メダル王に、オレはなーる!
当ブログをお読みいただいている皆様であれば、私が愛知県北名古屋市にある【医王山 高田寺】の開創1300年を記念したメダルの製作に携わったことをご存じであることだろう。しかし、そこで一つの疑問をお持ちの方が多いと思われる。
お前は一体何なんだ?
私だったら、私に対してそう思うことだろう(ややこしい)。
そんなわけである程度のネタバラシをしつつ、【高田寺】の御守りメダルの製作過程を記そうと思う。そしてそれは同時に、私がメダル王になるための「遥かなる航路(と書いて「グランド・ライン」と読む!)」を辿る軌跡でもあるのだ!(とイキって見ても何がなんだか)
メダル製作の依頼編
まず、私と【高田寺】との関係であるが、一言でミもフタもなくいえば「知り合い」である。まあそれだけの話であるしそれ以上語ることもできないのだが、「【高田寺】に飛び込み営業を掛けて商談を掴んだ!」みたいな勇ましい話ではない。
縁あってお話をさせていただいているときに「開創1300年記念として、何か記念品を作りたい」というお話を聞き、私の目がキラーンとなったのである。
「実は記念メダルというモノがありましてね。観光地とかによくある……」
という記念メダラーが平均30回程度はしたことがありそうな説明を始めたら、意外や意外、
すげー乗り気でこちらが逆にびっくり
という展開になったのであった。「えっ? 記念メダルなんかに興味があるんですか?」と逆に不安になって聞いちゃった私はメダル王を目指す男。
もちろんこの話がまとまった重要な要素として過去に自分で記念メダル製作をしたことがあるという点はかなり大きかったに違いない。必須であったとさえ言える。
なぜなら——
①デザイン→発注→納品の流れをきちんと説明できる。特に製作期間等の概算を伝えられる。
②過去の見積書を参考に、大体の費用を提示できる(特に金型代のことやそれを減価償却できた後のことなどを具体的な数字をもとに説明できる)
③まかせてもらえるなら費用面以外のことは全てこちらでやりますよ〜という提案に説得力がある。
プラスアルファで、「報酬は作ったメダルをください」だけだったということも大きかったかもしれない。趣味でなければおよそできない提案ではあるが、趣味だからこそ実現した企画であるともいえる。
もちろん、この場で販売戦略的なこともかなり具体的に提案させていただいたのだが、お相手が1300年の歴史を有する由緒あるお寺であるので、下世話な話は控えさせていただく。一つだけ述べると、「御守りにしましょう」と提案したのは何を隠そう私である。その際、御守りやらお札やらの業者の発注書を拝見させていただいたのだが、金型代を含めた概算でも全然アリじゃんとスーパーコンピュータ並の素早い計算でサッと算出した。もちろんこれは私(と以後に登場する関係者達)の人件費を含めないからこその計算結果であることは言うまでもないが。
とにもかくにも、私の話に大変興味をもっていただけたため、「全部まかせるよ!」と力強い言葉をいただくことができた。こうして私の新たなる挑戦「人から依頼されたメダルを製作する」という茨の道が始まったのである。別に全然いばらじゃなかったけど。
デザインの変遷 〜絵心がないあなたもデザインができる方法 おもて面編〜
最初にお断りしておくが、私は絶望的なまでに絵心がない。それは【記念メダル擬人化計画】でも少し触れたわけだが、じゃあ誰が一体デザインをしたのかというと毎度お馴染み職場の隣の席に座る女の子(新婚)である。
その子に対して「いや〜、今度オリジナル記念メダルの製作をすることになってね〜」なんて話を切り出したら、「きね」のあたりで既にもう飽き飽きしたような表情をしていたことはきっと気のせいに違いない——そう強い決意をもって、あーでもないこーでもないと話し合いながらというかキャッキャキャッキャしながら二人三脚でデザイン案を練っていったのである。こうして我々の休憩時間は幾日もつぶれることとなった。が、そのことに対して一片の後悔もない、
私はね(最低)。
ちなみに、【高田寺】の御本尊である薬師如来像を特別に拝見させていただき、その圧倒的な迫力と神々しさにインスピレーションを掻き立てられ、どうしようもないほどの衝動に駆られるままに手が動くままにして描いた私が示した最初のデザイン案はこれ↓である。
隣の席の女の子談:「絵心の無さがむしろ清々しいですね」
そう私は絵心のない人間。無いものは出ないのである。たとえ抑えがたい衝動に駆られようと。
これを基に?私のイメージする図案を一方的に彼女に語りかけるままにいろいろと詳細を付け加えていくことになる。本当にいろいろと言い過ぎて細かい内容をよく覚えていないのだが(いろいろ最低)、主なこととしては
①背景に凝りたい。薬師如来がポツンといる感じではなく。【東大寺】の大仏メダルのような感じではなく。
②「1300年」の文字は入れたい。
③仏といえば蓮の花っしょ!
④オークっぽいデザインで!(説明不足)
みたいなことを言いつつ色々とメダルの写真を見ていただき(ブログやってて良かった点)、彼女が描いた第一案がこれ↓である。
これはこれで良いんだけど、ちょっとごちゃごちゃし過ぎちゃったかな〜という印象だと勇気を出して言った次第である。いや、この図案は私が出した要望を全て忠実に再現したものであることは間違いない。要するに、私が全部悪いことは疑いようもない事実である。
あとやっぱり正面向いた姿が良いな〜なんてことを言いつつ新たに描き直してもらった図案がこれ↓である。
「文字おしゃれ」の注釈は、「文字はおしゃれなやつがいい!」と私が言ったら、彼女が何も言わずそっと書き足した文字である。決して「開創1300年」の文字を書き直そうとはしなかった。きっとめんどくさかったのだろう。私だったらめんどくさいので書き直さないし。
この案で私が気になったのは、やはり蓮の花である。なんか
寄生されてるっぽい
と思ったのである。いや、『森を食べる植物』という本がありましてね。
なんかそれに出てくる植物っぽいなと思ってしまったのです。何って理由はないけれど。
そんなわけで、「蓮の花をバックに飾るのはやめて、仏像のとおり蓮の花の上に座ろう」ということになった。実はこれには、これ以降の作業となるのだがデジタルデータにするときにも仏像に忠実な方がトレース作業が容易となることも念頭にあった。
ただどうしてもなんらかの背景がある図案にしたかったので「苦しむ人間達を救いに空から蓮の花に乗って降臨してくる感じで!」という超大雑把な指示のもと(というか最初からそれしか言ってなかったかもしれないが……)彼女が四苦八苦して描きあげたのがこれ↓である。
絵に疲れが見え始めた!
:(;゙゚’ω゚’):ゴメンナサイ
いや、本当に申し訳ないことの極みである。
ちなみに前回の「文字おしゃれ」という要望のもとに書かれた「秘仏 薬師瑠璃光如来」の文字は、私が「週刊誌の『疑惑⁉︎ ○○な実態を暴く!』みたいな見出しのような感じで〜」とお願いして、「わかりません( ´ ▽ ` )」との返答の末に出てきた結果である。むしろわからんという割にはよくここまで私のイメージを抽出したものだと思ったものなのだが、「(あなたのことがもう)わかりません( ´ ▽ ` )」という意味だったのかもしれない。
そんなことがありつつ、薬師如来の降臨をイメージする小道具として「雲」を配置した。これを「背景」とするのか、それとも「薬師如来の前にもってくる」のかで私と彼女との間で議論が生じた。私はオークのメダルのように「背景のおしゃれさ」にこだわるところがあったので背景に置く派であった。が、彼女が「私、重なりフェチなんで」と大門未知子が失敗しないばりのキリッとした表情で言ったので、これは芸術家の感性に任せようと判断した。芸術家というか、同僚だけど。
そんなこんなでおおよその構想は固まった。いわゆるイメージ図である。しかしもちろんこれでデザイン作業が終了するわけではなく、むしろここからデジタルデータに興す必要がある。さらには、【茶平工業】に入稿する際には「イラストレーター」という古くからあるソフト(今でいうアプリ)を利用して製作した拡張子「.ai」のデータとする必要がある。
ではここからはついに私の出番——かというと当然そんなはずはなく。
次に頼ったのは、
前職の同僚
である。現同僚から過去同僚へ、そしてバトンは渡された——
この方は非常にざっくり言うと「セミプロ」みたいな方なので、上記のメモ書きの写メを送ると、メールのやり取りだけでささっと仕上げてしまった。
ちなみにこれは、雲と文字を除いて、御本尊の写真をもとにトレースして仕上げたものらしい。だから本物の薬師如来像をかなり忠実に再現しているのである。それを画像データとして送ってもらったのが↓。
さて、これでベースとなるデータができたわけだが、みなさんお気づきだろうか。
私が何もしていないことを。
そう、何も絵が描けなくても、画像編集ソフトが使えなくても、記念メダルはデザインできるのである。これが——
——こうなるのである。
これこそが薬師如来がもたらした奇跡説。
すげーだろ!(何の自慢?)
デザインの変遷 〜絵心がないあなたもデザインができる方法 裏面編〜
裏面は、茶平工業製記念メダルのアイデンティティである。
私は今回、この裏面は最大限にこだわろうと考えて臨んだ。極端なことをいえば、前回のオリジナルメダル製作で大きな心残りとなった「裏面をもっと凝れば良かった!」という悔いを晴らすというモチベーションこそが、オリジナルメダル製作第二段への挑戦に駆り立てたといっても過言ではない。
やりたかったことを端的に述べれば「刻印は当然出来るが、ただの◯ではない」である。例えば、【浅草花やしき】や【東京都庁】のような、アレである↓。
そんなわけで「未だかつてない裏面にしよう!」と意気込むものの、具体的なデザイン案は実は当初は何もなかった。ただなんとなく「御朱印をモチーフにしよう」という構想だけは漠然とあったので、とりあえず【高田寺】の御朱印を描いてもらった(のを写メってもらった)。
これを見て、「あっ、背景の梵字のスタンプが○っぽい!」と思い、あっさりと縁取る形がきまった(安易)。
しかしこのメダルは「御守り」にするというコンセプトなので、中央に来る文字は「薬師如来」でもそれを表す梵字でもなく、「御守」という字にしたかった。そこで副住職殿に連絡を取り、お手数をかけてしまうのが心苦しかったものの「御守」という字を書いてもらうことにした。この要望を聞き入れてくださり、すぐに書いて写メってくださったものが↓である。
いや、読めん。
なんなら梵字にすら見える。「達筆すぎる」という弊害がまさかここで生まれようとは。本当に申し訳ないと思ったのだが、やはり一般ピープルが「御守り」と読めないと御守りとしてのアピールは難しいと考え、断りを入れた上で不採用とさせていただいた。私から頼んでおきながら私から断ると言う神(仏?)をも恐れぬ所業である。
というわけで、パソコンで良い感じの字体はないかな〜と探していき、「なんちゃら体」(覚えてない)というのをもとに書き、デザインしたのが↓である(最初からそうしろよ)。
こちらは一発でほぼイメージ通りのものとなったので、ほとんど第一案でデジタルデータ化することとなった。
ただ、前回のメダル製作で学んだはずの「金型にする際のデザイン画におけるルール」を私がすっかり忘れていたことにより、この後の茶平工業とのやり取りで数回修正を加えることとなる。本当にすみません……
さて、この後は茶平工業とのやり取りとなる。ここからがまた長いというか私がいかに迷惑をかけてしまったかの記録となるわけであるが、その前にオマケとして先人達の「御守りメダル」をなんとなく掲載しておきますね〜
これらのメダルと出会って「記念メダルを御守りにする」という発想が生まれたのだということを明記しておく。決して私のオリジナルアイデアではないのである。しかし、パクリではなくインスパイアーだ!(声を大にして)
デザインの変遷 〜絵心がないあなたもデザインができる方法 茶平編〜
さて、デザインをデジタルデータ化したら、次はいよいよ茶平工業とのやり取りとなる。私の場合、この段階で初めて製作依頼をすることとなる。依頼はメールで行った。
前回の製作で見通しが立っていることもあり、相手もお忙しいと思うので、初期のメールでなるべく必要な情報をお伝えすることにした。発注枚数やそれに基づく見積もり依頼、納期等を細かく伝えさせていただいた。特に今回は相手があることなので、見積もりは大事であった。何パターンかの発注枚数や、色は金だけでなく「黒」や「金銀コンビ」での値段の違いなどを情報として網羅してもらい、それを【高田寺】にお見せしながら打ち合わせをし、最終的に発注枚数と色を決めた。色はオーソドックスな「金」とした。これはとりあえず無難にしたかったこともあるが、金色と仏様の相性が良いだろうという目論見もあった。実際の薬師如来像は黒いんだけどね〜
【高田寺】から正式にGOが出たら、いよいよデザインの細かい修正を茶平工業の専務(と思っていたら、いつの間にか社長になっていたことが発覚!)と行うことになる。で、ここで前回の記憶がすっかり薄れてしまっていた私は、いろいろとご迷惑をかけてしまうこととなる。
まず、金型におこすときの基本ルールとして「黒が凸、白が凹」というのがある。つまり、黒い部分で図柄を描き、白い部分が(基本的には)ツルツルの下地となる(ちなみにこの部分はザラザラの梨地にすることもできる。ちょっと古いメダルでよくあるやつ)。
以上を踏まえて、もういちど入稿時の図案を見てみると
まず上記の案だと、雲の中身が凹になってしまう(つまり、線だけで雲を描くことになる)。また、「秘仏 薬師瑠璃光如来」の部分はいわゆる切り抜き文字になることになる。
また裏面は
まず、梨地を表した刻印部分の粒々はいらぬお世話の表現となる。梨地部分は凸で表現し、「ここは梨地で〜」(あるいは「刻印する部分で〜」)と注釈すれば良いのであった。
さらには、この図案の大きさでは刻印が恐らく不可能である。そして何より、私は凹で裏面の炎? 蓮? をかたどった外周を表現したかったのだが、黒い線として描いてしまったので、このままだと凸の線で描かれてしまうことになる(【花やしき】とか【東京都庁】とかみたいな感じにはならない)。
そんなわけで改めて「こうして欲しい!」というのをイラストにおこした(職場の隣の女の子が……)↓
それを社長がデータ修正してくださったものが↓である(おもて面も含めて)。
ちなみにこのデータに至るまでに数回やりとりをしている。その度にデータを修正していただいて、申し訳なさすぎて言葉がない。これははっきり言って私の「ルールへの理解」が浅かったことが原因である。私が当初からイメージしていたものは上記の修正画像のものでまったくそこにブレはなかったので、ただ単に表現の仕方を理解していなかったということである。重ね重ね申し訳ないほどの社長の手間をどうぞ↓。
以上のやりとりを経て、最終的にGOをお願いした。
私がトロくて数回のやりとりを要してしまったわけだが、ここで思い返すのは、やはり今回の依頼時にも改めて読み返して参考にさせていただいたオリジナルメダル製作の先人「メダル列島」のkiwwyさんのページである。
この方の「オリジナルメダルへの道」を読むと、彫りの深さ等まで含めて指示しており、愕然とする。正直私は凹凸箇所の指示のみで、あとはうまい具合にやっといて〜みたいな感じである。この辺はやはり造形への理解の差であるといえる。というか私、そもそも「イラストレーター」もってないし。
こうした(私以外の人たちの)苦労を経て、ようやく金型製作へと進むこととなる。ちなみにここまでで1ヶ月弱掛かっている。時は1月下旬である。
一番興奮するのはサンプルメダルを初めて見るときだよな。間違いないね。
金型製作をお願いし、そこから待つこと約1ヶ月——クリックポストにて我が家の郵便受けに届いたサンプルメダル5枚。
金型が完成すると、サンプルとして5枚のメダルが届けられる。そのサンプルを見て、修正箇所があれば再度茶平工業に連絡をして修正を依頼することになる。ちなみに修正は無料である。
前回のメダル製作ではおもて裏ともに一発OKを出したが、今回は修正を依頼することとなった。実は細かいやりとりがいろいろとあったのだが、納期までに残された時間や、そこはかとなく感じる手間の問題、etc……により、顔の微修正のみをお願いすることにした。
これまた非常に分かりづらい写真となってしまったが(写真撮るのヘタか)、修正箇所は「目」と「口」の大きさである。両方とも、小さくしてもらった。
まず口であるが、修正前は浜ちゃんかというくらいかなり「たらこ唇」のような印象を受けたので、可能な限り小さくしてもらった。この部分の修正が実物を比べてみると一番よくわかる部分である(皆さんは実物を比べることはできないんだけど……)
次に目であるが、実物の薬師如来像は目を瞑っている。
が、修正前のメダルは、これが目を見開いているような印象を受けたので、こちらも小さくなるように修正してもらった。
技術的に実現可能な範囲と、こちらのイメージとのすり合わせは、今回は私の物ではなく依頼を受けて製作しているものなので妥協点を探るのがなかなか難しかった。人のものである上に納期(というか御開帳イベントそのもの)が迫る中で、茶平工業とのすり合わせだけではなく【高田寺】とも連絡を取りながら意思確認をしていき、最終的に量産体制が整ったのは3月9日であった(イベントはその週の14日、15日)。レミオロメンもびっくりだ。
さらには、実際に納品されたのはなんと12日である。本当にギリギリとなってしまい、【高田寺】関係者の方々にはヤキモキさせてしまったことだろう。申し訳なさすぎてもう敷居をまたげない。またいだどころか参拝したけど。
こうして無事にこの仕事を終えることができた。どうなることかと正直思ったが、終わってみれば大変満足いくメダルを製作することができたと自画自賛である。特に裏面は渾身の作なので、ぜひ実際に刻印をしてみて欲しい。今回のイベントでは刻印機はキャンセルせざるを得ないという憂き目にあったが、11月のイベントではまたレンタル予定なので、その時に手にしていただいた記念メダラーの方々にはぜひその日その時の思い出を刻み込んでいただきたい。
ちなみに、修正を終えるとまたサンプルメダルが5枚届く。これを続ければ無限にメダルが貰えるんじゃないかとやましいことを考えたのはここだけの秘密である(^_−)−☆ヤクソクダゾ
デザイン案と実際のメダルとの最終的な比較↓。
最後に余談であるが、このメダル製作と同時期くらいにあった話題として、【ミイラ展】において閉幕まで1ヶ月を切ったときに突如として記念メダルが発売されたことに関して、少し考察したい。
上記の諸事情というのは、単純に納品が遅れたのではないかと考える次第である。
今回、私は納期との兼ね合いもあって修正を妥協した部分が実はある(理由は納期だけではないけど)。しかしながら、プロのデザイナーだったらそこは妥協できない点なのではなかろうかと思うのである。「金型修正の打ち合わせ」→「修正依頼」→「修正」→「サンプルメダルの製造」→「郵送」までにはゆうに2週間近くの時間を要したので、これを2、3回繰り返したらあっという間に1ヶ月は経ってしまう。特に、修正後のサンプルメダルを見た結果さらに修正を加えたくなるというのはプロの世界では余裕でありそうな話なので、そうなると完成は数ヶ月単位でズレ込むことも予想される。それこそが、今回の発売日のズレ込みだったのではないかな〜と思うのである。
もちろん基本的には開幕に間に合うようにスケジューリングするのが当然であるし、事実今までの特別展ではこのようなことは起きていない(特別展でないイベントでは起きたけど)。が、一つ間違えればこれくらい発売がズレ込む可能性が常に隣り合わせであることが、今回のメダル製作を通してよくわかった。誰が何を間違えたのかはもちろん謎であるし、実際に何が起こったのかも永遠に闇の中であるが。ミイラ達だってそれはわからないのである(それっぽい文章)。
【ミイラ展】のメダルは、そんなことを想像させるほどとても素晴らしいデザインなのである。
メダル。をプロデュース
↓ちなみに『童貞をプロデュース』というドキュメンタリー映画もありまして、そちらは出演者と監督が10年越しに揉めております。現在進行形で。というわけで、皆さん普段からの人と人との繋がりというものは非常に大切なものなのですよ(説法ぽく)。自分に何の力がなくても、人脈のみで自分が思い描く記念メダルを製作することは可能なのです(説法ぽいのに何か情けない!)
ちなみに、これらのことをタダでやってもらっていては「次はない」となる。デザインのことだけではなく、全てのことにおいてね!
ということで、まず隣の席の女の子には、他の同僚(♀)二人を加えて「女子会を開いてください」という要望をいただいたので、私も女子の一員となって開催させていただいた次第である。もちろん費用は全額私負担である。当日は女子トーク力を発揮すべく、バカリズムの『架空OL日記』を熟読して臨んだ次第である。アホみたいなことを書いているが、恐ろしいことに実話である。
また、セミプロデザイナーの方には、きちんと料金を支払った。もちろん適正価格ではないかもしれないが、少なくても1日日雇いのバイトをするよりは多めのお値段を支払わせていただいた。
私は基本的に「知り合いなんだからタダでやって」とお願いする価値観はよくないと考えているので、その辺はできる範囲ではきちんとしようとした次第である。自分がやる側になったときは全然タダで良いんだけどね〜(まあ相手との仲良し度によるが)。
しかし改めて自分は何もできないんだな〜と思った(さらっと自己否定)。何もできなくてもこうして一枚の記念メダルが出来上がったのだから、2次受け3次受け4次受けという仕事受注構造ができあがっていくのもなんだかわかるな〜とふと考えてしまうのであった(ITゼネコンに思いを馳せて)。極論、自分が何もできなくても右から左に流すコネさえあれば良いわけだからね……
今回のことは、ものすごく良くいえば「プロデュースした」と言えなくもなくはないかもしれなくもないかもしれない(←こういうの、腹立つよね!)。少なくても私が頭の中でイメージしたものがほぼ忠実に再現されたという意味では、私が欲しかったものを作り上げたと言えなくも無い(この後に及んで煮えきらない物言い)。
そして繰り返すようだが、今回の件は、前回のオリジナルメダル製作の経験があったからこそ実現したものである。そう考えるとやっぱり何事も経験してみるものだなぁと、私の家に眠る金型二つにそっと語りかけるのであった——
コメントを残す