アンデス文明が名古屋にやってきた。民放の人気ドラマのようなタイミングで。
今でこそあまりないが、一昔前までは、関東でヒットした人気ドラマ・テレビ番組は、名古屋ではワンクールくらい遅れて放送されていた。しかも全然異なる時間帯に放送されることもしばしばだったそうで、関東の人間とは同じ番組の話をしていても微妙な認識のズレがあることが発覚することがある。
例えば私は『新世紀エヴァンゲリオン』をリアルタイム放送で観ていた世代なのだが、その頃は神奈川県にいたため、通常の時間帯18:30〜の放送であった。が、愛知県では平日朝の遅れ放送であった(詳しい時間は忘れた)。そのため、18:30といえば我が家ではちょうど夕食の時間であったわけだが、母親と二人で飯を食ってるときに突如繰り広げられたミサトがアンアンもだえる加持とのベッドシーンが突然流れたときの気まずい無言の食卓風景を、愛知県民はこれから学校に行こうという朝食で味わうことになったわけである。どちらが良いかは判断が難しいが。
こういったことは何も関東ー愛知の間柄だけではないだろうか、まがりなりにも「三大都市」の一つに数えられる名古屋も(福岡の人に尋ねると三大都市は東京・大阪・福岡らしいが)、所詮は「東京でヒットしたものが後から入ってくる土地」に過ぎないということである。こうした流れは、記念メダルにおける重要イベント「国立科学博物館の特別展」においても同様で、東京でヒットした特別展が、1年くらい経ってから名古屋の【名古屋市科学館】や「名古屋市博物館」の企画展としてやってくることがある。当たり前だが、逆はないのである(名古屋のみで催された特別展はあるが。例:【ロボットってなんだろう】)。
アンデスメロンのアンデスは「安心です」の略
見出しは事実だが特に意味はない。
アンデス展と似たイベントに【オルメカ展】という特別展が同じく名古屋市博物館で開催されたことがある。このイベントもなかなか面白かったように、「古代文明展」にはハズレがない印象である。私は基本的に特別展というものがそんなに好きではないのだが、◯◯文明展のときは安心してお金が払える。このへんは好みの問題でしょうけどね。
そんなわけで安心してやってきた名古屋市博物館であるが、名古屋市博物館ではいつも「チケット売り場で迷う」という現象が起こる。今まで3回訪れたことがあるが、3回ともチケットを購入する前に建物内に入ってしまった(つまり建物に入る前に売り場がある)。建物に入ってしまってからその辺の係員に「チケット売り場はどこですか?」と尋ね、えっ? という顔をされながら「出てすぐそこですけど……」と困惑気味に教えてもらう。とても恥ずかしい。
今はまだ覚えているが、名古屋市博物館で記念メダルイベントが開催されることは稀なので、次に訪れる機会にもまた同じ轍を踏んでしまうのではないかと今から不安でしょうがない。そういう意味では、この地にて【古代アンデス文明展】が開かれているが、アンデスメロンの方の「アンデス」はここにはないのである(←これが言いたかっただけの無駄な話ね、これ)。
さて、肝心の内容であるが、やはり面白かった。「古代文明」というのは知的好奇心がそそられるものである。なかでも私がアンデス文明に魅力を感じたのは、出土品の数々が「どれもギャグっぽい」という点である。いや、まじで。どれもこれも四コマ漫画に出てきそうなデフォルメキャラみたいなデザインばかりで、「これはマジで作ってるのか?」と疑問に思うほどである。が、私以外の誰もが、真面目な顔で真剣に見入っていたので、そういう不謹慎なことを考えていたのは私だけであろう。私の目、私の感性がおかしいのである。アンデス文明を創り上げてきた方々にお詫びしたいところであるが、残念ながら彼らはスペイン人達に滅ぼされてしまったので、この思いを届けることはもうできないのである。残念でならない。
以下、私の目を引いた出土品の品々。ちなみに「アンデス文明」と一口にいっても、広大なアンデス山脈のもといくつもの文明が栄えては消えを繰り返した歴史の総称であり、文明によって傾向は結構異なっていた。こういうの研究したら面白そうだよね〜しなけど。記念メダルの研究だけでもやりきれないけど。
アンデスといえばナスカの地上絵。ナスカの地上絵といえば……
アンデス文明を代表するものといえば、記念メダルのデザインにもなった「ナスカの地上絵」である。いわゆる「オーパーツ」というやつで、昔の人がこんな巨大な絵をどうやってここまで正確に描けたのか ドローンあったの? というやつである。
ナスカの地上絵は実はいろいろな種類があって、何ならただの「線」でも「地上絵」とゴリ押しするらしいのだが、一番有名なのはやはり鳥だろう。そしてこの鳥の地上絵といえば、ドラクエの「ロトのしるし」である。どう考えてもパクってる(オマージュ? インスパイア?)と思うのだが、スクエニはもちろんそういうことには言及しない。
もちろん著作権は数千年前にとっくに切れているので、パクっていても全く問題はない。
ちなみにナスカの地上絵は「一筆書き」で描かれている。ということは、線を辿るとスタートとゴールがあるのである。で、線に沿って歩くことがなんらかの儀式を意味していたと言われており、それは「雨乞い」であったという説が有力である。
ただ雨乞いという答えだと「無難だな〜」とつまらなく思うのは私だけだろうか。そこはやはりUFOを呼ぶ儀式であってほしいと思うのが人情ではないか(人情?)。もしくは精霊ルビスを召喚する儀式であってほしい(ドラクエ)。
記念メダルについて
文句なしで美しい。記念メダルの「美しさ」部門でいえば、それこそ史上1、2を争う造形の美しさではなかろうか。彫りの細かさでよく挙げられるのが【赤目四十八滝】であるが、勝るとも劣らない細かさである。ちなみに「おっ」と目を引くデザインの記念メダルは大抵「オークコーポレーション」のメダルである。そんななか、【赤目四十八滝】は非オークでよくがんばっているといえる。
東京・上野で開催されたときは吊り下げ式の販売でキーホルダーとのセットでしか売られていなかったのだが、名古屋展ではメダルのみで購入かである。しかしながら、「東京ではセットでしか売られていなかった」という事前情報が私にいらぬ先入観をもたせ、メダルのみの販売が全く、全然、これっぽっちも目に入らなかった。本当に全く見えなかった。気が付いたのはメダル購入後、心と体が落ち着いてからである。
記念メダラーあるある:記念メダルを無事に入手するまで気もそぞろでゆっくり周りを見られない。
だから私は既にもう諦めの境地に達していて、こういうミスはするものだと受け入れることにしている。2回目訪れた施設で以前購入したメダルも買っちゃうとか(何のために自分のブログで手持ちのメダルを確認できるようにしていうのか)。
販売機はなかったが、刻印機はあった。レジで刻印機の使用を勧められる。「販売機がなく、刻印機のみが設置されている」という販売場所ではほぼ100パーセントでレジのおばちゃんに刻印のことを告げられるのだが(【広島平和記念館】とか)、こういうときにどういう反応をすればよいのか困ってしまう。結果、いつも冷たく「ああ、はい(わかってますよ的な)」と冷たく答えてしまうのだが、これを改めたい。私は記念メダルを無事に手に入れて嬉しいのだから、相手にも気持ちよく販売してもらいたい。それなのに私自身がそれを台無しにしてしまうのである。どなたか妙案をお持ちであればぜひ教えていただきたいものである。
刻印機には見本まで貼り付けられていて、記念メダル販売への意欲をとても感じた。記念メダラーとして嬉しい限りである。これくらい押してくれれば、もし仮に女子と一緒に訪れても、お土産の一つとして購入することに理解を得られるかもしれない。いや、ダメかな。
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