↓26ミリメダル(ミニメダル)
↓38ミリメダル(デカメダル)
テロリストが市議会議員になるという闇
【沖縄国際海洋博覧会】は、1975年に会期183日間という長期間に渡り開催された大規模国際博覧会である。36カ国と3つの国際機関が参加し、沖縄返還記念事業として計画されたもので、450万人の動員を見込んだ大規模な博覧会であった。が、結果的には350万人程度の動員にとどまり、「起爆剤ではなく自爆剤」などとうまいことを言われてしまう始末であったとか。会期終盤には会場内ではグッズ類が投げ売りされていたらしい。そのおかげかそのせいか、ネット上では70年代の記念メダルの割には【大阪万博】に次いでよく見かけし、状態もよい物が多い(メダルについては後述)。
さて、前述のとおりこの博覧会は国際的行事だったため、今上天皇・皇后が皇太子時代に開会式に出席した。その際、献花のためにひめゆりの塔を訪問したとき、過激派ゲリラから火炎瓶を投げつけられるという事件が起こった。俗にいう「ひめゆりの塔事件」である。このテロ事件は実は二つのテロ行為が連続して起こったもので、当時の警備体制の不備が問題となった。詳細はGoogle先生にお聞きすれば腐るほど教えてもらえるので省いてしまうが、一番の驚きは、実行犯の一人が2010年の名護市議会議員選挙で社民党の推薦を受けて立候補し、当選していることである。私の個人的な意見・感想を述べるのは控えるが、テロ事件とその後の顛末を含めて「沖縄の歴史の複雑さ」というものを強く感じる次第である。
そんな【沖縄国際海洋博覧会】だが、前述のとおり規模の割には失敗に終わったものの、跡地は博覧会後のお決まりである記念公園として整備され、現在でも多くの観光客が訪れている。というのも、その「国営沖縄海洋博覧会記念公園」の中心には【沖縄美ら海水族館】があるのである。【美ら海水族館】は記念メダル販売場所なので、記念メダルの血脈は受け継がれているといえる。
沖縄の歴史に深く関わる国際博覧会。機会があれば、そのうちそのドキュメンタリー映画を鑑賞し、映画ブログにてレビューをアップしたいと思う。
アメリカ建国200年祭の謎
【アメリカ建国200年祭】という名前が示された記念メダルを割と頻繁に見かける。販売の形が額装であったり豪華な専用ケースでセット販売されていたり、はたまた一枚で安っぽく売っていたり様々である。また、裏面のデザインはほぼ同一であるものの刻印スペースがあったりなかった、また多くは銀メダルなのだが一部のメダルでは金メダルを見かけたことがあったり(未所有)、なんかもう、「金型の有効活用やねん!」と言わんばかりに乱発されまくっている印象がある。
【アメリカ建国200年祭】という催し自体は、1976年にそれこそアメリカにおいて国を挙げて大々的に行われたイベントである(帆船パレードには日本の「野本丸」の参加があったらしい。てか「日本丸」というそのまんまなネーミングセンスが……「真田丸」から脈々と受け継ぐ伝統あるセンスである)。しかしもちろん、アメリカにおいて「アメリカ建国200年祭」なんぞと日本語で書かれた記念メダルが販売されていたとは考えにくい。日本のどこかで売られていたと考える方が自然である。
多少余談となるが、こういった「アメリカ関連の謎の記念メダル」というものは過去数種類が存在する。
アメリカ関連の謎メダルに関しては謎は謎のままなのだが、【アメリカ建国200年祭】のメダルに関しては、多少分かったことがある。
上記は額装セットのプレート部分である。直訳すると「沖縄国際海洋博覧会にアメリカが参加したことを記念するメダル」となる。つまり、ここで販売されたのである。というか、38ミリver.【沖縄国際海洋博覧会】額装メダルのラインナップに、【アメリカ建国200年祭】額装メダルと同一のものが数枚あるし〜。
ちなみにこの博覧会は【アメリカ建国200年祭】の前年に開催されている。このことから推測すると、恐らくは翌年に控えた【アメリカ建国200年祭】を盛り上げる意味合いで製作されたものなのではないかと予想する。ただしこの「盛り上げる」というのは自分で言っておきながら語弊があって、別にアメリカが製作したわけでは絶対ないというところがミソである。正確には、この世にある全ての記念メダルは販売代理店の利益のために製作されているといえる。つまり、【アメリカ建国200年祭】に対する高まる期待にあやかって、どこかの販売代理店が勝手に企画したメダルであると予想するわけである。
ということを考えると、【アメリカ建国200年祭】記念メダルとは、記念メダルの本来の在り方を象徴するものとすらいえるかもしれない。
あなたの記念が金になる
という真理の塊なのである。いや、知らんけど(唐突な無責任発言)。
記念メダルについて
この博覧会は、記念メダルの歴史の中ではトップクラスで重要なターニングポイントであったと言っても過言ではない。
まず種類が多彩で、現在メジャーな31ミリメダルはもちろん、同じデザインで38ミリメダルがあったり、現在では珍しい26ミリメダルがあったりと、茶平公式HPに掲載されているメジャーな3種類のサイズが全て販売された。また、大規模博覧会恒例の「額縁メダル」も存在し、茶平工業HPにも写真が載っている。しかも額縁メダルが複数あるという鬼仕様である。お金が〜ああああ。
記念メダルに関する考察で語られるのが、「このイベントを境に主流が38ミリから31ミリに変わっていった」という点である。過去メダルを収集している私としても大体同じような印象をもっていて、75年のみ両サイズが同じ土俵で共存していて、76年以降は31ミリがあっさり台頭しているような印象である。75年がやはりターニングポイントであったと推察する。そして記念メダル的に75年最大のイベントといえばこの【沖縄国際海洋博覧会】ということになるので、やはりこのイベントが一つの潮目であったと考えられる。
※75年以前以後も両サイズとも存在する。あくまで「主流はどちらか?」の話である。
例によって茶平工業訪問時に現社長に「なぜ大きさは変わったのでしょう?」と訊いたら、「なぜなんでしょうね〜わかったら教えてください(笑)」というゆるい感じの返答で、もう愛が止まらない次第である。
↓参考
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