説の中で、古本屋に来た客が『チェブラーシカ』の絵本の初版本を探して欲しいとゴーリキさん(←言っちゃってる)に依頼する話がある。それを読んで、「そうか、チェブラーシカは絵本なのか」と知り、勉強のためにさっそくAmazonでポチってみた。

チェブラーシカ 絵本
説明書から入るタイプです

 どうやらロシアの方らしいですな、チェブラーシカ。で、サルではないと。サルでないなら何なのかといえば、結局わからずじまいであった。絵本の中でも「謎の生き物」と開き直って言われている。で、こいつがオレンジを食べてたらお腹いっぱいになって寝ちゃって、オレンジの箱に詰められてロシアの果物屋さんに空輸されるという憂き目に遭う。チェブラーシカというのは「よく転ぶ」という意味のロシア語らしく、この果物屋さんが名付けたものである。この理屈で言うと私は記念メダルを集めがちであるのでオレンジの木箱に詰められた運送先が日本であったら「記念メダラー」と名付けられたわけだ。私がもし南米生まれの謎の生き物であったなら危うくそんな名前で呼ばれるところであった。そんな名前で呼ばれたら女子ウケが悪いこと請け合いである。ましてや自分のことを「記念メダラー」などと自称している人間がいたら顔が見てみたいものである(実際に見たことはない。鏡ごしでは毎日見てるけど)。

 そんなチェブラーシカの扱いに困った果物屋はじめとした人間の面々は、最終的に「そこに電話ボックスがあるから」という謎の理由で、チェブラーシカに公共の設備であるはずの公衆電話ボックスをあてがい「今日からここが君の家だよ。どうだい? 素敵だろ?」的な話をして、そこに置き去りにする。それをとてもメルヘンチックに書いているが、要はそういうことである。

 で、場面が変わって、突然「ワニが友達ほし〜と悩む話」になる。ワニのゲーナさんの登場だ!(誰?) 友達が欲しいので、出会い系サイトの自己紹介文のような虚実交えた友達募集の張り紙をしたところ、そこにチェブラーシカをはじめとした女の子や犬など人種どころか種族を超えた方々が応募してきて、めでたく友達となる。で、もちろんいじわるばあさんもやってくる。で、いじわるばあさんはもちろんいじわるをして仲違いするという大団円へのありがちな伏線が張られる。

 起承転結の「転」の部分で、ワニのゲーナの元に集まった面々が「みんなで住む『友達の家』を作ろう!」ということを言い出し、家を一緒に作ってくれる友達を募集したらこれがまたたくさん集まるわけである。まじ求人力すげーので、中小企業の経営者の方々はワニのゲーナをぜひ手本にして就活生を取り込んでいってほしいものである。

 で、みんなで協力して「友達の家」を作っているともちろんそこにいじわるばあさんがやってきて、もちろんバナナの皮を仕掛けるという古典的手法でいじわるをしていくのである(古典作品だから問題なし)。で、なんやかんやで懲らしめられて、反省して歩み寄ってきたもんで最終的には仲間の一員となるという何千回と見てきた安定のパータンで丸く収まる。そして物語の結末としても「家よりもみんなで協力して作り上げたということこそが僕らの宝物だね!」という的な人類史上何億回と繰り返されてきた大団円で幕を閉じる。この辺の話は上記の『ビブリア古書堂の事件手帖3』でキーポイントとなる点であるので、興味がある方はぜひ両方読んでみていただきたい。私所有の現在売られている絵本では「友達の家」を作るわけなのだが、日本語訳初期のものはこれが「なかよしの家」であったそうで、その時代の『チェブラーシカ』を探すという話である。『ビブリア古書堂の事件手帖』は前澤さんの彼女さんのイメージとまったくマッチしないけれども、少なくても原作はなかなか面白いですよ〜。

そしてチェブラーシカが木箱に乗らずに我が家にやってきた

 なんだかんだ言っているが、実は乙女系親父の私である(何それ?)。私を取り巻くチェブラーシカ関連のタイミングの良さが相まって、すっかり好きになってしまった(キモ)。そんなわけでこのPOP UP SHOPにおいて、チェブラーシカを一匹購入することと相成った。そしてこれは、まさに今から九州記念メダル巡りの旅に出発するタイミングであったので、奇しくもチェブラーシカと共に旅することとなったのであった。

城の崎にて
城の崎にて

 こういう要素が加わると、途端に写真が映えますな!

 しかしよく考えて欲しいのは、30半ばを過ぎたおっさんがこのチェブラーシカを片手にあーでもないこーでもないと撮影している風景である。控えめに言ってキモいという誹りは免れないであろう。だっておっさんのカバンの中からチェブラーシカが突然現れるんだよ? 怖くない? 私だったら怖いね(そしてそれが私です)。

 チェブラーシカと旅写真を撮っていて感じたのは、「インスタが流行るのわかるな」ということである。途端に撮影が楽しくなってしまったのである。写真に「自分だけの要素」を加えると、それがとても特別な一枚になったように感じる。乙女系親父としてその気持ち、わかる、わかるぞ〜(キモ)。

 「自分だけの一枚」にこだわり、良い写真が撮れたらみんなに見て欲しいとアップする気持ちはとてもよく理解できた。これからはインスタ女子に理解を示して好感度をアップさせよう!(邪念に満ちた考え)。

記念メダルについて

 これは文句なしのグッドデザインといえよう! キャラクターグッズと見ても、記念メダル的に見ても、完璧である。

 まず記念メダル的に見ると、金型の精緻さに惚れ惚れする。こんなに細かいデザインが実現可能なの⁉︎ と驚きを禁じ得ない。今までここまでごちゃごちゃした(失礼)デザインのメダルはなかったのではないだろうか。ここまでのものが実現できるのならば、オリジナルメダルを製作する際にももっと凝ったデザインにすれば良かったといつもながらの後悔がよぎる。いや、マジでもう一回チャレンジしたいんだよな〜金がね〜(赤裸々)。

ここまで精巧なデザインは珍しい。デザインのセンスの良さも含めて。

 また、裏面は共通のものにすることが多いが、きちんと別々のデザインで製作しているところも記念メダラー的にポイントが高いのではないだろうか。別のデザインにするということは、別々に金型を製作したということである。ということはもちろん、その分の決して安くはない費用が掛かっているわけである。この点に記念メダラーとしてはとても強い「こだわり」を感じるわけである。この点だけでも、記念メダル製作に対するかなりの熱い思いを感じる。それなのになぜ博多では販売しなかったんだ〜と本当に残念であることよ。

 キャラクターグッズとしても秀逸であることが、ツイッターの投稿を見ているとよくわかる。特に記念メダルに興味がなさそうな層が、「かわい〜」と購入している写真がいくつも見受けられる。そういう写真は大抵キーホルダーも一緒に購入しているので、「刻印ができるチェブラーシカのキーホルダー」としてチェブラーシカというキャラクターのファンの方が購入しているものと思われる。つまり、我々のように「記念メダルだから買う」のではなく、純粋にそのデザインが気に入ったからこそ購入しているわけである。チェブラーシカファンをも唸らせるデザイン性の高さなわけである。

 昨今はやりのプリントメダルではなく、金型メダルでここまでのことをやってのけたというのは、現在では偉業なのではなかろうか。「記念メダル本来の魅力」で、購入者を獲得しているのである。

 そして何より、プリントメダルにせずに金型メダルでここまでこだわったものを作り上げたこのグッズの担当者は、「もしかして記念メダラーなのでは?」という疑惑が生じる。そうでなければここまでの記念メダルを作り上げる気にならないと思うのだが。。。

 その辺気になる〜(ザキヤマ風に)。




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