邪道【食と緑の博覧会イートピアとちぎ’88】 記念メダル

食と緑の博覧会記念イートピア 記念メダル ロゴマーク
食と緑の博覧会記念イートピア 記念メダル 銀
食と緑の博覧会イートピア記念メダル金

記念メダルが語る歴史「地方博」

 話がいきなり脱線するが、記念メダルの収集において私のように邪道な手段(現地調達ではなくヤフオク・メルカリ等での購入すること)を用いる人は少ないと思われる。少なくともメジャーな存在ではない。なぜなら、当然のことながら、記念メダルは本来「現地を訪れた思い出」と共に収集されるべきものだからである。だって「記念」だもの。

 似たような趣味に「道の駅のスタンプラリー」というものがあるが、「どこそこの道の駅のスタンプ、代わりに押してきて〜」と頼む人は恐らくそんなにいないのではないだろうか。同じように、人が押したスタンプ帳を金を出してヤフオクで購入するというのもレアな話であるだろう(もちろんいずれもなかにはいるのかもしれないが)。茶平工業製記念メダルも本来はそうしたカテゴリーと同様なものであると思うので、私のような収集家は邪道な人間であると自他共に認める次第である。

 ただ、私がこの道を選ばなかったら、恐らく全く出会うことのなかったであろう文化が一つある。それが「地方博」である。

 地方博ブームというのが80年代後半から90年代前半にかけて沸き起こっていたことは、うっすらとした記憶の中に言われてみればあるような気がするという程度にはある。このブームはちょうどバブル景気と共に盛り上がり、バブルが弾けると共に終焉を迎えるような形となったわけで、その頃の私はまだこの世は正しいことが勝って間違ったことが正される正常な世界が広がっていると信じて疑わない幼い子供であった。

 だから「地方博」に関しては、バブル経済で日本が異様なほど景気が良かったなんて記憶が全然ないのと同様に、全く記憶にない。真面目な話、一つも記憶に残っていなかった。それが、過去の記念メダルの収集もしようと思い立ったがために、数々の地方博記念メダルと出会うようになり、その種類の多さ、そして各地の地方博がその後に残していったものに興味をもつきっかけとなった。

 調べれば調べるほど、「地方博ブーム」という今は亡き文化は非常に奥が深く、そして綺麗事だけでは語れない「異様なもの」であったことがわかった。バブル景気で熱に浮かれていた日本を象徴するかのような文化であったといえる(それ以前から地方博というもの自体は存在したが)。

 記念メダルの「記念」は、本来的な意味はもちろん「訪れた記念」であり、その人固有の思い出を意味するものである。しかしながら、今ではもう終了したイベントや、閉鎖してしまった施設などが確かにそこに存在したことを「記念」し、後世においても静かにその歴史を示し続けるものでもあるのかもしれないと思うようになった。

 玉石混交した「地方博」という文化を、優しく包み込むように全て同じ土俵で示す茶平工業製記念メダル。そのメダルの奥に刻み込まれている歴史を紐解いてゆくと、思わぬところで現代とつながることが多々ある(跡地利用とか)。自分が知らなかった地方の一大イベントと出会い、現在の日本の風景を形作る歴史と出会う。

 そして、その発掘はとても楽しい。

−−ただし、掘り起こされる歴史は綺麗事ばかりではない。

乱発された「食と緑の博覧会」の謎

 「食と緑の博覧会」は、ほぼ同時期に様々な場所で開催されたらしく、いろいろと出てくる。ネット検索でヒットしたのは「おかやま」「いしかわ」「みやざき」「ちば」「ひょうご」「新潟」「飛騨・高山」である。それぞれに愛称がつけられたようで、例えば「ひょうご」は「ポロンピア」、「新潟」は「ナイスふ〜ど」、「みやざき」は「宮崎がうまい」(←愛称?)で、「とちぎ」が「イートピア」というわけである。

 で、肝心の「とちぎ」が出てこない。ということで「イートピアとちぎ」を検索すると、まず出てくるのが同名のゴルフ場である(現在は改名されている)。いきなり行き詰まる。画像検索で代わりによく出てくるのが「イトーピア」という賃貸マンションである(伊藤さんが社長?)。

 結果から述べると、「イートピアとちぎ」に関しては、ほとんど何もわからなかった。地方博の会場建設業務を数多く請け負っていたらしい「乃村工藝社」のHPに当時のパンフレット等が多数掲載されているのだが、掲載されているパンフ画像だけではどのようなものだったか全然わからなかった。

 唯一ウィキペディアに記事があるのが「飛騨・高山」で、それを読むと、飛騨の食文化や家屋を中心とした展示・パビリオンだったようなので、開催地によって内容が大きく異なっていたことが予想される。「とちぎ」は宇都宮で開催されたようなので、きっと宇都宮餃子について語られるパビリオンがあったはずである(適当な予想)。

 ちょっと謎すぎてわからないことが多い。80年代の地方博でここまで情報がないのも珍しい。この時代の地方博は大抵はウィキペディアの記事も充実しているし、過去を振り返るような個人ブログに情報がある場合が多い。YouTubeにも当時の様子をホームビデオに収めた映像が残っていることが多い(「ちば」のみあった)。

 唯一分かることは、食から「イート」という言葉をとって「ユートピア」とダジャレっぽく掛け合わせて「イートピア」としたネーミングセンスがスベっているということである。緑はどこにいったのか。

記念メダルについて

夢みなとタワー記念メダル「トリピー」

「鳥」と「20世紀梨」をイメージしているという「トリピー」。20世紀梨は言われないとわからないぜ

 私は実は、こうした地方博のマスコットキャラクターが結構好きなので、デザイン的に高評価だったりする。いまでいえば「ゆるキャラ」なのだろうが、やはりそこはかとなく「時代」というものを感じるセンスで、どこか「ゆるキャラ」と呼ばれるキャラ達とは一線を画すものがある。なかにはいまだ現役で活動を続けているキャラもいて(わかりやすいのは【山陰・夢みなと博覧会】で生まれた「トリピー」。鳥取県の公式マスコットキャラとして鳥取県【夢みなとタワー】のメダル図柄となっている)、爆発的に広がることは二度とないだろうが息は長いというダンディ板野のようなポジションを獲得している。

 いつか地方博のマスコットキャラ特集みたいな記事を書きたいと思っているのだが、もう少し収集できてからの予定。そして、いつまで経っても全ての所有メダルの記事を書き上げられないので、そんな特集をしている場合ではない説。




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