情報化社会でも思い出が共有されていない【トランスポ’85新潟】
【トランスポ’85新潟】は、昭和60年に新潟県新潟市新光町で開催された一応地方博覧会っぽい催しである(ただウィキペディアの地方博一覧に載ってないので含めないこととする)。どうやら関越自動車道全線開通を記念して企画されたものらしく、内容も自動車に関することであったらしい。まあ名称が「トランスポート」からもじられていることは明らかなので、なんとなくそんな気がしていたが。開催場所が新潟県庁の隣であり、主催に新潟県も加わっていたことから行政がそれなりに力を入れた催しであったことが予想されるが、恐らくは不人気イベントであったことうかがえる。というのも、現在情報がほとんと残っていないのである。
過去の地方博系のメダルの記事を書くときはネットで情報収集するのがメインとなる。ということは、ネットに情報がないと、ほぼ何もわからないに等しくなる。で、このイベントの情報は皆無というレベルで存在しない。地方博系のことを検索すると必ずといって良いほどヒットする「乃村工務店」のページで当時のチラシを見られるくらいである。
当時の様子を知るには、個人の方が当時のことを振り返るブログ等を書かれていると、かなりよくわかることが多い。また最近ではYouTubeにホームビデオで当時の様子を撮影した思い出ビデオがアップされていることも多く、80年代以降のイベントはそれなりにうかがい知れることが多いのである。
が。
それがないということは、すなわちそんなにヒットしなかったということである。もちろんマイナーイベントでも個人の方のブログにて当時が振り返られていることはあるのだが、何にも情報が残っていないということは要は「箸にも棒にも引っかからない」みたいな状態であるといえる。訪れた人たちの思い出としても残っていないのかもしれない。正直、この情報量の少なさは70年代のイベントレベルである。
人の記憶にも残らないというのは、なかなか寂しいものである。大好きだったあの人にとっても、私は【トランスポ’85新潟】程度のものだったかもしれないと思うと泣けてきてしまう。「人は死んでも、人々の記憶の中で生き続ける」とよく言われるものだが、果たして本当にそうなのか? 記憶の中で生き続けられる人もいれば、
【トランスポ’85新潟】のようにどこにもその存在した痕跡を残せないまま消えてしまう人もいるのではないだろうか。
――男の恋愛は「名前を付けて保存」、女の恋愛は「上書き保存」。
消えてゆくことを寂しく思うのは、男だけなのかもしれない。
何の話やねん(そしてこのネタは幾度となく使っている)。
記念メダルについて
銀メダルのカラーリングを見てまず思うことは「ペプシだ!」ということである。旧ロゴからパクったんじゃないかとすら思う。東京オリンピックのエンブレムパクリ騒動レベルでそっくりである。グーグル画像検索で調べるまでもなく。
ちなみに私は圧倒的にコカ・コーラ派である。昔、「ペプシ・テイスト・チャレンジ」というパッケージを隠した状態でコーラを飲み比べるというイベントをペプシが開催していたのだが、おいしいと思った方を正直に選ぶと100%コカ・コーラだった。タダでたくさん飲ませていただいた手前、「この宣伝方法は逆効果なんじゃないか?」と不安になった。ペプシコーラとコカ・コーラって飲み比べると違いがはっきりと分かるくらい、違う。
話が南極に行くつもりが北極に行くくらい逸れたが、金と銀の両方が製造されたなか、「銀メダルにカラーリングがされている」という点が興味深い。現在でこそ金メダルが主流であり、新しい色のメダル(黒とか銅とか)が発売されたこともあり徐々に存在感が薄くなってきた銀メダルであるが、80年代半ばくらいまでは、主流は金ではなくて銀だったのではないかと考えている。80年代頃には現在のメダルの形に大体落ち着いてきたのだが(刻印面の広さが違う等の差異はあるが)、この時代の物で見かけるメダルは圧倒的に銀メダルが多い。いつから金メダルが主流になってきたのか、今後の研究テーマの一つである(考証する時間がないのよね~)。
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