今ではLCCでひとっ飛び。しかし当時は北海道と本州を繋ぐ動脈だった。
なじみ深い元号がもうすぐ終わろうとしているとは知る由もない昭和63年の夏、【青函トンネル開通記念博覧会】は開催されたようである。私はすでにこの世に生を受けていたようだが、残念ながら全く記憶にない。その時は無論将来記念メダルなるものを集めるような人間になるとは夢にも思わず、自分の先に広がるのは無限の可能性であることを信じて疑っていなかった。現在の私の目の前は、むしろ可能性なるものを探して求めてヘトヘトに空しくなる日々である。
ウィキペディアによると、青函トンネル開通を記念した博覧会だけあって、青森側と函館側の2箇所に会場があったらしい。よって、函館側は【函館EXPO’88】、青森側は【青森EXPO’88】と通称していたそうである。記念メダルもそれぞれの会場で別個に販売されたようで、記念メダルに書かれている通称が異なる。で、青森側はまあまあの成功であったが、函館側はイマイチ振るわなかったようである。私の感覚からしたらむしろ逆で、私だったら函館側に行ってついでに北海道観光を楽しむと思うのだが。しかしそれも、時代による意識の変革かもしれない。北海道が身近になったのは、それこそ青函トンネルの開業や現在では格安航空などで行き来が容易になった点が挙げられる。当時はもっと、行くのに気合いが必要だったことだろう。
また、資料を読む限り、函館の観光業自体が当時はそれほど発展しておらず、むしろこの【青函博】を契機にテコいれされたようで、そこにこそこの博覧会の意義があったという見方もあるようだ。地域住民が成功に向けて一致団結したそうである。
記念メダルは、その背景に歴史を語る。
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