【日本海博覧会】は、1973年に石川県金沢市で開催された地方博である。
この地方博は、とにかく情報が少ない。つまり、マイナーな地方博であったのだと思われる。大阪万博から3年後の地方博であり、2年後には【沖縄国際海洋博覧会】が開催される。メジャーかつ大規模な博覧会のはざまに開催され、歴史の渦に飲み込まれてしまったのかもしれない。
ネット情報で調べた限りは、アマチュア無線局が開設されたり、ジャズのコンサートがあったりしたらしいが、詳しい展示内容や催しはわからなかった。マイナーかつ年代が古いせいで、ネット上に情報をあげている方が極端に少ない。そんなわけで全く詳細は不明である。
地方博は、81年の【神戸ポートピア博】の成功から、「博覧会→跡地の再利用から都市開発」という流れが出来上がり、開催後の土地利用を含めた計画が立てられることが多くなった。例えば【ポートピア】や【横浜博覧会】は、「土地の埋め立て」→「地方博開催」→「都市開発」という一連の流れで現在のメリケンパーク等があるポートアイランド(神戸)やみなとみらい21(横浜)が出来上がった。【横浜博覧会】は四百億円という規格外の予算がたたってイベントそのものは成功とは言い難い結果となったが、その後の都市開発という観点で見れば、現在のみなとみらい21の発展を鑑みれば十分な成功を収めているともいえる。【ポートピア】はイベントも都市開発も共に成功している。
一方、70年代の地方博は、バブル経済前夜でいわゆる「地方博ブーム」が訪れる前の博覧会であったためか、博覧会跡地は決まって「記念公園」的なものになると相場が決まっている。【大阪万博】は言わずと知れた「万博記念公園」となり、【日本海博】跡地は「西部緑地公園」となり、公園内築城競技場はサッカーチーム「ツエーゲン金沢」のホームとなっている。
ただ、バブルが去ると、博覧会のテーマ自体も社会情勢の変遷に合わせて「都市開発・技術の発展」から「自然環境・保護」へと移り変わり、世界的な緑化運動を受けてか跡地はやはり「記念公園」となる流れに舞い戻った。歴史は繰り返されるのである。愛の営みのように(特に意味のないたとえ)。
私より年上の記念メダルを安価で手に入れられるようになったのも、ネットを通した個人売買の文化が発展したことによるところが大きい。いろいろと問題はあろうが、記念メダル図鑑の完成を目指すには欠かせないものなので、ぜひ永続的なものとなって欲しいものである。記念メダルを通して、日本の歴史・文化を掘り返すよいキッカケとなっているのだから。掘り返すといっても、ネットで調べるだけだけど〜
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