邪道【黒部ダム】 記念メダル

黒部ダム記念メダル

『黒部の太陽』と聞いて思い浮かべるのが三船敏郎か香取慎吾かで世代が分かれるよね

 【黒部ダム】は記念メダル不毛の地・富山県においてかつて記念メダルが販売されていた場所である。茶平工業公式HP「販売終了したメダル」リストにもメダルが掲載されていて(上記のメダルではなくもっと新しい物)、日本一のダムに相応しい素晴らしいデザインであったことをうかがわせる。現在でも観光地として大人気の場所であり、単独では行きづらい場所にあるせいもあって様々なバスツアーが組まれている。

 記念メダラー的には富山県といえば【クロスランドタワー】であろうが、世間的にはもちろん【黒部ダム】が何よりもまずに挙がるだろう。ちなみに余談であるが、富山県唯一の記念メダルスポットである【クロスランドタワー】は、財政的な理由から、安全が確保できないと判明した時点で復旧ではなく利用停止にすることになっているそうな(ツイッター情報)。なんとも世知辛い世の中である。が、それもまた致し方ないことであるのも理解できる。どう考えても財政に貢献しているとは思えない。

 【黒部ダム】が現在のような観光地としてメジャーな存在になったのは、2001年にNHKで放送された『プロジェクトX~挑戦者たち~』の影響が大きいのではないかと言われている。翌年の紅白歌合戦では中島みゆきが番組テーマ曲である『地上の星』を黒部ダムで歌ったこともそれに拍車をかけた。確かに、黒部ダムの過酷すぎる建設の物語は、『地上の星』の歌詞や曲の雰囲気に限りなくマッチしていて、むしろこのために作られた曲なのではないかとすら思うくらいである。

 他にも映画化が一度、その映画をもとにしたドラマ化が二度行われている。私にとしては2009年版香取慎吾主演のドラマが記憶にある。が、観てない。なんなら「青函トンネルを掘るドラマに主演してたな~」という大きすぎる勘違いをしていたくらいである。いつの日か訪れることがあれば、旅をより楽しむためにも一度鑑賞しておきたいところである。というわけで、ドラマを鑑賞するためにもメダルの再販希望!

 【黒部ダム】はこのように建設の物語が映画やドラマ、そして『プロジェクトX』になるほど過酷であったことが有名である。なんといっても殉職者が171名にものぼったということで、現在では建設が続行できたこと自体が考えられない話である。絶対無理だよね。建設中に一番多くの被害が出た事故は宿舎が雪崩に巻き込まれた被害で、これだけで87名が死亡している。逆に言えばこの被害でもまだ半分程度なので、ありとあらゆる場面で死亡事故が発生していたことをうかがわせる。恐ろしすぎる。建設現場では、ミスは死に直結するという意味で「黒部にはケガはない」と言われていたらしい。恐ろしすぎる。。。

 なぜこんなに危険だったのかといえば、ダムを建設していた黒部峡谷が当時はいわゆる「秘境」であったためである。時代的にも交通網は全然発達しておらず、作業現場に行くのにまず徒歩、馬といった原始的な方法がとられていた。それでは埒が明かないということで、「ダム予定地へ行くためだけのトンネル」が掘られた。これも超大変だったらしいのだが、その苦労の甲斐もあってトンネル開通後は工期を大幅に解消できららしい。

 そもそもなぜこんなにも危険な場所にダムを建設しなければならなかったかというと、ひとことでいえば「電力不足」がその理由らしい。戦後間もない日本では、関西方面で特に電力不足が深刻化していて、工場だけではなく一般家庭も対象に「計画停電」をして不足をしのいでいたらしい。そこで大正時代から計画だけはあった黒部峡谷にダム建設→水力発電を完遂しようと、当時の関西電力の社長が決断した。そう――【黒部ダム】は北陸電力の事業エリアなのに、実は関西電力が建設したのである。そして当然、作られた電力は関西電力圏に送られる。これは現在でもそうであるらしい。完成当時は、大阪府の電力の半分近くを黒部ダムからの電力供給で賄っていたそうである。

 ここでは建設の過程についてはあえて詳細に触れないが、当時の日本の世情であったり、事情であったり、価値観であったりが複雑に絡み合って完成にこぎつけた施設であるといえる。現代では無理だろう。それとも、原発問題のようにだんだんトーンダウンしていって人知れないところで作業が続けられるのだろうか。

観光としての黒部ダム

 工事関係者があんなにも苦労して足を運んでいた黒部ダムも、現在では文明の利器を利用して観光目的で足を運ぶことができる。といってもやはりそこまで気軽なものではなく、まず車では辿り着けない。登山をせずに行くのなら基本的には長野県側から入る必要があり、「扇沢駅」という駅まで車やその他の公共交通機関で辿り着き、そこからは専用のトロリーバスで「関電トンネル」という上記で言及した「ダムへ行くためだけのトンネル」を通ってアクセスすることになる。富山側からアクセスするなら立山駅から「ケーブルカー」→「高原バス」→「立山トンネルトロリーバス」→「ロープウェイ」→「ケーブルカー」→「徒歩」という行程を長々と辿らなければならない。それ自体を旅行として楽しむ姿勢であるなら良いんだけどね!

 黒部ダムの写真を見ると大抵「虹がかかった大放水をしている場面」である。ただこの放水、実は管理上は特に意味がないらしく、自ら「観光放水」と名乗っている。なかなかのサービス精神なのはやはり関西圏の会社が親会社だからか!?

 記念メダル収集と人気を二分する収集趣味に「ダムカード収集」というものがある。こちらはテレビで取り上げられることも多く、近年旅趣味の延長として広く受け入れられつつあるように見受けられる。なぜ記念メダルははやらないんだ~! 「ダムカード」「ダムカレー」「ダム巡り」が世の旅人たちに受け入れられたのは、やはりそこには「ダム」という圧倒的な存在感を放つ人工物と雄大な自然との対比があり、「目的地として魅惑的」だからだろうか。記念メダルももともとは目的地ありきの物であったはずなのだが、近年では「キャラクターメダル」がだいぶ幅を利かせるようになってきており、深く考えてみると結構ブレているのかもしれない。まあ時代に合わせた商売の形であるので別に失敗ではなくむしろより成功に向かっていると思うのだが、「収集家」という観点から考えるとなかなか難しいのかもしれない。「ダムカード」はダムにしかないので、その存在がブレることはないからね~。

記念メダルについて

 刻印が「1972・10・2」とあるので、だいぶ古いメダルである。もちろん私より年上だ。メダルのデザイン的には茶平工業HP「販売終了したメダル」一覧に掲載されている黒部ダムメダルの方が圧倒的に魅力的である。「KUROBE DAM」という変にポップな字体がイマイチ私の感性に合わない。裏面に描かれている花は何であるのか不明。何らかの高山植物であるとは思うが。私は花・植物の名前にとんと疎く、小学生のとき学校の隣にある公園で野外授業があり先生が「公園に生えている花を5つ言えたら自由に遊んでいいよ~」と宣言し、私は5つどころか一つもわからず沈黙したままずっと立っていた。そこは何か事前に学習する機会があったならまだしも、いきなり連れていかれいきなりそんな宣言を出され、私は子供心に納得がいかなかった。そしていまなお、この時のことは納得していない。先生はとっくの昔に記憶から抹消され今さらそんな話をされても困惑するしかないだろうが、私はいまなおこの時の怒りを忘れずにいる(根暗)。そしてその時の悔しい気持ちが私の心を奮い立たせることに何一つ貢献していないことは、今なお私が植物の名前を全然知らないことが証明しているといえる。「この悔しさをバネに~」なんてのは学校の先生の体の良い言い訳なのだ~って何の話やねん。

 教育とは実に罪深きものであることよ(まだ言う)。

 




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)